◇ニューズレター11号 (抜粋) 
 2000年10月



目 次

これまで日本には何故、正しいスピリチュアリズムが存在しなかったのか
スピリチュアリズムの基本プロセス――真理・信仰・実践 
  ・スピリチュアリズムにおける
   最も基本的なプロセスとは
  ・読むには読んだが、内容を理解していない現状
  ・身勝手な真理の理解をする人々
  ・霊的真理のアウトラインを正しくとらえる
  ・日常の実践を通じて深められる霊的真理への理解
  ・スピリチュアリズムは“完璧な信仰”
  ・“完璧な信仰”とは何か
  ・スピリチュアリズムの“信仰対象”とは 
   ・霊的真理の実践こそが、スピリチュアリズムの 真価を決定する
   ・スピリチュアリズムの実践とは、奉仕だけではない
   ・スピリチュアリズムとボランティアの違い
   ・最優先すべき奉仕活動は、霊的真理の伝道
   ・他人への奉仕・伝道の前に、まず自己の修養が必要
   ・スピリチュアリズム新時代の到来
        本物のスピリチュアリズム普及の始まり 
スピリチュアリズムから見たエドガー・ケイシー 
 (1)エドガー・ケイシーの使命とは
   ・スピリチュアリズムにおいて可能となる、ケイシーの正しい評価
   ・ケイシー・リーディングの使命

 (2)ケイシーのリーディングとは
   ・1万4千件にも及ぶケイシー・リーディング
   ・ケイシーの医療リーディングの情報源は
   ・“アーカシックレコード”とは
   ・地上人には不可能な、
    “アーカシックレコード”へのアクセス
   ・ケイシー・リーディングの本質は「霊界通信」
   ・催眠トランスに伴うさまざまな問題
          ケイシー・リーディングと潜在意識関与

 (3)ケイシー・リーディングの霊的問題点
            ――通信ソースに関する問題  (4)予言リーディングについて
   ・予言リーディングにおける明らかな
    “低級霊”の関与

 (5)ライフ・リーディングと、輪廻転生・
               カルマの法則について
   ・ケイシー・リーディングの功績
   ・正しい再生観とは
   ・空想に過ぎない具体的な“前世像”
   ・惑星間転生について
   ・惑星間転生説の“通信霊”は誰か?

 (6)フィジカル・リーディングについて
   ・ケイシーは単なる“霊媒”
   ・治療実績を上げられない後継者達
   ・ケイシー治療の本質は「心霊治療」
   ・時代遅れになったケイシー治療

 (7)ケイシーのリーディングについてのまとめ 
釈迦(シャカ)は今? 
   ・イエスとシャカの違い
   ・地上時代の「シャカ」という人物は、霊界には存在しない
   ・霊的真理に無知だった地上時代の「シャカ」
   ・仏教の教えは、死後直ちにシャカ自身によって捨て去られた
   ・シャカからの霊界通信?
   ・一高級霊として、イエスのもとで働く「シャカ霊」
 

ニューズレター




これまで日本には何故、
正しいスピリチュアリズムが在しなかったのか
スピリチュアリズムの基本プロセス   真理・信仰・実践 


スピリチュアリズムにおける最も基本的なプロセスとは
 スピリチュアリズムが霊界の高級霊によって興されたプロジェクトであることは今さら言うまで
もありませんが、その高級霊による計画の目的は、地上人類を救うために「霊的真理」を地上
にもたらすというものです。

これこそが、スピリチュアリズムの最も本質的な点なのです。スピリチュアリストとは、そうした
高級霊の働きかけによって地上において真っ先に霊的真理と出会った人間、真理を受け入
れ、他の人々に先駆けて霊的恩恵にあずかった人間ということになります。

 スピリチュアリズムによって地上世界にもたらされた「霊的真理」は、どこまでも霊性を進化さ
せるための手引きであり、霊的実践のためのガイドです。

霊界の高級霊が、これまで地上人が全く知ることのなかった霊的真理を示したのは、単に目
新しい知識や情報を与えるためではありません。

地上人の霊性を高め、魂を救うために与えたのです。霊的真理を実行することによって「霊的
成長」をなし、死後に苦しみや後悔を残さないように与えたのです。

 このことを、真理を受ける私達地上人の立場から考えてみるならば、以下のような一連の流
れの中で進展していくことになります。

まず霊的真理と出会うこと、次にそれを正しく理解すること(真理の正確な理解)、そしてそれを
絶対的に信頼し人生の指針・生活の方針とすること(真理への絶対信頼・絶対信仰)、さらにそ
れを実生活の中で実行すること、その結果として霊的向上をなし魂の救いを得るということで
す。

別の言い方をすれば、スピリチュアリストの歩みとは、真理→真理に基づく信仰→真理の実践
→魂の成長という一連の霊的成長のためのプロセスであるということになります。この全ての
プロセスこそが、スピリチュアリズムに他なりません。

 このスピリチュアリズムの基本的なプロセス・流れをしっかりと押さえておかないと、多くの知
識を得れば得るほど、全体の流れを見失い、肝心な点がどこかに飛んでいってしまいます。自
分なりの勝手なスピリチュアリズムの解釈をすることになります。 


読むには読んだが、内容を理解していない現状
 霊的真理の正しい理解が、スピリチュアリズムの出発点であることは言うまでもありません。
霊的真理の正確な理解なくして、スピリチュアリズムの道を正しく歩むことはできません。

無駄な努力、無意味で的外れな努力をすることにもなりかねません。『シルバーバーチの霊
訓』やモーゼスの『霊訓』、その他のスピリチュアリズム関係の本を読むことで、スピリチュアリ
ストになったかのように勘違いしている方々がいらっしゃいます。

 本を読むことの目的は、そこに書かれている内容を正しく理解するところにあります。しかる
に、この内容を正しく理解するという当たり前のことが、現在のスピリチュアリズムにおいては、
まだ十分に行われていないのです。

実際、シルバーバーチの霊訓を10年以上にわたって愛読していながら、その内容を間違って
理解している方々が見受けられます。

シルバーバーチの霊訓を始め、すべてのスピリチュアリズム関連の書物を持っているにもかか
わらず、それを正しく理解している方は、率直に言って本当にわずかしかいないのです。

 それには理由があります。『シルバーバーチの霊訓』一つをとっても、現在、日本では20冊
近くの本が出版されています。それらを一通り読むだけで大変な時間がかかります。

さらに、それらの内容をまとめ全体のポイントを正確に把握するには、多くの時間が必要とされ
ます。2、3度読んだだけで、シルバーバーチの全体像を適確にとらえることはできません。

何十回と繰り返し読まない限り、全体の内容を正確に理解することは不可能なのです。全体像
を正しく理解しポイントを要約(サマライズ)することは、それほどまでに時間のかかることなの
です。

 しかし、そうした作業をへない限り、いつまでたってもシルバーバーチを正確に理解すること
はできません。たとえシルバーバーチを片っ端から読破しても、それだけでは駄目なのです。

ましてその後、次々と別の本へと進んでいくならば、シルバーバーチの内容は流され、後に
は、ほんのわずかな印象しか残らないことになります。これが大半の人々の実情です。 

シルバーバーチを読むには読んだが、その内容を理解していないのです。確かにシルバーバ
ーチを読んだのですが、結局、何も残っていないのです。

 あれこれと多くの霊界通信やスピリチュアリズム関係の書物を読み漁る人に限って、シルバ
ーバーチも他の宗教の教えも同じであるとか、どちらも良いことを言っているといった程度の理
解しかしていません。

本当に分かってみれば、スピリチュアリズムほど霊界の事実を明らかにしているものは他にな
いのですが、その違いが分からないのです。スピリチュアリズムほど正確でスケールの大きな
知識の体系は、地上世界には存在しません。

 現在の日本のスピリチュアリズムにおける問題点の一つは、真っ先にスピリチュアリズムと
出会った人々が、霊的真理の内容とその価値を正しく理解していないということなのです。


身勝手な真理の理解をする人々
 人間は誰でも自分の好みを通して本の内容を理解しようとします。自分に心地よいものだけ
を取り入れようとします。自分の好みや考えと一致しているものは正しく、自分の考えと合わな
いものは間違っていると決めつけようとします。

こうした傾向は、霊訓を読む際にも現れます。『シルバーバーチの霊訓』に対して、その中にあ
る自分の好みと一致しているものだけを選び取り、そうでないものは流して読み進めることにな
ります。

シルバーバーチが語る優しい言葉、慰めとなる言葉、愛についての言葉だけが心に残り、厳し
い内容や心に痛い箇所は読み飛ばし忘れてしまいます。

それは丁度、占い師に将来の運命を観てもらうとき、良いことだけを信じ、悪いことは信じない
ようにするのと同じです。これと同様の感覚で、シルバーバーチを読んでいる方が多いので
す。

自己に甘いクリスチャンが、イエス様は優しく罪を許してくださると勝手に都合の良いイメージを
作り上げるのと同じような傾向が、スピリチュアリズムにおいても見られるのです。

