◇ニューズレター15号 (抜粋) 
2001年10月



目 次

スピリチュアリズムから見た
地上の政治・経済 


 ◇地上の政治・経済の土台となっている
    物質中心主義と利己主義



 1、「物質中心主義 」と「利己主義」に覆われた地上世界
     ――地球は、きわめて霊的に未熟な惑星
  ・地上世界を論じる際の基本認識
  ・お金こそが幸せの源泉と考える現代人
      ―――"拝金主義"を当たり前とする現代人
  ・経済的な豊かさにともなう肉主霊従と霊的退廃

 2、金の力に狂わされた日本民族
     ――“バブル経済”という悪夢
   
 3、取るに足りない地上の宗教
  ・地上の政治に重要性を認めない霊界人
      ――どちらでもいい地上の政治
  ・共産主義の脅威さえも問題視していなかった
   シルバーバーチ

 4、政治より個人の霊的成長の方が重要
     ――大切なのは政治ではなく、個人の生き方
   ・ラベル・党派は全く無意味
   ・「霊性進化」が唯一の判断基準
   ・利他的実践・無私の奉仕こそが、最高に価値あるもの
   ・共産主義者の中にも、霊性の高い人はいる


     ◇スピリチュアリズムから見た
            民主主義と財政の問題点

 1、果たして民主主義は絶対善なのか?
   ・現代の「民主主義信仰」
   ・民主主義は本当に平等なシステムか?
   ・国民のエゴを助長させる手段となっている民主主義
   ・民主主義は欠陥原理
         「肉主霊従」に立脚した民主主義は、
   独裁政治と大差なし
 
 2、 民主主義のもとで堕落していく地上人――地上人
    の心を堕落させるのに都合がいい民主主義 
   ・民主主義がもたらす財政赤字
   ・消費拡大のために、さらなる借金を重ねる愚策
   ・膨大な借金大国アメリカと、
    そのアメリカ人の贅沢によって
    支えられている世界経済
   ・いつかは必ず訪れるアメリカの経済破綻

 3 、日本の財政破綻を救うためには 
   ・経済の大幅な水準低下の必要性
   ・たとえ、どれだけ痛みがともなっても
   ・霊的に見れば、不景気はありがたいもの
   ・政治家の本来の使命とは
 


◇スピリチュアリズムこそ地上世界変革の担い手
――変革の主役は政治ではなく“スピリチュアリズム”

 1、 地上世界の根本変革は、スピリチュアリズムに
    よってのみ可能となる 
  ・地上世界の問題の根本解決は、
   一人一人の「心の変革」から
  ・スピリチュアリズムほど、確実で効果的な変革はない
  ・霊界の高級霊によって進められる地上の変革
  ・スピリチュアリズムの普及にともなう地上の
   政治の自動的変化

 2、スピリチュアリストとしての政治との係わり
    ――私達は今、どのように政治と付き合うべきか 
  ・地上の政治を、小さなものとして見る
  ・霊的摂理に一致した考えと行為に対してのみ評価を与える
  ・常に地上世界の出来事を、「霊的進化」という観点から見る
        “経済破綻”は、時にはありがたいもの
  ・経済大国より、霊的リーダー国を目指すべき
  ・積極的な政治不参加も、スピリチュアリストとしての正しい在り方
 
     アメリカ同時テロ事件について 


ニューズレター


スピリチュアリズムから見た
地上の政治・経済
 


 小泉政権の誕生は、日本国民に政治を身近なものにし、政治への大きな関心を引き起こし
ました。では、スピリチュアリストである私達は、政治とどのように係わりを持ったらよいのでし
ょうか。 

 スピリチュアリストは、政治に無関心であってよいのか? スピリチュアリストも国民の責任・
義務として、何らかの政治参加をしなければならないのか? 選挙の投票を棄権するのは、間
違ったことなのか? もし選挙に行くとするなら、どのような政治家・政党に投票したらよいの
か? 

 これまで皆さんは、こうしたことで迷われたことはなかったでしょうか。今回は、スピリチュアリ
ズムの観点から、地上の政治と経済について考えてみることにしましょう。
  
    地上の政治・経済の土台となっている物質中心主義と利己主義


 1 「物質中心主義 」と「利己主義」に覆われた地上世界
―――地球は、きわめて霊的に未熟な惑星
 

地上世界を論じる際の基本認識
 私達スピリチュアリストが、まず押さえておかなければならないことは、現在の地球上の問題
の大半が、究極的には「物質中心主義(マテアリズム)」と「利己主義」に起因しているということ
です。

現在の地球は、物質的満足・本能的快楽を真っ先に求めようとする「物質偏重主義」と、そこ
から派生する自分だけの利益・幸せを優先する「エゴイズム(利己主義)」に支配されていま
す。地球は、きわめて霊的に未熟な惑星であるということです。

 先月、世界中を震撼(しんかん)させたアメリカの同時テロ事件も、根本的には、地上人類の
霊的未熟さから引き起こされたものなのです。

 これは地上世界の問題を論じるときに、常に頭にとどめておかなければならない最も重要な
霊的視点です。もし、この重要な視点を忘れたところで地上世界を論じるならば、すべてが的
外れなものとなります。

 地上世界が、物質主義と利己主義に覆いつくされた非常に醜い世界であるということは、そ
の中にどっぷり浸かり、それ以外の世界を知らない地上人にとっては、なかなか実感しがたい
ことです。

しかし霊界という別の素晴らしい世界と比較するとき、地上世界における一番の問題点が浮き
彫りにされるのです。霊界の人々は異口同音に、地上は物質主義と利己主義に覆われた暗
黒の世界であると述べています。

 ここでもう一度、シルバーバーチの言葉を振り返り、地上世界を論じる際の基本を確認して
みることにしましょう。


「問題のそもそもの根源は、人間が霊的法則によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬
みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互いに助け合い
協調と平和の中に暮らしたいという願望は見られず、我が国家を他国より優位に立たせ、他
の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しています。すべての
制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義という言葉は今日では
かなり影をひそめてきているかも知れませんが、実質的には同じです。誰が何と言おうと、この
世はやはりカネと地位と人種が物を言うのだと考えています。そしてそれを土台として、すべて
の制度をこしらえようとします。」                                     
       (シルバーバーチ6・81)


お金こそが幸せの源泉と考える現代人  "拝金主義"を当たり前とする現代人
 シルバーバーチの指摘のように、地球上に住む大半の人々は、物質的な豊かさこそが幸福
の源であると思っています。そして地上人生を、その追求のために費やしています。人々は、
お金があれば幸福を手にすることができ、お金がなければ幸福は得られないものと思っていま
す。現代人にとっては、お金こそが最も頼り甲斐のあるものであり、神のような存在となってい
ます。

 これまで宗教は心の大切さを説き、物質欲の虜になることを厳しく戒めてきました。現在でも
多くの人々は何らかの宗教に籍を置いてはいますが、彼らの大半は、心より物質を優先した
生き方をしています。

時には心の大切さを強調する人もいますが、そのような人であっても、いざ自分の所有してい
る物質的財産を犠牲にするとなると、とたんに本性を剥き出しにして抵抗します。お金よりもっ
と大切なものがあると口で言う人は多いのですが、それを本当に実生活で実行している人は、
現実にはきわめて稀なのです。

 もし、そうした人がいるなら、その人は現在の地上世界においては聖人と言われることになる
でしょう。あるいは世間知らずの変人・奇人と見なされるかも知れません。

金持ちでありながら、質素な生活を送っている人、貧しい人々のために気前よく自分の全財産
を犠牲にしようとする人はめったにいません。結局、恵まれない人々への奉仕は、自分の財産
や家族を守った上で、片手間にすべきものとなっています。


