◇ニューズレター9号 (抜粋)
2000年4月



目 次

どちらでもよいことに、いつまでも関心を
向けていてはなりません。 
      ・重要なものと、どちらでもよいもの
      ・どちらでもよいもの(1)――交霊会・霊現象・超能力
      ・どちらでもよいもの(2)――自分の前世
      ・どちらでもよいもの(3)――守護霊の身元
      ・どちらでもよいもの(4)――予知・予言
      ・どちらでもよいもの(5)――占い・運命鑑定・占星術
      ・どちらでもよいもの(6)――夢分析・夢占い
      ・どちらでもよいもの(7)――クリスタル・魔よけ・お守りグッズ 
霊界における時間と空間について
ニューエイジのパラレル世界観の虚構 
      ・霊界は時間と空間がない世界?
      ・スピリチュアリズムの“時間論・空間論” 
霊界ラジオは果たして可能か?
ITC(現代版霊界ラジオ)について 
      ・ITCの実験は“交霊会”と同じである
      ・ITCの今後の課題――交霊会と同様の問題点の克服 
≪≪皆さんのご質問にお答えして≫≫ 


ニューズレター



どちらでもよいことに、いつまでも関心を向けていてはなりません。



重要なものと、どちらでもよいもの
 私達地上の人間にとって最も大切なことは、「魂を成長させる」ということです。地上人生の目
的は、それ以外にはありません。この「魂の成長」を基準にして、私達の関心の対象は、大きく
三つに分類されます。

まず一つ目は、魂の成長にプラスとなる重要なものです。二つ目は、魂の成長に関係しない、
どちらでもよいものです。三つ目は、魂の成長にマイナスとなるもの、間違ったものです。優れ
た霊界通信になればなるほど、その内容は魂の成長にプラスとなる重要なものだけに占めら
れるようになります。

それに対しレベルの低い霊界通信(チャネリング)には、どちらでもよいものが多く含まれ、単
なる好奇心の対象といった傾向が強くなります。

 どちらでもよいものとは具体的に言えば、心霊現象・交霊会・超能力・自分の前世・守護霊の
身元・未来予知・予言・占い・運命鑑定・占星術・夢分析・夢占い・魔よけグッズ・お守りグッズな
どです。また宇宙人・UFO・アトランティスやムーなどの超古代大陸文明も、どちらでもよいもの
です。

 こうしたものへの関心は、それが単に軽い興味のレベルに止まっている限りは、魂の成長に
特に大きな害を及ぼすことはありません。しかし、それが過度の関心・執着へとエスカレートし
ていくならば、確実に魂の成長にマイナスの影響を与えるようになります。

霊的成長のために努力し、地上人生の苦しみに正しく対処するためには、「霊的真理」にしが
みつくような真剣さが必要とされます。すべてのエネルギーをそのために向ける姿勢が要求さ
れます。

どちらでもよいことに意識を向け、多くのエネルギーを費やすとするなら、最も肝心な内的努力
にエネルギーを傾けることはできなくなります。それではかけがえのない地上人生が、無意味
で無駄なものになりかねません。

 現在のニューエイジや精神世界ブームにおける大きな問題点は、霊的真理から外れたも
の、魂の成長とは無関係なものへの関心が強すぎるということです。せっかく霊的世界へ意識
が向き始めたにもかかわらず、どちらでもよいことに過剰なエネルギーを注いでいるために、
霊的成長という最も肝心な点がぼかされてしまっています。

どちらでもよいものが、さも重要なものであるかのごとく錯覚されています。残念なことに、スピ
リチュアリズムの中にも、そうしたどちらでもよいものに多大な関心を向けている人々が見られ
ます。
 スピリチュアリズムにたどり着くことができた人々が、いつまでも意味のないものに関心を持
ち続けていてはなりません。私達が高級霊に信頼される「良き地上の道具」となるためには、ス
ピリチュアリズムの中から、こうした不純物を取り除いて、真に霊的価値のあるものだけで心を
占めるようにしなければなりません。

