◇ニューズレター12号 (抜粋)
2001年1月



目 次
スピリチュアリズムから見た
日本国家と日本民族の繁栄 

(1)民族意識と愛国心 
 ・日本民族である前に、神の子供であり同一の地上人類
 ・「民族・国家意識」から「世界同胞意識」へ
 ・「再生」の観点から日本人を見ると 
 ・「類魂」の観点から日本人を見ると 

(2)日本人の真の霊的宝とは 
 ・本当の霊的価値とは
 ・伝統的日本文化
 ・禅仏教と神道
 ・日本人特有の宗教性とは 
 ・日本人の「グループイズム」

 
 ・イエスの教えを自然に実践してきた日本人
 ・日本人の謙虚さ
 ・人をいつまでも責めない日本人
 ・常に周りへの配慮と思いやりを忘れない日本人
 ・日本人の「グループイズム」のプラスとマイナス面
 ・スピリチュアリズムの手本を示すことができる日本人

(3)日本国家と日本民族の繁栄の道 
 ・危機的な状況にある日本―失われつつある日本人の宝
 ・日本の将来を決定する鉄則
 ・日本人でありながら、日本人を超えた歩み
         「スピリチュアリスト」としてのスタンス
 
未来の地球とスピリチュアリズム 
(1)これまでの「物質文明」と
          ――「精神文明」の関係

(2)地球上の物質文明の行方 
 ・将来における移動にともなうスピード化
 ・将来における情報と意志の伝達
 ・将来における言語の壁
 ・将来におけるエネルギーの問題
 ・物質文明の進歩の限界点

(3)地球上の精神文明の行方
 ・精神文明とスピリチュアリズム
 ・霊的真理が地上人の「常識」となる
 ・淘汰されていく地上の宗教と思想
 ・各民族の伝統的文化の行
 ・霊性の進化した人類の登場と、霊界との日常的交流
 ・将来における動物との関係
 ・将来における健康と医学
 (4)利己主義支配の世界から、利他主義支配の世界へ
 ・「霊的成長」が阻害されないような社会システムの確立
 ・将来における国家間の関係
 ・人類の霊的成長に貢献する経済システムの確立

(5)未来の地上人にも避けられないこと
      地上世界ならではの苦しみ・悩み
          ・克己的努力
 ・人間関係のトラブルと「愛の訓練」
 ・「霊主肉従」の自己克己の努力
 ・肉体管理の必要性
 ・「カルマ」による苦しみ
 ・「祈り・瞑想」の必要性

(6) 21世紀のスピリチュアリズムの進展 

(7) 21世紀の日本の状況  
ニューズレター発行の目的について 
 ・ニューズレターの発行は、当サークルでの一つの奉仕
 ・ニューズレターの対象者について
 ・自分流のスピリチュアリズム観に固執する人々に対して
 ・スピリチュアリズムの知的レベルのPR
 ・霊的真理の体系的理解の手助けをする
  ・霊的真理を地上レベルに還元し、理解の手助けをする
 ・霊的真理の上限ラインを明確にする
 ・スピリチュアリズムを信仰レベルにまで引き上げる
 ・霊界を中心とした、スピリチュアリズムの「霊的ネットワーク」を作る
 

ニューズレター




スピリチュアリズムから見た日本国家と日本民族の繁栄
 


 昨年は森総理大臣の“神の国”発言を巡り、大きな議論が巻き起こりました。スピリチュアリ
ズムでは、こうした愛国心や民族主義・国体といった問題について、どのように考えるべきなの
でしょうか。またスピリチュアリズムの観点に立ったとき、日本の誇るべき点あるいは問題点と
は、どのようなものなのでしょうか。

 シルバーバーチやインペレーターの霊訓の中には、欧米の国々について言及した箇所があ
りますが、残念なことに日本について述べたものはありません。しかし他国に対して語られた
言葉を通して、霊界の高級霊が現在の日本をどのように眺めているかを理解することができま
す。

今回はスピリチュアリズムの観点から見たときの、日本と日本人について学ぶことにしましょ
う。それを通して、今後日本はどのような方向で努力すべきか、また国家としてどのように進ん
でいくべきかを考えてみたいと思います。

  

(1)民族意識と愛国心


日本民族である前に、神の子供であり同一の地上人類
 科学技術の急激な発展に伴い、世界はここ100年の間にみるみる小さくなってきました。経
済活動は国境を越えて行われ、地球は共通の活動の場となってきました。現代の地球におい
ては、国境の壁はどんどん低くなっています。

つい150年前までは日本は鎖国政策の下、他国との交流を避けていましたが、現代では国際
社会の中に組み込まれ、世界の一員として歩まざるを得なくなっています。私達一人一人も、
国際人であることは避けられなくなってきています。

こうした地球人類史上初めてのグローバリゼイションの時代を迎え、日本が国際社会でその立
場を確立するためには、日本人としての明確なアイデンティティーを持つことが必要であるとい
う意見が出されるようになってきました。

日本民族としての自覚が希薄になることは、国際人としての立脚点を失うことであり、同時に国
の将来の存立を危うくするものであると考える多くの人々がいます。

 彼らは日本を愛すればこそ、国際交流が日常的になった現代には、日本人としてのアイデン
ティティーが必要であると強く感じるのです。

国際人になるためには、その前に日本人としての自覚が必要であり、日本人としての明確な民
族的自覚を持たずして、どうして良き国際人たり得るのかと考えるのです。

昨年の秋に出版され大変な好評を博した『国民の道徳』(西部邁著)には、そうした憂国の思い
が余すところなく著されています。

日本に対する愛国の思いがひしひしと伝わってきます。物質文明の中にあって、日本の良き精
神的伝統を守ろうとする気高い志を感じることができます。

心から日本の行く末を憂える人々は、まさに日本における精神的支柱なのです。

 しかしスピリチュアリズムは、「愛国心」を無条件に正当なものとして認めることはしません。
スピリチュアリズムでは、そうした憂国の心情を純粋で尊いものとしつつも、さらに高い霊的次
元から別の見方をするのです。

それは、地上世界を国別・民族別に考えず、すべての地上人類を神の前における同じ兄弟姉
妹として見るということです。

霊界の人々が地上世界を見るとき、国家や民族の違いを問題にしてはいません。肌の色・言
葉の違いなどは霊界の人々にとって無きに等しいものです。

霊界においては、地上人の霊性ならびに心の内容こそが考慮の対象となるのです。地上人の
身体的特徴の相違が問題ではなく、心の中身・霊的レベルこそが重要なものとなるのです。

 スピリチュアリストは霊界の人々に倣って、地上にいながら霊的視点から物事を考え、判断し
なければなりません。

私達は、霊界の人々と同様な視点に立って、日本民族ならびに日本国を見ていかなければな
りません。常日頃から日本人と外国人を、霊的存在として同一の人類、神の子供として等しい
人類と考えるようにしなければなりません。

愛国者であることは間違ってはいませんが、それ以上に、世界人類として愛し合うという姿勢
が優先されなければならないのです。

世界と全人類があり、その後に日本と日本民族が存在するという位置関係こそが、スピリチュ
アリズムにおける基本的な考え方なのです。


「地上世界を国別、民族別に考えてはなりません。すべてが大霊の一部であることを教えない
といけません。みんな大霊の子なのです。海で隔てられていても、大霊の前では兄弟であり姉
妹なのです。」        (シルバーバーチ11・185)


民族・国家意識」から「世界同胞意識」へ
 先に述べた純粋な憂国の思いにあふれた愛国者達は、日本の将来を憂い、物質主義が横
行する中にあって精神的支柱と言えます。

しかし残念ながら、彼らは霊的世界を踏まえた広い視野に立ってはいません。そのため結局、
物質次元に基づく判断にとどまることとなり、日本における“霊的支柱”になることができないの
です。

もし彼らに霊的視点と現実の霊界に対する認識があったならば、その純粋な思いは「愛国主
義」を超えて、初めから「世界主義」に立つことになったはずです。

最も大きなところから判断するための霊的真理・霊的視点がないことが問題なのです。そのた
め人類に共通な霊的要素の重要性が理解できずにいます。

霊界から見れば、人種や民族・国家に由来する違いなどほとんど無きに等しいものであり、同
じ地上人としての共通要素の方が圧倒的に多いのです。

 私達は日本人である前に、「地球人」としての意識を持つように努めなければなりません。地
球は21世紀を迎えた現代において、スピリチュアリズムの到来により、人類史上初めて国家
意識を現実的に乗り越えることができる新しい時代に入ってきたのです。

キリスト教・イスラム教・仏教の世界三大宗教は、国家の壁を超えた人類共通の霊的世界の
確立を目指してきました。

しかし現実には、そのいずれにおいても地上世界の物質的限界を超えることができず、人類
共通の霊的世界の建設は理想で終わってしまっています。

スピリチュアリズムは、それらの世界宗教が求めてきた人類の希望を現実のものとする使命
を持っているのです。


「再生」の観点から日本人を見ると
 日本人としてのアイデンティティーを求めるよりも、先に地球人であろうとしなければならない
というスピリチュアリズムの見解は、「再生」という事実を考えてみるとより明確になります。

私達は霊的真理によって再生の人生を歩むことを知らされています。大半の人々が、今後も
別の地上人生を送ることになる可能性を持っています。

それを溯(さかのぼ)って考えると、今日本人として地上人生を歩んでいる私達の前世が、中国
人や欧米人であったということもあり得るのです。

もしかして皆さんは、日本の植民地時代に蛮行を受け死に至った中国人であったかも知れま
せん。

今日本を非難し続けている朝鮮人が、かつては日本人の軍人であった可能性もあるのです。
ユダヤ人とドイツ人の間にも、こうした関係があることも考えられます。

現在ユダヤ人としてナチス追及を進めている人物が、前世ではナチス党員としてユダヤ人虐
殺に加わっていたかも知れません。

 このような再生の事実を考えてみると、今の地上人生だけの視点で民族や国民を固定化・限
定して考えることは、いかに間違っているかが明らかになります。

「再生」という事実に照らして見るとき、そこには神の霊を分け持った霊的存在(一個の霊)が
あるのみで、地上における民族の違いなどは、その“霊”の単なる表皮の一つに過ぎないこと
が分かります。

そうした表皮は地上かぎりのものであって、死とともに消滅してしまいます。私達の本質は“霊”
であり、日本人でもアメリカ人でもないのです。

こうした再生の観点から見れば、私達は「地球人」(霊)としての意識を優先すべきであって、日
本人という民族意識・民族的アイデンティティーにこだわることは二の次でなければならないと
いうことになります。




私にとってはどの人間もみな“肉体を具えた霊魂”です。私の目にはドイツ人もイギリス人もア
メリカ人もありません。みなスピリットであり、大霊の一部であり、神の子供です。」   (シルバ
ーバーチ3・162)



「類魂」の観点から日本人を見ると
 霊的真理によれば、私達は死後幽界で一定の生活をへて、霊界に入ります。そこでは霊的
成長レベルの等しい者同士の生活が始まります。

その集まりにおいては各自の意識が共有(融合)され、一つの大きな霊的意識体を作り上げま
す。これが「類魂」と言われるものです。

類魂では、各自の意識内容と地上体験が共有されることになります。その結果、自分と類魂の
仲間が同一の意識を持つことになります。

あなたの地上体験は私の地上体験というようなことが現実に起きるのです。ここにおいて地上
における民族や国の違いは霊的意識の中に溶け込み、無きに等しいものになります。

