◇ニューズレター4号 (抜粋)
1999年1月


目 次

スピリチュアリズムにおける瞑想・祈り
−祈りとは魂の波長を最高度に高めんとする真摯な願いです−

          ・瞑想・祈りはどうして必要か
          ・瞑想・祈りのレベルの進展
            ――「日常意識」から「深い祈りの世界」へ
            @瞑想・祈りに入る準備段階
            A霊的意識レベルを引き上げる段階
            B直接、神と触れ合う祈りの段階
          ・瞑想・祈りにともなう心霊体験・心霊現象
          ・神との愛を最優先する道“祈り”
スピリチュアリズム実践の真髄“道具意識”
神の道具となることほど偉大な仕事はありません。
          ・霊訓に見る高級霊の謙虚さ
          ・自分なりの心配、気負いは不要
          ・謙虚さに至る最短の道“道具意識”



ニューズレター


スピリチュアリズムにおける瞑想・祈り
−祈りとは魂の波長を最高度に高めんとする真摯な願いです−  



瞑想・祈りはどうして必要か

 ……瞑想・祈りの重要性を主張しない高級霊はいません。バーチにしても、イ
ンペレーターにしても、聖ルイ(『霊の書』の通信霊)にしても、一日のうちわず
かでもよいから祈りの時を持つように繰り返し述べています。

またマイヤースも、『個人的存在の彼方』の中で同様のことを述べています。こ
のように高級霊達が口を揃えて祈りの必要性を強調するのは、私達地上人が
考える以上に祈りが重要だからです。

なぜ霊界から見ると、祈りはそれほどまでに大切なのでしょうか? 地上にいて
なす正しい祈りとは、どのようなものなのでしょうか?

 ……スピリチュアリズムにおける瞑想・祈りの意義とは、私達の「心霊のレベ
ルをより神に近づける」ということです。

日常、肉体の中に閉じ込められ、薄らいでしまった霊的意識をもう一度取り戻
し、神と霊界の人々とのつながりを緊密にし直し、霊的エネルギーを充電するこ
とです。

それによって自らを霊主肉従の状態にし、霊的存在としての基本ラインに立た
しめることです。さらには宇宙の最も深い聖域に参入し、神との直接的な触れ
合いをする最高次元の霊的体験をするひとときなのです。このように祈りは、真
実な意味で大変な霊的活動なのです。


瞑想・祈りのレベルの進展  「日常意識」から「深い祈りの世
界」へ


@瞑想・祈りに入る準備段階
 一人で祈りをする時には、誰もいない、自分一人だけの場所と時間をつくるこ
とが必要です。祈りやすい場所と祈りにくい場所があり、祈りやすい時間帯とそ
うでない時間帯があります。

いつがよいのか、どこがよいのかは自分の感覚で決めなければなりません。一
般には多くの人々が集まる場所は、霊気が汚れ霊通しにくいと言えます。その
ため時には日常生活を離れ、海や山などに行ってするのもよいでしょう。

また早朝や深夜にするのもよいでしょう。しかしできることならば、いつどこでも
深い霊的世界に入って行けるようになるのが望ましいのです。忙しい日常生活
の中にあっても、自分の今いるすぐ近くに、直ちに聖別された時空をつくること
ができるようにしたいものです。

 ……誰もが日常生活の忙しさから身を引いて、一人静かに目を閉じれば、少
しずつ霊的感覚が戻ってきます。どんな唯物論者でも、暗闇の中にただ一人数
時間おかれるだけで、日常では味わうことのない感覚を体験するようになりま
す。

一人になって目を閉じれば、自然と日常意識が拭われ、別の感覚世界に入っ
て行くようになります。

A霊的意識レベルを引き上げる段階
 ……とはいっても、現実にはなかなかそういうわけにはいきません。目を閉じ
れば日常生活の出来事や仕事の内容が思い浮かんできたり、先ほどよりもい
っそう頭が混乱し、意識が集中できなくなるようなこともあります。