魂の成長に何の益もないものへの関心は一刻も早く卒業して、大人の信仰者としての道を歩
み出すべきなのです。いつまでも玩具にこだわり、興味を持っていてはなりません。

 以下では、どちらでもよいものを一つ一つ取り上げ、それをスピリチュアリズムの「霊的真理」
の観点から考え、整理してみたいと思います。


どちらでもよいもの(1)  交霊会・霊現象・超能力


 ニューズレターを通じてこれまで何度も述べてきましたように、交霊会や霊現象は、いまだ死
後の世界や霊の存在を信じられない人々においてのみ意味を持つのであって、すでにこれら
の存在を確信している人々にとっては、一切必要のないものです。

そうした霊的レベルに至っている人(時のきた人)が霊的真理に出会うと、直ちに高い世界を
目指して霊的人生を歩み出すようになります。その人の関心は初めから「信仰実践」であって、
交霊会や霊現象などはどちらでもよいのです。

それは現象レベルのことが必要とされる段階を、とっくに卒業しているということです。心霊現
象より心の成長や生き方に関心を持つということは、その人の「霊性」が高いことを示していま
す。
  ……スピリチュアリズムに導かれ「霊的真理」を知った以上、交霊会・霊現象・超能力に対
しては、それらを当然のものとして認める一方で、決して特別な関心を向けないことです。それ
が私達の正しい姿勢なのです。

心を清く保ち、誠実な霊界の道具としての歩みを通じて高級霊の援助を受けられるようになる
ことこそが、真に「最高の霊現象」と言えるのです。


どちらでもよいもの(2)  自分の前世


 これについては、すでにニューズレター5、6号(退行催眠と前世療法)で詳しく述べましたの
で、ここでは簡単に触れますが、「自分の前世を知りたい」という思いの根底には、前世の自分
が立派であったことを確信したいという“虚栄心”があります。

前世にこだわる在り方は、魂の成長にとって何の役にも立たないどころか、大きなマイナスを
引き起こします。今の苦しみや自分の内容(霊的レベル)は、これまでの前世で培ってきた結
果であるということが分かれば、自分の前世が何であったかなど、あえて問う必要はありませ
ん。

そうした外面的なことはどちらでもよいのです。今の心の持ち方だけが問題なのです。
 退行催眠やリーディングによって知ることができると言われる前世像が事実でないことは、何
度も述べた通りです。

フィクションであっても夢がある方がいいという人には、どうぞご自由におやりくださいとしか言
いようがありませんが、「霊的真理」が与えられた以上、いつまでも自分の前世探しに関心を向
けるような幼稚なことをしていてはなりません。


どちらでもよいもの(3)  守護霊の身元


 自分の守護霊が誰なのかを知りたい、という人も多く見られます。シルバーバーチはそうした
質問に対して  「あなたにも立派な守護霊がいて、導いてくださっていることが分かるだけで
十分ではないですか。名前を知ってどうなるのですか」と一蹴しています。

シルバーバーチのこの答えは、そのまま私達に向けての言葉でもあります。私達は守護霊に
対して感謝の思いを持たなければなりません。そして必要な時には助力を求め、また寂しい時
には慰めを求めるべきです。このように心情的に、自分から守護霊に接近していく努力が必要
です。

 しかし守護霊の名前や身元を知る必要はありません。守護霊が誰であるのかは、私達が死
んで霊界に行けば明らかになることです。

守護霊の身元に異常に固執する人の心の内には、守護霊が立派であることを通して、自分が
立派であること、特別な人間であることを自慢したいという幼稚な“自己顕示欲”があります。そ
ういう人は、自分の前世同様、守護霊にも歴史的な有名人であることを願うものです。

ニューエイジでは、自分の背後霊がレッド・インディアンであることがステータスとして流行しまし
たが、これも守護霊の身元にこだわるのと同様に、霊的真理に対する無知と精神的な未熟さ
を示しています……。


どちらでもよいもの(4)  予知・予言


 ……未来予知という現象は現実に存在します。そして時には、かなり正確に未来の出来事を
言い当てます。霊界では、地上への再生に先立って選択した人生の大枠や性格(地上の人物
像)、あるいは行動パターンを総合的に考慮し、因果律の観点から、当人(地上人)の未来の
方向性をかなり正確に予測することができます。それが霊能力者や超能力者を通じて地上に
知らされるものが予知なのです。