経済的な豊かさにともなう肉主霊従と霊的退廃
 物質中心主義と利己主義は、地上人の心を深く支配しています。それは経済的な豊かさを
手に入れるにともない、さらに強く人々を支配するようになり、表面化し露骨な形を取るように
なります。工業化に成功し先進国の仲間入りをした国々では、それまでの宗教的伝統は内部
から骨抜きにされ、あっと言う間に崩れ去ります。それに代わって、物質欲追求の風潮が国中
に蔓延するようになります。

 肉体を持ちながら、物質欲の誘惑を退け、心を優先し続けるのは並大抵のことではありませ
ん。自らの意志によって「霊主肉従」の状態を維持することができる地上人は、めったにいませ
ん。近代以前までの人類は、物質的に恵まれなかったために、何とか霊主肉従の最低ライン
の状態を保ち、心の荒廃に歯止めをかけてきました。

しかし近世以降、物質的に豊かな時代を迎え、自由に物質欲を追求することができるようにな
ると、未熟な霊性から生じる動物的本能が剥き出しにされるようになってきました。

 今後、地球では、これまで以上の早いスピードで経済発展がなされていくことになります。そ
れによって地球は物質文明をさらに推し進めることになりますが、精神的・霊的には、いっそう
の荒廃が現出することになります。

今まで厳格な戒律によって信仰生活を維持してきたイスラム教徒も、国家の経済発展につれ、
内部から崩れ始めるようになるでしょう。霊性の未熟な地球人においては、物質的な力は、宗
教も及ばないほどの強い支配力・影響力を持っているのです。


 2 金の力に狂わされた日本民族
―――“バブル経済”という悪夢


 …… バブル経済のもとでは、手に入れた土地や株の値段が急激に上がったため、人々は
金持ちになったような気分になり、高級乗用車やリゾートマンション・高級住宅・ゴルフ会員権な
どに飛びつきました。こうして日本中に異常な消費ブームが巻き起こったのです。

危機感を抱いた日銀は、バブル景気の抑制に乗り出し、金利を上げて銀行からお金を借りに
くくしました。これによって土地を買うための資金が途絶え、地価は急激に下がり始めました。

そして土地で損をした人々が株を売りに出したため、株価が暴落することになりました。このよ
うにしてバブル景気が弾けたのです。土地と株に踊らされた企業や不動産業者・一般の人々
は、大損失を被り、どん底で苦しむことになりました。同時に気軽に金を貸し付けた銀行も、不
良債権(*銀行が貸したのに返してもらえないお金のこと)を抱えて、苦境に立たされることに
なりました。

バブル景気が日本経済に残した傷痕は、単に経済の不況ということだけにとどまりません。
金、金と踊らされたことで、日本民族が保ってきた精神性が根底から崩されることになったので
す。

バブル景気の中で、それまで律義に物づくりに精を出し、世界的にも誇る堅実な歩みをしてき
た製造業までもが、土地や株を買い漁るようになり、マネーゲームに手を染めるようになってい
きました。

 土地や株によって大金が生み出されることを知ると、汗水たらしてまじめに物などつくってい
ることがバカバカしくなってきます。本業以外のマネーゲームで、こんなにも簡単に金が稼げる
と錯覚した製造業は、堅実さ・誠実さという精神的な伝統を捨て去ることになってしまいました。

こうして製造業中心の日本の産業構造が、急激に変化することになりました。企業がこぞって
マネーゲームという悪夢にとりつかれ、土地と株というバクチにのめり込み、金の盲者になって
しまいました。マネーゲームというバクチに翻弄された企業は、5〜6年のバラ色の日々を楽し
んだ後、バブル崩壊とともに、奈落の底にたたき落とされることになったのです。 


 3 取るに足りない地上の政治


 地上の政治に重要性を認めない霊界人  どちらでもいい地上の政治
 霊界の高級霊は、地上の政治を重要なものとは考えていません。政治的な主義・主張の違
いや、政党の違いなどは全く取るに足りないものとしています。

霊界の人々にとっては、地上の政治は、しょせん霊性の未熟な世界での、きわめて幼稚で不
完全な人間の営みにすぎません。物欲と物質中心主義の上に立った、エゴ的活動の一側面に
すぎません。それは、狂った「物質偏重主義」のもとで踊らされている人間の営みの一つでしか
ないのです。

 私達地上人は、物質的視点しか持ち得ないために、物事の本質を正確に理解することがで
きません。そのためにどちらでもいいことを必要以上に大袈裟に考えたり、さも重要なことであ
るかのように思ってしまいます。そして政党の主義・主張が、国民生活に重大な影響をもたら
し、国の方向を大きく左右するかのように考えてしまいます。

 しかし霊界の視点に立ってみると、そうした地上世界の政治的な主義・主張などは、大したこ
とではありません。全く問題にもならないことなのです。民主主義と共産主義といったイデオロ
ギーの違い、自民党や民社党・公明党といった政党の区別なども無きに等しいものなのです。

どんな人間がアメリカの大統領や日本の首相になろうが、またどの政党が政権を握ることにな
ろうが、霊界の観点からは、どちらでもいいことなのです。

霊界の人々は、政治によって、地上世界が決定的に向上していくようになるとは考えていませ
ん。政治による変革は、せいぜい人間社会の表面的な部分を少し変える程度のものなので
す。

地上の政治は、高級霊にとっては、肉主霊従(物質主義・利己主義)に支配された地上人の低
次元の営みに他なりません。地上のもろもろの政治問題は、「霊的進化」という人類にとって最
も根本的・本質的な問題とは、およそ係わりのない事柄ばかりなのです。

 私達地上人の視野からは、地上世界を大きく揺り動かすように思える政治的事件も(*今回
の、アメリカでのテロ事件も含めて)、何百年という長いスパンから見ると、実にささいな出来事
であることが多いのです。
現在、地球上を騒がせている出来事のほとんどが、数百年後にはすっかり忘れ去られること
になるでしょう。永く語り継がれるのは、ほんのわずかな事柄にすぎないはずです。地上の政
治的な事件は、霊的視点から見たとき、人類の進化の歩みの中のごくごく小さな部分でしかな
いのです。


共産主義の脅威さえも問題視していなかったシルバーバーチ
 ……シルバーバーチに対して、"共産主義"について次のような質問がなされています  
「(共産主義は)既成宗教のいずれよりもはるかに頑強で、その影響力は強烈です。これこそ
純粋な唯物観を説いている点で、われわれの本当の敵ではないかと思うのですが……」(シル
バーバーチ11・178)


この質問について、シルバーバーチは、地上社会の問題の根源は「物質偏重主義」にあるこ
と、それに対し、イエスをリーダーとするスピリチュアリズムが真っ向から戦いを挑んでいること
を述べています。そしてスピリチュアリストは、明日のことを思い煩うことなく、最善を尽くして霊
達に協力していればよいこと、そうすれば地上の問題は徐々に取り除かれていくようになること
を教えています。

 シルバーバーチや高級霊達から見れば、地上での民主主義・共産主義といった区別は、しょ
せん政治上の立場の違いにすぎません。シルバーバーチは、地上世界の最も根源的問題は、
そうした政治的イデオロギーの差にあるのではなく、「物質主義」と「利己主義」というより内面
的な問題にあることを明言しているのです。

人類共通の"エゴイズム"という本質的問題の前には、自由・共産などという政治的イデオロギ
ーは取るに足りないと言っているのです。シルバーバーチの、これほどまでの超然とした見解
を聞くにつけ、霊界の視点とはまさにこういうものかと驚かされます。

