◇ニューズレター3号 (抜粋)
1998年10月


目 次
ニューエイジも新新宗教も
スピリチュアリズムを超えるものではありません。
シリーズ2 スピリチュアリズムから見た新新宗教
(幸福の科学・統一教会・GLAを中心として)
自分を忘れ、他人のことを思えば思うほど、
それだけ自分が立派になるのです。(利他愛の実践)
           ・利他愛の実践は魂の成長にとって必須条件
           ・地上の大部分の愛は利己愛
           ・真の利他愛の見本  地上人に対する霊界の人々の姿勢
           ・最高の利他愛の実践
            霊的真理の伝道・一人でも多くの人に霊的真理を伝える



ニューズレター



ニューエイジも新新宗教もスピリチュアリズムを超えるものではありません。
 

シリーズ2 スピリチュアリズムから見た新新宗教
(幸福の科学・統一教会・GLAを中心として)



 ……幸福の科学、統一教会、GLAを取り上げたのは、それらの教義の内容
がスピリチュアリズムに非常に似ていること、そのため多くの人々、とりわけ若
者の心をとらえていること、そして使命感と情熱をもって布教に取り組んでいる
ことからです……。

 これら三つの新新宗教の教え(教義)には、スピリチュアリズムによって示され
た霊的真理との共通点・一致点があります。まず、霊界という死後の世界をい
ずれもが認めています。

死後、霊体という形態をもって生き続けると言います。また、その死後の世界
(霊界)はいろいろな界層から成り立っており、どの界層に住むようになるかは、
その人の魂(霊性)の成長度合いによって決定されると言います。

そして死後の界層を決定する魂の成長は、地上での努力・精進を通じてなされ
ると説いています。このように、これら三つの教団には明確な“死生観”がある
と同時に、自力救済という“救済観”もあるのです。

 さて、その地上での魂の成長を可能とする生き方・努力とは一体何かというこ
とですが、いずれもが「利他的生き方・自己犠牲的生き方」であると言っていま
す。

イエスやシャカによって説かれた利他的生き方こそが、最も価値ある生き方とさ
れています。さらにはまた、そうした利他的生き方、人を愛する実践の一つとし
て、物質主義・利己主義の世の中にあって苦しむ人々に、正しい生き方を伝え
教えることが大切なこととされています。

すなわち“使命感”をもって布教に携わることが、最も価値ある生き方ということ
になるのです。

 こうした教理はまさにスピリチュアリズムの言うところと同じものです。高級霊
の教えそのものと言ってもよいほどです。文句のつけようがないほど、スピリチ
ュアリズムと一致しています。

この点で、これら三つの教団はスピリチュアリズムそのものと言えるでしょうし、
多くの新新宗教の中で傑出していると言えるかも知れません。

 それならば将来、これらはスピリチュアリズムと同じ方向に向かって歩んで行
くことができるのでしょうか。これらとスピリチュアリズムはお互いに歩み寄ること
ができるのでしょうか。

スピリチュアリズムは外見上の名称にはこだわりません。どこの教団であるか
は問題にしません。ただ真理の内容が同じならばよい、という考え方なのです。

霊的真理という唯一の事実に合致しているかどうかだけを重要視する立場で
す。同じ霊的真理を共有している以上、これらの新新宗教とスピリチュアリズム
は霊的真理普及に対して共同歩調を取ることができるはずです……。

 高級霊によってあの世からストレートに地上に送られてきた情報と、地上サイ
ドの人間を通じての情報では、その内容には天と地ほどの違いがあるのです。

シルバーバーチやインペレーターなどの高級霊の通信と、大川氏や文氏の語る
あの世についての内容を比較するだけで、どちらがより広く・深く・正確に霊界
の様子を認識しているかは一目瞭然なのです……。

 幸福の科学も統一教会も部分的にはそれなりに正しい霊的真理を説きなが
ら、その一方で強力な教祖のカリスマを打ち出しました。教祖は天によって公認
された特別な立場であると考えます。