 しかし実際には、巷で見られる予知・リーディングの類いは、ほとんどいい加減なものであり、
人々の無知に付け込んだイカサマと言うべきものが大半です。まさに低級霊に絶好の暗躍の
場を提供するものとなっています。高級霊が地上人の安易な好奇心に応えて、未来を知らせ
るようなことは決してありません。


どちらでもよいもの(5)  占い・運命鑑定・占星術


 ……シルバーバーチは、占いや占星術をはっきりと否定しています。生年月日と運命の関係
をきっぱりと否定しています。四柱推命術は、生年月日・時間から運命を割り出す最も的中率
の高い推命術として、ここ20年ぐらいの間、日本やアジアで大変な流行を見ました。

しかしシルバーバーチは、それを「霊的事実」の観点から完全に否定しています。またシルバ
ーバーチは、天体が地上の人間に及ぼす影響についても、無きに等しいわずかなものである
と断言しています。これは星の影響力が地上人の運命を支配すると考える“占星術”の全面否
定です。

 天体は全く人間に影響を与えないわけではありませんが、その影響力は、人間の意志のカと
比べれば比較にならないほどの微々たるものであり、無視すべきものなのです。私達の決意・
意欲・努力こそが、人生に決定的な影響を与えます。霊は本来、物質によって影響されるよう
にはなっていません。

霊の力は、天体による物質的な影響を完璧に打ち消すことができるのです。占いや占星術は
「霊的真理」に対する無知から生じたものです。人間が本来“霊的存在”であることを正しく認識
できないところから編み出されたものなのです……。


どちらでもよいもの(6)  夢分析・夢占い


 ……私達は一人の例外もなく毎晩“幽体離脱”して、あの世を旅行したり、縁のある人と会っ
たり、幽界でさまざまな教育を受け、活動しています。またいろいろな娯楽を楽しんだりしてい
ます。

それが夢として自覚されることがありますが、そうした夢の場合は目覚めた時、実に心地よさ
を感じます。そして鮮明に思い出すことができます。また霊界において学んだこと、教えられた
ことが目覚めてから、すばらしいインスピレーションとして脳裏に浮かび上がってくることもあり
ます……。

 私達が日頃みる夢のすべてが、幽体離脱中の体験に基づくものというわけではありません。
夢の多くは、潜在意識に蓄積した観念の反映であったり、潜在意識によるフィクションであった
りします。

昼間会った人が出てきたり、テレビで見た場面が再現されるような夢はほとんどがこのケース
で、単なる想像的産物に過ぎません。退行催眠で、潜在意識がさまざまな情報を組み立てつな
ぎ合わせてフィクション・ストーリーをつくり出すのと同じようなことが、睡眠中に“潜在意識”によ
って行われるのです。

 また高い所から急激に落ちるような夢を見ることがありますが、それは離れていた幽体が肉
体の中に戻る時の感触です。また病気による肉体的な苦痛や、過剰なストレスによる精神的
苦痛が反映して悪夢となることもあります。

また前夜食べ過ぎの状態で眠りについたり、部屋の温度が暑すぎる時なども、肉体の悪いコ
ンディションが悪夢を引き起こすことがあります。このように夢の原因は種々さまざまです。
 さて、こうした夢を分析したり占いの手段とすると、とんでもない的外れをしでかすことになり
ます。

夢に必要以上の関心を向けることは間違いです。時には睡眠中に、霊界の霊によって近い将
来に起こり得る出来事・事件の可能性を教えられることがあります。それを首尾よく覚醒後に
思い出した時は、正夢であったとか、夢の予知が当たったということになります。

しかし、それはめったに起こることではありません。たとえ将来の出来事を予知する夢であった
としても、すべて霊的真理で整理し対処すれば、特に恐れたり脅えたりする必要はありませ
ん。

 また時には、低級霊によって恐怖心が吹き込まれ悪夢がつくられることがあります。しかし夢
はどこまでも夢に過ぎません。夢にどれほどリアリティーがあり死ぬほどの恐怖が迫ってきたと
しても、現実ではない以上、それにとらわれてはなりません。

悪い夢を見たから不吉なことが起こるというようなことは決してありません。地上にいる以上、
覚醒時における正しい心の持ち方、霊的真理にそった人生の姿勢がすべてなのです。