 心地よさや優しさ、慰めを求めるのは人間としての自然な姿ですが、そうした甘さだけを「霊
的真理」に求めるとするならば、いつまでたっても真理を正しく理解することはできません。霊
的成長の道を歩むことはできません。

シルバーバーチを10年以上も愛読しながら、依然として自分なりの世界を一歩も脱け出せな
い人がいます。「スピリチュアリズムだけが優れているかのように言うのは教条的で偏狭であ
る」と言う人に限って、何一つ霊的真理の本質を理解していないのです。

真理の正確な理解は、ムードによってなされるものではなく、理性を最大限にまで厳しく用いて
初めて可能となるのです。


霊的真理のアウトラインを正しくとらえる
 このニューズレターの目的は、『シルバーバーチの霊訓』やモーゼスの『霊訓』を始めとする
スピリチュアリズムの教えが、地上世界において最も素晴しいものであることを皆さんに再認
識していただくことにあります。

ニューズレターは、スピリチュアリズムがいかに優れたものであるかを宣伝するために発行し
ているのです。皆さんがすでに手にしておられる「霊訓」が、どれほど素晴しいものであるかを
改めて知っていただき、それを、これからの人生における“最高の指針”にしてくださることを願
っています。

これまで実際に、このニューズレターによって霊訓の価値を再認識し、霊訓を人生の最高の指
針と定め、新たな霊的人生を歩み始めた多くの方々がいらっしゃいます。

 当サークルでは、『スピリチュアリズム入門』『続スピリチュアリズム入門』を出版しています
が、これらは膨大な量に及ぶスピリチュアリズム関係の知識を体系的に理解できるようにまと
めたものです。

スピリチュアリズムのアウトラインを正しく理解していただくことを意図しています。アウトライン
をしっかり押さえてから「霊訓」へと読み進めていくなら、その内容を偏りなく理解していただけ
るものと思います。


日常の実践を通じて深められる霊的真理への理解
 霊的真理は、何度も繰り返し読むことで、徐々に全体像が理解できるようになっていきます。
またその一方で、実践と照らしながら読み進める中で、その深い意味が理解できるようになり
ます。

霊的真理の理解は、“実体験”という霊的現場を通して深められていくものなのです 

 「たとえ世界中の書物を全部読むことは出来ても、その読書によって得た知識は、体験によ
って強化されなければ身についたとは言えません。霊的生長というのは実際に物ごとを体験
し、それにどう対処するかによって決まります。」(シルバーバーチ4・83)

   霊的真理を単なる知識や学問とせず、人生の指針・心を整理してくれる指導書として日常
生活に活用するなら、時間とともに、真理が立体的に理解できるようになっていきます。

皆さん方にはぜひ、そうした正しい霊的真理の学び方を身に付けていただきたいのです。霊訓
の学習を通じて、生き生きとした霊的世界との交わりを知っていただきたいと思います。……


スピリチュアリズムは“完璧な信仰”
 さらに現在の日本のスピリチュアリズムにおける問題点の一つとして、スピリチュアリスト自
身が、スピリチュアリズムは信仰ではないと思っていることがあげられます。

これはスピリチュアリストが霊的真理を正しく理解していないのと同様に、スピリチュアリズムに
おける重大で深刻な問題です。

 シルバーバーチやインペレーターは、たびたび“実践”の重要性を強調します。シルバーバー
チはよく  「大切なのは何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかなのです」とか、「人
へのサービスこそが真の宗教です」と言っています。

さらに、「どのようなことでも人のためになることならば、価値があるのです」とも言っています。
何を信じたかではなく、何を行ったかが大切であると繰り返し述べています。

このため、かなり多くの人々が、スピリチュアリズムは信仰ではないと“錯覚”することになりま
した。

 しかし、それはシルバーバーチやインペレーターの言葉の一面にとらわれた見方に過ぎませ
ん。シルバーバーチは別のところで、スピリチュアリズムは“完璧な信仰”でなければならないと
明確に述べています 

  「ここにお集まりの皆さんは、完璧な信仰を持っていなければなりません。なぜならば皆さん
は、死後に関する具体的な知識をお持ちだからです。」(シルバーバーチ4・17)

 霊的真理に対して絶対の信頼、絶対の信仰を寄せるべきであると訴えています。


“完璧な信仰”とは何か
 完璧な信仰が何であるかは、シルバーバーチの言葉の中に示されています。シルバーバー
チの姿勢は、まさに完璧な信仰の見本なのです。「霊的事実」に対する絶対信頼という信仰の
見本なのです。

 私達はシルバーバーチに倣って、スピリチュアリズムに対する確信を堂々と主張すべきで
す。 スピリチュアリズムによってもたらされた「霊的真理」は地上のいかなるものより優れ、こ
れに並ぶものはない。

スピリチュアリズムのために働けることは、他のどんなボランティアよりも、ずっと価値のあるこ
とであると断言すべきなのです。それをしたとしても狂信ではありません。

それどころか、そうした信念と絶対信頼を持ってスピリチュアリズムの素晴しさを主張すること
こそが、正しい信仰と言えるのです。

 スピリチュアリズムを他の地上の宗教と同列視することは、無知のなせる業です。スピリチュ
アリズムに絶対性を認めようとしないことは、本質を何も理解していないということです。

それは単なる偽善的道徳者としての生き方、外面だけを整え、他人との表面的な争いだけを
避ければ良いという浅薄な生き方なのです。

 スピリチュアリズムが絶対的な信仰・完璧な信仰であると認めることを嫌っている人は、もう
一度「霊訓」をじっくりと読み返すべきでしょう。そしてスピリチュアリズムを単なる道徳レベルか
ら、生命を懸けて信じ抜く絶対的な信仰レベル・完璧な信仰レベルへと引き上げるべきなので
す。

地上の全てのものを捨てても、地上の全ての人々が反対しても、絶対にスピリチュアリズムだ
けは正しいとの信念を持つべきなのです。これがシルバーバーチに倣って、私達が身に付ける
べき絶対的な信仰なのです。

 スピリチュアリストは歴史上の殉教者に負けないほどの  「神」「神の造られた法則」「霊的
真理」「霊界の高級霊」に対する絶対信頼、完璧な信仰を持つべきです。

スピリチュアリズムの正当性・優秀性・卓越性を、声を大にして訴えられない者が、どうしてスピ
リチュアリストと言えるでしょうか。

スピリチュアリズムだけは絶対に正しいと断言することは盲信でないどころか、純粋さと信念か
ら出る当然の行為なのです。完璧な信仰とは、霊的真理(霊的事実)に対する絶対信頼であ
り、それはまさに真理に対する一途で揺るぎない確信のことなのです。


スピリチュアリズムの“信仰対象”とは
 スピリチュアリズムは信仰ですが、その信仰対象とするもの、絶対的に信頼するものは、地
上的なものや地上の人物ではありません。また特定の霊でもありません。

信仰対象とするものは、神でありその摂理であり、霊的事実以外にはありません。贖罪などは
一切認めません。すべて自分が霊的摂理に合わせ、自分で自分を救う自力信仰なのです。

自分の霊的成長は自分で果たすという自己責任の信仰なのです。地上の他の宗教に見られ
る狂信・盲信の類いから、最も遠いところにあるのが「スピリチュアリズム」なのです。スピリチ
ュアリズムの最高責任者である、イエスに対する崇拝も帰依も不必要な信仰なのです。



霊的真理の実践こそが、スピリチュアリズムの真価を決定する
 霊界が大変な苦労をして「霊的真理」を地上にもたらしたのは、それがなければ、地上人の
救いは成就しないからです。

霊的真理は、私達がそれを指針にして霊的人生を歩み、霊的救いを得るために与えられてい
ます。実践することを初めから想定して与えられているのです。つまりスピリチュアリズムの霊
的知識は思想や哲学や学問ではなく、「実践」をメインとした宗教の教えに近いものなのです。

霊的真理は学問・研究の対象として、あれこれ解釈したり、勝手なこじつけをしたり、こねくり回
したりするものではありません。どのように生きたら良いのか、どのように考え判断したら良い
のかを知るために与えられたものなのです。

その意味で、真理を手にしながらもそれを実行に移さない人は、せっかくの宝をわざわざ溝に
捨てるようなことをしていることになります。健康法を学んでも、それを実行しようとしない病人
と同じことになるのです。
 
私達が「スピリチュアリスト」として霊界から認められるかどうかは、霊的真理を日常生活の中
で活用しようとしているか否かで決められます。真理を手にしながら知的好奇心のレベルに止
まっている人は、スピリチュアリストとは言えません。

 シルバーバーチもインペレーターも行為の重要性を強調します。シルバーバーチは次のよう
に述べています   「大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の生活そのもので
す」「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。

霊格の高さは信仰心の多寡で測れるものではありません。行為によって測るべきです」「要
は、その人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をど
れだけ発揮したかにかかっています。

大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。が、その人の真価は毎日
をどう生きてきたかに尽きます」 (以上、シルバーバーチ3・71、6・27、4・140) と言ってい
ます。……


