◇ニューズレター2号 (抜粋)
1998年7月


目 次
ニューエイジも新・新宗教もスピリチュアリズムを超えるものではありません。
 
シリーズ1 スピリチュアリズムから見たニューエイジ
    ・スピリチュアリズムとニューエイジは本質的に同じもの 
    ・ニューエイジの中心はチャネリングであるべき
    ・チャネリングの多くの問題点

魂の成長は地上の苦難をプラス思考で乗り越えることによってなされます。

    ・スピリチュアリズムの教え  苦しみ・困難は必要不可欠なもの
    ・地上は苦難の世界  苦しみは避けられない地上人の宿命
    ・地上の苦難に対する二通りの姿勢
    ・霊訓の示す苦難への心がまえ
    ・霊的真理実践の最大の障害―勇気と謙虚さの欠如
    ・苦しみを苦しみと感じなくなる高い心境


ニューズレター


 ニューエイジも新・新宗教もスピリチュア
 リズムを超えるものではありません。
 

シリーズ1 スピリチュアリズムから見たニューエイジ

スピリチュアリズムとニューエイジは本質的に同じもの 

 ここ20〜30年間、アメリカを中心としてニューエイジやチャネリングがブーム
を巻き起こしてきました。そして多くの人々が精神世界に目覚めました。こうし
た動きは、まさに霊界の高級霊の救済活動が地上に反映したものなのです…
…。

 ニューエイジに係わる人々の中には、スピリチュアリズムは一時代昔のもので
あるかのように考える人がいます。スピリチュアリズムの時代は去って、これか
らはニューエイジの時代だと言うのです。

しかしこうした発言は、霊界の大プロジェクトという動きに対する無知からでたも
のです。これまで述べてきましたように、霊界はイエスを中心として全ての高級
霊が一丸となって地上救済のために働きかけています。

このように地球を取り巻く霊界全体の意志が一つとなって進められているのが、
スピリチュアリズムなのです。それが今、アメリカを中心としてニューエイジという
名前で展開している、ということなのです……。


ニューエイジの中心はチャネリングであるべき


 スピリチュアリズムもニューエイジも霊界の高級霊によって人類救済のために
起こされたものであり、本質的には全く同じものなのです。ただ名称が違うとい
うことに過ぎません。

霊界から見たらスピリチュアリズムもニューエイジも同じなのです。ただ、現在の
ニューエイジは広汎な分野にわたる精神革命的な意味合いを持っています。

この多分野(チャネリング、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学、エコロ
ジー思想、ニューエイジ形而上学、ホリスティック医学etc.)にわたる底辺の広さ
ゆえに、それが最も優れたもののように考える人もいます。

しかしこれらの動きをつくりだした霊界の高級霊の立場から考えてみれば、最
終的な目標は「霊的真理」にあることは明白です。

このことは“精神覚醒運動”であるニューエイジの中で、最も中心的立場に立た
ねばならないのがチャネリングであるということなのです。チャネリングこそ霊界
からの意志をストレートに伝えることができる道だからです……。

  ……ニューエイジの中では、チャネリングのみが純粋に霊的分野に属するも
のなのです。ニューエイジの中で、アジアの思想や宗教に対する関心が高まっ
たとしても、それらはどこまでも霊的レベルへの中間点に過ぎません。

禅もタオもヨーガもニューサイエンスも、霊的と言うにはあまりにもレベルが低い
のです。ニューエイジは、チャネリングを通じて送られてくる霊的真理を中心とし
て展開して行くべきなのです。

常にチャネリングがニューエイジの指針となり指導理念となった時に、ニューエ
イジは全体として歴史的な使命を果たすことができるようになるでしょう。


チャネリングの多くの問題点


 しかし現時点のチャネリングを見る限り、あまりにも多くの問題点を抱えていま
す。その問題点のゆえに、チャネリングはニューエイジの中で中心的な立場を
確立することができずにいます。

その問題の一つが、霊界通信(チャネリング)に対する厳格な選別がなされてい
ないということです。価値のある霊界通信と全く意味のない霊界通信が、玉石
混交の状態のまま置かれているということです。

多くの人々は霊的現象という不思議な出来事に興味が奪われるのみで、肝心
な霊界の教えを指針として霊的人生を歩み出す方法に向かっていないのです
……。
 
スピリチュアリズムのこれまでの研究では、本当に意味のある霊界通信は全体
のわずか5%に過ぎないとも言われています。

アメリカでヒットしたチャネリングの中には、明らかに低級霊によるものとしか言
いようのないものが多くあります。アメリカのチャネリングブームでの一番の問題
点は、霊界通信への厳しいチェックがなされていない、ということなのです…
…。

 さらにチャネリングの問題点としては、霊界通信を受ける側の姿勢がありま
す。霊界通信の中の一部、特に自分にとって都合の良い点や耳ざわりの良い
部分だけを受け入れるという傾向が見られます……。