しかしそのために教理の全体的な方向性は、各自の魂の成長を最優先するこ
とでなくなります。すなわち教団のために働くことが神のために働くことになり、
それが最も価値ある信仰と人生であることにスリ替わっています。

そこでは結果的に、霊的真理や魂の成長より教団と教祖が重要視されるように
なっています……。

 ……冒頭でも述べましたように、これら三つの宗教ではいずれも、霊界の実
在、霊界での永遠の生命、そして地上での生き方によって霊界でのレベルが決
定されること、もっとも大切な生き方は絶対的な利他愛の実践であること、を説
いています。

まさにこれは、スピリチュアリズムによって明らかにされた霊的真理そのものと
言えます。

 しかしそうした霊的真理が、教団を構える中で教祖のカリスマと教団の権威に
押し潰されてしまっています。霊的真理よりも教祖や教団が重要視されている
のです。

せっかくスピリチュアリズムと等しい霊的真理を持っていながら、それが教祖や
教団の権威づけの道具として悪用されているのです。それは明らかに霊的真
実から大きく外れるものです。結局、本物でない偽物の宗教と言わざるを得ま
せん。

 教祖が健在で、そのカリスマの威力があるうちは洗脳の渦の中で全体を走ら
せることもできるでしょう。人間的な意欲の発動によって爆発的な行動力を示す
こともできるでしょう。

一見すさまじい勢いで発展しているかのごとき時期を迎えることもあるでしょう。
しかし所詮、本物でないものは長続きしないし、必ず破綻の時がやって来るの
です。

 これらの教団に一旦は人生を捧げ、すべてのエネルギーを注ぎ込んだ人達
が、それが本物でないことに気づいた時、後に残された道はスピリチュアリズム
しかあり得ません。

なぜなら、これまでの真理をさらに深く、さらに高めているのがスピリチュアリズ
ムだからです。一度、霊的真理の一部を知った者が、それ以下の低い真理で
満足できるはずがありません。

早晩、こうした教団で人生を捧げて歩んでいる人達にも気づきの時が訪れるこ
とでしょう。また一刻も早く、その時が来ることを願います……。


 自分を忘れ、他人のことを思えば思うほど、 それだけ自分が立派になるので
す。(利他愛の実践)


 
利他愛の実践は魂の成長にとって必須条件

 魂を成長させるためには利他愛の実践は不可欠です。利他愛とは霊的エネ
ルギーを周りの人々に与えることです。自分や自分の家族のことを心配したり、
一生懸命になることは誰でもできます。

しかし、それによって魂の成長がなされるわけではありません。自分の利益と
は関係のない無償の行為が利他愛です。この利他愛の大切さを強調しない高
級霊はいません……。

地上の大部分の愛は利己愛

 ……この恋愛に代表される「所有欲・独占欲」と「好き・嫌いの感情」による関
係が恋愛ばかりでなく、地上で愛と言われるものの実態です。

相手のためと言いながら、本音のところでは自分を中心とし、自分の思いどおり
になることを願い、自分や自分の家族のためだけの利益を求めます。

もちろん誰も、わざわざ意識的に自分だけの利益を求めようと考えているわけ
ではありません。意図的に相手を独占しようと思っているわけではありません。

本人は相手のために尽くしているつもりでいるものの、無意識のうちに独占欲・
支配欲が心を占めてしまうのです。無自覚のうちに、我知らず自然となってしま
うのです。これが恐ろしいことなのです。

その原因は、私達が肉体を持っているためなのです。霊体は肉体という重いベ
ールに包まれ、いつもその制約を受けているため、いつのまにか利己的な感情
が心の中心を支配するようになってしまうのです。

 霊界の人々と違って、常に思いの中に利己性が随伴する地上の人間が高い
世界を目指すためには、本能的心をコントロールするという“霊主肉従の闘い”
を余儀なくされるのです。

そして利己的思いに打ち勝つための内的な闘いを克服した時のみ、霊界人に
近い霊的に優位な状態に立つことができるのです。そうした霊主肉従の状態で
あって、はじめて利他愛の実践に踏み出すことができるのです。