スピリチュアリズムの実践とは、奉仕だけではない
 シルバーバーチは、「宗教とはサービスです」と言っています。人のためになることなら、どん
なことでも価値があると言います。

無償の奉仕は、まさにスピリチュアリズムの利他愛の実践に他なりません。奉仕こそ私達が常
に心がけることです。人のためになること、人助けを人生の目標・日常生活の目的にしなけれ
ばなりません。

 しかしシルバーバーチが霊的真理の実践というとき、それはただ奉仕・人助けだけを意味し
ているのではありません。この点についても多くの人々が勘違いしています。スピリチュアリズ
ムにおける「実践」とは、利他愛の実践だけではありません。

「生活は行為だけで成り立っているのではありません。口にすること、心に思うことによっても
成り立っております。行為さえ立派であれば良いというものではありません。むろん行為が一
番大切です。しかし口をついて出る言葉、心に思うこともあなたの一部です。」(シルバーバー
チ4・29)

 シルバーバーチが明かした霊的成長のために踏まなければならない実践項目は、「霊主肉
従の努力」「苦しみへの正しい対処」「利他愛の実践」「瞑想・祈り」の4つから成り立っていま
す。

スピリチュアリズムにおける実践とは、この4つの項目をすべて満たすことです。どれが欠けて
も霊的人生にとってマイナスとなります。すべてが霊的成長のための努力の内容ということに
なります。これらについては、すでにニューズレターで一つ一つ取り上げ述べましたので、ここ
では省略します。


スピリチュアリズムとボランティアの違い
 人のためになること、自分より恵まれない人々のために無償の奉仕をすることといえば、誰
もがボランティアを思い出します。私達のサークルにも、全国各地のボランティア参加者や主
催者から多くのお手紙をいただきます。

人々のために奉仕するボランティアは、まさにスピリチュアリズムの利他愛と同一線上にありま
す。それは殊勝な心がけであり、同じ国民としてありがたいことと感謝せずにはいられません。

 さて、ここで一つ注意しなければならないことがあります。それは奉仕の内容についてです。
シルバーバーチは確かに、人のためになることなら何でも良いと言っています。その意味で、
スピリチュアリズムとボランティアは同じと言えます。

しかしスピリチュアリズムが最優先して与えようとしているのは、何よりも永遠の魂の救いをも
たらす「霊的真理」であることを忘れてはなりません。霊界が大変な努力をしてスピリチュアリズ
ムの運動を展開してきたのは、霊的真理を地上人に教え、永遠の救いをもたらすためなので
す。

 この点を考えると、スピリチュアリズムに出会った人が、霊的真理の普及を第一にせず、そ
れ以外のことを優先するのは間違いであることになります。 霊的真理を知った人が、世間一
般のボランティアと同じことをして満足するのは許されないことになります。

真理を知っているということは、いまだ一般の人々が知らない救いの方法を知っているという
特別な立場に立っているということを意味します。本当の救いを知らない人々に、真実の道を
教える霊界の人々と同じ立場に立っているのです。

スピリチュアリストは霊界の「高級霊の道具」として、霊的真理を一人でも多くの人々に伝える
使命を持っています。地上の人々に対して、最高次元の奉仕と人助けをする特別な役割を担
っているのです。

 従って「霊的真理」を知りながら、それを他人に伝えようとしない人は、大きな“利己主義”の
過ちを犯すことになります。どのようなボランティアよりも遥かに優れた人助けの方法を知りな
がら、自分なりのボランティアで善しとすることは、スピリチュアリズムに導かれた人間にとって
は許されないことなのです。

物質レベルでの人助け、肉体レベルでの奉仕は、他の人が代わりを務めることができます。し
かし、霊的真理を伝え霊的救いの道を示すことは、他の人では代わりが効かないのです。大き
な奉仕の立場とチャンスを与えられながら、わざわざ低いもので満足することは間違っている
のです。


最優先すべき奉仕活動は、霊的真理の伝道
 霊的真理の伝道を利他愛の実践の中心に置き、その上で、その他の人助け・奉仕に励めば
良いのです。どちらに優先順位をつけるかで、私達のなす利他的行為の価値が決定されるこ
とになります。

霊的真理を知りながら、それとは関連性のないボランティアをしたところで、霊的価値は持ち得
ません。どんなことでも人のためなら良いというのは、いまだ真理を知らない人にとってのみ言
えることなのです。

霊的真理を他人に先駆けて知ったということの重大性を、決して無視してはなりません。すでに
一般の人々とは違った立場にいることを意識することが大切なのです。……

 「人のためになることをしなさい」という言葉は、スピリチュアリストにとっては、いまだ霊的真
理を知らない一人でも多くの人々にそれを伝えなさい」ということに他なりません。その上で、日
常生活において出来るかぎり周りの人々に対して奉仕をしなさい、ということなのです。 霊的真
理の普及を奉仕の“核”とするということです。この順序を間違えてはなりません。


他人への奉仕・伝道の前に、まず自己の修養が必要
 シルバーバーチは  「霊的真理のメッセンジャーみずからがそれを日常生活において体現
し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目になるほど神のメッセンジ
ャーであることを認識させることです。それから今度は積極的に世に出て、社会生活のすべて
の面に応用していってほしいのです。つまり、まずみずからが身を修め、それから他人のため
に自分を役立てる仕事に着手するということです」(シルバーバーチ5・51)と述べています。

 奉仕活動をするより先に自己の修養をしなさい、ということですが、地上にいる限り私達は、
どこまでも完全な人格を持つことはできません。未熟さをすっかり拭い去ることはできません。

ですからここでの“自己の修養”とは、まず自分を霊的真理にそわせる努力をしなさい、という
意味にとらえるべきです。自分の成長のための努力、内面的な努力を無視して他人に奉仕し
たとしても、意味がないということです。

 現実に、自分自身に厳しく臨むことなく奉仕活動に一生懸命に励む人がいますが、その矛盾
は時間とともに表面化することになります。奉仕活動にたずさわりながら、利己心から醜い対
立や内部紛争が生じることがよくあります。

人のためにと思って出発したボランティアが、いつの間にか当事者の“自己満足”に終わってし
まうことが実に多いのです。キリスト教におけるボランティアは、神の愛に基づく精神に立脚し
ているため、個人的な見栄や自己満足といった問題を初めからクリヤーしています。

そのため人間の利己性から生じる問題の噴出は少ないのですが、単なる人助けといった道徳
レベル・人道主義レベルのボランティアでは、最後には必ず人間の煩悩の問題に巻き込まれ
ることになります。

責任者ばかりでなくメンバー各自においても、厳しい自己コントロールが先行しないボランティ
アでは、道を間違えるような事態が引き起こされます。霊界における救いまでも見通したボラン
ティアでない限り、いつの間にか偽善的行為に堕ちてしまうのが世の常なのです。

もっともシルバーバーチに言わせれば、偽善的ボランティアでもしないよりはましとのことです
が……。


スピリチュアリズム新時代の到来  本物のスピリチュアリズム普及の始まり
 スピリチュアリズムとは、高級霊が苦労してもたらした霊的真理を正しく理解し、霊的真理に
対する絶対的な信仰を確立し、霊的真理を現実に実践する霊的人生のことです。

地上において真理→完璧な信仰→厳しい実践という3つのプロセスを繰り返しながら、全体の
霊性を徐々に引き上げていく歩みのことです。霊的真理によって始まり、それを信仰に高め、
実践に移す、一連のプロセスのことなのです。

その結果、死後の世界に対する霊的準備がなされ、「霊的成長」という人間にとって最も有意
義な地上人生を送ることが可能となるのです。

 これまでの日本のスピリチュアリズムにおける問題点は、霊的真理が正確に理解されていな
かったということです。部分だけの解釈や、肝心な点を見落とした解釈や、勝手な解釈をして、
それで良しとされてきたのです。

また真理が理解できても、それを知識レベルに止めるだけで、信仰レベルにまで意識化するこ
とができませんでした。スピリチュアリズムを生き方の信念とすることができなかったのです。

スピリチュアリズムが信仰であることを意識的に避けようとする愚かしい風潮さえ生まれてきま
した。「霊的真理」は、信仰の指針として絶対視されなければなりません。スピリチュアリズムは
教条主義だと非難されても、それを恐れてはなりません。

 さらにもう一つの大きな問題点は、霊的真理を真剣に実践に移そうとする人々がいなかった
ことです。それどころか、スピリチュアリズムの名を騙り、利益追及や名誉追及が堂々と行わ
れてきました。

スピリチュアリズムの霊的知識をバックにして、祈祷や心霊治療で金儲けをしたり、新興宗教
と同じようなグループを作ったりといったことが行われてきました。現実に、スピリチュアリズム
の名を汚すようなことばかりが横行してきたのです。その結果、良識ある人々にスピリチュアリ
ズムに対する幻滅を与えることになりました。

 日本には古くからスピリチュアリズムが紹介されてきたものの、現在に至るまで、それが正し
く実を結ぶことはありませんでした。スピリチュアリズムの正しい伝統が、今なお日本には定着
していないのです。これが日本のスピリチュアリズムの偽らざる実態なのです。