霊界における類魂の一員になることによって、地上では不可能な民族や国家の壁を完璧に超
えることが可能になるのです。

そこでは、同じ神の子供、神の霊を付与された霊的存在としての意識が全員を支配していま
す。

人類の本質である純粋な霊としての意識が開かれ、地上的壁がすべて消え去るのです。この
ように死後は「類魂」の中で地上時代の区別を完全に拭い去り、霊的な兄弟姉妹として生活す
るようになります。

 私達スピリチュアリストにおける意識の持ち方は、地上にあって、それと等しい世界を目指す
べきなのです。外国人に対して、地上的壁・物質的区別を取り払った霊的観点から見なければ
ならないのです。


「地上を去り、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていきます。魂には民族も
国家もありません。肉体上の差異は地上だけのものです。」    (シルバーバーチ2・130)


 
(2)日本人の真の霊的宝とは


本当の霊的価値とは
 外国人に日本を紹介する際、必ず取り上げられるのが日本の伝統文化です。茶の湯・生け
花・浮世絵・書道・陶芸、また歌舞伎・能・文楽・狂言などの伝統的芸能、あるいは相撲・剣道・
柔道・弓道などの伝統的武道、伝統的日本建築や日本庭園などです。

さらには日本独自の宗教として神道や禅仏教が紹介されたり、歴史のある古い神社仏閣が取
り上げられます。

こうした伝統的文化は私達日本人にとっての誇りであり、他国には見られない日本独自の文
化と言えます。

 しかしスピリチュアリズムという霊的視点から見たとき、必ずしもそれらが「霊的価値」を持っ
ているということにはなりません。

ただ珍しいとか、他に類例がないというだけで霊的価値が決定されるわけではありません。

物質主義に支配された現在の地上世界にあっては、希少性や独自性、歴史の古さが一つの
価値決定の基準となっています。

けれどもスピリチュアリズムにおける価値基準は、そうしたものとは全く異なります。スピリチュ
アリズムにおける価値は、それが人類の霊的進歩に役立つかどうか、あるいは間接的であっ
ても人類の霊性向上に貢献することができるかどうか、という点において決定されます。

 従って世界文化遺産に登録されたからといって、霊的価値があるとは言えません。単なる歴
史的な遺物に過ぎないものや遺跡、古い仏教建築物には霊的価値はありません。

法隆寺のような世界最古の木造建築物であっても、現代人の霊的進化に貢献することがない
以上、全く価値はないということになります。

単なる物質に過ぎないものに霊的価値はありません。朽ち果てかけた仏像や、時間だけが経
って古くなった神社仏閣などの建物自体には何の価値もありません。

物欲に絡んだ人間の怨念が染み込んだような文化財や骨董品も同様です。

そうした人間が作り出した物に比べて自然の風物は、私達の心を癒し、はるかに多くの霊的エ
ネルギーを与えてくれます。

いかなる歴史的遺物も、自然ほどの霊的価値は持っていないのです。

 人類の霊性進化に役立つかどうかという単純な基準において、すべての「霊的価値」は決定
されます。

そうした基準に照らしたとき、現在地上で価値があるとされているものの大半は、捨て去っても
よいようなものばかりです。

それらはガラクタに類するようなものなのです。源氏物語は日本が世界に誇る文学と言われて
いますが、貴族生活の恋愛葛藤・官能的世界・文学的遊戯に終始した作品が、一体どれだけ
読む人の霊性を高めると言うのでしょうか。

そのような文学作品には霊的価値がないことは明白です。源氏物語は霊的観点から見たと
き、単なる地上の低俗な娯楽作品の域を出ないものなのです。

 こうしたものについて真の価値判断ができないのは、「霊的真理」が普及していないためで
す。真理という絶対の基準がないために、人類にとって本当に価値のあるものは何であるかが
分からないのです。


伝統的日本文化
 それでは日本の伝統的文化はどうでしょうか。日本の伝統的文化の特徴として、「道」によっ
て示される精神性があります。

茶道・華道・書道・武道などのように、日本の伝統的文化は、単なる実用や趣味や娯楽の段階
にとどまらず、それを通じて人間の精神的向上に至ることが目標とされています。

これは日本人が、常に精神的な進歩を指向していることを示しています。

またより高い目標に向けての自己訓練を貴重なものと考えていることを示しています。

このように日本の伝統的文化の中には、徹底して「物より心を重要視する」という日本人のメン
タリティーが表れています。

日本人は古来より、心を重視し、物質に偏ることを嫌ってきたのです。

多くの外国人は、日本人は何をするにしてももっと楽しんでやったらいいと言います。

日本人は真面目すぎて遊び心がないと言います。

しかし日本人は、何事も精神的なものに結び付けないと安心できないのです。

 スピリチュアリズムは霊的成長に係わりのないものには価値を見い出しません。

その意味で日本人のこうした精神的な向上指向は、スピリチュアリズムと一致していると言え
ます。

霊的成長は、長期にわたる苦難や苦労を克服する体験を通じてのみ可能となります。

そうしたスピリチュアリズムの歩みと、伝統的な日本文化における「道」の在り方には相通じる
ものがあるのです。


禅仏教と神道
 宗教は文芸や文学よりも人間の精神的領域に深い影響を与えます。

その意味から宗教は、他のいかなる伝統的文化よりも「霊的価値」を持ち得る可能性があると
言えます。

問題は、実際どの程度まで人々の魂を高めることに貢献しているのかということです。霊的貢
献度において、その宗教の価値は決定されます。

日本の禅仏教には確かに日本独自の要素が見られます。

そして部分的ではあっても「霊性向上」に対する貢献性が認められます。

それゆえ禅仏教は、日本の誇る“伝統的精神文化”と言うことができます。

そのため欧米において、日本の禅仏教は注目を集めてきたのです。

 では日本の民族宗教である神道はどうでしょうか。

キリスト教に代表される教理宗教には、間違った人工の教え(ドグマ)によって人々の霊的成長
を妨げるという大きなマイナス点があります。

一方、自然宗教である神道には教理(ドグマ)はなく、そのため人間の霊的成長を阻害すると
いう弊害を作り出さずに済みました。

また多くの神社は緑豊かな森林の中に位置し、それによって社(やしろ)が清浄化され、そこを
訪れる参拝者の心を清々しくします。

そうした意味において、神道にはそれなりの精神的効果があると言えますが、霊性向上という
点においてはほとんど貢献性がありません。

霊的世界に対する事実が明らかにされている時代にあって、神道のようにいまだに霊界があ
るかないかを明確にできないような宗教は、もはや時代遅れであると言わなければなりませ
ん。

神道については、いずれ今後のニューズレターで取り上げる予定です。


日本人特有の宗教性とは
 先に国民性・民族性とは、先祖代々の人々が、共通の環境的・社会的・宗教的影響を受けた
ところに形成されてきた一つの精神的型であると言いました。

もしそうした精神的型があるとするなら、それは日本人の精神の深層に共通要素として存在す
ることになります。

それは霊的とまでは言えないとしても、共通の民族的精神と言えます。人間は元来霊的存在で
ある以上、宗教的影響を強く受け、それが国民性の形成に大きく係わることになります。

このような点からすれば、大拙のように宗教に目を向け、そこに日本人独自の共通的な精神
性・宗教性を見い出そうとしたことは正しいと言えます。

その国の宗教性は国民性と密接な関係を持っています。では日本人に特有な「宗教性」とは何
でしょうか。

 諸外国、特に欧米諸国と比較したとき、日本人の持つ歴史的な宗教的特徴は、複数の宗教
を同時に信仰してきたという点にあります。

仏教と神道ばかりでなく、シャーマニズム的なものに対しても、これを抵抗なく受け入れるという
“二重信仰”を長い間続けてきました。

この時代を越えて引き継がれてきた二重信仰こそが、日本人特有の宗教性であり、民族性を
示しています。

そして、それは日本人の「宗教的な柔軟性」から生じたものです。日本人は歴史的に、表の宗
教(仏教・神社神道など)と裏の宗教(民間信仰・シャーマニズム信仰)を同時に受け入れ信仰
してきました。

日本人は性質の異なる二種類の宗教を何の抵抗もなく信仰することができたのです。

これは西欧の一神教の立場からすれば大変矛盾したことであり、宗教心に一貫性が乏しいと
いうことになるのですが、日本人はそれをごく自然のこととして受容してきたのです。
 
また日本人が現在に至るまでシャーマニズムをすんなりと受け入れてきたという事実は、一神
教の立場から見ると、時代遅れの原始宗教をいまだに引きずっているということになります。

しかしそうした批判は、どこまでも一神教だけを一方的に進んだ宗教形態と決めつける傲慢さ
から出たものです。

日本人がシャーマニズムという霊的世界に対する関心を持ち続けてきたことは、スピリチュアリ
ズムの観点に立てば、「純粋な霊性」を保ってきたことを意味しています。

一神教こそ最も大切な霊的世界との係わりを遮断してきたということなのです。

実は、表の教理宗教と裏のシャーマニズムへの二重信仰という在り方は、何も日本に限ったこ
とではなく、世界各地において、特にアジア地域においてはごく普通に見られることです。

しかし日本のような世界の中で先進国と言われる国において、シャーマニズムが陰ながら今日
まで大きな力を持ってきたということが重要なのです。

 以上のような、「宗教における柔軟性」と「シャーマニズム的な心霊的世界への関心と畏怖」
が、日本人の宗教心の土台になっていると思われます。

これが日本人の精神的な共通の型を形成する際の、一つの要素になったと考えることができ
ます。

日本人の中に、宗教に対する柔軟性と霊的な世界に対する畏怖の思いという二つの要素があ
るということは、スピリチュアリズムから見れば、日本人が稀に見る「豊かな霊的感性」を持ち
続けてきたと言えるのです。


日本人の「グループイズム」
 日本人のアイデンティティーあるいは国民性については、それを見る角度によってさまざまに
論じることができます。

ここではスピリチュアリズムの価値観を基準にして、日本人の国民性を、これまでとは別の方
向から見ていきたいと思います。

スピリチュアリズムの観点に立ったとき、日本人が真に誇りとすべきもの、あるいは日本人が
有する霊的価値とは何でしょうか。

私達日本人に果たしてそうしたものがあるのでしょうか。外国人と親しくなれば、互いの違いは
国民性や環境によるものよりも、個人個人の性格や考え方や霊性の違いによるものの方が大
きいことに気がつきます。

さらに互いの相違点よりも共通点の方が多いことにも気がつくようになります。

まさに日本人も外国人も同じ地球人であることを実感します。しかしその一方で、性格の違い
ほどではなくとも、明らかな国民性の違いがあることを知るようになります。

 日本人は欧米人と比較したとき、個性が乏しく、すぐ集団化すると言われます。確かに海外
における日本人の動向はそれを物語っています。

外国に何年もいながら現地人と交わることをせず、日本人コミュニティーの中だけで過ごす
人々が数多く見られます。

また日本人は自己主張しないので、何を考えているのか分からないと非難されます。欧米人
は、日本人の特性を「集団主義」(グループイズム)と言います。

確かに多くの日本人は集団に属することで安心を得、集団の中に溶け込もうとします。

集団から浮き立ってしまうような自己主張は控え、仲間との摩擦を避けることに極端に気をつ
かい、グループの人からどのように思われるかを絶えず気にします。

欧米人の論理からすれば、日本人の集団主義・グループイズムは一刻も早く改めるべきもの
ということになります。

 ところがスピリチュアリズムの観点に照らしたとき、この集団主義は決して一方的に排除すべ
きものではないのです。それどころか、時には優れた“霊的資質”の一つにさえなり得るものな
のです。