霊的感覚が広がってくるどころか、妄想だけが頭を駆け巡るかもしれません。こ
れでは、とても祈りに専念できるような状態ではありません。こんな時は無理に
祈りをしても、心のこもらない口先だけの祈り、形だけの祈りしかできず、無駄
に時間だけが過ぎて行ってしまいします。

 ……そうした時は、無理をして祈りをしない方がよいのです。偽りの祈りしかで
きないならば、結果的に神と自分自身をあざむくことになってしまいます。神に
対して最高の誠意をもって臨めないと判断した時は、それ以上進んではなりま
せん。一番の聖域を汚してはならないからです。

 ……自分の心が、まだ神の前に出て行く状況でない時は、心のレベルを引上
げ整えることが先決です。まず霊的意識レベルを引き上げて、神の前に出て行
く準備をすべきです。

 ……霊的真理を読むということには絶大な威力があるのです。霊的真理の内
容が心に染み渡り始めると、急激に自分の視野と感情が“霊中心”になって行く
ことに気がつかれるでしょう。このように私達の心の中で、奇跡的変化が生じる
のです。全く別の世界にスリップするのです。

目を閉じれば、霊界を眼前に実感し、神が目の前にいらっしゃることが感じられ
るようになります。その後は、神に失礼のないように正しく語りかけることが始ま
ります。

B直接、神と触れ合う祈りの段階
 祈りとは、神に向っての率直な語りかけです。直接的な触れ合いを求めること
です。私達の祈りは、ストレートに神に届くのです。祈りの方法は、人間に語る
のと同じようにすればよいのです。一人の相手に向かって話しかけるのと同じ
ことです。

 ところで神も守護霊も、祈る私達の心の内をすべてご存じです。私達一人一
人の魂の成長にとって必要なものや、地上での最低の生活必需品についても
ご存じです。

さらには私達の因縁や、今後の人生についてもご存じです。そうした相手に向
かって、一体何を祈ったらよいのでしょうか。自分のすべてを知っている相手
に、わざわざ語りかける必要があるのかということです。

 しかし、それでも祈りは必要なのです。それは祈りを通じて、さらに神との霊
的触れ合い・霊的絆が深まるからです。これによっていっそうの喜びが得られ、
現実的に心が豊かになるからです。

 神に語りかけるに際し、言ってよいことと悪いことがあるのは当然です。この
世の多くの人々がするような、自分の利己的な願い事・物質的な願い事をして
はなりません。

 ……魂の成長とは無関係なこと、因果律を無視したような祈りは、その人にと
ってマイナスになるだけでなく、何よりも神に失礼に当たるのです。何を祈ったら
よいのかは、霊的真理を正しく理解した上で、はじめて明らかにされます。

 次に霊的真理に照らして、正しい祈りの内容を述べることにします。

    ・ 真理にそって、もっと自分の心を成長させたい。その道を示し導いて 
      ほしい。
    ・ 魂の成長のための苦しみに耐える力を与えてほしい。
    ・ 自分の醜い心をなくし、弱い心を強くしてほしい。
    ・ 自分の心にもっと深く人を愛せるような、広くて純粋な愛をやどらせて
      ほしい。
    ・ まわりの人々が一刻も早く時期がきて、霊的真理を受け入れられるよ
      うになってほしい。
    ・ 時期のきた人と出会わせてほしい。
    ・ 自分をもっと人々のために働かせてほしい。霊界の道具として役立て
      てほしい。

 こうした純粋で霊的真理にそった祈りなら、神・霊界の人々は確実に聞き届け
てくださるでしょう。「人の役に立ちたい、道具として使ってほしい」という願い
が、道具となる人材の現れるのを待ち望む霊界の人々を引き付けないはずが
ありません。必ず導き・援助が与えられるようになるはずです。