あまりの内容のなさに、霊界の高級霊が働きかけたくとも働きかけられない状態だったので
す。これらはすべて真理の正しい理解・意識の信仰化・純粋な実践という、スピリチュアリズム
の基本原則が全くないがしろにされてきた結果です。

 一方、いまだスピリチュアリズムと出会うことなく、従来の宗教において一生懸命に歩んでい
る多くの人々がいます。わずかばかりの霊的真理が与えられているに過ぎない中で、命懸け
の信仰をし、人生のすべてをそこに懸けている人々がいます。

スピリチュアリズムのような高度な真理はないにもかかわらず、スピリチュアリズムが目指す
「完璧な信仰心」を持ち、自分を捨てて「純粋な実践」に邁進しているのです。そうした人々に対
しても、霊界の準備は着々と進められています。

時期が至れば、今は他の宗教で励んでいる人々も、やがてスピリチュアリズムのもとへ導かれ
ることになります。このような人々が一度「スピリチュアリズム」と出会えば、スピリチュアリズム
の霊的真理の価値を初めから正しく理解し、スピリチュアリズムを即座に信仰的にとらえ、スピ
リチュアリズムのために人生を捧げることになるでしょう。

一気に高いレベルでの歩みが始まるのです。これまで20年、30年とスピリチュアリズムに慣
れ親しんできた人々を乗り越えて、初めから「高級霊の道具」として歩み出すことになります。
つまり今現在、多くの人々が将来のスピリチュアリストとしての道を、他の宗教の中で歩んでい
るということなのです。

 先の者が後になり、後の者が先になるといったことが、これからの日本のスピリチュアリズム
において現実に起こってきます。そうした純粋な人々によって、日本に正しいスピリチュアリズ
ムが定着するようになっていくのです。

一旦、正しいスピリチュアリズムの伝統が確立しさえすれば、霊界の働きかけはさらに強烈に
なり、日本のスピリチュアリズムは加速度的に広がっていくようになるのです。


スピリチュアリズムから見たエドガー・ケイシー

  (1)エドガー・ケイシーの使命とは

スピリチュアリズムにおいて可能となる、ケイシーの正しい評価
 「スピリチュアリズムでは、エドガー・ケイシーをどのように考えたらよいのか」という質問がよ
く寄せられます。チャネリングや霊界通信、あるいは新新宗教の教義を検討して正しく批評す
ることは、一般の人々にとってほとんど不可能です。

どこかおかしいと思っても、それをはっきり指摘することはできないのが普通です。ケイシーの
リーディングについても同じことが言えます。ケイシーのリーディングのどこが正しくてどこが間
違っているのか、大半の人々には判断がつかないとしても当然です。

 ケイシーのリーディングは、結果的に、スピリチュアリズムの底辺の一つとしての役割を果た
しました。スピリチュアリズムの観点から見るとき、彼のリーディングにはあまりにも多くの問題
点や間違いがあります。

現在でも世界各地に大勢のケイシーファンがいて、彼らによってケイシーは、20世紀最大の
霊能者であり、予言者であり、最高のスピリチュアル・ヒーラーとして尊敬されています。しか
し、そうした評価はどこまでも、霊的事実と霊的基準を知らないところでの過大評価であり、盲
目的評価に過ぎません。これまで「霊的事実」の観点からなされた、ケイシーに対する評価・批
判はありませんでした。

 ケイシーのリーディングについての正しい批評は、霊的事実・霊的真理を基準としない限りで
きません。彼のリーディングは、あくまで「霊的事実」によって評価・批評されるべきものです。

そしてそれを可能にするのは、唯一スピリチュアリズムだけなのです。スピリチュアリズムほど
霊的世界の事実を明らかにしているものは他にはありません。ケイシーのリーディングを高い
ところから見下ろすことができるのは、スピリチュアリズム以外にはないのです。
 ここでは「霊的真理」に照らして、ケイシーのリーディングを検討していくことにします。


ケイシー・リーディングの使命
 まず「ケイシーの使命は何であったのか」について考えてみます。結論を言えば、ケイシー
は、明らかにスピリチュアリズムの一端を担った人物であったということです。

しかしシルバーバーチやインペレーターが、人類の「霊性」の最頂点部分を担当していたのと
事情は全く異なります。彼の役目はどこまでも、伝統的キリスト教に対してスピリチュアリズム
の霊的真理普及の道を準備し、初期的な霊的道筋をつけるということでした。

ケイシーの背後には、スピリチュアリズムにおける指導的責任を担った高級霊が控えていまし
たが、直接彼の指導に当たったのは、それほど高い霊ではありません。

 ケイシーによって、それまでアメリカの伝統的キリスト教にはなかった、「死後生の存在」(霊魂
説) 「輪廻再生の存在」(再生説) 「カルマの法則の実在」(カルマ的因果説) 「スピリチュアル・ヒ
ーリング」の可能性が示されました。

これこそが、まさにスピリチュアリズムの流れの中における彼に与えられた使命だったので
す。ケイシーによって、その後アメリカに始まるニューエイジの先鞭がつけられました。またホリ
スティック医学の前身ともいうべき動きが作り出されることになりました。
   

(2)ケイシーのリーディングとは

1万4千件にも及ぶケイシー・リーディング
 ケイシーが催眠状態で、病人の診察をしたり、あの世の情報を伝えてきたことはよく知られて
います。これが“リーディング”と呼ばれるものです。現在では、速記された1万4千件ほどのリ
ーディングが閲覧できるようになっています。

その中で最も多いのが医療リーディング(フィジカル・リーディング)で9600件、ついで多いの
がライフ・リーディングで1919件となっています。

 医療リーディングは、トランス(催眠)状態下のケイシーが患者の肉体を透視によって診察し、
治療のための処方を示したものです。それ以外のリーディングは、ケイシーが直接アーカシッ
クレコードにアクセスし、そこから情報を得たということになっています。


ケイシーの医療リーディングの情報源は
 まずフィジカル・リーディング(医療リーディング)については、それが催眠下にあったケイシー
の口から、「我々は……」といった複数形で語られている事実に注目しなければなりません。

これは情報提供者(ソース)がケイシー自身ではなく、他の複数の存在であることを示していま
す。つまり複数からなる霊的存在・霊達によって情報が送られてきているということです。

従ってフィジカル・リーディングは、ケイシー個人の存在とは全く別のところで進められているこ
とになります。ケイシーは、霊界で医療行為に携わる霊達の“霊媒”(チャネラー)に過ぎないと
いうことです。

トランス下で自分が語った言葉をケイシーは覚えていませんが、これは霊媒現象において、霊
媒に一般的に見られる傾向なのです。このことから判断しても、ケイシー・リーディングは「霊媒
現象」であることが分かります。


“アーカシックレコード”とは
 さて、このフィジカル・リーディング以外のリーディングについては、ケイシーがあの世のアー
カシックレコードを読み取り、情報を得ていたということになっていますが、その実情はどのよう
なものだったのでしょうか。

ケイシー自身は、自分が直接アーカシックレコードから情報を得ていたと思っていたようです。
彼はリーディングの中で、自分がアーカシックレコード(記録の殿堂)に至るまでの詳しい様子
を述べています。

では果たして、ケイシーは本当に、自分一人の力でアーカシックレコードにアクセスしていたの
でしょうか? まず最初に問題となるのはこの点です。……


地上人には不可能な、“アーカシックレコード”へのアクセス
 しかし結論を言えば、肉体を持った人間が、自分一人の力でアーカシックレコードから直接情
報を引き出すことは不可能です。たとえケイシーが卓越した能力の持ち主であったとしても、肉
体を持っている限りそれはできません。

幽体離脱の状態下にあっても不可能なことなのです。それは死んで霊体だけになり、肉体から
の影響を全く受けなくなった時点においてのみ、初めて可能となります。

肉体を持つことによって霊的能力に大きな制限が加えられている以上、 “アーカシックレコー
ド”という純霊的対象物にストレートにコンタクトすることはできないのです。

 アーカシックレコードにアクセスするという行為は、ケイシーが幽体離脱中に複数の霊達に導
かれて行われたことなのです。十分に霊性の発達していない人が死後、霊界入りして間もない
時には、すぐ近くで自分を導いてくれている指導霊の存在に気がつかないのが普通です。

霊界の環境に慣れるにつれ、背後の指導霊の存在を自覚するようになります。ケイシーの場
合もそれと同じで、自分の指導霊の存在に気がついていませんでした。

彼がアーカシックレコードの場に赴きそれを読むという一連の行動は、実は背後にいる指導霊
によって仕組まれたことだったのです。 指導霊がアーカシックレコードから情報を読み取り、そ
れをテレパシーによってケイシーに伝えていたということなのです。

ケイシーはこうした指導霊の存在を自覚できないまま、すべてを自分一人でしたと思い込んで
いたのです。

 さて、ここでもう一つ問題となるのは、ケイシー・リーディングにおいて、果たしてどの程度まで
が本当にアーカシックレコードからの情報であったのか、ということです。

結論を言えば、ケイシーがアーカシックレコードから得たとされる情報の多くが、単なる地上人
の潜在意識の中の知識であったり、他の低級霊の与えた偽の情報であったということなので
す。これについては後程詳しく述べることにします。