どちらでもよいもの(7)  クリスタル・魔よけ・お守りグッズ


 ……クリスタルや魔よけのネックレスを身に付けるようになった途端に、急に運勢が良くなっ
たとか、不幸がなくなったという話をよく耳にします。こうしたことが現実にあるために、多くの
人々が大金をはたいてお守りグッズを買い求めるのです。

 実はこうした霊験らしきものは、すべて霊界の低級霊によって引き起こされたものなのです。
魔よけの威力を信じる地上人の思念が、こうした低級霊を引き寄せるのです。クリスタルやグ
ッズにカがあると信じる低俗な精神に付け入って、地上人をからかい、弄(もてあそ)ぼうとしま
す。

低級霊はクリスタルやグッズそれ自体に感応するのではなく、それを信じる人間の間違った思
いに感応するのです。

低級霊は初め、わざと霊験があるかのような状況をつくり出します。そうして地上人の心をしっ
かり洗脳して後、時間をかけて翻弄し、最終的にその地上人を奈落の底に落とそうと謀りま
す。

邪霊を避けようとして高価なお守りグッズを買ったことで、かえって低級霊を引き寄せるという
皮肉な結果を招くのです。

 スピリチュアリズムの「霊的真理」を手にした私達にとって、クリスタルも魔よけグッズも一切
必要ありません。何の意味もない迷信として一蹴すべきなのです。どちらでもよいような玩具に
いつまでもすがるような、馬鹿げたことを続けていてはなりません。

スピリチュアリズムは「霊的事実」を人類に示すことによって、地上世界に延々と続いてきた魔
よけグッズ信仰を、地上から一掃させようと働きかけているのです……。
 

霊界における時間と空間について
ニューエイジのパラレル世界観の虚構 




霊界は時間と空間がない世界?
 よく霊界には時間と空間がないと言われます。この点において、霊界は地上世界と根本的に
違っています。時間がないとするなら、過去も現在も未来もないことになります。

過去・現在・未来は一つであって、過去の自分も、現在の自分も、そして未来の自分も、同じ一
つの現存在ということになります。そこには、今の私と未来の私が同時に存在しているのです
から、当然、未来の予知は可能ということになります。

 霊界に対する知識が普及するにつれ、現在ではこのような理解をする人が多くなっていま
す。しかし結論を言いますと、今述べたような考え方は事実ではありません。「霊的真理」に照
らした時、明らかに間違っています。

“時間論・空間論”はスピリチュアリズムにおいても重要なテーマの一つです。もし時間論・空間
論についての正しい理解がないところでは、先に述べたような間違った解釈がなされることに
なります。実際に、スピリチュアリズムに係わる人々の中においてでさえ、間違った時間・空間
論が受け入れられています。多くのスピリチュアリストが、この点で大きく混乱しています。


スピリチュアリズムの“時間論・空間論”


 スピリチュアリズムにおける「時間論・空間論」はどのようなものでしょうか。霊界には時間・空
間がないということになれば、それはどのような世界として考えたらよいのでしょうか。もし本当
に時間と空間がないとするなら、現在・過去・未来は同一のものと理解しても、間違いではない
ように思えます。

幸いなことに、シルバーバーチはこうした問題に対する重要な手掛かりを与えてくれています。
シルバーバーチの言葉を引用しながら、霊界における時空の問題について考えてみましょう。

 シルバーバーチも、霊界には時間というものがないと言っています。しかし、それをそのまま
文字通りに受け取ると、これまで述べたような間違いをしでかすことになります。

まともな理性の持ち主ならば、とても納得できないような奇妙な結論にたどり着くことになってし
まいます。

 時空の問題について正しく理解するためには、シルバーバーチが述べている、次のような言
葉に注目しなければなりません。


こちらには、あなた方がお考えになるような時間がないのです。
                                          〈シルバーバーチ5・48〉


地上と同じ意味での時間はないのです。こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言い換
えれば、経験していく過程の中で、時の流れを感じ取ります。

一種の精神的体験です。霊界の下層では生活に面白味が乏しいですから、時間が永く感じら
れます。上層界では  むろん比較上の問題ですが  快い活動が多くなりますから短く感じら
れます。
                                        〈シルバーバーチ2・146〉

 このシルバーバーチの言葉から明らかにされるのは、霊界には地上のような時間はないとい
うことです。霊界には地上と同じような時間はないが、ある種の時の流れ、すなわち私達地上
人が感じるような時間の流れに相当するものは、霊界にもあるということです。