 シルバーバーチの答えを聞いた当時のサークル参加者の大半は、その真意を理解すること
ができず、一抹の不安を感じていたに違いありません。なぜなら当時の共産主義勢力の勢い
はあまりにも大きく、とても楽観視できるような状態ではなかったからです。

シルバーバーチの答えは、到底、現実的なものとは考えられなかったことでしょう。しかし、そ
れから30年後、ソ連の崩壊によって共産主義の脅威は消え去り、シルバーバーチの言葉は
現実のものとなりました。当時は、ソ連が将来そのような形で終焉を迎えるようになるとは、誰
一人予想さえできないことでした。

*現在、地上人類が抱いている脅威は、環境問題や新たな核開発に向けられています。しか
しシルバーバーチは、これらの問題についても楽観的な見解を示しています。

人類は将来、滅んでしまうことになるのではないかとの不安に対して、その心配はないこと、楽
観的に考えるべきであることを述べています。当然、今回のアメリカでのテロ事件についても、
大袈裟に考える必要はありません。(シルバーバーチ8・34、35頁、11・32、59頁)

*ソ連崩壊は、米ソの軍拡競争が、ソ連側に経済的な破綻を引き起こしたことに最大の原因
があります。米ソの経済力の差が、軍拡競争を決着させ、ソ連崩壊を招くことになったのです。

ゴルバチョフという一人の偉大な政治家の決断がソ連崩壊の引き金を引くことになったのは事
実ですが、本質的な原因は、どこまでもソ連自体の経済的破綻にあるということなのです。

 こうした地上の状況については、霊界サイドは完璧に知っていたはずです。そして間もなくソ
連が崩壊することも、分かっていたものと思われます。

*日本の外交について
 最近、日本の政治で問題となった首相の靖国神社参拝問題も、スピリチュアリズムの観点か
ら見ればどちらでもいいことです。霊界や霊魂に対する明確な死生観のないところでの議論が
繰り返されているだけであり、どこまでいっても平行線をたどることは明らかです。


 ただ地上的な視点から見れば、8月15日に参拝するとの公約を首相みずから翻(ひるがえ)
した今回の出来事は、日本外交のまずさを内外に示すことになりました。他国(中韓)からの圧
力に対する弱腰、首相自身の外交的ポリシーの乏しさ、首相・外相をはじめとする国家のリー
ダー達の外交音痴という、決定的な弱点をさらけ出すことになりました。

靖国問題は、首相が公約を覆して日程を変更したということよりも、日本の外交的欠陥を改め
て認識させたという点において問題を残したのです。

 現実の地上世界における国際関係は、国益追求を第一としています。まさに国と国とが利己
的関係にあるということです。こうした「利己的国家関係(エゴ的国家関係)」とは、端的に言え
ば弱肉強食の競争関係、たえずケンカをしているような状況にあるということです。そうした現
実の国際関係の中で、日本がどのような外交スタンスを取るかということが問題とされるので
す。

 これまで日本政府は、ケンカの場に立たされながら、当たり前の自己主張もせず、最低の正
当防衛の努力さえも真剣に行ってきませんでした。それどころか、ケンカを売ってくる外敵と、
ひたすら仲良くしようとしてきました。

「戦争がいいか平和がいいか、ケンカがいいか仲良しがいいか?」と問われれば、誰でも「平
和で仲良しがいい」と言うに決まっています。しかし、すでにケンカに巻き込まれた中で、一人
だけ争いを避け、周りと仲良くしようとすることは、現実には不可能なことなのです。

本気で仲良くしようという気持ちがない相手と、真の友好関係を築くことなどできません。それ
は単なる理想論にすぎないのです。

 弱肉強食が当たり前となっている未熟な惑星地球にあっては、自己防衛という現実的な路線
を取るのか、自国が滅ぶことを承知で友好という理想を優先するのか、という選択に迫られる
のです。

「霊的真理」が共通の理念となっていない現状では、二つの未熟な方法のうち、より良い道を
選択しなければならないのです。

 これまでの日本外交は、世界の中で珍しいほど理想路線に偏ってきました。日本外交は幼
稚であると、たびたび言われてきました。

利益を奪い合う競争世界においては、常識的ともいうべき国益保護・正当防衛・自己主張の要
素が、あまりにも軽んじられてきました。そのために外国からなめられ、いいように利用されて
きたのです。

 今回のテロ事件は、日本外交の本質的問題を浮き彫りにすることになりました。もしテロをち
らつかせて脅迫されたとき、日本国家がどのような対応をするかを、否応なく考えさせられたの
です。 


 4 政治より個人の霊的成長の方が重要
―――大切なのは政治ではなく、個人の生き方


ラベル・党派は全く無意味
 シルバーバーチは、地上世界での政治的主義・主張に対して、全く関心がないと繰り返し述
べています。


「私は、ラベルや党派には関心はありません。私が関心をもっているのは"真理"だけです。」
                                       (シルバーバーチ7・64)

私はラベルというものには全く関心がありません。私にとっては何の意味もありません。地上世
界ではラベルが大切にされます  共産主義者・社会主義者・保守党・労働党・スピリチュアリ
スト・セオソフィスト・オカリスト等々、挙げていったらキリがありません。しかし大切なのはラベ
ルではなく、その中身です。」                  (シルバーバーチ11・180)


「霊性進化」が唯一の判断基準
 こうした意見の背景には、霊界人の明確な価値観があります。霊界の高級霊達は、私達地
上人をどのような観点から判断しているのでしょうか。どのような基準をもって、地上人を評価
しているのでしょうか。

結論を言えば、霊界の人々は「霊性の進化」という一点において判断しているということです。
一人一人の地上人を、霊的人格性という物差しで評価しているのです。霊界では一切の地上
的肩書やポジションは通用しません。

その人の「霊格」があらわにされ、何一つごまかすことはできません。その霊がどの程度の進
化のレベルにあるかが、誰の目にも明らかなのです。

 霊界の人々は、私達地上人をそれと全く同じ観点から見ているのです。言うまでもなく霊界か
らは、地上人の霊的進歩のレベルは"オーラ"によって正確に知られるようになっています。
「霊的成長度・霊性進化のレベル」こそが、霊界の人々の評価の基準なのです。 


他的実践・無私の奉仕こそが、最高に価値あるもの
 霊的成長は、純粋な利他的実践によってなされます。無私の奉仕という霊的実践によってな
されます。そこでシルバーバーチをはじめ霊界の人々は、地上人の  「霊的摂理にそった生
き方をしているか」「純粋な奉仕を実践しているか」という点に、関心を向けているのです。

地上人の目からは、どれほど素晴らしいと思える行為や政治改革なども、人類の霊性進化に
寄与するものでないかぎり、価値は認められません。

 霊界の人々の視点は、常に地上的利害関係を一切超越した、「霊的成長」という一点だけに
向けられているのです。


共産主義者の中にも、霊性の高い人はいる
 そうした霊界人の見方からすれば、唯物論者の代表である"共産主義者"の中にも霊性の高
い人はいるということになります。主義・主張は何であれ、人類のためを思い、純粋な利他愛
の実践に全身全霊で打ち込んでいる人は、最も価値ある生き方をしていることになります。

信じている主義それ自体は間違っていても、個人的な心の動機によって、善し悪しが決まるの
です。その人の動機が純粋で、人類の霊性進化に貢献する歩みとなっているならば、どのよう
な組織に属していても、霊界人の認めるところとなるのです。

 それは逆に言えば、たとえスピリチュアリストであっても、自分のためだけに生きているなら
ば、唯物論者よりも霊的に劣ることがあるということです。スピリチュアリストであっても、一切
のごまかしはききません。今この時も、純粋に心の底から、人類のために貢献したいと思って
いるかどうかが、霊界の人々によってチェックされているのです。

「そのための道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっ
ても、いかなる信仰をもった人であっても、時と場所を選ばず働きかけて、改革なり改善なり・
改良なり、一語にして言えば奉仕のために活用します。」
(シルバーバーチ5・232)

    

スピリチュアリズムから見た民主主義と財政の問題点
 1 果たして民主主義は絶対善なのか? 