ケイシー・リーディングの本質は「霊界通信」
 いずれにしてもケイシー・リーディングは、彼が“霊媒”(チャネラー)となって霊界にいる霊が
情報を伝えるというケースと、彼が“幽体離脱”して霊界での体験や情報を伝える(*アーカシ
ックレコードからの情報も含む)という2つのケースから成り立っていることが分かります。

これらはどちらも「霊界通信」に他なりません。ケイシー自身が、霊の関与によってアーカシック
レコードから情報を入手していた事実に気づかなかったため、そのリーディングは彼独自の方
法であるかのように受け取られてしまいましたが、本当は指導霊達の関与・協力の下にあって
進められたことだったのです。

 ケイシー・リーディングは、本質的にはリーディング(*アーカシックレコードの読み取り)という
より、霊界通信と考えるべきものなのです。ケイシー・リーディングを「霊界通信」として見ていけ
ば、彼のリーディングにおける、あらゆる問題点や矛盾点が明確にされることになります。


催眠トランスに伴うさまざまな問題  ケイシー・リーディングと潜在意識の関与
 ケイシー・リーディングは、彼が催眠(トランス)状態下において行われたという事実を重要視
しなければなりません。催眠状態にあっては、次のような事態が生じる可能性があるからで
す。

霊が、催眠状態下にある地上人を霊媒として用いて語る。(霊媒現象) 
幽体離脱によって霊体であの世のさまざまな体験をし、覚醒後それを語る。 
潜在意識内にあった知識を、一見、霊界通信のように語る。 
潜在意識内にあった知識を材料として、フィクションストーリーを作り語る。 
相手の誘導に応じてニセの答えをする。ニセの人格を形成する。 
透視能力やテレパシー能力が高まり、相手の潜在意識を読み取り語る。 

 こうしたことが、ケイシーにおいても同様に存在していた可能性が考えられます。彼のリーデ
ィングを見ていくについては、それを「霊界通信」としてとらえるだけでなく、催眠にともなう「潜在
意識の作用」の点からも考慮していく必要があります。霊界通信には、常に潜在意識の介入と
いう問題がつきまとうのです。
   

(3)ケイシー・リーディングの霊的問題点  通信ソースに関す
る問題

 ケイシー・リーディングが「霊界通信」であるということになれば、これに係わる“霊”が問題と
なります。どの程度の霊がケイシーを導いていたのか、通信ソースのレベルはどの程度のもの
だったのか、あるいは通信霊(関与霊)は一人なのか複数なのか、ということが問題となってき
ます。

 ケイシー・リーディングにおける問題点の一つは、明らかに低級霊の介入が見られるというこ
とです。これについては次の予言の箇所、輪廻カルマの箇所において詳しく述べることにしま
す。

問題点の二つ目は、 リーディングの内容に霊的事実との著しい食い違いが見られるということ
です。これについても後程詳しく述べることにします。こうした二つの問題点は、ケイシー・リー
ディングには、高級霊による強力な守護態勢がなかったこと、そのために低級霊の介入を排
除できなかったことを示しています。

シルバーバーチなどの高級霊の霊界通信では、常に徹底した守護態勢・万全の態勢が敷か
れ、他の霊の介入を完全に排除します。ケイシー・リーディングには、そうした十分な態勢がな
かったのです。

このことは、それが高級霊からの通信ではなかったことを証明しています。通信の純度という
点において、大きな欠陥を持っていたことを意味しています。

 ケイシー・リーディングの中で最も多くの部分を占める医療リーディング(フィジカル・リーディ
ング)については、特別な問題点は見られません。比較的良質の通信霊(ソース)からの情報
が安定して送られてきています。

ケイシー・リーディングには、医療リーディングに見られるような比較的良質なソースと、ライフ・
リーディングや予言的リーディングに見られるような、明らかに低級霊・未熟霊と思われるソー
スからの情報が入り交じっています。

「通信霊の玉石混淆」  これがケイシー・リーディングの最大の問題点なのです。……

   

4)予言リーディングについて

予言リーディングにおける明らかな“低級霊”の関与
 ケイシー・リーディングの予言としてよく取り上げられるのが、日本やカリフォルニア沈没に関
するものです。これは一般には、「1998年に日本が沈没する」という予言として知られていま
す。

しかし彼のこの予言は、本当は「1958〜98年に変異が起こる時代に入っていく」と解釈すべ
きです。この予言に対しある者は、日本が沈没するという表現は、「経済的な下降・不況を示唆
している」と言います。

またある者は、これはあくまでも未来の可能性を示しているのであって、未来は確定している
わけではなく、「人間が責任を果たさなかった場合には、こうした天変地異が起こる可能性が
ある」ととらえるべきだと言います。

一般的にケイシーファンは、どこまでも身贔屓ともいえる立場から、彼の予言を好意的に受け
止めようとします。それはノストラダムス信奉者が、1999年7月の天変地異の予言が外れて
も、なお別の解釈を試みて、その正当性にこだわるのと相通じるものがあります。

 スピリチュアリズムの観点に立てば、そうした予言の解釈は二の次です。ケイシーの予言を
どのように解釈するかということは、本質的な問題ではありません。スピリチュアリズムでは、
予言をするという事実そのものを重要な問題点としているのです。

予言リーディングにおいては、「ハラリエル」と名乗る霊的存在が係わっていたことが確認され
ていますが、こうした低級スピリットが、リーディングに介入していた事実を問題とするのです。

これまで何度も述べてきましたが、高級霊は、地上人が解釈を巡って混乱を起こすような通信
を送ることは決してありません。また単に不安を撒き散らすような予言をすることも絶対にあり
ません。そうしたことをするのは“低級霊”だけなのです。

 以上のような点から見たとき、ケイシー・リーディングの予言には低級霊の関与が明らかで
す。なぜ1958〜98年に天変地異が始まる可能性があるというような、勿体振った、分かりに
くい、曖昧な言い方をする必要があるのでしょうか。

ケイシーの予言は、ノストラダムスの地球滅亡の予言と本質的に同じ類いのものなのです。低
級霊のカラカイ以外の何物でもありません。従って、それをどのように解釈すべきかなどという
問題ではないのです。……

 高級霊は、本当に地上人類にとって必要性がある場合以外には、決して予言などしません。
ましてや幾通りにも解釈できるような曖昧な予言など絶対にしません。 

地球規模の大変革があるなどと、わざわざ混乱を生じさせるような言い方をすること自体が、
まさに“低級霊”の本性を示しているのです。重要な問題であれば、なおさら分かりやすく丁寧
に、誤解を招かないように配慮をするのが高級霊のやり方なのです。

 ケイシー信奉者は、低級霊の罠(わな)にまんまと掛かっています。馬鹿げたことと一蹴すべ
きものを好意的に解釈し、低級霊の思う壷に嵌(はま)っているのです。
   

(5)ライフ・リーディングと、輪廻転生・カルマの法則について

ケイシー・リーディングの功績
 ケイシー・リーディングの功績は、輪廻転生の事実ならびに、それを支配するカルマの法則
(因果律)の存在を明らかにしたことです。これはライフ・リーディングの中で示されています。

ケイシー・リーディングのカルマの理論は、スピリチュアリズムにおけるカルマ理論・因果観とほ
ぼ一致しています。

「自分の行動や態度・考え方がカルマを形成し、それが次の地上人生に影響を及ぼすようにな
る」「人間は自由意志を活用することによって運命を変えることができる」「魂の進化の過程は
霊界の記録簿(アーカシックレコード)に記されている」「魂の進化については、インディビジュア
リティーとパーソナリティーを区別して考えなければならない」「地球は魂の修行場として位置付
けしなければならない」など、スピリチュアリズムの再生観・カルマ観(因果観)と同じ内容を述
べています。

この点で、ケイシー・リーディングのカルマ観は、地上の他の宗教よりも数段優れたものと言え
ます。

 こうした再生観・カルマ観は、人間の生まれ変わりを否定するキリスト教に、大きな挑戦状を
突き付けることになりました。伝統的なクリスチャンであるケイシーを使って、キリスト教の教え
に反するカルマ観を提示させた背景には、霊界サイドの意図があったものと思われます。

ケイシー・リーディングはアメリカにおいて、まさにスピリチュアリズムの「霊的真理」の普及に先
立って、霊的道を切り開くために準備されたものと言えるのです。 

ケイシー・リーディングは、再生の事実とカルマの法則の実在を人々に伝えるという大きな役割
を果たしました。ケイシー・リーディングの示した再生観・カルマ観は、こうした意味で画期的な
ものだったのです。

 しかし、ライフ・リーディングに示された全ての内容が正しいというわけではありません。理論
的な概要としては正しかったのですが、ケイシーが相談者を前にして語った具体的な“前世像”
は、およそフィクションとしか言いようがないものです。