イエスの教えを自然に実践してきた日本人
 日本人はザビエルの時代より、西洋の宣教師によって、「キリスト教徒でないにもかかわらず
極めてキリスト教的である」と言われてきました。

キリスト教の“隣人愛”をごく自然な形で実生活の中で体現している民族として、西欧の宣教師
達を感嘆させてきました。

彼らはキリスト教徒でない日本人の中に、ヨーロッパ人よりもキリスト教的なものがあることを
発見していたのです。

 スピリチュアリズムにおいてもキリスト教においても、最高の徳・最高の宗教的実践とされる
ものは「利他愛の実践」です。

この点については、スピリチュアリズムとキリスト教では完全に一致しています。多くの部分が
改竄され霊的真理をわずかしか含まなくなっている聖書の中にあって、この利他愛・無償の
愛・自己犠牲の愛・敵をも愛する愛・別け隔てのない平等な愛こそは、まさにイエスの教えを忠
実に伝えている箇所と言えます。

イエスの教えは、スピリチュアリズムで言う「利他愛」に他なりません。それを隣人愛の徳として
説いたのです。

しかし、これは現在の地上人にとって最も厭うべきものになっています。クリスチャンでさえ、自
己犠牲などというものは時代遅れだと考える人が多いのです。

 戦前の日本人にあっては、自分の所属するグループのために自分の事情や利益を後回しに
することは、ごく当然のこととして行われていました。

自分の利益を主張するより先に、まず全体の利益を考える、そのために自分を犠牲にしたり
助け合いに必ず参加することが当然とされていました。

そうした中では、自己主張をするよりもまず自分が周りに合わせる、自分の意見は口にせず
引っ込める、自己を無条件に抑えることが当たり前とされていました。

全体があってその後に自分と自分の家族があるという順序が、はっきりとしていたのです。

国のために自己を犠牲にするだけでなく、家庭をも犠牲にすることを当然としてきました。

こうした精神的伝統は、戦後の日本人社会の大変革の時期を迎えても、容易に消え去ること
はありませんでした。

つい最近まで多くの日本人は、会社のために自分の家庭を犠牲することを当たり前としてきま
した。

日本人は、会社のために自分の家庭を犠牲にする唯一の国民と言われてきました。「滅私奉
公」とは、まさに日本人のそうした在り方・精神を言い表した言葉です。それが封建時代におけ
る「武士道」でもあったのです。

 滅私奉公も武士道も、スピリチュアリズムの利他愛・自己犠牲・滅私的愛に通じるものであ
り、キリスト教で言う他人のために命を捨てる生き方に他なりません。

従って、日本人はスピリチュアリズムもキリスト教も知らなかったけれども、結果的に、それに
近い生き方・生活をしてきたと言えるのです。

スピリチュアリズムでは、「何を信じるかより、何を実行してきたかが重要である」としますが、
日本人はスピリチュアリズムもキリスト教も知らないまま、それらの教えを忠実に実行してきた
ということなのです。

キリスト教で説く隣人愛を自然の形で身に付けているのです。西欧からやって来た宣教師達が
キリスト教の教えの実践を日本人の中に見たのは、このためだったのです。

もし当時、スピリチュアリズムによる「霊的真理」が示され、神と霊界を中心とする正しい信仰
観によって縦の霊的関係を確立していたならば、素晴らしい理想的社会、スピリチュアリズム
的社会を作り上げていたと思われます。 
 

日本人の謙虚さ
 多くの日本人は、人前での自己主張を避けようとします。そして強い自己主張をする人や攻
撃的な人、自己の能力や富をひけらかす人を嫌います。

日本人は謙虚さや謙譲の精神を持った人を尊び、謙虚さを人徳の第一に挙げます。

これは日本人が全体の和を最も優先するところに由来します。強い自己主張や個人主義は、
全体の和を乱すことになるからです。

 日本人を外国人、特に欧米人と比較したとき、根本的に違うのはこの点です。欧米人におい
ては、自己主張は不可欠な要素であり、自己主張のできない人間は未熟であるか能力がない
と思われます。

戦後は欧米の力に押され、日本人の自己主張をしない在り方が批判されてきました。そして最
近では、多くの日本人は欧米人に倣って自己主張をするようになってきました。

謙虚さは日本人の中にあっても、もはや素晴らしい徳目とは見なされなくなりつつあります。

 日本人が持っている謙虚さ・謙譲の精神と欧米人の自己主張は、180度の違いがありま
す。スピリチュアリズムでは、この問題をどのように考えるのでしょうか。

私達はシルバーバーチやインペレーターなどの高級霊の言葉から、その答えを知ることができ
ます。高級霊にあっては、謙虚さと自己主張のどちらが優先されているのでしょうか。

言うまでもなく高級霊においては、明らかに「謙虚さ」が重要視されています。高級霊の言葉か
らは、彼らの謙虚な姿勢や考え方が伝わり、大きな感動を受けます。

欧米人が競ってなすような自己主張は、高級霊の中にはひとかけらさえ見ることはありませ
ん。欧米人の自己主張の在り方は、高級霊の謙虚さとは対極にあります。

一方、日本人の中には、シルバーバーチによって示されるような謙虚さが多く見られるので
す。

シルバーバーチやインペレーターの謙虚さに触れるたびに、日本人の心に極めて近いものを
感じることができるはずです。

人間の霊性の高さは、自己主張の中にではなく「謙虚さ」の中に現れるものです。それは自己
主張が外面的な要素であるのに対して、謙虚さとは心の深いところにしか存在しないものだか
らです。

 日本人はスポーツなどで勝利者になったとき、必ず、「皆さんのお陰で勝つことができました」
と言います。皆さんのお陰ですという言葉に、日本人の謙虚な心情が表現されています。

自分が全体の一部であるということと、栄光を自分一人のものにしてはならないという思いが
示されています。

これが欧米人ならば、自分の努力とかコーチや妻のお陰であるということになるでしょう。「皆さ
んのお陰で栄光が与えられました」という考えは、まさにキリスト教の“神の祝福”に対する感謝
と一致しているのです。

 日本人は自己の権利を主張する前に、与えられた義務と役割を果たそうとします。自分の権
利を主張して自分の利益を確保しようとするよりも、全体に貢献することを優先するのです。

これまで欧米人から、日本人は自分の意見をはっきり言わないので何を考えているのか分か
らないといった非難をたびたび受けてきました。

しかし最近では、日本人の持つ謙虚さの深い意味が理解され始め、好意的に受け取られるよ
うになりつつあります。

自己主張は、霊性の低い世界における処世術に過ぎず、素晴らしいものではありません。未
熟な世界における未熟な人間同士において必要とされるものなのです。


人をいつまでも責めない日本人
 外国人と一歩踏み込んで付き合うようになると、日本人は何とお人好しで単純な善人なのか
と実感させられるようになります。

外国人にとって、日本人を騙すことはいとも簡単なようです。日本人は他人の言葉を疑ってか
かることをせず、まともに信じます。

そうした日本人に対して多くの外国人は、純朴さと同時に子供っぽさを感じています。日本人
は他人を初めから善意で眺め、悪意や疑いを持って見ることができないのです。

他人を見たら泥棒と思えという言葉は外国人にとっては当たり前なのですが、日本人にはどう
してもしっくりきません。

争いの絶えない利己主義中心の世界にあって、他人の言葉をそのまま信じる無防備さは、世
界の人々には常識外れに映ります。

 他人を善意でのみ受け入れることと同じように、日本人は、他人をいつまでも憎み続けること
ができません。人を憎んだり恨みを持ち続けることができません。

もしそうした人間がいるなら、それを執念深さとしてとらえ、その人との係わりを避けようとしま
す。日本人は、大半の過去の出来事を時間とともに水に流して忘れようとします。

人の過ちを許し責めないということは、キリスト教における大切な教えですが、現実の地上世
界では、キリスト教徒であっても相手の失敗を徹底して責め、相手に対する復讐心を忘れよう
としません。

自分を騙した相手をいつまでも許そうとしません。ここでも日本人はキリスト教徒ではないの
に、極めてキリスト教的であると言えます。

日本人は自然にキリスト教の教えを実行しているのです。キリスト教徒であっても自分を害する
相手を許すことができない現状の中で、日本人はいとも簡単に相手の非を許し忘れてしまうの
です。

時には自分が騙されたとしても、「自分は騙す立場ではなく、騙された立場であって良かった」
「人を騙すような人間は気の毒な人だ」などと、外国人が聞いたら全く理解に苦しむようなこと
まで言うのです。しかしこれこそ、まさにキリスト教の「敵を許し、愛する」行為そのものなので
す。

 日本人の精神は実にさっぱりとして、どろどろしたところが余りありません。心に清浄感があ
るのです。

こうした日本人の性向は、スピリチュアリズムに照らしてみると、本当に大きな宝であることが
分かります。

 日本を取り巻くアジア諸国の人々は、いつまでも日本の植民地時代の行為を恨み憎しみを
持ち続けてきました。それどころか、子孫にまで憎しみを忘れないようにと教えてきました。

その結果、偏狭な民族意識を作り上げることになっています。人の足りなさを許し愛するという
「霊的真理」に照らしたとき、わざわざ自らの心を醜くし、霊的成長に逆行するような愚かなこと
をしてきたのです。


常に周りへの配慮と思いやりを忘れない日本人
 日本企業の海外進出に伴い、日本人駐在員の家庭では現地のメイドや運転手を雇うような
ことが多くなります。面白いことに現地の人々は、先を争って日本人の家庭で働きたがるので
す。

彼らにその理由を聞くと、決まって「日本人は優しいから」という答えが返ってきます。主人であ
る日本人は、自分達だけがおいしい物を食べ、メイドに粗末な別の物や残り物を与えるという
ことができません。

主人である日本人の方が、メイドにとても気をつかっています。こうしたことは他国の駐在員家
庭においては見られません。

 全体の和を優先して求める日本人は、極力仲間とのイザコザや争いを避けようとします。何
が相手の感情を害することになるかを常に察知し、感情のレベルにおいての不一致や不調和
を避けようとします。

相手の感情を損なうことがないように常に配慮し、少しでもショックを与えないようにと努めま
す。そのため日本人は相手に面と向かって反対したり、一方的に命令したり、強く注意すること
が苦手なのです。

相手と激しい議論をすることは極めて不得意なのです。また自分の立場が上であっても、自分
の方からわざわざ下に降りていって相手に配慮します。

日本の伝統的な社会は外見的には明確な上下関係から成り立っていますが、実質は、相手
への配慮を中心とした平等な人間関係によって出来上がっています。

日本人の集まりでは、常にお互いの間で気配りが行き交っています。こうした相手の人間に対
する配慮・思いやりは、大半の日本人の心の中に強く根付いています。

外国人においては、このような日本人の心の実情をなかなか理解できません。

 相手の人間に対する配慮・気配りは、相手への愛の第一歩です。人の感情に鈍感であった
り、人の感情を害しても平気な人間は、利他愛を持つことはできません。

人の感情の動きを敏感に察知する感性を持ち合わせてこそ、相手の心と深く交わることがで
きるのです。子供の感情の動きに鈍感な母親は、子供の心を理解し深く愛することはできませ
ん。