現代の「民主主義信仰」
 現代世界では、民主主義は最も優れた政治システムであると考えられています。大半の
人々は、政治といえば無条件に民主主義のことであると思っています。民主主義は、独裁者の
専制による悲劇を防ぎ、国民一人一人の権利を尊重し、より多くの人々に幸福をもたらす政治
制度と思われています。

20世紀になって、民主主義は世界中に広まり、世界共通の「普遍的真理・絶対善」であるかの
ようになっています。現代では、民主主義を唱えることは無条件に善であり、民主主義に少しで
も反するようなことは悪であるとの認識が定着しています。

 現代の政治家は、民主主義という言葉に、常に最も神経を配っていなければなりません。そ
れと同時に、たえず自らが民主主義の擁護者であることを国民に強調し続けなければなりま
せん。

また時には自分の政敵に対して、反民主主義・独裁者のレッテルをはって追い落としを謀るこ
とになります。民主主義を声高に叫び、自らを民主主義者であるとアピールすることは現代政
治における常套手段なのです。

選挙に勝てば、自らを民主主義の勝利と宣言し、選挙に負けた政敵を独裁主義の敗北とする
光景をよく目にします。このように現代の地球上では、「民主主義信仰」と言ってもよいような状
況が見られます。

 しかし果たして民主主義は、人々が考えるような絶対的な善というべきものなのでしょうか。
スピリチュアリストである私達も、民主主義を無条件に信頼してよいのでしょうか。


民主主義は本当に平等なシステムか?
 民主主義とは端的に言えば、数の論理によって政策を決定する政治システムということで
す。民意は数の多さによって示されるとされ、「多数決」は民主主義の重要な原理となっていま
す。理念上は、少数意見を尊重し、決定を下す前には自由な討議を尽くすことが大切とされて
います。

 しかし現実には、意見の違う者達がどれほど審議を続けても、一致点を見い出したり、歩み
寄ることはできません。両者が初めから共通的な立場、あるいは共通の基本的見解を持って
いるときのみ、歩み寄りが成立するのです。

もし議案が民族の利害に大きく係わったり、政党の大義名分に抵触するようなときには、歩み
寄りとか妥協点を見い出すというようなことは、ほとんど不可能と言わなければなりません。結
局、民主主義の多数決の原理とは、数の論理による強制手段を正当化する方法に他ならない
ということになります。

 多数の意見は民意を代表しているという考え方は、時に大きな矛盾を引き起こします。例え
ばある政権の支持率が51%というようなケースでは、残りのおよそ半分の国民の意見は民意
とは見なされなくなります。

国民の意見を最大限に尊重するという民主主義の基本的理念は、大きく揺らぐことになりま
す。ここには"平等主義"を大原則とする民主主義の、宿命的な欠陥が現れています。

さらに次のようなことを考えてみると、民主主義は必ずしも平等な制度でないことが明らかにな
ります。現代政治において選挙は、国民が平等に政治に参加する機会ということになっていま
す。

しかし考えてみれば、政治について全く無関心で知識のない人と、その道の専門家である政治
学者が、同じ一票しか投ずることができないのは非常に不平等なことです。真剣に考え抜かれ
た末の一票が、単なるファッション感覚や外見上の好み、あるいは他人からの依頼による一票
と同じ価値しかないというのは、明らかにおかしなことです。

 民主主義とは、選挙民に十分な情報が与えられ、選挙民がその情報を正しく解釈する力が
ある場合にのみ、まともに機能するものなのです。知性と真剣さを兼ね備えた選挙民がいて、
初めて本来の目的を果たすことができるシステムなのです。

民主主義は、一人一人の国民を同じように尊重するという厳格な平等主義に立った制度です
が、この"平等主義"が、民主主義それ自体を根底から崩す最大の原因になっているのです。
民主主義が平等で正しい政治システムであるなどというのは理屈上のことであって、現実に
は、理想から大きく懸け離れているのです。


国民のエゴを助長させる手段となっている民主主義
 民主主義は、国民・民衆の意志が世論を形成し、それが政策を決定するという制度です。し
かし、こうしたプロセスが正しく機能するのは、国民一人一人が政治についてよく理解し、利己
的な立場を離れて、全体の利益がいかなるものであるかを考えることができる場合に限られま
す。

すなわち「国民が賢明である」ということが、民主主義が正しく機能するための大前提・絶対条
件となるのです。賢明な国民がいて、初めて民主主義の理想は実現するようになっています。

 現代の民主主義が直面する最も深刻な問題は、多くの国民が賢明ではないということです。
利己主義に染まり切って、いつも自分の利益を真っ先に考えるだけで、国全体のことを考えよ
うとしないのです。

大半の国民が、民主主義の理念を支えるにふさわしい資格を持っていないのです。人々は、
質素な生活より、物質的に豊かな生活を願います。増税や株価の下落などによって、自分の
利益が減ることを最も心配します。

そして自分達の利益を守ってくれる政治家を選ぼうとします。贅沢な生活が続けられるような
政策を政府に要求します。

 こうした状況下にあっては、数によって示される民意は、必然的にエゴ的なものとなります。
国民が物質的な満足と繁栄だけを望むのであれば、結果的には、エゴ的欲求を満たすような
政策が決定されることになってしまいます。たとえその政策が国の将来にとってマイナスになる
ことが明らかであっても、エゴ的要求が通ることになってしまうのです。

 国民は、自分達に物質的な利益をもたらしてくれる政治家を選ぼうとします。政治家の側に
立てば、自分が政治家として選ばれるためには、民衆の低俗で身勝手な要求に添わなければ
ならないことになります。

結局は、国民がエゴであれば、政治もエゴ的なものに堕ちてしまうのです。民衆という多数派
が愚かであるならば、民主主義のもとでは愚かな決定しか生まれません。民衆が賢明ならば、
健全な政治がもたらされます。

 賢明な民衆とは、自分の物質的・本能的欲望をコントロールすることの重要性を知って、欲
望の暴走に歯止めを掛けられる人のことです。もし現在の政府や政治家が良くないとするな
ら、それはつまるところ「国民が愚かである」ということなのです。

民主主義は欠陥原理  「肉主霊従」に立脚した民主主義は、独裁政治と大差なし
 民主主義は、現代人が賛美するような決して素晴らしいものではありません。何度も述べま
すが、地上の政治は、不完全な世界における不完全な人間の営みに他ならないのです。

そして民主主義というシステムが悪用される結果、多くの人々は、さらなる肉主霊従の方向へ
と堕落していくことになります。

 霊界の人々が、地上の政治にほとんど期待を寄せないのは、こうした事情があるからです。
民主主義を土台とした現代政治は、「物質主義」と「利己主義」に支配された地上人類の低次
元の営みの一つにすぎないということなのです。
    

 2 民主主義のもとで堕落していく地上人
―――地上人の心を堕落させるのに都合がいい民主主義


民主主義がもたらす財政赤字
 民主主義のもとにおいては、愚かな国民は「衆愚政治」を現出させることになります。国民は
政府に目先の物質的繁栄を優先させ、無い物ねだりを続けることになります。政府に十分な資
金があれば、そうした国民の要望を聞き入れることができます。