正しい再生観とは
 さて今、私達はスピリチュアリズムによって再生の仕組みについて、かなり細部に至るまで知
ることができるようになっています。それによれば、「死→幽界→霊界の類魂の一員となる→地
上へ再生する→体験を類魂へ持ち帰る→類魂の進化」という一連のプロセスを経る中で向上
の道を歩むということになります。

このことから分かるように、再生については、霊界の「類魂」の存在を抜きにして考えることは
できません。自らが類魂の一員となることによって同じ類魂のメンバーの地上体験を共有し、
類魂全体として魂の成長をなすのです。

それと同時に、個人レベルにおいては、前世で作ったカルマを次の地上人生で償うという目的
を持っています。このように再生には二つの目的があります。
 
「類魂」の存在を抜きにした再生という事実は存在しません。「類魂」の実在を前提としない輪
廻・カルマ観は事実とは言えません。類魂の存在と、類魂を媒介とした霊的進化の実態は、ス
ピリチュアリズムによって初めて明らかにされました。ケイシー・リーディングでは、この点には
全く言及していません。

 再生を論じるについてのもう一つの重要点は、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティ
−」についてです。 この二つの区別を明確にしないところで、再生の問題を論じることはできま
せん。

再生するのは一個のインディビジュアリティーの他の部分であって、パーソナリティー(今の自
意識体)ではありません。今の私を基準とする以上、前世も再生もないのです。インディビジュ
アリティーの他の部分が地上に現れるという意味において、初めて再生があると言えるので
す。

それを地上サイドから見ると、全く別の人物(別の人間)が存在することになりますが、インディ
ビジュアリティーにおいては同じ存在であるということです。地上人がそれを実感的に理解する
のは不可能です。

なぜなら地上人にとっては“自意識”だけが自分自身と感じられるようになっているからです。
以上のような霊的観点に立ってのみ、再生の問題を正しく論じることができるのです。……

 幸いなことにケイシー・リーディングでは、このインディビジュアリティーとパーソナリティーの区
別を明確にしています。

厳密な意味では、ケイシーとスピリチュアリズムとでは食い違いが見られますが、インディビジ
ュアリティーとパーソナリティーの区別を明確にしている点については、大いに称賛されるべき
です。


空想に過ぎない具体的な“前世像”
 ケイシー・リーディングの輪廻・カルマ観は、理論的な大筋においてスピリチュアリズムと一致
しています。しかしケイシー・リーディングには、再生における絶対的な鍵である「類魂」の実在
に対する指摘・考慮が見られません。

このことは、ケイシーの再生観には根本的な欠落があるということになります。この最大の致
命傷が、次に述べる“惑星間転生”という、およそ事実とは掛け離れた転生観を作り出すことに
なりました。

 再生に関するケイシー・リーディングの第一の問題点は、ケイシーが相談者に対して指摘し
た前世が、本当にアーカシックレコードからの情報であるかどうか、ということです。これについ
ては極めて疑わしいと言わざるを得ません。

ケイシー・リーディングが指摘する具体的な“前世像”は空想に等しいものであり、地上人の好
奇心に付け入った低級霊のカラカイか、あるいは相談者の潜在意識が作り出したフィクション
ストーリーの可能性が大きいと考えられます。

 ケイシー・リーディングによって自分の前世像が分かるということが知られるようになると、そ
れを期待する相談者の潜在意識の中で、前世のフィクションストーリーが無意識のうちに作り
出されることになります。

それを低級霊が読み取って、ケイシーを利用して述べるという可能性が考えられます。あるい
はケイシーの潜在意識が自動的に反応して、相談者の潜在意識の内容を語ったものとも考え
られます。

いずれにしてもケイシー・リーディングで指摘されている前世像は、「霊的事実」から掛け離れ
たフィクションストーリーであることは明らかです。


惑星間転生について
 ケイシー・リーディングにおける輪廻・再生観の最大の特徴は、人間が惑星と地球とにまたが
って再生の過程を経るというものです。

スピリチュアリズムでは、前世と現世の間の期間は当然のこととして霊界(*場合によっては
幽界)にいるということになります。

ところがケイシー・リーディングでは、死後は霊的世界に行くことは認めつつも、その行く先を惑
星(惑星霊界あるいは霊的惑星領域?)としています。

生(地上生活)と生(地上生活)の中間世界について、占星術的な独自の解釈をしています。例
えばケイシーは、地上に生まれる前は「天王星」(天王星霊界)に住んでおり、さらにもう一つ前
の地上人生(*ベインブリッジと名乗るアメリカ人だったということです)を始める以前は、「金
星」(金星霊界)にいたと言っています。このように人間の魂は、惑星と地球の間を次々と転生
していくと言うのです。

 これは一見スケールの大きな理論となっていますが、スピリチュアリズムによって示された霊
的事実とは明らかに違っています。 「霊的事実」と照らしたとき、惑星間転生は単なる空想の
産物でしかありません。ケイシー・リーディングが描くような中間世界は事実ではありません。高
級霊がこうした輪廻観を認めることはあり得ません。


惑星間転生説の“通信霊”は誰か?
 では、この独特の惑星間転生説は、どのようなところから発生したものなのでしょうか。ケイ
シー信奉者にとっては、この輪廻観は最も誇るべきものであり、アーカシックレコードの中に示
されているということになるでしょうが……。

 結論を言えば、これは予言の場合と同様に、低級霊の通信から作られたものと考えられま
す。但し、通信霊は予言リーディングに係わった低級霊(ハラリエル)とは別の霊でしょう。通信
内容の質が全く異なるからです。ではこの場合は、どのような霊が関係していたのでしょうか。


 まず“単なる低級霊”が考えられます。こうした霊達は、地上の相談者の関心・好奇心を読み
取り、彼らの潜在意識の中に作られたフィクションを盗んだり、意図的にニセの前世ストーリー
を作り出して地上人をからかおうとします。ケイシーの背後霊団は低級霊の働きかけを排除す
ることができず、その介入を許しています。

 もう一つのケースは、幽界にいる“知的な未熟霊”です。幽界には、地上と同様の学問研究を
続けている一群がいます。彼らは霊的浄化が進まず、霊的意識が開かれていません。そのた
め地上時代と同じことを相変わらず継続しているのです。

そして自分なりの持論を出し合って議論し満足するといった、無意味な生活を続けています。
その中には、天文学に興味を持っている者や地球の歴史に興味を持っている者もいます。彼
らは地上的な意味で言えば極めて知性に富んでいるのですが、霊的進化という点では全く未
熟な霊達なのです。

そうした者達は、凶悪性があるとか、イタズラが好きというわけではないのですが、間違った偏
狭な自分の考えをさも唯一の事実であるかのように思い込み、自分の説を地上に通信したが
るのです。
   

(6)フィジカル・リーディングについて

ケイシーは単なる“霊媒”
 ケイシー・リーディングの中で、唯一信頼のおける通信と思われるのが、医療リーディング(フ
ィジカル・リーディング)です。

このフィジカル・リーディングは、催眠状態のケイシーが、相手の患部を透視して診断し、特殊
な食事療法やマッサージ、医薬品などの指示を出すというものです。トランスから覚めたとき、
ケイシーは自分の喋ったことを覚えていません。

これは透視をはじめ患者に与えられる指示が、彼自身から出たものではないことを意味してい
ます。 (*サイキックによる透視ではないということです。)

このリーディングの一連のプロセスは、霊界の医師達によって進められたものであり、それを
ケイシーの口を通じて伝えたのです。

つまりケイシーは単なる“霊媒”の役割を果たしたに過ぎません。ケイシー・リーディングによる
ヒーリングは、驚異的とも思われる高い治癒率を上げ、人々の評判になりました。


治療実績を上げられない後継者達
 ケイシーの治療に限らず「心霊治療」では、常識では考えられないような驚異的な治癒率を
上げています。こうした実績があればこそ、医学界から激しい批判や攻撃がなされても生き延
びることができたのです。

目覚ましい治癒率こそ、心霊治療における生命線と言ってもよいでしょう。多くの現代人がケイ
シーの継承者を目指すのは、彼のリーディングが他の治療に比べて治癒率が高かったからで
す。ところが現在では、その肝心な治療実績を上げられなくなっているのです。


ケイシー治療の本質は「心霊治療」
 現代の後継者達は、どうして“師”であるケイシーと同じような実績を上げられないのでしょう
か。実はここに「心霊治療」の本質が隠されているのです。

心霊治療は、単に物質的な視点からのみ見ていると、その本質を理解することはできません。
霊的な視点から見て、初めて心霊治療の実態は理解されるようになっています。

「心霊治療」において最も重要なことは、実質的なヒーリング操作が霊界の医者によって進め
られているということです。主役はいつも霊界の医師達であるということです。

 それと同時にもう一つの重要な要素は、病気は治るべき時期がきて初めて治るということで
す。一定の苦しみの期間を経てカルマが消滅すると、患者は背後霊によって心霊治療師のも
とに連れて来られます。