瞑想・祈りにともなう心霊体験・心霊現象 


 瞑想・祈りの実践には気をつけなければならないことがあります。まず瞑想は
霊的世界との接近を図ることであり、当然霊界のスピリットとも通じやすくなりま
す。

すでに霊界通信を通じて、私達の周りでは、未熟な霊や低級霊が常に付け入
るスキを狙っていることを知らされています。瞑想をする人の動機や心の状態
が、こうした低級霊を引き付けることになります。

瞑想会は私達にとって心を高める時であると同時に、悪霊にとっては地上人に
働きかける絶好のチャンスなのです。

 自分の心を高めたい、高い霊的世界と触れ、エネルギーをもらいたいという純
粋な動機からの瞑想ならば、何の問題もありません。瞑想中、背後霊や多くの
高級霊が守り、力を与えてくれるでしょう。

ところが利己的な動機(物質的なものへの要求や、前世を知りたいとか霊力を
つけたいなどの願望)をもって瞑想に入れば、悪霊にとっては餌食が向こうから
わざわざやって来るようなものです。

さらにそれが霊的体質者であれば、まさに願ってもないチャンスが転がり込ん
で来るということになります。

 ……低級霊の餌食にならないようにすること、これが瞑想に当たっての一つ
目の注意点です。

 瞑想・祈りが進んでくると、人によっては、さまざまな超常現象を体験するよう
になります。サイキック能力が発現したり心霊現象(霊的現象)が起こるのは、
ごく自然の成り行きなのです。

金粉が降ってきたり、スクリーンが見えてきたり、幽体離脱が起こったり、いろい
ろな現象が生じるようになります。自然に心霊治療能力がつくこともありますし、
他人のオーラが見えたり、霊聴や霊視ができるようになることもあります。

 しかし、それらに心をとらわれ過ぎてはなりません。ごく当たり前の現象として
やり過ごすことが必要です。サイキック能力が得られたことが、魂の成長の証で
はありません。

 ……霊現象は初めて出くわした人にとっては刺激が強いため、惑わされ道を
狂わされることになりがちです。しかし霊的真理を知った私達は、そうした現象
を当然のものとしてやり過ごさなければなりません。

 ……瞑想・祈りにともなう霊的現象にとらわれないこと、これが二つ目の注意
点です。
 
 次に心すべきことは、決してよこしまな動機から瞑想をしないということです。
自分の前世を知りたい、背後霊を知りたいなどという欲求が、正しい結果をもた
らすことはありません。

そもそも自分の前世を知りたいという願望は、単なるエゴ以外の何物でもありま
せん。エゴと霊的知識に対する無知から生じていることなのです。それがます
ます悪霊の付け入るスキをつくり上げているのです。

 また早く自分を変えたいという思いは純粋かも知れませんが、その思いが強く
なり過ぎると大きな問題を引き起こすことになります。人間改造セミナーでの興
奮や洗脳、またセミナーやセラピー通いといったことが、いかに霊的成長から掛
け離れたものであるかは、いまさら言うまでもありません。

一気に自分が変わることを期待するのは虫のいい話です。自分の成長は、
日々の地道な努力を通じてしか達成されないものなのです。

 自分の霊的意識レベルを上げる、心を高めるという以外の動機で瞑想・祈りを
してはなりません。これが三つ目の注意点です。


神との愛を最優先する道“祈り”


 地上の人間関係に絶望し、孤独感を抱くようになるのは当然のことです。それ
は不幸ではなく、霊的に見れば必然的に生じることなのです。人間は「縦の愛
(神と霊界の人々)」と「横の愛(人間関係)」の中で生きて行くようになっていま
す。

イエスはそれを、「神を愛する、隣人を愛する」という言葉で表しています。
 その際、縦の愛が先にあってその後に横の愛は成立する、というのが霊的摂
理なのです。

神への愛が先にあって、正しく人を愛せるようになるということです。神との正し
い関係があってこそ、はじめて人間関係の中に利他性をもつことができるように
なります。

神のいない人間だけの関係の中に、正しい愛(利他愛)は存在しないのです。
「神への愛を優先する」「縦の愛を優先する」ことが重要なのです。人間だけの
関係は、霊的摂理に合っていません。