しかし国民の要求は無制限に膨らんでいくのが普通であって、政府がそれに応えようとすれ
ば、必然的に財源が不足し、財政赤字を引き起こすことになります。

 もし政府が国民の要求をはねつけたり抑えたりできるならば、財政赤字を避けることができ
るのですが、民主主義の世界では、それは非常に困難なことなのです。なぜなら絶えず反対
党から足を引っ張られている政府としては、国民の意向を無視して政権を維持することは不可
能だからです。

国民の人気取りを行なわなければ、政権を維持することはできないのです。
国民の多くが政府に対して、さらなる物質的な豊かさ・物質的利益を要求します。景気が良くな
って、今よりもっと収入が増すことを願い、心地よい生活のために福祉の充実を求めます。

そこで政府は資金を出して公共事業を起こすことになります。政府主導による公共事業は景
気を押し上げ、一時的には、確かに効果的な景気刺激策となります。そうした景気刺激策と同
時に税金を下げれば、国民の懐にはお金が残るようになり、多くの物が買えるようになります。

国民が望むリッチな生活を楽しむことができるようになります。減税されて怒る国民はいませ
ん。しかし、こうした国民の人気取り政策を行えば、財政支出が増加し税収は減少し、財政赤
字はどんどん大きくなっていきます。
 日本政府はこうした赤字を埋め合わせるために、毎年毎年国債を発行してきました。国債と
いう借金を増やし続けてきました。それによって  「もっともっと物質的に豊かになりたい、もっ
と贅沢をしたい」という国民の要求に応えてきたのです。

しかし、たとえ国家であっても、他人から借りたお金・借金は返さなければなりません。借金が
どんどん増え続けるのが悪いことぐらいは誰でも理解できます。

 自分の家庭なら、できるだけ借金をしないように努力します。まず贅沢をやめ、収入に見合っ
た生活をしようと心がけます。日常の生活費を切り詰め、買いたい物も買わないようにします。
たまには遊びに行きたいと思っても我慢します。このように個人の家計であれば、普通は贅沢
に対して一定の歯止めが掛けられます。

 もし借金による贅沢を続けるならば、いつかは破綻がきて、大変な苦しみを味わわざるを得
なくなります。連日、借金取りに追われ、身を隠すような羽目に陥るかも知れません。職場にも
借金取りが押しかけ仕事を続けるのも困難になり、子供を学校に行かせることさえできなくなる
かも知れません。

つまり個人であれば、借金の積み重ねがいかに悲惨な事態を招くようになるかを、自分の痛
みとして直接感じられるようになっているのです。

 しかし国家に借金をさせ、それによって自分達が贅沢ができるとなると、借金の痛みを直接
感じるようなことはありません。国の借金で贅沢をし、しかもその借金は自分で返さなくてもい
いとなれば、人間の欲望はさらにエスカレートしていくのは当然です。

それに対して政府は、自制を促すどころか、人気を失い政権が維持できなくなるのを恐れ、国
民の剥き出しの欲望に迎合しようとします。そして政府の赤字はどんどん膨れ上がっていくの
です。

いったん生じた財政赤字をなくすためには、政府は支出を減らし、収入を増やす(増税)しか方
法はありません。しかし、そのいずれに対しても国民は猛烈に反発することは目に見えていま
す。

政府がどれほど困ろうが、国民は自分達の懐が豊かになることだけを要求するのです。国民
は政府にさらなる借金を促し、贅沢な生活を続けることができるように仕向けます。

 「肉主霊従」に支配された人間の物欲中心主義は、こうした形で現代の日本の政治を左右す
ることになっています。そしてその結果、今では日本国家は借金で身動きできないようなところ
にまで追い込まれてしまいました。

借金による分不相応な生活に溺れ、そこから抜け出せなくなった破綻者が、取りも直さず、私
達日本国民であるということなのです。しかし、それでも自分の力で贅沢をやめることができ
ず、さらなる借金を積み重ねようとしているのです。


消費拡大のために、さらなる借金を重ねる愚策
……さらなる借金が、間違いなく国家を今以上の破局状態に陥れることが分かっていながら、
いまだに景気回復のために新たな公共事業を増やせといった、いっそうの借金政策を主張す
る政治家もいます。

すでに国家財政は破綻し、国の経済は衰退の方向に向かっています。我が国における民主政
治のもたらした結果は悲惨なものです。これが民意を尊重するという民主主義が引き起こした
「衆愚政治」の結末だったのです。


膨大な借金大国アメリカと、そのアメリカ人の贅沢によって支えられている世界経済
 日本国民は分不相応な物質的豊かさを政府に要求し、その結果、膨大な財政赤字を生み出
してしまいました。一方、アメリカもまた、国民が徹底して物質的贅沢と快楽を求めた結果、膨
大な赤字をつくり出しています。

現在のアメリカ社会は、惑星地球を支配する物質主義・欲望主義の状況を、最も凝縮して表し
ています。アメリカ社会には、「肉主霊従」という精神的な堕落が、最もストレートな形で現出し
ています。

 ……アメリカ人の贅沢な生活のお蔭で、日本をはじめ世界各国は多くの物(製品)をアメリカ
に輸出し、それによって世界中の景気が支えられてきました。しかし当のアメリカは輸出が減
少し、輸入が大幅に超過することによって、莫大な貿易赤字を出すことになってしまいました。

アメリカはかつて豊富な資金を溜め込んだ時期がありました。20世紀アメリカの黄金時代に、
60年間かけて3千億ドルという膨大な資金をつくり上げました。しかし、その膨大な資金を、わ
ずか3年間ですべて使い果たしてしまったのです。

世界中から大量に物を買い込んだために、それまでの蓄えをあっと言う間に使い果たし、赤字
国に転落してしまったのです。そして、その後も世界中から物を買い続け、貿易赤字を膨らま
せることになりました。

 ……日本もアメリカに多額のお金を貸し(*日本企業がアメリカの国債や株を買うという形
で)、アメリカはそのお金で、日本からさまざまな製品を買い続けました。日本の経済は、そうし
たアメリカの借金経済によって支えられてきたのです。しかしそうした結果、アメリカの貿易赤
字は増加し、その金額は年毎に、うなぎ登りに膨れ上がっています。

 今やアメリカの経済が崩壊すると、日本の経済も崩壊するといった関係にあります。日本の
経済を支えている主要企業の多くは、アメリカへの製品輸出で多額の売上を得ています。アメ
リカ経済が崩壊すると、日本製品は売れなくなり、深刻な不況に見舞われることになります。

このため歴代の政府は、アメリカ経済を擁護する方向で政策を立てざるを得ませんでした。そ
してそれが原因となり、日本の"バブル経済"を生み出すことになってしまったのです。 


いつかは必ず訪れるアメリカの経済破綻
……現在、アメリカ人の贅沢によって牽引されてきた世界経済は、いつ破綻してもおかしくない
ような危い状態にあります。しかしそれに対し、アメリカ自身も他の国々も、効果的な対応策を
打ち出すことができずにいます。

これまで築き上げてきた物質的繁栄が崩れてしまうことを、誰もが恐れています。物質中心主
義に支配されている地球上の人々にとって、アメリカ経済の破綻は最も恐るべき出来事です。
そのため世界各国の政府は、そうしたパニックを何としても避けようと必死になっているので
す。