真の利他愛の見本  地上人に対する霊界の人々の姿勢


 では、この地上世界において純粋な利他愛を持つにはどうしたらよいのでしょ
うか。どこかに完全に利他愛だけに生きている人がいるでしょうか。この利他愛
が最も価値あるものであることを人類に教えてくれたのがイエスでした。

イエスの言動の中に、私達は本物の利他愛を見ることができます。しかし実は
もっと身近に、純粋な利他愛の模範的実践者がいるのです。それが“霊界の
人々”なのです。

シルバーバーチは言うまでもなく、スピリチュアリズムに携わり人類を救おうとし
ている人々、そして私達一人ひとりの背後にいて導いてくれる守護霊、こうした
霊界の人々は、まさに肉体的利己性の全くない利他愛実践者なのです。

高級霊からの霊界通信を通じて明らかにされたことは、こうした地上時代のイ
エスに匹敵する利他愛の持ち主が私達の背後に数え切れないほど大勢いて、
常に愛し導いてくれているということです。

 そうした霊界の人々は、ただ私達の真の幸福だけを願っています。私達の幸
せを自分のこと以上に求め、そのために自分のことを忘れるほどに私達のため
に尽くし、導いてくれています。

霊的摂理のもとで与えられる限りの全てのものを惜しみなく与えてくれていま
す。そして霊界の人々は、決してその見返りを期待しません。私達が成長すれ
ば自分のことのように喜び、私達が愚かな利己的原因から失敗すれば、悲しみ
哀れに思ってくれるのです。

決して怒ったり憤慨することはありません。ただ一方的に与えることだけで、全
てをよしとしているのです。

 私達がこれまでに出会った地上人の中で、これほど純粋な真の愛で愛してく
れた人がいたでしょうか。私達の母親は、確かに私達のために自分を顧みず尽
くしてくれました。

しかし残念なことに、その行為の大半は本能に基づいています。その愛は常に
感情的で、自分の子供だけがよければそれでいい、という支配欲から出ていま
す。しかし霊界の人々(背後霊)の愛は純粋に利他的で、見返りに対する何の
期待もないのです。

 私達のなすべきことは、霊界の人々が私達地上人を愛する姿勢に習うことで
す。霊界の人々を手本として利他愛を実践することです。そのためにはまず、
肉体的思いや感情をコントロールする努力(霊主肉従の努力)を始めなければ
なりません。

最高の利他愛の実践  霊的真理の伝道・一人でも多くの人
に霊的真理を伝える

 ……スピリチュアリズムに携わる霊界の人々のように、純粋な思いから伝道を
してこそ、私達に最高の地上人生が訪れます。霊的真理の伝道ほど次元の高
い愛の行為はありません。

地上における最高の愛であり奉仕なのです。マザーテレサが貧困者に対して
施した無償の奉仕より、もっと価値のあるすばらしい奉仕活動なのです。マザ
ーテレサは、無私の精神から苦しむ人々のためにその人生を捧げました。

しかし、霊界という本来の世界での救いを直接人々に与えることはできません
でした。マザーテレサ個人としての魂は、その無償の愛の行為によって高めら
れ、霊界においてはキリスト教の間違った教理の影響は速やかに拭い去られ
たことでしょう。

しかし地上においては、肝心な霊界を目的とした核心的な救いを、人々に与え
ることはできませんでした。その点、スピリチュアリズムに携われた私達は、そ
れだけでも極めて幸せな立場にいるということです……。

 一人でも多くの人に霊的真理を伝えることこそ、私達のライフワークです。霊
的真理の伝道こそ人生で一番の仕事です。年若い方も、すでに老いの年齢に
至った方も、自分に与えられた地上生命、残された余生を全てこのために捧げ
ようと考えなければなりません。

生計を得るためのこの世の仕事は、ライフワークではなく、霊的真理の伝道の
ための一つの手段という位置付けをすべきでしょう。地上人生の生計を得るた
めの仕事は何でもよいのです……。



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