シルバーバーチは、あの世には時間が全くないと言っているわけではありません。地上のよう
な時間はないと言っているのです。そこが重要な点なのです。

 霊界に関心を持つ多くの人々は、霊界には時間の流れに相当するものさえも一切存在しな
いと思っていますが、それは間違いです。そうした間違った理解から、SFまがいの奇妙な世界
観・形而上学を信じてしまうようになるのです。

霊界にも、主観的な時の流れ、ある種の時間はあります。それなくしては、一切の因果律も、
人類の霊的な成長・進化も存在しないことになります。
 シルバーバーチは、さらに次のように述べています。


  霊の世界には時間はないというのは本当でしょうか。            (質問)

私たちの世界の太陽は昇ったり沈んだりしませんから、夜と昼の区別はありません。従ってそ
れを基準にした時間はありませんが、事物が発生し進行するに要する時間はあります。私も本
日この場所へやってまいりました。それには時間が掛かりました。
                                           〈最後の啓示・183〉

このシルバーバーチの言葉から、霊界にも主観的な時間の流れ・主観的な時の経過があるこ
とが明らかになります。また霊界には空間がないと言われますが、これも時間と同様に理解し
なければなりません。

すなわち地上のような空間はないということであって、主観的に感じる広がり、ある種の空間は
あるということです。実際、霊界には山や海や川があります。海で泳いだり、山を飛び越えたり
して楽しむ霊もいます。このことは、地上とは違っていてもある種の空間があるということを意
味しています。

 霊界では思うだけで離れた場所へ瞬間的に移動したり人と出会ったりすることができるなど、
地上とは時間や空間の在り方が全く異なります。だからといって、主観的に感じる時間や広が
りがないわけてはありません。地上のような時間と空間がないということ、すなわち地上的な
「時空」を超越しているということなのです。

 時間の流れがある以上、「パラレル世界論」で言うような、現在・過去・未来が同時に存在す
るといったことは決してありません。未来から現在に来るというようなタイムトラベルは、SF小
説の中では存在しても、現実には存在しません。霊界においても未来は決定されてはいませ
ん。

未来の人間が、現在のチャネリングで現れるというようなことはあり得ません。もしそうしたこと
があると言うなら、それはすべて、インチキか低級霊のからかいであると思うべきなのです。

 地上にいて、確定した時間と空間の次元の中に存在するしかない私達には、霊界における
時空を実感を持って理解することはできません。霊界の「時間論・空間論」は、私達地上人にと
っては最も理解の難しいものです。しかしそうであっても、数学的にのみ存在する多次元世界
観が、あの世での現実であると思うような間違いだけはしてはなりません。
 

   霊界ラジオは果たして可能か?
      ITC(現代版霊界ラジオ)について




 最近出版された、『あの世の存在に活かされる生き方』(徳問書店)についての質問が寄せら
れています。「その本には、電子機器を通じて霊界との交信が成功したと書いてありますが、
本当でしょうか」といった内容です。

 ITCとは、Instrumental Transcommunicationの略で、電子機器を用いたあの世との交信のこ
とです。かつてはエジソンなどによって霊界ラジオの研究が進められましたが、ITCではラジオ
の代わりに現代の最新電子機器を用います。

霊界ラジオについては、これまでスピりチュアリズムの中でもしばしば話題に取り上げられまし
た。しかし現在に至るまで、霊界ラジオが成功したという事実はありません。シルバーバーチ
は、霊媒が存在しないところでの霊界と地上世界の交信はあり得ないと断言しています。


  「顕と幽の二つの世界の交信にとって不可欠の要素である霊媒に取って代る器具を考案中
という話は聞いたことがありません。それは絶対にできないでしょう。なぜと言えば、二つの世
界は霊と霊との関係、つまり霊性で結ばれているからです。」
                                        〈新たなる啓示・125〉
 しかし、『あの世の存在に活かされる生き方』の中には、最近のITCの研究によって、地上で
キャッチされたあの世の霊の映像が実際に掲載されています。それを見た人々は、人類はとう
とう電子機器を用いて霊界との通信を可能にするようになった、と思われたはずです。