 アメリカ国民の大量消費(贅沢)に支えられ、何とかバランスを保っているような狂った世界
経済に、いつか破綻がくることは避けられません。霊的視点に立てば、物質世界の法則を逸
脱したところには、それに見合ったしっぺ返しがくるのは当然のことなのです。

膨れ上がった矛盾を修正するための反動は、間違いなく、いずれかの時点で生じることになる
のです。限度を超えた飽食を続ければ、いつか必ず病気になるように、アメリカ経済も飽食に
よる異常な肥満によって、自ら病気を引き起こすことになるのです。

    

 3 日本の財政破綻を救うためには


経済の大幅な水準低下の必要性
 オイルショック以降、現在に至る25年の間に、日本政府の財政赤字は取り返しのつかない
ほどに膨れ上がってしまいました。現在では、政府が国債の形で負っている借金の総額(国債
残高)は、364兆円(*2001年3月)に達しています。これは国民一人当たり287万円に相
当します。4人家族なら1147万円になります。

 この借金を返すには、他に一切の支出がないとして7年かかる計算になります。これは常識
的に考えれば、完全な破産状態であり、一般の家庭なら到底やっていけない末期的症状と言
わなければなりません。(*これが国と地方を合わせての借金となると、666兆円とさらに膨ら
み、国民一人当たり500万円の借金となります。)

 しかし、そうした非常事態にありながら、これまで日本政府は何ら有効な手を打たずにきまし
た。これほどまでにひどい状態に至ってしまった最大の原因は、すでに述べたように、国民が
際限なく物質的豊かさを政府に要求し続けてきたことにあります。国民の物質中心主義・物質
的快楽主義が、こうした悲惨な結果を招くことになってしまったのです。

 本来ならこのような状況にあって政府がとるべき手段は、緊急の大増税と思い切った歳出削
減しかありません。しかしそうした政策は、不景気を呼び込み、企業の倒産を増大させ、失業
者を急激に増やすことになります。個人レベルにおいては、ボーナスもカットされ、収入も減少
することになります。

当然、これまでのような生活を維持することはできなくなります。車の買い替えができなくなった
り、ゴルフや旅行に行けなくなります。住宅ローンが返せなくなり、やっとの思いで手に入れた
マイホームを手放すようなことになるかも知れません。さらには、これまでの仕事以外にアルバ
イトまでしなければ、やっていけなくなるかも知れません。

 そうした事態になれば、国民の中から激しい不満と反発の渦が巻き起こることは明らかで
す。しかしこうした痛みは、子孫に借金のツケを残さないために、私達が今、当たり前のことと
して受けていかなければならないものなのです。これまで無い物ねだりをして、政府を食い物に
してきたツケは、自分達の手で返さなければならないのです。

 現在、日本の置かれている厳しい状況を救うための方法が、専門家によってあれこれと考え
られていますが、その解決方法はこれまで繰り返し述べてきたように、支出の削減と収入の増
加(増税)以外にはないのです。

すでに右肩下がりの経済状況に入った中で、新たな景気回復による増収は期待できません。
またすでに十分な物質欲を満たした国民が、急激に消費に走るようなことも考えられません。

 国家の赤字財政を救うためには、「支出削減」と「増税」という単純な方法しかないのですが、
それは経済の大幅な水準低下を確実にもたらすことになります。こうした政策は、肥大し過ぎ
た経済を縮小して、力相応のレベルにまで引き戻すことに他なりません。

別の言い方をすれば、政策的に景気を悪くさせるということです。意識的に経済を落ち込ませ
るということです。それは当然、国民にとって最も歓迎されざる政策となります。

たとえ、どれだけ痛みがともなっても公共事業の削減、年金を含めての社会福祉の見直し・削
減、教育関係費や助成金の削減、ODAの削減(*日本はもはや他国を助けられるような状態
ではない)、公務員の人員削減など大胆に進めなければなりません。

あらゆる分野に対してメスを入れなければなりません。しかし財政赤字を減らすためには、単
に支出を削減すればいいというわけではありません。財政構造改革によって支出を抑えるだけ
でなく、増税によって収入を殖やさなければならないのです。そうでない限り、積もり積もった借
金(元金)を返済するレベルにまで、到底至ることはできないのです。

 このような財政改革は、多くの日本国民を、かつて味わったことがないような厳しくつらい現
実に直面させることになります。1997年に、当時の橋本内閣が、消費税を3%から5%に引
き上げただけで大騒ぎになりました。

このために景気が失速し、橋本政権は退陣を余儀なくされることになりました。現在、日本が
抱えている膨大な借金を削減するためには、ヨーロッパ諸国並の消費税率(15〜20%)を大
幅に上回る、35%以上もの消費税率への引き上げが必要と言う専門家もいます。

 政府は、そうした大改革にともなう痛みを当然のこととして、国民に忍耐を要求しなければな
りません。国民に対し、これまでのような贅沢はできないこと、質素な生活に切り替えなくては
ならないことを訴えなければなりません。

国債をどんどん発行するということは、子孫に負債を残すということです。もし私達が借金を返
さないなら、子孫がそれを返さなければならなくなるのです。莫大な借金だけを子孫に残すとい
うことは、大いなる恥です。

重荷だけを一方的に背負わされた子孫から軽蔑されることは、はっきりしています。自分達が
つくった借金は、自分達で返さなければ日本の将来はありません。

 日本の将来のことを考えたならば、たとえ国民がどれほど反対しようが、今はそうした政策を
果敢に押し進めなければならない、ぎりぎりの事態に至っているのです。

これまで分不相応の贅沢と快楽に浸り切った国民に、ショックと犠牲を強いるのは当然のこと
なのです。その痛みは、贅沢を当たり前と思っている日本人が、あるべき姿に立ち戻るための
必要なプロセスなのです。


霊的に見れば、不景気はありがたいもの
 そうした苦しみは、大半の国民には、大変な不幸・悲劇と映るかも知れません。しかし視野を
広げ、全地球的な立場から考えてみれば、これから日本が不景気になり、生活が苦しくなると
いっても大したことではありません。

毎日の食べ物にも不自由している発展途上国の貧しさとは比べものになりません。「車が買え
ない、旅行やゴルフに行けない、家が持てない、持ち家を手放さなければならない」といって、
それがどうだと言うのでしょう。悲惨などといって騒ぐようなことではありません。

会社が潰れたからといって何が悲劇なのでしょうか。日本にいる限り、見栄さえ捨てれば何と
か生活していけるはずです。霊的視点から見れば、それで十分ではないでしょうか。

 肉体という、短い地上人生を歩むための道具は、維持できればそれでいいのです。死ねば
物質的な物はすべて無に帰すのです。不景気だからといって、必要最低限度の生活物資に困
窮するようなことはありません。

物質中心主義の視点から見れば"悲劇"と思えることが、霊界の視点からは「大きな恩恵」であ
ることが頻繁にあるのです。不景気は、人間を質素な生活に導く歓迎すべき出来事です。世界
経済の破綻は、地上人類の霊的進歩にとって、間違いなくありがたいものになるはずです。
 
政治家の本来の使命とは
 本来なら政治家は、国民が愚かな欲望に目がくらみ、エゴ的な方向に流れていくのを食い止
め、方向性を正さなければなりません。国全体を衰退させることになる国民のエゴ的要求を抑
えコントロールすることが、その使命なのです。

それが一般国民と違って、大局的に国の動向や状態を知ることができる専門家としての義務
なのです。しかし現実には、そうした正論を主張できる政治家はほとんどいません。大半の国
民が自分のことしか考えられないエゴイストであるように、多くの政治家も、自分の利権と政治
生命だけを真っ先に考えることしかできないのです。