治るべき時期のきた人が、霊界の人々によって連れて来られるのです。従って、心霊治療が
結果的に高い治癒率を上げることができるのは当然のことです。優れた心霊治療には、例外
なくこのような“霊的背景”があります。

 心霊治療においては、地上の人間の目には奇跡と映ることも、すべて「霊的法則」に基づい
てなされています。霊的摂理を外れた治癒は実在しません。

霊的法則を無視した奇跡は、神の造られた世界には存在しません。ケイシーの治療において
も状況は全く同じです。実際には奇跡は一度も生じていなかったのです。

 こうした事情を考えてみると、現代の後継者達が、単にケイシーと同じ治療法をしたとしても、
高い治癒率を上げられないのは当然のことです。

大半のケイシー後継者は、心霊治療についての最大の法則を全く知らないところで、ただ外見
だけを真似ているに過ぎません。肝心な霊界の応援のないところでは、心霊治療の実績は上
げられないようになっているのです。

 ケイシーは、治療には直接的な係わりを持ってはいません。ケイシーは単なる「霊の道具」に
過ぎません。霊界の医師達が患者の治療法を考え、それをケイシーを通じて地上人に伝えて
いたのです。

現在の「心霊治療」では、霊界の医師達が地上のヒーラーの身体を介して、治療エネルギーを
患者に注ぐという方式を取っています。

ケイシーの背後にいた霊界の医師達は、彼を通じて患者に治療法を教えましたが、今では霊
界の医師達が地上のヒーラー(霊媒)を通じて治療エネルギーを送り、患者の病気を直接治療
するようになっています。


時代遅れになったケイシー治療
 ケイシーのリーディング(ヒーリング)では、患者に対する診断・治療法の指示はすべて霊界
の医師達がしていました。その際、患者のカルマや霊的身体の質、肉体の質といった要素が
残らず考慮され、最も効果的と思われる治療法が指示されたのです。

霊界では今でも、こうした医師達による研究が進められています。そのため霊界での医学レベ
ルは、年々進歩向上しています。これは地上の医学が、30年前と現在では全く違うことと同じ
です。

従ってケイシーの時代の治療法は、現在では霊界でも時代遅れとなっています。さらに考慮す
べき点は、ケイシーのリーディングによる指示は、当時の人々に向けてなされたものであると
いうことです。

その時代のアメリカ人と現代のアメリカ人とでは、生活スタイルや環境・食生活が異なり、それ
に応じて肉体の質が変化しています。一般的には、当時の人々よりも現代人の肉体は悪化・
劣化しています。この点からも、ケイシーの指示が現代人には向かないことは明らかなので
す。
 以上述べたような「心霊治療」の本質を理解しないところで、ケイシーのリーディングを上辺だ
け真似たとしても、高い治癒率を上げられるはずはありません。その努力の多くが無駄になり
ます。

たとえケイシー信奉者が現在でも高い治癒率を上げていると主張しても、それが苦しい弁明で
あることは現実の実績が示しています。治療法だけに限って見るならば、現在では他にはるか
に優れた方法があります。

そうした状況を客観的に観察した現代ホリスティック医学の権威「アンドルー・ワイル」は、ケイ
シー現象は彼の死とともに終わったのだと断言しています。実に適切で的を得た指摘です。…

   

(7)ケイシーのリーディングについてのまとめ

 以上、ケイシーのリーディングを、スピリチュアリズムの観点から検討してきました。彼のリー
ディングが人々に注目された理由として、次の3点があげられます。

1万4千件にも及ぶリーディングが、文字として残されてきたこと 

輪廻転生・カルマの法則、アトランティス古代大陸、天変地異の予言、アーカシックレコードとい
った話題性のあるテーマが多く登場したこと  

医療リーディングにおいて、驚異的・奇跡的なヒーリング実績を上げたこと

 しかしこれらは、どこまでも地上人にとっての興味・好奇心に訴える要素があったということで
あって、「霊界通信」としてのレベルの高さを示すものではありません。

むしろ霊界通信として見たとき、ケイシーのリーディングには極めて多くの不純物が含まれてい
ます。上質な霊界通信とはとても言えません。リーディングについては、その内容を厳しくチェッ
クする必要がありますが、ケイシーのリーディングには、あまりにも“低級霊”からの通信と思わ
れるものが多いのです。

どれがまともなソースからの通信であり、どれが低級霊からのものなのかという、厳格な区別
をしなければなりません。

 しかし、ケイシーのリーディングの内容を地上人の立場から分析することは、ほとんど不可能
に等しいのが実情です。そのためにはどうしても、信頼のおける「霊的基準」が必要になりま
す。

それこそが、スピリチュアリズムによってもたらされた「霊的真理」なのです。スピリチュアリズ
ムを措(お)いて、 ケイシーのリーディングを上から見ることができる物差しはありません。

通信内容を判別する鑑識眼がなければ、低級霊や未熟霊からの通信を好意的に受け入れる
ことになってしまいます。内容が理論的であることや分量が多いことが、質の高さを決定するの
ではありません。

 初めに述べたように、ケイシーには、スピリチュアリズムの計画の中での使命が与えられて
いました。それは当時のアメリカ人に、キリスト教にはなかった「霊的真理」を示すことによっ
て、スピリチュアリズムの道を準備することでした。

確かにケイシーのリーディングには低級霊の介入による多くの間違いがあり、そして、それら
が実際に人々に混乱を与えてきました。

しかしそれとは別に、高級霊によって大きな目的に向けての計画は着々と進められてきまし
た。スピリチュアリズムの準備をするという大目標を優先する中で、計画は進展してきたので
す。

 ケイシーのリーディングのお蔭で、アメリカにおいて再生やカルマについての意識が広められ
ました。心霊治療がサタンの業として見られることも少なくなりました。

こうして彼のリーディングは、現在の“ニューエイジ”並びに“ホリスティック医学”に先鞭をつけ
ることになりました。ケイシーのリーディングの真価はニューエイジに引き継がれ、やがて近い
将来、「スピリチュアリズム」の中に吸収されることになるでしょう。


釈迦(シャカ)は今?


 霊界通信では、たびたび「イエス」について語られます。ニューズレター8号では、そうした霊
界通信によって明らかにされた、霊界でのイエスの様子について述べました。さて、地上の三
大宗教の創始者としてイエスと並び称されるのが「釈迦」(シャカ)です。

大半の日本人にとっては、シャカはイエスより身近な存在と言えます。ところが高級霊界通信
の中で、シャカについて語られることはほとんどありません。一方、最近の新新宗教では、シャ
カの再生者を名乗る教祖が登場したり、シャカからの霊界通信を受信するといったことが行わ
れています。

私達のサークルにも、「今、シャカは霊界でどのような位置にあり、何をしているのでしょうか」
「スピリチュアリズムでは、シャカをどのように考えたらよいのでしょうか」といった質問が寄せら
れています。

 シャカが地上に誕生してからほぼ2500年がたちました。その間、シャカが生前説いた教え
は、多くの学者や宗教家によって研究されてきました。ここでは「霊的事実」という観点から、シ
ャカの実際の姿に迫ってみたいと思います。スピリチュアリズムでなければ知ることができな
い、シャカの実像を見ていきたいと思います。


イエスとシャカの違い
 シャカについて質問する人々の多くが、シャカをイエスと並ぶ聖人として位置付けしています。
仏教徒にとって、シャカは悟りを得た地上最高レベルの人物(覚者(かくしゃ))であり、歴史的
に傑出した人物ということになります。

時には、私達普通の人間を寄せ付けないほどの超能力者として考えられることもあります。イ
エスも立派であったかも知れないが、シャカもそれに劣らず立派な人物であったと思っていま
す。

 しかし結論を言えば、そうした評価はすべて地上サイドのものであって、必ずしも真実を言い
表してはいません。

このような問題の真の回答は、「霊的事実」および「霊的真理」の観点からなされなければなり
ません。霊的視点に立ってイエスとシャカを比べてみるとき、この二人の聖人の間には、極め
て大きな違いがあるのです。

 第一に、イエスとシャカでは、その霊的背景において著しい隔たりがあります。イエスの霊的
背景についてはすでにニューズレターで述べましたが、イエスは特別な使命のもとに地上に誕
生した高級天使でした。

イエスは神格的霊性を持ちながら、地上人として生まれました。こうした高級天使が地上人とし
て受肉するようなことはめったにないことですが、イエスの地上降臨は、その稀なケースの中で
もさらに特別なケース、人類史上、空前絶後の奇跡とも言うべき出来事でした。

イエスにはこのような極めて重大な霊的背景があったのです。イエスの「霊格」は人類史上、無
条件に傑出したものでした。そうしたイエスを天に属する人間とするならば、シャカは地に属す
る人間ということになります。

 第二に、霊能力においても、イエスはシャカを始めとする他の聖人の追随を許さない立場に
立っていました。イエスは地上にありながら、霊界の天使や霊界人と自由に交わることができ
ました。イエスほど霊界の事実に精通した人物は存在しません。