 シルバーバーチが言ったことは間違っていたのでしょうか。ITCは、霊媒の存在なしにあの世
との交信を可能にしたのでしょうか。あの世とストレートに交信したいという人類の長年の夢
は、本当に実現したのでしょうか。

ITCの成功によって、霊媒は今後、不必要なものになるのでしょうか。結論を先に言いますと、I
TCにおいても、霊媒なしにあの世との交信をするという試みは、依然、成功していないというこ
とです。


ITCの実験は“交霊会”と同じである


 スピリチュアリズムでは“交霊会”を成功させるために、参加者の心が一致して和やかな雰囲
気をつくり出すことが重要視されてきました。参加者の心が一致せず、不調和なエネルギーが
支配的な時には、質のよい交信ができなくなります。

また部外者が突如参加したり、懐疑論者がいる時にも、交霊会のエネルギー状態に乱れが生
じ、交信がしにくくなります。霊が通信を送るのに必要とされるエネルギーは、霊媒一人から摂
取するのではなく、普通は参加者全員から少しずつ集められます。

こうした事情があるために、通信を送る霊界サイドは、交霊会の参加者の心の持ち方や精神
状態について、繰り返し注意を促してきたのです。参加者の精神状態が悪かったり調和を欠く
時には、エネルギーの流れ自体が阻害されたり、粗悪なものになってしまいます。

霊が働くための十分なエネルギーが供給されなくなってしまいます。エネルギーの乱れが、高
級霊を遠ざけ低級霊を引き寄せることになります。このように交霊会の成功・不成功の鍵は、
霊界サイドよりも地上サイドが握っている、ということなのです。

 ITCの実験においても、あの世サイド(タイムストリーム)から地上人に向けて、何度も高い心
境が必要であることが語られています。もしITCが、霊から物質へ、霊界から地上世界へ、とい
う単純なプロセスによって可能になるものならば、地上人の精神状態などは、交信とは一切無
関係なはずです。結局ITCは、地上人の心によって決定的な影響を受けるということなので
す。

 こうした現実は、地上サイドに「霊媒的存在」がなければ、ITCは成功しないことを明らかにし
ています。霊界ラジオでもITCでも、より良い成果を上げようとするなら、心身の健全な霊媒を
数名そろえることです。それが最も確実に霊界のメッセージを得るための方法なのです。

地上の電子機器の性能を上げれば、それだけであの世との交信が強化されるといったもので
はありません。

 このように考えてくると、ITC(最新の電子機器によるあの世との交信)は、本質的には従来
の交霊会と全く同じであることが明らかになります。つまりITCは、「霊現象」の一つに他ならな
いのです。


ITCの今後の課題  交霊会と同様の問題点の克服


 ITCが本質的には「霊現象」と同じであるということは、ITCの実験には交霊会と同様の問題
が付随することを意味しています。霊界の下層(幽界)には、地上に通信を送りたがっている多
くの霊達がいます。困ったことに、そうした霊達の大半が低級霊・未熟霊なのです。

従ってITCも、そうした低級霊達の格好の的になるということです。このことは、『あの世の存在
に活かされる生き方』の中でも述べられています。(186頁)

 霊界通信で、低級霊を排除する役割を担っているのが“神審者”です。当然のこととしてITC
においても、こうした神審者の役割を果たす地上人が必要となります。それなくしては、あの世
との交信はメチャクチャなものになってしまいます。

交霊会では、神審者や参加者の霊的レベルが通信のレベルを決定しますが、ITCにおいても
全く同様のことが言えるのです。ITCの現状を見る限り、通信霊の真偽や霊のレベルを見極め
るには程遠いと言わざるを得ません。

霊界通信では低級霊が身元を偽って頻繁に出現しますが、ITCにおいても映し出された映像
が、本当に霊界の本人そのものかどうかをチェックする必要があります。

 こうした問題点をあげていきますと、果たしてITCによるあの世との交信は必要なものかどう
か、ということになります。ITCの目的と存在価値について、よくよく考えなければなりません。
交霊会は本来、死後の世界や霊の存在を信じられない人にとってのみ必要なものです。

ITCも、結局はそれと同じ目的において、はじめて意味を持つものなのです。ITCを通して、こ
れまでの「霊界通信」によってもたらされた以上の高度な交信が可能になるとは思われませ
ん。