夫(妻)や家族よりも、友人や身近な人達の誰よりも、神と背後霊との関係を重
要視することが「縦の愛を優先する」ということになります。

 背後霊との関係を通じて“神の愛”が私達に注がれます。この愛によって私達
の心は満たされるようになっています。人間だけの愛を求める中では、飽きや
不満足感が生じるようになるのです。

地上の大半の人々は、神から離れた人間だけの愛を手に入れようとします。人
間だけの愛の中に永遠性をもたせようとします。しかし、それは無理なことなの
です。スピリチュアリズムと出会った方々であっても、いまだ人間だけの愛を重
要視しているということはないでしょうか。

 ……人間関係に絶望することは、神と霊界だけを信頼する道を歩み出すきっ
かけになります。地上の人間よりも神と霊界を信じ、これに頼る人生を出発する
チャンスとなります。

縦の愛を横の愛よりも優先する“霊的自立・新生の時”を迎えたということなの
です。人間関係の孤独を通じ、神との真実な関係を築く時に至ったということな
のです。

地上の人間関係がどれほどよいように思えても、当事者同士に神と霊界を優先
する姿勢がない限り、いつかは人間関係の中で孤独という心の痛みを味わうこ
とになります。

 祈りとはまさに、地上のいかなる親しい人間よりも、神と霊界に信頼を寄せる
ことであり、地上のどんな人間関係よりも、神と霊界との愛の関係を求めること
です。

たった一人になって、もっとも深い愛で結ばれた神と霊界の人々の前に出て行
くことなのです。縦の愛だけの世界に入って、“神の子”という人間存在の本質
に浸りきる、崇高な時間なのです。
 

 スピリチュアリズム実践の真髄“道具意識”
   神の道具となることほど偉大な仕事はありません。


 霊訓に見る高級霊の謙虚さ

 高級霊の霊訓に触れるたびに、その謙虚な姿勢に強く心を打たれます。高級
霊の人格は謙虚さの中にそのまま表れています。霊的な高さを示すものは、愛
の深さと同時に謙虚さであり、魂の成長と謙虚さは比例します。

霊界の人々の謙虚さを前にする時、私達地上人は本当に傲慢なのだと実感さ
せられます。地上人が傲慢でいられるのは、霊界の事実を知らないためであっ
たり、あるいは知っていても、それを実感できないからでしょう。
 
……高級霊の人格のすばらしさは謙虚さに表れています。彼らはけっして自分
の手柄を披露したり、自分の能力を自慢するようなことはしません。自分は、神
とより高い世界の僕であり、それに仕える道具でありマウスピースであると断言
しています。

ここに彼らの純粋で飾り気のない謙虚さの根拠があります。彼らは、ただ地上
人の救いのために働けるだけで十分であると言います。そこには、地上で流行
している個人主義や自己主張のひとかけらも存在しません。

 私達は幸いなことに霊的真理と出会い、霊的人生を歩むことができるという最
高の恩恵にあずかっています。神とすべての高級霊の意図と願いをはっきりと
知っています。さらに地球の背後で現実的に進められている、人類史上最大の
プロジェクトについても知ることができました。

私達はすでに、最高の真理と最高の貢献をなし得る立場を与えられており、霊
的世界における最も強力で純粋な軍団の仲間入りをしたのです。

 ゆえに当然のこととして、それに見合った人格的努力と実際の貢献が期待さ
れています。肉体をもっているため高級霊のようにはできなくとも、それを具体
的な見本として近づく努力が必要です。

その際何よりも見習うべきは、高級霊の道具意識であり、謙虚さなのです。

 霊的真理の実践を通じて、私達は地上で魂を成長させることができるようにな
ります。

その具体的な内容は、これまでのニューズレターで述べてきましたように、霊主
肉従のための努力、苦しみの克服、利他愛の実践であり、今回のニューズレタ
ーで取り上げました瞑想・祈りです。