 政治家のもう一つの使命は、国民の霊的成長を促すような環境づくりに貢献することです。
そのためには、政治家自身が物質主義を越えた霊的な価値観を持つことがどうしても必要と
なります。

物質世界を、霊的観点から見下ろすことができたとき、地上世界に何が必要なのかが、はっき
りと分かるようになります。「霊的真理」を知らない者は、本当は政治家になる資格はないので
す。現実には、まだまだそうしたレベルにまで内面性のともなった政治家はいません。


スピリチュアリズムこそ地上世界変革の担い手
―――変革の主役は政治ではなく“スピリチュアリズム”

 1 地上世界の根本変革は、スピリチュアリズムによってのみ
可能となる

地上世界の問題の根本解決は、一人一人の「心の変革」から
 スピリチュアリズムでは、政治によって、地上世界の諸問題を根本的に解決することは不可
能であると考えています。政治という方法では、どんなにがんばってみても、地上世界を根本
的に変革することはできません。

政治家の中には、社会を改革し、もっと住みやすい世の中にしようと人生を捧げている純粋な
人もいます。しかし、そうした奇特な心がけにもかかわらず、政治という手段には初めから大き
な限界と制約があるのです。それは、政治では、人間の心を最も深いところから変えることは
できないからです。

 「肉主霊従」という人類の底辺に共通する問題を解決しないうちは、いくら人間社会の改革を
目指しても、結局は徒労に終わってしまうのです。現在、地上世界に生じているさまざまな問題
は、「物質中心主義」と「利己主義」に起因します。

この根本的な原因にメスを入れない限り、次々と表面化してくる新たな問題の根を断ち切るこ
とはできないのです。空しい、いたちごっこのようなことを続けなければなりません。すべての問
題解決は、最も根本的な原因から出発しなければならないのです。



「摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると、混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきた
します。」
                   (シルバーバーチ11・186)


 政治によって表面上の社会制度を変えることはできても、本当に公正・平等な社会を築くこと
はできません。一人一人の心の変革によって、「霊主肉従」が地上人類の支配理念になったと
き、初めて公正・平等という理想が地上世界に根付くことになるのです。

繰り返しますが、地上世界の根本変革を図るには、人間の「心の変革」から出発しなければな
りません。一人一人の人間が「霊的真理」を受け入れ、それを実行に移すことによって、地球
上に真の変革が進行していくようになるのです。

したがって「霊的真理の普及」が、あらゆる政治活動に優先されなければなりません。たとえ民
主主義が世界の隅々にまで行き渡ったとしても、人間の心の問題が解決しないうちは、地上に
より良い世界が実現することはないのです。

現在の地球は、霊的進化のレベルにおいて下から二番目という低さにあります。"霊的光"が
ほとんど見られないような暗黒の世界となっています。そしてその低い霊性が、利己的主張と
利権獲得のための弱肉強食の世界をつくり出すことになってしまっています。

永い時を経て、この地上世界が「思いやり」と「利他愛」の論理によって支配されるようになるま
では、エゴのぶつかり合いがなくなることはありません。日本を含め地上世界の政治は、今後
もエゴイズムに翻弄され、"弱肉強食"の醜い争いの中で推移していかざるを得ないのです。


スピリチュアリズムほど、確実で効果的な変革はない
 霊的真理による心の変革は、気の遠くなるほど時間が掛かることのように思われるかも知れ
ません。しかし現実には、それに優る確実で効果的な方法はありません。

スピリチュアリズムにおける地上世界の変革は、一人一人の人間の心に向けての働きかけか
ら始まります。一人一人の地上人が、「肉主霊従」から「霊主肉従」へと心の内容を変化させて
いくことによって進んでいきます。

 当然、そうした変革のスピードは非常にゆっくりとしたものにならざるを得ません。そのためス
ピリチュアリズムのような方法では、実際に世界を変えることなど、とてもできないと考える人も
現れます。

スピリチュアリズムは立派な理想を説いているけれども、現実的ではない。目的が成就するま
でに、あまりにも時間が掛かり過ぎて、その間、苦しむ人々を救うことができないと言う人もい
ます。

 確かに地上の政治と比べるならば、スピリチュアリズムにおける変革の進み具合はゆっくりと
しているように見えます。変革の具体的な進展状況が、地上人の目からは分かりにくいのも事
実です。

しかし、スピリチュアリズムによる地上世界の変革は、現実離れした理想主義的なものではな
いのです。それどころか、スピリチュアリズムによる変革ほど、トータル的に見て、最も確実で
効果的な方法はありません。結果的に、これほどスピーディーな変革はないのです。


霊界の高級霊によって進められる地上の変革
 スピリチュアリズムにおける変革こそ最高のものである、という意見に批判的な人は、霊界と
いう人間にとって最も重要な世界の事実を知りません。地上は霊界へ行くための大切な準備
の場であることや、地上の生活は一時的であり、霊界での生活が永遠であることを知りませ
ん。

 そうした限られた物質的視野しか持てない人々には、地上世界の出来事を正しく評価するこ
とはできません。霊界という永遠の世界を考慮しなければ、正しい判断を下すことはできないよ
うになっています。より高い世界に立ってこそ、低い世界の全体を誤りなく見通すことができる
のです。

 霊界の存在を信じられない人々にとって、スピリチュアリズムが目指す世界は、ほとんど現実
離れしたもののように映ります。しかし、それはスピリチュアリズムが、霊界の人々が主役とな
って進めている「人類救済のためのプロジェクト」であることを知らないからなのです。

もし地上人の力だけで、人類の救いを成し遂げようとするなら絶対に不可能なことですが、スピ
リチュアリズムの背景には、何百億という高級霊の軍団が控え、全力で働きかけているので
す。

それゆえ地上人の常識では想像もつかないほどの、遠大なプロジェクトが実現可能となるので
す。スピリチュアリズムが掲げる「地球変革」は、単なる理想論や実現不可能な観念論ではあ
りません。時間とともに、間違いなく地上世界に展開していく確たる事実であり、具体論なので
す。

こうしたスピリチュアリズムの広大な組織的活動と比較してみると、地上の政治はまるで子供
の遊びのようなものと言わざるをえません。本質的な内容においても、スケールにおいても、比
べものにならないのです。


スピリチュアリズムの普及にともなう地上の政治の自動的変化
 ここ200年の間に、霊界からの働きかけによって、地上人類の霊性はかなり向上してきまし
た。そうした霊性の進化が物質世界に反映し、旧来の独裁的・非人間的な政治制度や社会制
度が撤廃され、より摂理に適ったものへと改善されてきました。

人種や家柄・階級による差別、男女の違いによる差別といった長い間の悪習慣が、少しずつ
取り除かれるようになってきました。困った人に手を差し伸べ、社会全体で弱者の世話をする
という社会福祉・互助の精神が、徐々に地上世界の制度に反映されるようになってきました。

地球規模での利他愛のシステム・助け合いのシステムが、少しずつ確立しつつあるのです。
とは言っても、現時点における社会改革は、まだまだ表面的な次元にとどまっています。それ
は霊的真理が、人類の中に十分浸透・定着していないためです。

何度も述べますが、地上世界のさまざまな問題を根本的に解決するには、霊的真理による「心
の変革・価値観の転換」以外にはあり得ません。まさにスピリチュアリズムこそが、「霊的真理
の普及」という最も効率の良い方法で地上の変革を推し進めているのです。

 スピリチュアリズムによる霊的真理の普及にともない、人類全体の精神レベル・霊的レベル
は確実にアップすることになります。何百年か後には、霊的真理に基づいて考え判断し、真理
にそった生活を心がける人々が世界人口の半数以上を占めるようになるでしょう。