一方、シャカの霊能力は普通一般の地上人と大差がなく、イエスと比べ明らかに劣っていま
す。シャカはイエスのように、霊界の存在を明確に知ることはできませんでした。

死後の世界の問題は地上の人間にとって最大の関心事ですが、その重要な問題について、シ
ャカは明確な回答を示すことができなかったのです。

 第三に、イエスは一度かぎりの地上人生を送り、死後はそのまま高級霊界に直行しました。
イエスは初めから、地上世界での霊的成長のプロセスを必要としない「霊格」を備えていまし
た。

それに対し、シャカは死後、何度か地上への再生のプロセスを踏まなければなりませんでし
た。シャカは私達と同様、霊的成長のために幾度かの地上人生を繰り返さなければならなかっ
たのです。

古代インドの輪廻転生思想によれば、人間が一定の霊的成長をなしたときには輪廻のサイク
ルから脱け出し、二度と地上に生まれ変わることはなくなります。「覚者」とは輪廻のサイクルを
脱した高貴な人間のことです。

その意味からすれば、イエスはまさに初めから覚者であり、一方シャカは覚者のレベルには至
っていなかったということになります。地上時代のシャカは、自ら悟りを得て覚者になったと思っ
ていたようですが、実はそれは“錯覚”であったということになります。再生の観点から見たと
き、イエスとシャカの違いは明らかです。

 以上、イエスとシャカを比較してきましたが、こうした点から判断すると、イエスとシャカの霊
格・霊的レベルは天と地ほどの開きがあったことが分かります。

仏教徒がシャカをイエスと同列において考えるのは、彼らに霊的視点がないためであり、ただ
彼らの希望を言っているに過ぎないということです。

それは霊界の事実から出たものではなく、単なる地上的な判断に過ぎないということなので
す。


地上時代の「シャカ」という人物は、霊界には存在しない
 「シャカは今、何をしているのか」と考えるとき、皆さんがそこに思い描いているシャカとは、2
500年前にインドに生まれ、修行の末に悟りを開いたと言われる一人の聖人のことです。

おそらくは仏教絵画や仏像によってイメージされるシャカを思い浮かべておられることでしょう。
しかし、皆さんが考えるそうした「シャカ」という人物は、霊界のどこにも存在しません。シャカと
名乗った2500年前の一人のインド人は、霊界のどこを探してもいません。……

 すでに度々スピリチュアリズムの「霊的真理」を通して、再生に関する事実を学んできました。
再生について理解するためには、インディビジュアリティーとパーソナリティーの違いを正確に
把握することがどうしても必要です。

私達地上人は、パーソナリティーとしての“地上の人物像”しか見ることができません。そのた
め、再生を全てパーソナリティーの観点からのみ判断してしまうことになります。

地上人の視野からでは、再生現象のごく一部、物質次元に現れた部分しか理解できないの
に、それだけを再生の全てであるかのように勘違いしてしまいます。

再生について正しく理解するには、霊界人と同じような視点から見ていかなければなりません。

 パーソナリティーとは、地上世界だけに現れる大我(インディビジュアリティー)の一部分・一
側面に過ぎません。霊界にいるシャカを2500年前のインド人として考えるのは、パーソナリテ
ィーの視点に立った見方です。

地上だけのパーソナリティー(人物像)は肉体の死とともに消滅するのです。霊界においてシャ
カは今、2500年前にその一部をインドでシャカとして顕現させたことのある「霊」として存在し
ています。

その霊こそが、シャカの「大我・本体霊」なのです。その霊にとって、かつてのシャカとしての地
上的人格は、残滓(ざんし)のようなものに過ぎません。 地上時代のシャカ像とは、以前着てい
た衣服のようなものなのです。……


霊的真理に無知だった地上時代の「シャカ」
 シャカが生前に説いた教えは、スピリチュアリズムの「霊的真理」から余りにも大きく懸け離
れています。その最たるものが、死後の魂と死後の世界の実在についてです。シャカは常住不
変の実体の存在を否定しました。

このシャカが否定した不変の実体とは、スピリチュアリズムで言う「霊魂」に他なりません。霊魂
の存在は、スピリチュアリズムにおける最も基本的な真理です。生前のシャカは、スピリチュア
リズムの基本であり、最重要な真理  「霊魂の実在」を否定したのです。

このように地上時代のシャカは、根本的な間違いを犯しました。シャカは、自己という実体がな
い以上、死を恐れる必要はないし、『縁起の法』を理解することによって死の恐怖にとらわれる
ことはなくなるとしました。

こうした道理によって、シャカは死の恐怖や人生の苦しみからの克服を図ったのです。しかし、
これはスピリチュアリズムの立場からすれば、単なる屁理屈・詭弁に過ぎません。

シャカの弟子の中には、シャカに“死生観”についての疑問をぶつけた者もいます。マールクン
ヤという青年修行者が、次のような質問をしています  「身体と霊魂は一つであるのか、別な
のか」「人間は死後も存続するのか、しないのか」シャカはこの質問に対して沈黙を続けます。

そこでマールクンヤはシャカに詰め寄り、さらに答えを求めました。シャカはそうしたマールクン
ヤを厳しく諌(いさ)め、『毒矢の譬え』を説くことになります。シャカは  「現実に苦悩の矢に当
たって苦しんでいるのに、世界は常住であるのかどうかとか、魂は永遠であるのかどうかなど、
おかしな話ではないか。

まず毒矢(苦悩)を取り除くこと、すなわち苦悩を解決するのが先決である」と答えます。そして
そのために示した解決方法が『四諦(したい)の教え』でした。

 こうしたシャカの論法は言うまでもなく、「霊的事実」に対する無知から出たものです。もしシャ
カに霊界や霊魂を見ることができる能力があったなら、このような返答など決してしなかったは
ずです。

マールクンヤがシャカに投げかけた質問こそ、人間として最も率直でまともなものでした。それ
に対するシャカの答えや『毒矢の譬え』は、まさに詭弁以外の何物でもありません。シャカの観
念的な無我説と輪廻転生観は、明らかに論理矛盾を露呈しています。

そして、その矛盾がシャカの死後、唯識学派の弟子達による『アーラヤ識』という難解複雑な形
而上学を作り出すことになってしまったのです。シャカが2500年前に犯してしまった間違い
は、現代に至るまで影響を残すことになってしまいました。


仏教の教えは、死後直ちにシャカ自身によって捨て去られた
 地上時代のシャカは、自分が悟った真理に自信を持っていたようです。しかし死後、霊界に
入るやいなや、地上時代に説いた教えがあまりにも偏り、真実から大きく懸け離れていたこと
を知るようになりました。

霊界という事実の前に、地上での考えは根底から覆されました。その結果、死後数年もしない
うちに、かつて説いたほとんど全ての教えを自ら否定することになりました。

従って、仏教はシャカ自身によって、すでに2500年前に葬り去られているのです。シャカは同
時に、自分が悟りを得て覚者・仏陀となったと思ったことも間違いであったことに気がつきまし
た。

そしてシャカは、現在私達が信じているスピリチュアリズムの「霊的真理」と全く同じものを受け
入れるようになったのです。シャカは霊界に入り、それほど時間が経たないうちに“スピリチュ
アリスト”になったのです。

 ところが地上の状況は、こうした霊界でのシャカの動きとは全く逆の方向に進んでいってしま
いました。

シャカ自らがすでに自分の説いた教えを変更しているにもかかわらず、地上の弟子達はそれ
に固執し、さまざまな解釈を施し、難解なだけで真実ではない教義を作り上げることになりまし
た。

そうした的外れな努力が、現代に至るまで延々と2000年以上にも渡って続けられてきたので
す。何という滑稽なことでしょうか。……


シャカからの霊界通信?
 こうした事情を知ってみると、21世紀を迎えようとする現代に、霊媒を通じて「シャカ」と名乗
る人物が出てきて、地上時代のシャカと同様なことを語るというのは、明らかにおかしなことで
す。

また霊界通信によって、2500年前にシャカが地上で説いたのと同じような教えが届けられる
というのも、決してあり得ないことです。 シャカと霊通したとか、シャカが霊界通信で地上時代
の教えを説くようなことがあるとするなら、その全てを疑ってかかるべきです。……


一高級霊として、イエスのもとで働く「シャカ霊」
 2500年前、シャカとして地上に顕現し仏教を創設することになった一個の霊は、その後、再
生のプロセスを経る中で霊格向上の道を歩んできました。その結果、現時点では高級霊の一
柱に至っています。

さて霊界にいる高級霊で、現在「イエス」を頂点とする地上浄化の大事業に関係を持たない者
は一人もおりません。シャカ霊もその例外ではありません。

「シャカ霊」は、現在スピリチュアリズムに係わる何らかの使命を与えられ、地上人類救済のた
めに貢献しているはずです。私達がシャカについて語るのを許されるのは、ここまでです。

 シャカについて、これ以上のことをあれこれ詮索したり知ろうとする必要はありません。そうし
た関心は、単なる低俗な好奇心以外の何物でもありません。シルバーバーチが決して地上時
代の身元を明かさなかったように、いかほど霊界における「シャカ」の立場を詮索しても、正し
い答えが得られることはないのです。



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