これらの四つの実践項目は大きく、「自己の魂の成長」と「霊的真理の普及」と
いう二つにまとめることができます。

 ところがこれらは、「道具意識に徹すること」によって全て成し遂げられるので
す。すなわちスピリチュアリズムの実践努力は、純粋な霊界の道具を目指す中
に集約されるのです。

  ……自分を、「神と高級霊の道具としようとする」ことが道具意識です。道具
である以上、自分という存在も、自分の人生も、自分の将来も、日々の歩みも、
自分から決めるものではなくなります。

すべてを高級霊の導きに委ね、預けて、自分であれこれ言わず、「自分のすべ
てをあなたに捧げますから、どうかよきようにお使いください。どんな道が示され
てもそれに従いますから、どうぞ命令をしてください。

この世の利益も、名声も、評価も何も求めません。自分は道具として、ただ与え
ることだけに徹します。高級霊と同じように働けるだけで、役に立てるだけでう
れしいのです。それだけで十分なのです。」ということになります。

 こうした思いは、自分を最も霊的に高いところに立たしめようとするものです。
霊優位の生き方をストレートに目指すものと言えます。またこの道具意識は、こ
の世の苦しみに対する最善の克服法になっています。

そしてそこには、最高次元の利他愛の実践への願いが込められています。さら
に最も高次元の祈りがその中に含まれています。このようにスピリチュアリズム
の実践のすべてが、「道具意識」という一点に集約されているのです。


自分なりの心配、気負いは不要


 道具意識に徹すれば、暗い考え方をする必要がなくなります。自分の心を暗く
狭いところに閉じ込め、自分で自分をいじめることがなくなります。大らかに生き
られるようになります。

もちろん自分を厳しく反省する時間をもつことは必要ですが、自分の反省とは、
道具としての自分の内容をチェックすることです。今日一日の心のもち方が、道
具として正しかったかどうかを振り返ればよいのです。自分の心の複雑な分析
など不必要です。

 自分なりの判断、取り越し苦労、気負いがなかったか、自分の力に過剰に頼
ったところがなかったか、傲慢でなかったか、高級霊にしっかり委ね信頼して任
せていたか、他人からの見返りや評価を期待していなかったか、相手に与える
だけで満足しようとしていたか  このように道具としての自分の内面を省みる
だけで、全てよしとなるのです。

 私達は高級霊という最高の存在の道具である以上、自分のことについて何も
心配する必要はありません。最高の力をもった存在にしっかりつながっている
のです。

将来にたいして自分なりの心配をする必要など何一つありません。私達の未来
には、間違いなくベストの道が開かれて行くでしょう。その中で自分としての全
力を尽くせばよいのです。

行くべき方向を自分であれこれ探し求め、エネルギーを浪費する必要はありま
せん。導きに委ね、ただ自分の人生を道具として捧げることだけを考えればよ
いのです……。


謙虚さに至る最短の道“道具意識


 スピリチュアリズムの信仰の真髄は、これまで述べてきたように道具意識にあ
ります。道具意識をもつことは謙虚になる最短の道です。自意識にまつわる醜
さを根底から払拭するには、道具意識を深める以外にありません。

スピリチュアリズムが霊的実践において、他のいかなる宗教やニューエイジに
勝っているのは、道具意識に徹し切れることにあります。

 とかく人間は、人に教える立場・人の上に立つと、それは自分が他の人より優
れているからだと考えます。たとえ霊的真理を知っていても、いつの間にか傲
慢になってしまうのが地上の人間の実態です。

愛を語り、謙虚であることの大切さを説く宗教家や文筆家や思想家が、実は傲
慢そのものであることが多いのは、自分が偉いと思い込む落とし穴にはまって
いるということです。そうならないためには、道具意識に徹することです。

「自分は道具である、ただ使ってもらう立場である」という意識をもつことによっ
て、地上の人間として、最も純粋で深い謙虚さをもつことができるようになります
……。



100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!