日本人は相手がいれば、感情的な部分にまで一致点を求めることを期待するのです。そうした
メンタリティーのために、対人関係は自然と平等になります。

主人とメイドの関係であれ、上司と部下の関係であれ、どんな上下関係であっても、愛のあると
ころには本当の平等が成立しますが、日本人の集まりではそれが当たり前になっているので
す。

こうした日本人の性向は、スピリチュアリズムに照らしたとき、大きなプラスとなっていることは
言うまでもありません。この点においても、日本人は素晴らしい霊的宝を持っていると言えるの
です。


日本人の「グループイズム」のプラスとマイナス面
 これまで述べてきたように、日本人には本来、全体優先・個より公を優先させるという優れた
精神的特性があります。

しかし、その精神性の中に神や真理といった思想的柱がないため、せっかくの宝は十分な価
値を発揮することができません。

真理がないゆえに日本人が持つ優れた精神性は、プラスと同時にマイナス面を生じさせること
になります。

皆で渡れば怖くない式の集団的マイナス行動は、日本人の欠点となります。正義に基づく信念
から自らの生き方を選択し、周りの反対と闘っても自分の意志を貫き通すということができま
せん。

自分のグループには忠誠を尽くすけれども、他のグループに対しては排他的態度を取るといっ
た傾向が強くなります。

外国人はなかなか日本人のグループの中に溶け込むことができませんし、いつまでも外人扱
い、よそ者扱いを受けることになります。

またグループに対する依存心が強く、他人の顔色を見て自分の行動を決定するというようなこ
とが起こります。人間としての尊厳性を自ら捨て去るようなことにもなっているのです。 

 こうした日本人の「グループイズム」におけるマイナス点は、日本人が霊的真理という確たる
理念を持つことによって全て解消されることになります。

真理を自分の生き方・考え方の基本とすることによって、各自が自信を持って自分の意見を述
べ、自分の行動を貫くことができるようになります。

霊的真理に立脚した「高次元の個人主義」が確立されるようになるのです。


スピリチュアリズムの手本を示すことができる日本人
 自己犠牲・滅私奉公・公優先・全体の利益優先・謙虚さ・柔軟な宗教性・相手に対する優しさ
と配慮・以心伝心という日本人特有の精神性は、スピリチュアリズムの「霊的真理」という霊的
中心性が確立することによって、隣人愛・利他的人間関係という理想を地上に展開する強力な
手段となります。

それによって、日本民族はスピリチュアリズムの生きた見本を、世界に示すことができるように
なるのです。

スピリチュアリズムを受け入れた日本人ほど、利他愛を容易に実践できる民族はいません。隣
人愛の見本を示すことができる可能性を秘めた民族はいません。

これほどまでに「利他愛実践」のための恵まれた素質を持った民族は他にはいないのです。こ
れはスピリチュアリズムが世界各国、地球上の隅々にまで行きわたろうとする時代にあって、
本当に誇るべき宝を持っているということです。

 これまでの地上世界では、物質的な力・知力が威力をふるい、それによって欧米諸国は地上
の支配権を握ってきました。

欧米人は体も大きく外向的で体力もあり、地上で力を発揮するにふさわしい条件を備えていま
した。

しかしスピリチュアリズムの浸透とともに、内面的な方向へと世界が向かっていくようになりま
す。その時には“愛の力”こそが地上における本当の実力になるのです。

力の論理・強者支配の論理から、愛の論理・一体化の論理・助け合いの論理が支配権を持つ
ようになっていきます。

もし日本人がスピリチュアリズムを受け入れることができるならば、日本人はその時、民族主
義や偏狭な愛国主義を超越して、人類主義における隣人愛の見本を示し、世界の人々に感動
を与えることができるのです。

無償の生き方の見本、全体優先の見本、滅私奉公・無私の愛の手本を示すことができるので
す。

 霊界の人々にとって、「滅私奉公」の精神ほど地上の道具としてふさわしい資質はありませ
ん。

自己の利益を捨て、大義のために人生を捧げる地上人であってこそ、信頼して使える地上の
道具となれます。

そういう人間であってこそ、霊界人は思う存分働きかけることができるのです。霊界の道具とな
ることほど、地上人にとって最高に価値ある生き方はありません。

経済力において世界を支配するより、霊界の道具として地上の“霊的革命”に参加する方が、
はるかに素晴らしいことなのです。

かつて国のために特攻隊として命を捧げた崇高な精神を、今度は神のため・人類の霊的進化
のために捧げることによって、世界に対する最高の貢献をすることができるようになるのです。

「スピリチュアリズム」という明確な方向性と、「滅私奉公」の伝統をつなぎ合わせることができ
るかどうかが、今後の日本の運命を決定することになるのです。

  

(3)日本国家と日本民族の繁栄の道


危機的な状況にある日本  失われつつある日本人の宝
 長い歴史を通して築き上げられてきた日本人の「滅私奉公」という精神的宝は、残念なことに
戦後急速に失われつつあります。公的精神は個人主義にとって代わられ、自己を全体のため
に犠牲にしたり後回しにするといった行動は美徳とされなくなりました。

欧米式の自己主張・自立主義が重視され、各自が自分の利益を求めて思い思いの人生を歩
むようになりました。グループに従ったり命令されたり支配されることは、現代の若者の最も嫌
うものとなりました。

放任主義・自由主義が当たり前の風潮になり、社会的な規制から解放された日本人は、結
局、本能的欲求だけに翻弄される人生を歩むようになっています。

自由放任と欧米式の個人主義が日本にもたらしたものは、本能的快楽主義と精神の頽廃だっ
たのです。

 個人主義と自由放任主義によって増幅された「物質中心主義」は、日本人の価値観を根底
から変化させました。大半の日本人が、物質的豊かさが幸福の基準であるかのような“錯覚”
にとらわれるようになりました。

口ではいろいろなことを言っても、本音ではお金と力だけが物を言うのだと思っています。日本
人は元来、守銭奴と見られることを最も嫌います。自分一人だけがお金を独り占めすることを
恥じらう心を持っています。

これは心を物より大切にすることであり、まさに霊的に優れた点と言えます。しかし現在では、
物質的・本能的快楽を満たすためのお金を真っ先に求めるのが、大半の日本人の実状となっ
てしまっています。

もはや自分のことしか考えない、考えるのは物質的満足と刺激と快楽のみで、獣にも劣る醜態
をさらけ出すようになっています。

 現在の若者の中に、かつての良き日本の精神性を見い出すのは稀なことになりました。物質
主義の横行は、いかなる国家においても最大の危機状態と言えます。物質主義の影響は、従
来の伝統的精神と触れることのなかった若者においては、特に顕著な形となって現れていま
す。

いつの時代にも物質主義に翻弄された人間はいるものですが、現代はその悪化の程度がさら
にエスカレートし、しかも全国民的に蔓延し、日本人を根底から支配しているということなので
す。

もっともこうした物質主義的・本能的傾向は、日本に限ってのことではなく、いずれの先進諸国
にあっても見られる現象です。地球が小さくなるに伴い、経済発展がどこの国においても程度
の悪い物質主義・本能主義を引き起こしています。

若者の物質主義化・動物化・快楽主義化は、今や世界共通の現象です。若者の堕落傾向・頽
廃スタイルは、万国に等しく見られる要素になっています。まさに「物質主義」が地球上を覆い
尽くしているのです。

 最近では若者の精神的頽廃に対して、日本の将来を憂える声があちこちから聞こえます。長
い歴史を通じて形成された日本人の精神的宝も、崩れる時にはあっと言う間です。

精神的な宝というものは、それほどまでに脆(もろ)いものなのです。ブラジルから来た日系二
世は、顔かたちこそ日本人と似ていたり、日本人の血を引いてはいても、心の中身・精神は私
達日本人とは全く異なります。

彼らの中には、もはや日本人の精神的アイデンティティーのかけらさえ見い出すことはできま
せん。そしてそれと同様なことが、今、大半の若者の上にも起こっているのです。 

残念なことですが、現代の物質主義に冒され、滅私奉公という精神性を失った日本人に対し、
霊界の人々は魅力を感じなくなっています。日本人は、霊界の道具としての最高の資質を失お
うとしています。


日本の将来を決定する鉄則
 自分の国の発展と繁栄を願わない国民はいません。誰もが大なり小なり愛国者としての心を
持っています。

オリンピックの時期になれば、国民こぞって愛国者となり、自分が民族主義者であったことを実
感するものです。日本人であるならば、みな日本が最も偉大な国であって欲しいと思うもので
す。

 スピリチュアリズムの「霊的真理」に照らしたとき、最も偉大な国とは、世界のために最も犠
牲になる国、世界のために最も奉仕する国であるということになります。

日本がそうした国家になるためには、国民が自己犠牲を喜んで引き受けられる立派な奉仕
性・犠牲的精神を持つことが必要となります。

また物より心を重視し、自分達は物質的な生活レベルを下げ質素な生活に甘んじても、それ
によって余ったお金を持たざる国のために捧げることができなければなりません。

世界の発展のためには惜しげもなく、自分の富を差し出すことができなければなりません。そ
してそれを国民教育の中心的理念とし、青少年に教えていかなければならないのです。

 霊界からの働きかけを受けられるところ、霊界の勢力の注目するところに地上の運勢はもた
らされます。

今後日本人が、かつての精神的宝をいかに取り戻すかによって、日本の命運は決することに
なります。スピリチュアリズムの「霊的真理」にそった信仰を確立することができるかどうかが、
これからの発展を決定することになります。

物質的な繁栄はいつまでも続くものではありません。時間とともに、地上世界における不公平
さは是正されていくようになります。そのとき後に残るものは、霊的真理に一致した「利他愛の
実践」だけなのです。

 21世紀においては、日本は現在のような経済大国の位置に留まり続けることはできなくなる
でしょう。物質主義と利己主義の支配する地上世界にあっては、軍事力と経済力こそが物を言
います。

幸い日本は、軍事的な力はなくとも経済力に恵まれていたために、世界の中で何とか重要な
立場に立つことができました。

しかし我が国の人口は21世紀末には現在の半分近くにまで減少する可能性もあり、今のよう
な経済力を維持することは難しくなります。そうなれば経済大国から中級国家に転落していくよ
うなことにもなりかねません。

 日本が高級霊の期待に応えられる「地上の道具」としての国民・国家である限り、将来におけ
る発展は約束されます。

日本民族が「世界人類同胞意識」を持ち、人々のために人生を捧げようとする国民が増えるに
伴い、日本国家の国策は世界の持たざる国々への奉仕が中心となります。

そうなれば日本は、国家レベルにおいて霊界からの全面的な援助を受けられるようになりま
す。日本国家に対して、人知を超えた貢献の場と地位が与えられるようになるのです。

21世紀の日本は、ぜひともそうした方向に進んでいってほしいと願います。物質的には中級
国家に転落するようなことがあったとしても、霊的には世界のトップを走り、経済より奉仕を優
先する国家的な見本を示してほしいと思います。


日本人でありながら、日本人を超えた歩み  「スピリチュアリスト」としてのスタンス
 スピリチュアリズムの唱える霊性進化の道は、あくまでも地上人が個人レベルにおいて歩む
べき普遍的道であり、最終的な救いは一人一人に帰着します。

自分の霊的成長に対しては、自分自身で責任を持つしかありません。その原則の前には、国
や民族という枠は無関係なのです。

霊界に行くと、自分の霊的に未熟な部分を自覚するようになります。そして再生の決心をし、自
らの霊的成長とカルマを清算するにふさわしい民族・国・親を選ぶことになります。

