◇ニューズレター創刊号 (抜粋)
1998年4月



 スピリチュアリズムは学問ではありません。
 霊的真理にもとづく実践的な生き方なのです。



 皆さんはスピリチュアリストとして、毎日どのような意識を持って生活していらっ
しゃるでしょうか。霊的真理にそって自分の心を高めるための努力をしていらっ
しゃるでしょうか。霊的世界に関する知識を、実際の生活にどれほど役立ててい
らっしゃるでしょうか……。

 ……もし霊的真理を真っ先に知った私達が、真理を頭の中の知識だけにとど
めて自分の心の戒めや人生の指針とすることなく、実生活でそれを役立てなか
ったとしたら、聖句にある“ブタに真珠”ということになってしまいます。

 ……霊的真理は本当はその人間の心を深くし謙虚にするものですが、内省的
な努力がないところでは、スピリチュアリズムの知識も単なる傲慢さや自己主張
の道具となってしまうのです……。

 スピリチュアリズムは学問ではないのです。スピリチュアリズムは信仰ではな
いと考え違いをされている方が多いようです。シルバーバーチもスピリチュアリ
ズムは信仰ではないという言い方をすることがありますが、それはスピリチュア
リズムは従来のような信仰(盲信的信仰、事実にもとづかない信仰)とは違う、
ということを言おうとしたのであって、スピリチュアリズムの本質が信仰であるこ
とを否定したのではありません。

高級霊訓の思想は、これまで地上になかった高次元の信仰を人類にもたらそう
としたことに尽きます。知識はそのための不可欠な手段と考えるべきなので
す。シルバーバーチをはじめとする高級霊の説くところは、内省・自己反省であ
り、無償の奉仕であり、エゴとの闘いであり、神への祈りであり、 利他愛の実践
であり、全てが信仰的内容なのです。

真理を知って、それだけでよしとするような姿勢に対しては、むしろ、それをエゴ
として考えているのです。スピリチュアリズムはキリスト教にもない、さらに高い
次元の真理の上に立つ信仰なのです。


 スピリチュアリストとしての霊的実践は、霊優位のための自己コントロールから
始まります。



 高級霊訓に示される実践的内容は、大きく次の四つにまとめられるでしょう。
当然これは、私達が魂を成長させるための実践項目でもあります。

 @ 霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)
 A 苦しみへの正しい対処
 B 利他愛の実践(人を正しく愛する)
 C 霊的世界とのストレートな交わり(瞑想・祈り)


 この四つの中に、霊訓によって明かされた魂の成長(霊的成長)のための実
践内容が全て含まれています。

 @の霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)とは、物質中心の
生き方をしないということです。地上生活は魂を成長させるためにあるのです
が、地上では肉体を持っているため霊の心と本能的な心が葛藤し、どうしても
本能的な思いに引きずられがちになります。が、魂の成長は、霊の心が本能
(物質欲・肉欲)をコントロールした霊優位の状態であってはじめてなされるもの
です……。

 霊の意識を優位にして本能的思いをコントロールすることを“霊主肉従”と言い
ますが、この霊主肉従こそ、魂成長のための大前提です。けれども地上生活を
送る大半の人々は、よほどの厳しい内省的闘いをしていない限り、“肉主霊従”
(霊主肉従の反対)という状態に陥ってしまいます。

そうした状態では、物質欲だけに翻弄され、エゴ的思いが心を支配するように
なります。それは霊的価値から見ると、本能だけで生きる動物と等しいことなの
です。地上の人間は霊主肉従であってこそ、はじめて動物と違った崇高な価値
を持てるのですが、残念なことに、大半の人々は肉主霊従の状態にあることが
多く、地上生活で積極的に魂を高めることができません。

 スピリチュアリストとしての私達が魂の成長をなすためには、自分が今、霊主
肉従の状態なのか肉主霊従の状態であるのか、ハッキリと知らなければなりま
せん。自分の心の状態をみきわめる敏感な感性がぜひとも必要なのです。

私達が霊主肉従の状態にある時には、十分な霊的エネルギーが受け入れら
れ、心はすがすがしく、清らかな思い・愛の思い・大きな心が持てるようになりま
す。

反対に肉主霊従の状態にあると、心は暗くなり、重苦しくどんよりとして、スッキ
リとすることができなくなります。また人に対する批判的な思いが湧き上がり、
自分の利益だけを先に求めるようになります。

 たとえ真理を知った私達であっても、意識的に高い心境を持ち続けようと努力
しない限り、動物と等しいところに堕ちてしまうのです……。



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