すなわちITCとは、従来の霊的現象や心霊治療、あるいは交霊会と同様に、死後の世界のあ
ることを人々に知らせる一つの手段に過ぎないということなのです。

ITCはこれまでの交信と同じく、地上人からのエネルギーを受ける中で成立するものであり、方
法論の点から見ても特別に画期的な交信方法とは言えません。

 ITCの唯一の長所をあげるとするならば、ITCでは直接談話(ダイレクト・ボイス)がそうであっ
たように、一人の霊媒からの直接的な悪影響を多く受けずに済む、ということです。

 遠い将来、地上人の霊性が高まった時には、自らの霊的能力によって、誰もが霊界の人々
と個人的かつストレートに交信できるようになります。

現在ではきわめて一部の優れた霊通者のみが高級霊と交信できるだけですが、将来において
はそうした人間が、ごく当たり前の存在となります。その時には、もはや霊界ラジオとかITCと
いった特別な機器も不必要になります。霊媒という特別な媒介者も要らなくなるはずです。

 今の私達にとって最も必要とされていること、そして現在の地球上で最も価値ある生き方と
は、単にあの世の霊と交信することではありません。それは、すでに高級霊によって示されて
いる「霊的真理」を人生の指針として歩み、自らの霊性を高めること以外にはないのです。


≪≪皆さんのご質問にお答えして≫≫



質問
 今年1月17日は、阪神大震災から5年目を迎え、被災地では追悼集会が行われました。涙な
がらに犠牲者の冥福を祈る遺族の姿を見ると、同情してしまいます。このように大震災で6千
人以上の人々が同時に亡くなるということは、何か共通の原因があったためでしょうか。

また多くの人命を一瞬に奪う大震災などの天変地異は、スピリチュアリズムの立場からどのよ
うに考えればよいのでしょうか。 


答え
  迷信深い人々の中では、よく“天変地異”が人間の行為やカルマと関係があるかのように
言われてきました。神が、天変地異を引き起こして罪に汚れた人間を滅ぼすとか、地上人の悪
行を懲らしめるために罰を与えるといったことが、信じられてきました。

また狂信的な現代の新興宗教では、自分達に敵対行為を働いたために社会や国家に対して
天罰がくだったなどと、勝手にこじつけて考えることもあります。天が味方をしてくれたお蔭で戦
いに勝ったなどという言い方も、これと同じような考えに立っています。

 結論を言えば、天変地異や自然災害を人間の行為・カルマと結び付けて考えることは、迷
信・無知以外の何物でもありません。

旧約聖書をはじめ地上の大半の宗教にはこうした傾向が色濃く残っていますが、それらはみ
な、人間がいまだ「霊的真理」に無知であった時代につくられたフィクションに過ぎません。

天変地異とは、地球という物質次元での活動に過ぎないのです。すべてが自然法則に基づい
て引き起こされる物質的な運動や変化なのです。そして、それは人間の行為・思念とは一切無
関係に生じていることなのです。

 こうしたスピリチュアリズムにおける天変地異についての考え方は、不思議に思われるかも
知れませんが、“唯物論者”と同じなのです。いつまでも迷信と無知から脱け出せない宗教者よ
り、神や霊界の存在を否定する唯物論者の考えの方が、スピリチュアリズムに近いのです。

阪神大震災があの地域に起こったことは、そこの住人の行為やカルマとは何の関係もないこ
とです。まずこの点をしっかりと押さえておかなければなりません。

 さて、現実に被害に遭った人々、特に親族を震災で亡くされた方々の心痛は、言葉に余るも
のと推察いたします。離れた所に住む人々も、自分達には難が及ばなかったからといって、そ
れを無関係な出来事として済ますことはできません。

被災された方々に同情の気持を失ってはならないのは当然のことであり、できる限りの援助を
すべきです。しかしスピリチュアリズムに導かれた私達は、それだけでよしにしてはなりませ
ん。

自然災害によって人命が失われることは、一般の人々にとっては耐え難い悲惨な出来事で
す。誰もが何とか免れたいと考えます。そこには、“死”は人間にとっての最大の悲劇・この世
の最大の不幸であるとの前提があります。