次の地上人生では、今とは全く別の国に生まれるかも知れません。一人一人がこうした霊的
サイクルをへて、霊界での上昇の道をたどることになります。

従って、現在は日本人であるとしても、そのこと以上に、霊的成長を最重視して歩む「地球人」
であるとの自覚を強く持っていなければならないのです。

 どれほど日本の行く末が案じられるとしても、どれほど日本の前途が絶望的であるとしても、
そのことだけに心がとらわれてはなりません。私達がどのように頑張っても、すべての人の心
を一度に変えることはできません。

それぞれが自分の霊的レベルに見合った歩みをするしかないのです。もしある人が無意味な
地上人生を送るとするなら、その人は償いとして、それ相応の苦しみを負うようになります。自
分で責任を取るようになるのです。 

また各自に守護の霊があり、それぞれにふさわしい導きをしてくれている以上、ことさら他人の
足りなさを嘆く必要はありません。

今この時も、人類全体に対する霊界の緻密な計画によりスピリチュアリズムが展開されている
以上、日本の行く末を自分なりに心配する必要はありません。

自分のできる精一杯のことをしていればよいのです。後は霊界が最も良きように計らってくれ
るのです。

 今地球人類は、すべての惑星世界の中で下から2番目という低いレベルから、徐々に向上
の道を歩み始めようとしているところです。

その霊的進化は、スピリチュアリズムによってなされようとしていることを忘れてはなりません。
スピリチュアリズムは地球全体の運命を担って働きかけているのです。日本という国家は、そ
うした地球のほんのわずかな地域に過ぎないのです。

 世界にスピリチュアリズムが広がり、地球人としての意識が共通のものとなった時には、国
家自体の在り方が今日とは随分変わっているはずです。

国境は現在の県境ほどのものになっていることでしょう。その時には、民族性・国民性にこだ
わることは時代遅れであり、「世界同胞意識」が民族意識や愛国心に優(まさ)るようになって
いるはずです。

 ある民族や特定の国が世界の運命を決定していくのではなく、無国籍の「スピリチュアリスト」
が世界を変えていくことになるのです。 
 

未来の地球とスピリチュアリズム


 最近のすさまじいIT技術の進歩を見るにつけ、この先、地球はどのように変化していくのか、
またどこまで変化していくのか考えざるを得なくなります。

100年後には全ての分野でコンピューター化が完成し、今とは想像もつかないほどの大きな
変化を遂げていることでしょう。

その差は西暦2001年の現在と、200年前の江戸時代後期との違い以上かも知れません。
そのとき人々は、一体どのような日常生活をしているのでしょうか。そこではスピリチュアリズ
ムは、どのような形で人々の中に浸透しているのでしょうか。

現在の地球が抱えている、戦争・貧困・人口・食料・環境などのさまざまな問題は、果たして解
決しているのでしょうか。

 ここではシルバーバーチの霊訓を手掛かりにして、さらに遠い未来に視点を合わせ、500年
以上先の地球を予測展望してみたいと思います。

  

(1)これまでの「物質文明」と  「精神文明」の関係


 現在、地球上で急速に発展している科学技術は、すべて「物質文明」であるということをまず
確認しておかなければなりません。

シルバーバーチはこれまでの人類史を振り返って、次のようなことを言っています。地上の人
間が霊体と肉体から成り立ち、霊的成長と肉体の成長があるように、地上世界にも「精神文
明」と「物質文明」という二つの発展・進化があります。

本来この二つの発展は調和を保って進むのが理想なのですが、実際には、人類は物質文明
のみを異常に発展させてきました。

精神文明はその物質文明のスピードについていくことができず、現在の地球は物質文明が支
配する世界となり、「物質主義」が横行することになってしまいました。それが「利己主義」という
最悪の結果を作り出してしまったのです。

 今、地球上で人々の関心を引き付けているコンピューター・インターネット・ITなどは、すべて
物質文明の延長上にあるものです。

こうした物質文明によって私達の生活は大変便利にはなりましたが、その一方で精神文明の
発展を阻害するような状況も生まれています。地球の行く末を心配する多くの人々は、ますま
す大きくなる物質文明と精神文明の溝を前にして不安を抱いています。

  

(2)地球上の物質文明の行方


 科学技術は、人類に便利さと快適さをもたらすことを目指して発展してきました。さらなる豊
かな物質的生活が、科学技術の目標となっています。

では、この便利さ・快適さの究極点とは何なのでしょうか。それが明確になれば、何百年先の
物質文明の姿を予測することができるかも知れません。

 しかし重要な結論を先に言えば、地上という物質世界はどこまでいっても、あらゆる点で霊的
世界を越えることはできないということです。


将来における移動にともなうスピード化
 地上世界は時間と空間の制限下にあります。一方、霊的世界には物質世界のような時間と
空間の制約がありません。

霊界では思うだけで瞬時に移動することができます。それは地上の時間・空間の観念からす
れば、時空が存在しない世界であると言えます。

ここ200年間、地上の物質文明は人間の移動時間を驚異的に短縮してきました。それ以前と
比べれば、奇跡と思えるほどの進歩をなしてきました。

しかし、そうした現代における移動のスピード化も、霊界に比べればとても比較にはなりませ
ん。地上の物質文明は無意識のうちに霊界を目標にし、これに近づこうとします。

従って今後、地上の科学技術は、さらに速くという方向に向かっていくことになります。地上人
類は時間と空間の壁の中で、よりいっそう移動にともなう時間の短縮を目指して進んでいくこと
になります。 

 とは言え、地上世界では時間と空間という壁がついて回る以上、どれほど頑張っても霊界の
レベルにまで至ることはできません。

SFまがいの異次元空間をへて瞬時に移動するようなことは実現しないでしょう。地上人生の最
も重要な目的が「霊性の向上」にあることを考えると、そこまでの時間短縮・スピードアップの必
要性はないからです。
 

将来における情報と意志の伝達
 霊界では自分の意志が周りの人々に瞬時に知られるようになっています。また高級霊であれ
ば、他の人の隠された過去のデータもすべて知ることができます。

必要な時には、自分の意志や考えを、霊界の隅々にまで正確に伝えることができます。霊界
における意志の伝達は完璧であり、それによって広大な組織が一糸乱れず統制されるように
なっているのです。地上の情報システムは、こうした霊界での完璧な情報システムに近づこうと
します。

 ここ数年の間に急激に進んでいるIT革命は、霊界の情報伝達に近づく第一歩と言えます。現
在、地上世界でその中心的役割を果たしているコンピューターは、どんどん小型化・軽量化さ
れ性能がアップします。

そして持ち運びが自由になるのはもちろんのこと、その操作も極めて単純化され、思念や音声
によって操作がなされるようになると思われます。 

ただし未来においては、高い霊性を持った地上人が多く現れるようになり、“テレパシー”によ
る交信がかなり自由に行われることになるでしょう。

身近な人や愛情で結ばれた人とはテレパシーによる交信が主流となり、縁の薄い人との交信
手段として、今述べたような方式が用いられることになるでしょう。


将来における言語の壁
 霊界には言語の壁は全くありません。すべての思いがテレパシーで正確に伝えられるからで
す。地上の言語は実に不便で性能の悪い伝達手段であり、特に外国人とのコミュニケーション
の際には、言語の違いが大きな障害となります。


 将来においては一つの地球共通語が使用されるようになり、これによって言語の壁が乗り越
えられるようになるかも知れません。あるいは高性能の携帯通訳機と翻訳機が活躍し、この問
題が解決されるかも知れません。

……未来の世界では、現在のように外国語の習得に膨大なエネルギーを傾ける必要はなくな
ります。そして人々は、そのエネルギーの大半を「霊的成長」に直結することに向けるようにな
ります。
 

将来におけるエネルギーの問題
 現代の地球における深刻な問題はエネルギーの問題です。将来は石油や石炭といった化石
燃料は完全に姿を消し、クリーンなエネルギーとして水素を活用したエネルギーの確保がメイ
ンになるでしょう。

海水から取り出す水素によって必要なエネルギーが確保されるようになると思われます。さて
霊界では必要なエネルギーは環境中から取り入れます。神のエネルギーを、霊界の空気層に
相当する環境から取り入れます。

従ってさらに遠い将来の地球では、これに最も近い形でエネルギーの確保が行われるようにな
ると思われます。それは太陽光からエネルギーを効率よく取り入れ、これによって必要なエネ
ルギーをすべて賄(まかな)うということです。


物質文明の進歩の限界点
 地球における物質文明は、以上述べたように、霊界の諸状況に近づくような方向で進歩・発
達していくことになります。そして、それは物質世界における限界点にまで進んでいくことになり
ます。

物質世界では物質の持つ性質上、おのずと限界があり、無限の発展ということはあり得ませ
ん。地上世界は神によって人類の霊的進化の訓練場所として造られている以上、その目的に
とって必要のないレベルにまで物質文明を引き上げる意味はありません。

 霊的な覚醒を得た人類は「霊的成長」にのみ意識を向けるようになっているので、むやみに
物質文明の発展を求めることはなくなります。

将来、物質文化は精神文化のために存在するものであるとの認識が行きわたれば、霊的成
長にとって必要以上の物質的なものを求めることはなくなります。そして誰もが、物質に対して
は最少限度の関心を向けるのみとなります。

霊界の人々の意識は霊的成長に係わることだけで占められていますが、未来の地上人にお
いても、その意識は常に「霊的成長」に向けられるようになるのです。

  

(3)地球上の精神文明の行方


以上が未来の地球における「物質文明」の様子です。次に未来の地球における「精神文明」の
様子を見ることにします。


精神文明とスピリチュアリズム
 これまで精神文明は物質文明の進歩のスピードについていけず、ノロノロとした歩みをしてき
ました。しかし精神文明の進歩が停滞していたわけではありません。

地上世界が物質文明に席巻されてしまいそうな時には、霊界からの働きかけによって新たな
宗教が興され物質文明への対抗手段が取られたり、霊的な啓蒙活動が展開されてきました。

そうした霊界からの働きかけの中で人類史上最大の出来事が、2000年前のイエスの誕生で
あり、1848年に始まるスピリチュアリズムの勃興でした。


霊的真理が地上人の「常識」となる
 スピリチュアリズムの大計画は、今この時も着々と進められています。そして霊的真理が地
上世界に普及する態勢はすでに整い、時間とともに地球の隅々にまで普及していくことが確実
になっています。

従って未来の地球上では、スピリチュアリズムによる霊的真理は間違いなく人類の常識となっ
ているはずです。ここ100年の間に急激に進歩・高度化した通信手段によって、スピリチュアリ
ズムは急速に地球上の人々に知られるようになっていきます。

将来においては、神の存在を否定したり、死後の世界の存在を認めない人間はいなくなりま
す。霊的真理・霊的事実が地球上の人々の「常識」となるのです。 
 

淘汰されていく地上の宗教と思想
 当然のこととして、スピリチュアリズムが普及するに伴い、現在地上に存在している全ての宗
教は衰退し、あるいは滅亡し、かつての宗教の遺物として知られるだけの存在になっていきま
す。

地上のあらゆる宗教は「霊的真理」という事実によって自動的に淘汰されたり、吸収されること
になります。霊界においては(*幽界の一部分を除いて)、地上のような宗教は存在しません。

遠い将来の地上世界は、こうした霊界と同じような世界になっていきます。現在見られるような
宗教組織は一切存在せず、神によって特別に選ばれたと自称する教祖などはいなくなります。