 ニューエイジでよく使われる言葉に「自己を癒す」とか「自己を許す」といったも
のがあります。しかし霊界において、自己愛の大切さを主張する高級霊は一人
もいません。

自分を犠牲にすること、自分より人のために働くこと、自分を忘れて人に尽くす
ことが高級霊の教えです。これこそが私達の地上での努力目標であるべきで
す。

自己愛ではなく「利他愛」こそ神のつくられた摂理であり、宇宙の存在法則なの
です。 ……利他愛の実践に徹してさえいれば、わざわざ自己を癒し許すといっ
たことを主張しなくともよいのです。

利他愛の実践は、結果的には自分を最も大切にし愛することになるのです。自
己愛を先に掲げることは本末転倒した考え方です。これと同じく本末転倒した
考え方に「ワクワクした生き方」があります。

地上人生において魂の成長をなすためには苦しみ・困難が必要であることを考
えれば、こうした発想を前面に押し出すことが間違っていることは明らかです。

 ……ニューエイジ全般に言えることは、苦しみの意義に対する意識の欠如、
禁欲に対する嫌悪など、ヒューマニズム的発想による霊的真理からの逸脱的傾
向があるということです。

霊的摂理の厳しい面を捨てて、霊的真理の一部分を人間中心的なところから
取り上げるといった傾向が強いのです。

 また、ニューエイジがセミナーやワークショップを頻繁に開いて、これを普及の
ための手段としていることにも問題があります。何よりもまずセミナー自体が、こ
の世的なお金儲けの手段になっているということです。

このため多くの醜い争いを引き起こしていることは周知の通りです。これでは新
興宗教の金権体質と全く変わりません。

 またセミナーによって人の魂が変えられると考えているとしたら、霊的真理に
関する本質的な間違いを犯していることになります。人間の魂の成長は、セミナ
ーやワークショップなどの一時的な感動や興奮、異常心理によってなされるもの
ではありません。

……これはある種の心理体験であって、霊的体験ではありません。困難に遭遇
し、自己を捨てざるを得ないような体験を通じて人間は変わるものです。お金を
払って短期間に自分の魂が高められるとしたら、そんな美味い話はありませ
ん。

心理的な刺激を体験することと、魂が成長することとは全く違います。この違い
が分からないと、不思議な体験をしたというだけで自分が高まったと錯覚してし
まいます。

オウム真理教の多くの信者が、超常体験を自己変化と錯覚したのと同じことに
なってしまうのです。超常体験と霊的体験とは全く別物です。霊的体験とは霊
的成長につながるもので、霊的努力の継続や、困難を甘受する努力を通じて少
しずつなされて行くものなのです。
 

 魂の成長は地上の苦難をプラス思考で
 乗り越えることによってなされます。


 前号では、霊優位のための自己コントロールについて説明しました。今回は
苦しみへの正しい対処について見てみましょう。


スピリチュアリズムの教えーー苦しみ・困難は必要不可欠なも



 スピリチュアリズムの真理を知った私達であっても、苦しみは何とか避けたい
と思うものです。苦しみを避けたいと思うのは地上の人間の本性ともいうべきも
ので、それはごく当然の在り方でしょう。

一般の人々は、苦しみや困難がないことが幸せであり、苦難があることは不幸
であると考えています。苦しみは人生から幸せを奪い取る敵であり、何とかそ
れを避けたいと願っています。

多くの人々が宗教に係わりを持っていますが、その人達が求めるものは、苦し
みのない幸せな人生です……。

 ところが高級霊訓では、苦しみに対して地上人とは全く違った見方をしていま
す。違っているどころか180度も反対のことを言っています。私達地上人の常識
を根本から覆すようなことを述べているのです。

シルバーバーチはしばしば、「苦しみを避けてはいけません。ありがたいものと
して受け入れなさい」と言っています……。

 ……この世の多くの宗教は苦しみを取り除くことを売り物にしていますが、そ
れに比べて、スピリチュアリズムは何と違っていることでしょうか。

 高級霊の発言や教えは、常に霊界という永遠的世界の観点からなされます。
その視野の広さ、全体を見通した判断力は私達とは比べものになりません。そ
のような高級霊が、苦しみは魂の成長に不可欠な条件であると言っているので
す。


地上は苦難の世界  苦しみは避けられない地上人の宿命


 霊界には私達が体験するような地上的苦しみはありません。死んで霊界に行
けば、今地上で抱えている一切の苦しみはなくなります。それに対して地上生
活では苦しみはつきものです。

しかし、その地上ならではの苦しみがあるために、地上人生は意義を持ってい
るのです。

 ……地上では、人間関係において必ず苦しみや摩擦が生じるようになってい
ます……。

 また対人関係ばかりでなく、自分という一個人を見ても、肉体があるがゆえの
様々な苦しみを持つようになっています。肉体の力はあまりにも強く、すぐに私
達の心(魂)を肉主霊従の状態へ引きずり堕とします。

自分自身さえまともにコントロールできません。少しでも清らかな思いを持とうと
するだけで、猛烈な内面葛藤が起こってきます。本能的方向・物質的方向に流
されるのは楽しく、安易です。

そしてとても安定性があります。これを乗り越えるのには大変な霊的・内的な努
力が要求されます。エネルギーを振り絞るような“霊的闘い”をしなければなりま
せん。時には自らを禁欲的方向に押し出すことも必要となります。