しかしスピリチュアリズムの「霊的真理」によれば、死は悲劇ではなく、それどころか喜ばしい時
の到来なのです。

 従って、自然災害や天変地異に対しての私達の見方は、世間一般の人達とは根本的に異な
っていなければなりません。自然災害によって死ぬことを悲劇と考えてはならないのです。大震
災で亡くなった6400名の方々全員が、現在では、死によって地上の悲しみ・苦しみから解放
されています。

地上時代より多くの悲しみを味わい、苦しんでいるという人は、一人もいないはずです。全員が
あの世に行って、かつてとは比較にならないほど、楽しく喜びに満ちあふれた生活を送ってい
るのです。

災害の被害者について考える時には、すべてこうした「霊的事実・霊的視点」から見ていかなけ
ればなりません。

 スピリチュアリズムの観点から言えば、本当は災害で死んだ人より、死別を悲しむ地上人の
在り方こそ“悲劇”なのです。霊的事実に無知な地上人こそ、可哀想な存在なのです。政府の
災害対策の甘さに不満を持つのは当然としても、それより遥かに重要視すべき問題があると
いうことです。

今回のような自然災害・天変地異について論じる時、結局は、人間が死後の世界について無
知であることが、最も本質的な問題と言えるのです。

 さらに大震災で亡くなった方々は、地上に生まれる前から予定されていた、“寿命”が尽きる
時がきていたということを知っておく必要があります。もしその方々が大震災で死ななかったと
しても、数年のうちに他の原因で亡くなることになったでしょう。

しかし、ここで勘違いをしてはならないのは、震災のあった1月17日という当日が、彼らの全員
が死ぬべき時として初めから予定されていたのではないということです。

地上人は死を重大事と考えるために、多くの人々が同時に死ぬことを、必要以上に特別なこ
と・特殊なケースと考えがちです。

しかし霊的な時間の観点に立てば、地上の時間の少々のズレ(数日〜数カ月の違い)などは、
無きに等しいものなのです。なぜなら霊的世界には、地上のような時間は存在しないからで
す。
 「カルマの法則」は人間の霊的成長に関する法則であり、「霊的な時間・霊的な流れ」を基準
にして考えなければならない問題です。

従って、地上の時間で計る3日と3カ月は、霊界においては、全く同じ(違いがない)ことになる
のです。死ぬべき時(寿命)は決まっているけれども、それを地上の時間の概念に当てはめた
場合には、おおよその時が決まっているに過ぎないということなのです。

そうした一人一人の寿命を土台にして、そこに地上のいろいろな要因によって決定される因果
律的関係が加わり、それぞれの人生にさまざまなバリエーションがつくり出されます。その結
果、ある人々は大震災の当日、被災地で他界することになったということなのです。

つまり震災の被害者は、寿命の尽きる時、死ぬべき時がきて亡くなったということなのです。飛
行機事故やタイタニックのような海難事故で同時に他界する人々についても、同様のことが言
えます。

 「霊的事実」に照らした時、本当は、大震災であの世に行った人々の冥福を祈る必要はあり
ません。彼らは地上人が追悼集会などしなくとも、すでに霊界で楽しく過ごしているのです。真
理を知ってみれば、気の毒に思う必要も、可哀想だと同情する必要もないのです。

地上人が悲しみの涙を流すのは、実は後に残された自分を、自分自身で哀れんでいるに過ぎ
ません。

 また大震災の悲しみと悲劇を忘れないようにとの確認がなされたようですが、それも全く意味
のないことです。物質世界での出来事は、時とともに風化し、忘れ去られていくのが自然の姿
なのです。それでよいのです。

本当の愛によって結ばれた人とは、霊界に行けば確実に再会できるようになっています。人間
にとって最も大切な愛情は、霊界があればこそ、永続するようになっているのです。真実の愛
の絆のあるところには、別離などないのです。

 こうした「霊的事実」を知らないために、多くの人々は“死”を永遠の別れだと思い込み、悲し
みを風化させてはならないと、自然に逆らったことを言っています。地上で行う追悼集会は、霊
界の人々にとっては何の意味もない、おかしな行事に過ぎません。

もし地上人が、あの世で生き生きと暮らしている人達の実態を見たならば、誰も追悼集会を催
す必要性など感じなくなるはずです。常に「霊的視点」から物事を眺めるようにしたいもので
す。
 



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