地上人類は神を共通の親として仰ぎ、神のもとにあって等しい子供達であるという認識が行き
わたるようになります。


各民族の伝統的文化の行方
 各民族に伝えられ保持されてきた伝統的な文化も、霊的真理に合ったものだけが、真理の
バリエーションの一つとして残されるようになります。

もしそれが霊的真理から懸け離れているならば、自動的に淘汰されることになります。従って
伝統的日本文化においても、あるものは生き残り、あるものは姿を消すことになります。


霊性の進化した人類の登場と、霊界との日常的交流
現在スピリチュアリズムの名のもとに進められている霊的真理普及の大事業は、今後の地上
人類の精神世界を根本から変化させることになります。宗教・思想といったこれまでの精神文
化の担い手は、淘汰されたり、あるいは霊的真理の中に吸収されることになります。

 こうした精神文化の根底からの変化と同時に、もう一つの重要な動きは、霊性の進化した
人々が徐々に増えることにより、霊界との触れ合いが緊密なものになるということです。

霊界の高級霊と霊通したりインスピレーションを豊富に受けたり、あるいはテレパシーを自由
に使いこなしたりすることが現実のものとなります。


将来における動物との関係
  霊的真理の普及に伴い、動物への虐待や肉食の習慣はなくなり、人間と動物はただ愛の関
係においてのみ結ばれることになります。動物にとっても人間にとっても、お互いの存在が喜
びと幸せを分かち与え合う関係を作ることになります。

その時には、20世紀の地球において“肉食”という野蛮で救い難い悪習慣が当然と見なされて
いたことが、呆れられるようになるはずです。


将来における健康と医学
 現在のような間違った食事やライフスタイルによる病気は、「霊主肉従」の価値観が浸透する
につれ追放されることになるでしょう。現代人の病気は、心身関係の異常、精神状態の異常と
過剰ストレス、不自然な食生活、運動不足、休息の欠乏によって引き起こされています。

しかし霊的真理の普及によって、心身の状態や日常生活はおのずと調和の取れたものに変
化していき、多くの現代病は姿を消すことになります。とは言え、カルマによって引き起こされる
病気は消滅することはなく、依然としてそれに苦しむ人々も存在します。

 未来では、心霊治療・精神療法・免疫療法などが医療の中心を占め、現在のような唯物医学
に基づく不自然な臓器移植・遺伝子治療などは行われなくなります。おそらく平均寿命は100
歳以上に延びることになり、死ぬまで高い健康状態を保つ人々が大半となることでしょう。

また医学が霊的真理と一致することにより、医者自身が霊界の存在を前提として医療を施す
ことになります。医学の中に“死”が自然な現象として認識され、親しい者の死を、誰も悲しむこ
とがなくなります。死はあの世への喜ばしい旅立ちとして、祝福されるようになるのです。

  

(4)利己主義支配の世界から、利他主義支配の世界へ


 現代の地上世界は、人間の無知が作り出した「物質主義」と「利己主義」によって支配されて
います。大半の人々は、何といっても最後はお金と権力が物を言うと考えています。それが現
在の地球上のすべての悲劇・矛盾を生み出すことになっています。

戦争・暴力・圧政・非道な支配・人種差別・貧富の拡大・階級差別・飢餓・さまざまな病気・動物
虐待など、みな物質主義と利己主義が原因となって引き起こされたものです。そしてそれを突
き詰めていけば、「霊的真理」を知らないという一点に行き着きます。

真理がないために死後に待ち受ける霊界の存在を知らず、利己的な生き方がどれほど大きな
マイナスを引き起こしているのかが分からないのです。そして、そこからあらゆる悲劇・矛盾が
生み出されているのです。

スピリチュアリズムによる霊的真理の普及によって、こうした地上人類の根本的な問題がすべ
て解決されることになります。

 未来のある時をもって、地上世界は人類史上初めて、利己主義の支配から利他主義の支配
へ移行することになります。利他主義が地球上のすべての人々、すべての国々において中心
的意識となります。

「利他主義」が地球上の全人類共通の指導理念となり、現在地上に存在するさまざまな問題
は姿を消すことになります。神の等しい子供という共通認識のもとに完全な平等主義が実現
し、強者支配の論理は消え去り、強い者が弱い者を助けるのが当たり前となります。

“愛の人格”こそが真の力と見なされるようになり、それが人の上に立つ資格とされるようにな
ります。与えるものが多いからこそ、仕えることが多いからこそ偉いという、聖書の世界が現実
のものとなります。


「霊的成長」が阻害されないような社会システムの確立
 物質的条件によって、人々の霊的歩みが阻害されることがないような助け合い(互助)のシス
テムが出来上がります。現在の地上世界では、衣食住などの基本的物質の窮乏によって、精
神の進歩すら後回しにされる悲惨な現状があります。最低の物質を欠くために、「霊的成長」
のチャンスを奪われている多くの人々がいます。

 しかし遠い将来には、地球上のすべての人々に、霊的人生を歩む上での最低の物質が保証
されるようになります。そのための地球規模の互助の仕組みが出来上がっています。さらに
「霊主肉従」の意識が徹底し、生活の糧を得るために仕事に忙殺され、人生の大半の時間と
エネルギーを費やすというようなことは一切なくなります。

仕事は霊的人生を歩む上での他人への奉仕であり、その報酬によって物質的なものが与えら
れることになります。また肉欲や本能を刺激して「肉主霊従」に貶(おとし)めるようなものは、社
会から追放され存在しなくなります。


将来における国家間の関係
 未来においては、現在のような国家は不必要になり、国境の壁はほとんど無きに等しいもの
になっていることでしょう。世界中の国々が、現在のEU諸国よりももっと自由に気軽に行き来
することができるようになり、地域連合のような形式がメインになることでしょう。

しかし地域性や文化的特徴はある程度まで残ることになります。そのときには現在の地球のよ
うな、領地を巡っての争いは完全に消滅します。

地球はすべての人間が霊的成長をなすための「一時的な訓練場」であるとの意識が定着し、
地球は個人の所有物ではなく、神のものであるとの認識が常識となるからです。


人類の霊的成長に貢献する経済システムの確立
 物質的快楽だけを追及するような状況はなくなっているため、経済活動は現在のようなエゴ
剥き出しの在り方とは根本的に変化しています。

経済活動の目的は、利潤を上げること以上に、人類の霊的成長にとって必要な最低限の物質
を確保するための営みとなります。

各自の仕事は人類の霊的成長に貢献するための務めとなり、奉仕の行為としての位置付け
が明確になるでしょう。当然のこととして、環境に配慮した循環型の経済システムが地球規模
で確立されることになります。

 このように未来の地上世界は、人類が霊的成長をなし、霊界への準備をするにふさわしい場
所となるのです。霊的成長のための物的な障害は消滅し、本人の意欲いかんで霊的進化の道
を歩むことができるようになります。

  

(5)未来の地上人にも避けられないこと 
 地上世界ならではの苦しみ・悩み・克己的努力
 


 以上のように未来の地球を概観してみると、それはまさに地上の天国・理想郷のように思わ
れます。このような理想世界が実現するなら、未来の地上人(*私達も再生してその一員とな
っているかも知れません)においては、一切の苦しみ・悩みから解放されているのでしょうか。

確かに今の地上世界からすれば、未来の地球は理想郷と言えるでしょう。そしてそこでは、現
代の地球が抱える無意味な問題、無知から出た不必要な苦しみはなくなっているはずです。


 しかし地上世界である以上、人々は依然、物質世界ならではの苦しみ・悩みを持ち続けるこ
とになります。神はこの地上世界を、苦しみを通じて霊的に成長していく所として創造されまし
た。従って地上では、常に何らかの苦しみや困難に遭遇することになるのです。

もし何一つ苦しみがないとするなら、それは神の意図から外れたことであり、最も大切な「霊的
成長」を得られないということになります。

地上世界においては誰一人例外なく、克己奮闘の努力が必要とされます。未来の世界にあっ
てもそれは同じなのです。地上世界ならではの苦しみ・悩みからは逃られないのです。
 未来において付いて回る宿命を、以下一つ一つ述べることにします。


人間関係のトラブルと「愛の訓練」
 霊界と地上世界の大きな違いの一つは、霊界では同じ霊的成長レベルの人間同士の生活
が営まれているのに対し、地上世界ではさまざまな霊的レベルの人間が地球という同じ物質レ
ベルの場所に同居しているということです。

霊界では霊的レベルによって明確な住み分けがなされ、上下の界層(階層)間では普通は交
流はありません。そこは霊的感性の一致する者だけが集まる純粋な愛情によって結ばれた世
界であるため、地上的な人間関係のトラブルなど一切ないのです。

 一方地上では、さまざまに異なる霊的レベルの者が同一場に住んで交流しているため、お互
いの意見の食い違いや不理解などといった多くの深刻な問題が生じます。実はこれこそが、神
が地上世界を魂の訓練場・カルマを切る修行場としたことの意味だったのです。

人間関係において必ず支障が生じるようになるというのが、地上世界の宿命なのです。それに
よって、誰もがその人なりの苦しみを体験するようになります。

 地上人の間には、種々異なる上下関係が存在します。いずれの場合も、下の者は上の立場
の者に対して自分を抑えコントロールしなければ関係を維持することはできません。

そのためには自分の心や視野を変えなければなりません。すなわち立場は下であっても、相
手に対して寛容さを持ち、広いところから相手を眺めなければならないということです。

また上の立場に立った者は、自分の利益追及を後回しにしなければなりません。先に自分が
犠牲になり、先に相手の利益と幸せを願わなければなりません。

先に自分の方から愛さなければならないという利他愛の在り方を、身をもって体験するように
なるのです。

 地上世界は、さまざまな霊的レベルの人間が同居することによって成立している厳しい「愛の
訓練場」なのです。

人間関係を通じて苦しみ・悩み、それによって霊的成長をなすというのは、現代に生きる私達
も、未来に生きる人々も全く同じなのです。スピリチュアリズムが世界中の常識となった後に
も、依然つきまとう地上人としての宿命なのです。


「霊主肉従」の自己克己の努力
 霊界と地上世界の大きな違いは、霊界人には肉体がなく、地上人には肉体があるということ
です。地上に住む以上、この肉体という道具なしに生きていくことはできません。すでに繰り返
しニューズレターで述べましたが、地上人が霊的成長をなすためには、まず第一に霊優位の
生き方をすることが必要です。

すなわち「霊主肉従」の状態を保つことが大前提となります。霊による肉体の欲望のコントロー
ルということですが、この霊主肉従の努力を欠いたところでは霊的成長は望めません。それで
は、せっかくの地上人生を無駄に過ごすことになってしまいます。

物質世界というコントロールが極めて難しい世界で、意志の力を振り絞り自己コントロールする
体験を通じて、霊的な力は高められます。

 地上人としての努力の出発点は「霊主肉従」という本能・物欲のコントロールにかかっていま
すが、これは現代人においても未来の人間においても同様です。地上人として肉体を持つ以
上、避けられないことなのです。

外部の物質的環境がどれほど快適になり便利になったとしても、この内面の闘い・克己の努力
から完全に逃れることはできません。


肉体管理の必要性
 肉体という地上の道具は、自分自身で管理を心掛けない限り、健全さを保つことはできませ
ん。怠惰な生活をし、飽食に走り、肉体の手入れを怠れば病気になるこれは地上人につきまと
う宿命です。