 さらに地上の苦難について考える時には、神のつくられた世界が“因果律”な
らびに“利他愛”という神的摂理によって支配されている事実を忘れてはなりま
せん。

利己的行為や思考は、被造世界・全宇宙の摂理状況に合致しないため、その
ズレた分は償いという形で再現されることになります。自らつくった霊的摂理と
のズレは、それを償うために、自らに重い足かせをはめるような状態となって返
ってきます。

重い荷を背負って階段を上るような苦しみが必ず生じてきます。しかしその苦し
みを正しく受け止め、前向きに努力しようとする時、結果的に、より高い世界を
目指す意志を強固にすることになるのです。この意味で、償いの道は魂の成長
の道と言えます。


地上の苦難に対する二通りの姿勢


 ……地上にいる以上苦難は避けられないものですが、それに対する心がま
え・考え方に二つの方向性があります。一つはそれを善いものとして受け止め
ることです。

自分の成長にとって必要なもの、あるいは過去に自分が犯した摂理違反(利己
的生き方)に対する償いとして、プラス的に考えることです。もう一つがマイナス
的な受け止め方です。

不平不満の思いを持ってイヤイヤ受けて行くものです。しかし、そうしたマイナス
思考の歩みでは、せっかくの魂の向上のチャンスを失うことになります。

苦しみ・困難によって心がひねくれたり、神や他人への不信感だけを募らせた
り、利己的な自分なりの殻の中に閉じこもってしまうことになりかねません。しか
し、現実にはこうした人々が大半なのかも知れません。

 シルバーバーチのような高級霊が苦しみの意義を強調しているのは、霊的真
理を知って、苦しみに対して正しい対処をして欲しいと願ってのことです。霊的
真理があって、はじめて苦しみの意義が理解できます。

そして苦しみや困難を高いところから見下ろすことができるようになります。これ
が霊的真理を知ったスピリチュアリストと、霊的真理を何も知らない人との違い
でしょう。霊的真理を活用して現実の人生を考えてこそ、真理を知った意味があ
るのです。


霊訓の示す苦難への心がまえ


 現実に苦しみ・困難に遭遇した時は、誰もが視野が狭くなり、苦しみだけに心
が占められるようになります。しかし、霊的真理を知っていることの真価の発揮
のしどころは、まさにそこではないでしょうか。

死後の世界があること、この世での名誉や名声や他人の評価などはどちらでも
よいことを思い出すのです。裸で生まれ裸であの世に帰るのだから、この世の
全てを捨ててもよいのだと、思い切って心を整理するのです。

苦難に直面した時こそ、自分をひたすら真理に従わせる生き方が必要とされま
す。私達に勇気を与え、心の持ち方を安定させてくれる霊的真理にしがみつく
のです。挫けそうになる弱い心を真理で絶えず立て直して、苦しみに立ち向か
って行くのです……。


霊的真理実践の最大の障害  勇気と謙虚さの欠如


 繰り返しますが、苦難の中に立たされた時には、霊的真理にしがみついて乗
り越えて行くことが必要です。そのための十分な真理も、すでに私達は与えら
れています。

しかし残念ながら現実には、霊訓を生かしているとは言えないような例が多い
のではないでしょうか。その最大の原因は“勇気と謙虚さ”の欠如にあるようで
す。

 せっかく霊的真理を手にしても、それを霊的武器として生かさないのなら宝の
持ち腐れです。真理を活用するもしないも私達次第なのです。

そして真理を生かすことなく苦しみから逃げたり先送りした分は、いつか別の苦
しみを通じて償わなければならないのです。

この世のものについ頼りたくなるのは人情ですが、そういう時こそ、霊的真理に
しがみついて乗り越えなければなりません。

状況によっては、自分が今持っている富・財産や仕事、そしてこれまで作ってき
た名声や地位や人間関係も、すべて捨て去るほどの思い切りのよさが必要でし
ょう。

そして人から馬鹿にされたり悪人として見られることも、平気でやり過ごせるよ
うな心の姿勢が必要となるでしょう。神と霊界の人々は皆、真実を分かってくだ
さることを支えとして、心を治めて行かねばならないでしょう……。


苦しみを苦しみと感じなくなる高い心境


 この世の価値観にとらわれている限りは、苦しみはどこまでもついて回るよう
になっています。この世に対する未練が一切なくなった時、地上の苦しみを苦し
みと感じなくなります。

その意味で、私達は苦しい時の自分自身の心の状態を観察することによって、
今自分がどのくらい霊的真理を我が物としているのか、霊的真理を体得してい
るのかが分かるでしょう。

どのくらい霊界の人々と同じ視野(霊的視野)を持っているのかが分かるはずで
す。苦しみを克服するには、地上的思考をぬぐい去って霊的真理に立つことし
かあり得ません。

物事を霊的に眺め、霊界人と同じ考え方ができるようになってこそ、困難を困難
と感じなくなります。常に上から臨めば、苦しみを小さなものに位置づけすること
ができるのです。これが苦しみ・困難に正しく対処するということなのです……。



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