未来の地上人においても、肉体の管理は避けられません。医学は今とは比較にならないほど
進歩しているはずですが、肉体の健康を維持する原則は変わりません。

 健康であるための原則は次のようなものです。「霊主肉従の状態により霊的エネルギーが満
たされている」「精神レベルでの調和が保たれている」(精神的ストレスをコントロールし感情が
安定している) 「正しい食生活をしている」(飽食をしたり不自然な食べ物をとらない) そして「適
度な運動を欠かさない」「適切な休養をとる」ということです。これらが、肉体を健全に保つため
の正しい手入れということになります。

 人間には健康を守るためのシステムが与えられています。その仕組みによって、肉体を不自
然に使い手入れを怠れば、苦しみ・痛みという警告信号が出されます。未来の人々はこうした
肉体に備わった自然のサインに注意を払い、肉体の摂理に忠実な生き方をするようになるで
しょう。

 また肉体の健康を保つためには、いつになっても運動を欠かすことはできません。適度に運
動してこそ健康が維持されるように造られているからです。しかし必要以上に肉体を酷使し、
痛め付けることは何のプラスにもなりません。

従って肉体をギリギリまで酷使する現在のようなプロスポーツやオリンピックは、地上から消え
去るものと思われます。将来においては、肉体を壊してまでスポーツをするのは愚かしいことと
見なされるようになるからです。

 スピリチュアリズムによる霊的真理の普及によって、500年先には、肉食に代表されるよう
な狂った食習慣は正され、大半の人々は菜食主義者になっていることでしょう。


「カルマ」による苦しみ
 前世で作った悪いカルマ(悪因縁)を償うために、誰もが地上人生において苦しみや困難に
遭遇します。その苦しみ・困難は、本人が地上に再生するに先立って自分自身で選んだもので
あり、それが地上人生のある時期に必ず生じるようになるのです。 

 こうしたカルマ清算の法則は、未来の地上人にもそのまま当てはまります。私達も将来、再
生の人生を歩むことになるかも知れませんが、その時も、カルマを償うための苦難に遭遇する
ようになるということです。

具体的にどのような苦難が生じるようになるのかは分かりませんが、「カルマの法則」(因果
律)によってそれが起きるのは、未来の人々にとっても避けられない事実なのです。


「祈り・瞑想」の必要性
 人間にとって、霊的エネルギーを取り入れるために祈りや瞑想は欠かせません。地上世界に
あっては、肉体が霊に対する最大の障壁となっているため、どうしても意識的に霊的エネルギ
ーを取り入れる努力が必要とされます。

 そのことは、遠い将来の人々にも当てはまります。未来においては「祈り・瞑想」の重要性は
常識となり、毎日の食事と同じような中心的日課となっているはずです。

また人類全体の霊的レベルが向上しているため、現在とは比較にならないほど、祈りや瞑想
の環境が整っているものと思われます。高次元にまで進化した物質文明の中で、人々が絶え
ず祈りや瞑想をするといった光景が当たり前のものとなっていることでしょう。

高度に進んだ「物質文明」と深い「精神文明」が、見事に共存するようになるのです。

 このように考えてみると、未来の地上世界に生きる人々も、結構大変なんだということが分か
ります。それは地上はどこまでいっても修行の場であり、苦難の体験を通じて霊界での資質を
磨く所だからです。

未来においては物質次元での問題はかなり解決され、現在のような無駄な苦しみはなくなって
います。しかし個人個人にあっては、地上ならではの問題、霊的成長のための努力はどこまで
も続くことになります。

未来の人々も肉体を持って物質世界に生きる以上、現在の私達と同じように、さまざまな悩
み・苦しみに遭遇し、克己奮闘しなければならないということです。

  

(6) 21世紀のスピリチュアリズムの進展


 以上、未来の地上世界を概観してきました。最後にこれから100年間の「スピリチュアリズ
ム」の進展状況を見ていくことにしましょう。今からの100年間は、地球上にこれまで存在して
いた諸問題が、徐々に解決されていく時代です。地球上の変革はゆっくりとしたスピードで進ん
でいきます。

とは言え、すべてが同じスピードで変化していくわけではありません。霊界からの働きかけによ
る世界レベルでの霊的啓発の動きは活発となり、これが地上に反映して、社会的な改革が少
しずつ進展していくようになります。

しかし紛争・戦争は依然として世界の各地で続いていきます。霊的真理の影響力が、まだそれ
らを抑止するほどには大きくなっていないからです。21世紀には、物質文明はさらに急激なス
ピードで進歩することになるでしょう。しかし、まだまだ発展の限界点近くまで到達することには
なりません。

 精神文明の表面上の変化は一見ゆっくりとしたものに映りますが、霊界におけるスピリチュ
アリズムはすさまじい勢いで進展していくことになります。

21世紀における精神文明の発展とは、一言で言えば、霊界からの働きかけによってさまざま
な分野で霊的意識が覚醒され、スピリチュアリズム浸透の地上的準備が急ピッチで進んでいく
ということです。

スピリチュアリズムによる「霊的真理の普及」に加速度がつき、それに応じて地球上の既存の
宗教は大きな衝撃を受けることになります。けれども、これまでの宗教が完全に突き崩される
までには至らないでしょう。

既成宗教サイドからのスピリチュアリズムに対する反発は当然起こりますが、それが大きな勢
力になることはありません。

 21世紀の精神的世界の底辺は、すべて「スピリチュアリズム」や「ニューエイジ」によって進
展していくようになります。スピリチュアリズムの普及は、時期のきた一人一人に霊的真理が受
け入れられることによって進んでいくため、そのスピードはそれほど増すことがないように思わ
れるかも知れません。

しかし現代科学による通信情報機器が、そのための大きな貢献の役割を果たすことになりま
す。

 先進諸国を中心として、スピリチュアリズムやニューエイジの霊的文明が徐々に市民権を獲
得していくようになり、21世紀の遅くない時期に、世界的にスピリチュアリズムが主要な思想・
信仰の位置を占め始め、全世界に大きな影響力を持つことになります。

21世紀中に、心霊世界を信じる人々の数は、信じない人の数を凌駕するようになります。21
世紀の後半には、スピリチュアリズムやニューエイジの影響によって、従来の伝統宗教の崩壊
が明確になってくるでしょう。

イスラム教は物質文明の導入に伴い内部から崩れ始めますが、世界の主要宗教の中でスピ
リチュアリズムを受け入れるのは、イスラム教圏の国々が最も遅い時期になるでしょう。

  

(7) 21世紀の日本の状況


 20世紀は、アメリカという超大国の絶対的優位の中で終わりました。圧倒的な軍事力と経済
力を背景に、強い政治力を発揮し、ありとあらゆる分野において世界をリードしてきました。日
本にとってもアメリカは最も関係の深い国であり、善きにつけ悪しきにつけ、アメリカの影響を
ストレートに受けてきました。

しかし、こうしたアメリカだけの突出した絶対性や繁栄はいつまでも続くものではありません。も
ちろん21世紀においてもアメリカは世界のリーダーの立場を演じることになりますが、徐々に
その力は後退していくようになります。一国だけが物質的繁栄を享受することは「霊的摂理」に
反するからです。

 これまでの地上世界は、「物質主義」と「利己主義」の支配下に置かれてきました。そのため
腕力(軍事力)と金(経済力)が最も力をふるってきました。特に軍事力は地上世界にあっては
最大の権力となってきました。

国際関係においては、何といっても軍事的な力関係が決め手となります。日本のようにいくら
経済力があっても軍事力を発動することができなければ、喧嘩(ケンカ)が日常化している現実
の世界の中では、自己の立場を主張することはできないのです。

国際会議で日本が意見を主張しようとしても、まともに相手にしてはもらえません。ケンカをひ
たすら避け、ケンカから逃れようとする一方でお金だけ持っているとなれば、誰もが日本にお
金をたかろうとするのは当然です。

国際社会の中で現実に、日本はこれまで“金づる”としてのみ見られてきました。お金を出させ
るために利用され、それだけを期待されてきたのです。

 日本憲法に基づく戦争放棄は霊的観点に立てば立派な理想ですが、ケンカが日常茶飯事の
世界にあっては単なる理想論にすぎず、現実的ではありません。もし崇高な理想を貫こうとす
るならば、最後は理想のために国家が滅ぶことがあっても仕方がないという覚悟が要求される
のです。

そこまでの現実的な決意があって、初めて可能になることなのです。国家が滅ぶのはイヤ、で
もケンカはしたくないというのであれば、腕力のある人間(強い国)の手下になって言いなりにな
るしかありません。

これが戦後から今日までの20世紀後半の、日本とアメリカの関係だったのです。軍事力がな
い限り国際社会でリーダーシップを取ることは現実にはできません。他国の戦争を止めさせる
こともできません。口出しをすれば却って馬鹿にされるだけなのです。

 しかし21世紀には国際状況の変化に伴い、経済力が軍事力よりも優先されるようになって
いきます。ケンカばかりしていることができなくなって、世界レベルにおいて軍事力が後退する
ようになり、経済力が国際社会で大きな力を持つようになります。

そうなれば軍事力を持たず経済力だけを持つ日本にとっては力を発揮するチャンスが多くな
り、国際舞台での発言力が増すことになります。その意味で、日本にとって21世紀は有利な時
代と言えます。

とは言え、日本が現在の経済力をいつまでも維持できるとは限りません。人口減少が急激に
進行し、道徳的退廃が進むにつれ、国家の活力は低下します。21世紀の末には、現在の経
済大国から単なる先進国の一つに凋落(ちょうらく)することも考えられます。

 けれども日本が国家の方向をスピリチュアリズムと一致させ、経済大国から「奉仕大国」へと
変身することができるなら、世界に対する大きな国際的立場と役割を与えられることになるでし
ょう。

たとえ経済的には後退して1.5流になったとしても、霊的には一流国家として、最も栄光ある
立場に立つこともできるようになるのです。日本が世界に先駆けて、「スピリチュアリズム」の国
家的見本を示すことができるのなら、そのとき日本は世界の人々から尊敬され、真の意味で
のリーダーと見なされることになるでしょう。

国策がスピリチュアリズムと一致するならば、霊界からの全面的な働きかけを得られるように
なり、世界の中における重要度を急激に増していくことになります。それに伴い世界中の人々
から、心からの敬意を受けられるようになるのです。

 

ニューズレター発行の目的について


 ニューズレターを手にされた多くの方々から、「このニューズレター発行の目的は何ですか」と
の質問が寄せられています。今回はそれについて、私達の見解を述べたいと思います。


ニューズレターの発行は、当サークルでの一つの奉仕
 ニューズレターの発行は、スピリチュアリズム・サークル「心の道場」ができる一つの奉仕とし
て実行しているものです。もちろんこれによって会員を増やし、組織の拡大を図ろうなどという
意図は全くありません。

当サークルが「霊界の道具」として、可能な範囲内で精いっぱいの奉仕をしているに過ぎませ
ん。スピリチュアリストとして、霊界から与えられた奉仕のチャンスを最大限に活用したいと願
い、実行しているだけのことです。霊界の道具としてスピリチュアリズムの普及に少しでも貢献
できれば、それがサークルのメンバーにとって最高の喜びなのです。

 このニューズレターが時期のきた方々への良き刺激となり、スピリチュアリズム人生を歩み
出すきっかけとなるならば、本当に嬉しいことです。そして新たな奉仕の道へと歩を進めてくだ
さるなら、これに優る喜びはありません。

ニューズレターを発刊して早3年になりますが、その間、全国各地の多くの方々から、誠意あ
ふれるお便りをいただきました。「真の同志・真の仲間」というべき方々との出会いを得て、大
きな喜びを味わわせていただきました。私達こそ感謝すべきであると思っています。

 ニューズレターを発行するのは、何も私達に限ってのみ与えられた特権ではありません。た
またま霊界の準備・導きがあったがゆえに、当サークルで出すことが可能になったということで
す。

もし今後、何らかの事情でニューズレターの発行ができなくなるとしたなら、その時は、他の
人々が私達に替わってそれをすることになるでしょう。それまで私達は、自分達に与えられた
奉仕のチャンスとして続けていけばよいのだと考えています。


ニューズレターの対象者について
 ニューズレターの内容について述べる前に、まずこのニューズレターの対象者(読者)につい
て触れておきたいと思います。それは一言で言えば、「時期のきた人」を対象としているという
ことです。

時期のきた人とは、シルバーバーチやその他の霊訓、さらにスピリチュアリズム関連の書物を
読んで、そこに最高のものがあるという直感的な判断ができる方のことです。つまりシルバー
バーチが言う「大人の霊」のレベルにまで達した人のことです。

このニューズレターは、そうした一定の霊性を持った方々に読んでいただくことを念頭において
います。

 従ってスピリチュアリズムを他の思想や宗教と同列にしか考えられない人、スピリチュアリズ
ムを単なる神秘主義や心霊的好奇心の対象の一つと考えたりするような人は、読者としてふさ
わしくありません。

また現在、他の宗教やニューエイジに夢中になっていたり、人道主義や道徳レベルの教えに
満足し宗教は必要ないと考えている人も対象としてはいません。

ましてスピリチュアリズムに反対する人や、スピリチュアリズムの価値を認めない人に読んでい
ただこうとは考えておりません。そうした人達を説得したり議論するために、発行しているので
はありません。

 ニューズレターは、これまでのものでは満たされないという人々に向けてのものです。そのよ
うな方々に、スピリチュアリズムの素晴らしさを知っていただくことが目的なのです。

さらには、すでにスピリチュアリズムを手にしておられる方々に、その真価をより深く理解してい
ただくためのものなのです。つまりこのニューズレターは、外部に向けてスピリチュアリズムをP
Rしているのではなく、内部向けにスピリチュアリズムをPRをしているということです。


自分流のスピリチュアリズム観に固執する人々に対して
 ニューズレターは、スピリチュアリズムを受け入れることのできる時期のきた人々にとって、さ
らなる霊的進歩と霊的真理の理解の手助けとなることを目的としています。

その一方で、スピリチュアリズム内部の人々に対しては、一石を投じるという意味があります。
問題を投げかける以上、波紋が生じるのは当然であり、反発を持たれる方がいらっしゃること
も承知しています。

「自分流のスピリチュアリズム観が正しい、自分流でやっていけばよい」という人々にあって
は、ニューズレターの内容に反発心を抱かれることでしょう。

「その主張は自分の考えとは違う、自分の考えこそ正しい」と固執される方にとっては、ニュー
ズレターは何の意味もないものと思います。人それぞれの考えがあるのは当然であり、ニュー
ズレターに対して賛成・反対の意見があってしかるべきです。

しかし私達としては、そのような方々に対しては、「そうですか。ご縁がないのですね」という姿
勢を取ることしかできません。 

 このように述べたからといって、私達は間違いをしでかすことはないなどと思い上がっている
わけではありません。それどころか、常に誤りを犯さないようにと自分達を戒めています。

そのため徹底して「シルバーバーチ」の引用によって話を進めるようにしています。十二分に吟
味した上で、間違いないと確信したものを述べるようにしています。(とは言え、そのことで私達
が決して間違いをしないということにはなりませんが……)

 ニューズレターでは、私達が正しいと思うことを信念を持って述べています。けれども意見の
違う方に対して、議論をしたり説得しようとは考えていません。自分なりの確信を持ち自説を曲
げない人に対しては、何も言うつもりはありません。

結果的にその方が、地上人生において霊的成長をなし、人類への貢献を果たされるとするな
ら、それでよいからです。霊界に行ってから後悔することがないようにと、祈る気持でいるだけ
です。


スピリチュアリズムの知的レベルのPR
  ニューズレターには、スピリチュアリズムが霊的知識と思想内容において、地上世界をリード
する立場にあることをはっきりさせるという目的があります。スピリチュアリズムによって示され
た「霊的真理」が、知識のレベルにおいて最高次元のものであり、さらに思想内容の深さ・広
さ・実用性の点でも他に比類なき卓越したものであることを明らかにするということです。


霊的真理の体系的理解の手助けをする
 ニューズレターには、すでにスピリチュアリズムに導かれた方々が、霊的真理を正しく理解す
るための手助けをするという意味もあります。膨大な霊界通信の中で何が最も信頼できるもの
かを明らかにし、霊的真理のアウトラインを正確に理解するためのガイドラインを示すというこ
とです。

これまで日本のスピリチュアリズムにおいては、霊的真理の体系化が十分になされてこなかっ
たために、さまざまな問題を生み出してきました。勝手なスピリチュアリズム観や間違ったスピ
リチュアリズム観が、まかり通ってきました。

時にはスピリチュアリズムの衣をかぶって、エゴ剥き出しの心霊治療が行われてきました。あ
るいは霊的生命とは無縁な書物収集をすることが、スピリチュアリズムであるかのように錯覚
されてきました。基本的な霊的知識が正しく認識されていなかったことが、こうした問題を引き
起こしてきたのです。 

 膨大な量の霊的知識を正確に把握するためには、真理の体系的理解がどうしても必要とな
ります。偏りなく真理を知るためには、全体像をしっかり理解することが要求されます。ニュー
ズレターの目的の一つには、そうした霊的真理の体系的理解の手助けをすることが挙げられ
ます。 


霊的真理を地上レベルに還元し、理解の手助けをする
 霊界通信は霊界サイドの視点から語られているため、ややもすると地上人の感覚とのギャッ
プから、理解しにくい面が生じます。それを考慮してこのニューズレターは、霊界通信(霊的真
理)を、地上人が理解しやすいように地上サイドの観点に立って説明することを一つの目的とし
ています。

「心霊治療」においては、霊界の治療エネルギーを地上の患者に注ぎ込むために、スピリチュ
アル・ヒーラーを媒介とします。霊界のエネルギーレベルを下げることによって、患者が受容し
やすくなるのです。

「霊的真理」もこれと同様で、地上サイド・地上レベルの視点に還元し、地上の諸問題と関係づ
けることにより、地上人にとって理解しやすくなります。時にはそれが霊界通信の純度を薄める
ことにもなりますが、逆にその分だけ、理解しやすくなるのも事実です。

 また通信を送る霊界サイドには、地上人の「自由意志」の領域に介入してはならない一線が
引かれています。そのため私達地上人が、自らの責任として悟っていかなければならない部分
が残されています。

地上の一つ一つの問題に対して、霊界人はいちいち言及することは許されませんが、地上人
同士ならば許されることもあるのです。地上人であればこそ、霊界人には許されないことも可
能となるのです。

ニューズレターには、霊界人が語ることのできない問題点を地上人の立場から語り、霊的真理
をより深く理解する手助けをするという目的もあるのです。


霊的真理の上限ラインを明確にする
 またニューズレターの目的として、霊的真理の厳しさ・スピリチュアリズムの厳しさを人々に示
すことがあります。スピリチュアリズムが、安易な道徳主義や人道主義(ヒューマニズム)や知
的好奇心の対象でないことを、はっきりさせるということです。

そのために、「霊的真理が要求する実践の上限ライン」を明確にしています。霊的真理の求め
る実践ラインを知るということは、即、各自の歩みに反映することです。現実にどのレベルまで
実践に移すのかは一人一人の責任に任せられますが、スピリチュアリズムの要求する理想ラ
インをしっかりと自覚しておくことは、ぜひとも必要です。

 これまでの日本のスピリチュアリズムにおいては、スピリチュアリズムの持つ厳しさがほとん
ど無視されてきました。地上人にとって心地よい、都合のよい面だけが受け入れられてきまし
た。

それが結果的に、正しいスピリチュアリズムの伝統を確立することを妨げてきたのです。日本
のスピリチュアリズムの問題点は、「霊的実践に対する甘さ」にあります。霊的真理が要求する
厳しさをないがしろにし、中身のない張りぼてのようなスピリチュアリズムになってしまっていま
す。

浅野和三郎の時代に作り上げられた初歩的スピリチュアリズムの域を、いつまでも出られずに
います。遺物として存在するだけの初期のスピリチュアリズムのレベルにしがみつき、そこから
一向に発展することができずにきたのです。


スピリチュアリズムを信仰レベルにまで引き上げる
 またニューズレターの目的として、スピリチュアリズムを「信仰レベル」にまで引き上げる手助
けをするということがあります。

スピリチュアリズムは霊的真理を中心とした「信仰実践」にまで至らなければならないという基
本・原則が、これまでの日本のスピリチュアリズムには根付いていませんでした。

スピリチュアリズムについてあれこれ解説したり、その歴史について語る人達はいても、それを
本来の実践レベルにまで引き上げようと努力する人がいなかったのです。

霊的真理に触れながらも、いつまでも現象への関心を持ち続けたり、知識のレベルにとどまっ
ている人々が大半だったのです。日本のスピリチュアリズムの指導的立場にある人達自身
が、スピリチュアリズムは信仰であるという認識がないのが実情だったのです。

 ニューズレターでは、スピリチュアリズムはまさに信仰そのものであり、霊的真理・霊的知識
は信仰実践のための道しるべに過ぎないことを示しています。そして、いつまでも知識レベル
にとどまっていてはならないことを訴えています。

日本のスピリチュアリズムの最大の問題点は、スピリチュアリズムが信仰実践のレベルにまで
高められてこなかったということです。このニューズレターには、スピリチュアリズムを信仰レベ
ルにまで高め、真のスピリチュアリズムを日本に定着させる手助けをするという目的がありま
す。


霊界を中心とした、スピリチュアリズムの「霊的ネットワーク」を作る
 さらにニューズレターには、霊界の高級霊を中心としたスピリチュアリズムのネットワークを作
るという目的があります。過去にシルバーバーチなどの霊訓を読みながらも、その真価を理解
できないまま今日に至った人々が多くいます。

そうした方々がこのニューズレターに触れ、スピリチュアリズムの価値を再認識し、スピリチュ
アリズムの教える霊的人生を出発されるならば、霊界の導きが実ったことになります。

そして霊的真理の普及をライフワークにしようと決意されるならば、その決心に応じて、霊界か
らの全面的な働きかけが始まることになります。霊界にとっては、信頼できる地上の足場がま
た一つ出来上がったことになるのです。

そのような方々が増えるに従い、「霊的真理・スピリチュアリズム」という共通の絆による「霊的
ネットワーク」が自然と形成されるようになります。

今後100年、200年にわたる日本の未来を見据えて、このような無形の霊的ネットワークを作
り上げ、高級霊が、よりいっそう地上と日本国内に働きかける条件を築き上げることが、この
ニューズレターの目的です。

 嬉しいことに、すでにそうした方々が全国各地に現れ、霊界の道具として、霊界の足場として
大きな働きをするようになってきています。今すさまじい勢いで「霊的ネットワーク」が日本国内
に広がろうとしています。

そして5年前とは比較にならないほどの高級霊の霊的エネルギーが、日本全土を覆うようにな
ってきています。組織なき霊的ネットワークが、着実に日本に確立されつつあるのです。



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