その時には、政治も、経済も、法律も、教育も、社会制度も、すべてが真理に適ったものに変
化しているはずです。それまでは霊的真理の普及とともに、あらゆる方面で徐々に霊的改革が
進んでいくことになります。


「霊的真理を理解する人が増えるにつれて、その知識にのっとった生き方をする人が増え、そ
の人たちの生活が依存している各種の制度も、霊と精神と身体がその幸福と成長と成熟にと
って必要な体験が得られるように改善されていくことでしょう。」
                                   (シルバーバーチ11・175)

  
    2 スピリチュアリストとしての政治との係わり
 ―――私達は今、どのように政治と付き合うべきか 


 地上に霊的真理が広まり、人類共通の道徳・価値観となったときには、地上の政治・経済
は、自動的に真理と一致したものになっていきます。政治は、地上人類の霊的進化に貢献す
るものへと変化していくことになるでしょう。

しかし私達が生きている間に付き合うことになる地上の政治は、「物質主義」「利己主義」に支
配された、きわめてエゴイズム性の強いものです。およそ霊的理想とは懸け離れた低次元の
営みです。

 私達スピリチュアリストは、そうした地上の政治と、どのように係わったらよいのでしょうか。


地上の政治を、小さなものとして見る
 霊界から見れば、地上における政治的な立場の違い、主義・主張の違いなどは無きに等し
いものです。霊界の高級霊達は、そうしたものに全く重要性を認めません。

私達スピリチュアリストも、霊界の人々と同じような視点から、地上の政治を見ていかなければ
なりません。常に霊界の視点から眺めていくように心がけなければなりません。

 霊的真理を知った者は、地上の政治的出来事に対して、超然とした姿勢で臨んでいればよ
いのです。そして何より大切なことは  「スピリチュアリストは、一国の大統領や首相よりも、
永遠的で価値のある仕事をしている」ということを、しっかりと自覚していることです。地上の政
治に過大な期待を寄せるのは、霊的世界の存在を、いまだ信じられない人がすることです。


霊的摂理に一致した考えと行為に対してのみ評価を与える
 このように言っても、地上の政治や政治家のすべてを、頭から無視するということではありま
せん。真剣に人助けのために力を尽くしている政治家を、否定すべきではありません。

私達はシルバーバーチにならって、地上の政治や政治家については、それが霊的摂理に一致
しているとき、あるいは人類の霊的進化に貢献する要素があるときには評価するという姿勢を
貫くことです。政治や政治家に対して、「霊的観点から見る」ということです。 

政治家が本心から  「持たざる人々のために一身を捧げているとき」「人類の霊的進化を妨
げる、さまざまな障害を取り除こうと努力しているとき」「利他性と滅私の精神に貫かれ、人類
の肉主霊従化に歯止めを掛け、霊的進化を促すような活動をしているとき」、私達はそれを貴
重な利他的行為として評価すべきです。

その人の行為が霊的な価値観に合っているならば、政治的な主義・主張・党派が何であれ、利
他的な行為そのものを認め、価値を見い出してあげるべきなのです。

 人の行いは、「利他愛の実践・無私の奉仕」の程度にともない本当の霊的価値を持つように
なりますが、政治家に対しても、そうした観点から見ていくことが必要です。
 
常に地上世界の出来事を、「霊的進化」という観点から見る  "経済破綻"は、時にはありが
たいもの

 私達スピリチュアリストは、政治に限らず地上世界のあらゆる出来事を、常に霊界からの視
点・霊的観点から眺めるようにしなければなりません。霊的視点に立ったとき、地上において
価値あるものとは  「霊的進化に何らかのプラスとなるもの」ということになります。

地上人類にとってきわめて重要に思われる出来事も、それが単に物質的な次元にとどまって
いるならば、全く価値はないということになります。政治的ないかなる改革も斬新な政策も、人
類の霊的進化に寄与しない限り、真の価値を持ち得ないのです。

 今、世界中の人々が最も関心を寄せ、その動向を注目しているのがアメリカ経済の行方で
す。もしアメリカ経済が下降するようなことになれば、現実に、世界恐慌が生じかねない状況に
置かれています。それを世界中の人々は最も恐れています。

実際に恐慌が起これば、多くの人々が苦境に立たされることになるでしょう。一生かけて築き
上げてきた財産が、あっと言う間に失われたり、失業者が世界中の都市にあふれるようになる
でしょう。

 しかし、そうした世界経済の破綻は、霊界から見れば、さして重大なことではありません。そ
れは、どこまでも物質次元の領域におけるパニックに過ぎません。昨日まで健康だと思ってい
た人が、突然ガンの宣告を受けたようなものです。

「何とか生活できればよし」と心を定めた人、欲のない人にとっては、経済的な破綻はそれほど
ひどい打撃とはなりません。金銭欲に縛られている人、お金こそが一番大事だと思っている人
にとってのみ、それは大きなショックとなるのです。

お金よりもっと大切なものがあるという「霊的真理」の原則を実践している人には、経済的な後
退は何の痛手にもなりません。

こうしたことを考えると、今後アメリカの不況に端を発した世界的な経済恐慌が現実に到来す
るようなことになったとしても、大袈裟に心配する必要はないということなのです。地上世界に
おける経済問題は、その大半が、物質的・本能的欲望にかられた結果生じたものです。

自ら神の摂理に反したために、自然の法則にそって苦しみを招来することなのです。自分でま
いた種を、自分で刈り取るのは当たり前です。

 経済破綻によって味わう痛みは、物欲追求に狂った地上人が、正常な状態に戻るために与
えられる必要な苦しみです。経済破綻は、本当は地上人類にとって悪いことではありません。1
990年、株価の暴落をきっかけにして日本はバブル経済の破綻を迎え、奈落の底に突き落と
されることになりました。

そして、いまだにその後遺症から立ち直れずに苦しんでいます。
 しかし、もしこうしたショックがなかったならば、日本国民は、さらに「肉主霊従」の中にどっぷ
りつかり、本能的快楽に浸り続けたことでしょう。その意味で"バブル崩壊"は、日本にとって実
にありがたいことだったのです。



「あなた方人間にとって大変な不幸に思えることが、霊的には大変な利益をもたらすことがある
のです。」           (シルバーバーチ8・18)



経済大国より、霊的リーダー国を目指すべき
 もし今後、日本の経済が破綻をきたし、経済中流国に転落するような事態に至ったとしても、
憂える必要はありません。霊的世界から見たとき、日本が経済大国であり続けなければならな
い理由などどこにもありません。

経済大国であることは、特別優れたことでも、日本民族の霊性の高さを証明することでもない
のです。日本は、アジアの片隅にある経済二流国で十分なのです。

 その代わりに、日本が全力を挙げて向かうべき方向は「霊的先進国」なのです。国益追求を
最優先する弱肉強食のエゴイズムの地球において、日本は世界に先駆けて、霊的摂理を実践
する霊的大国、霊的摂理の順守を目標とする霊的リーダー国を目指さなければなりません。

金儲けよりも質素に生き、他国への奉仕を国策の中心とするような国家であって欲しいと願い
ます。

 経済大国であろうとする目的は、すでに時代遅れとなりつつあります。それは、いつまでも権
力志向を抜けられない中国やアメリカ、あるいは発展途上国に任せればいいことであって、日
本は一歩先を目指していかなければなりません。

我が国は、経済成長を第一に考えるような霊的に未熟なレベルを卒業しなければならない時
期を迎えているのです。物から心へと、国民の意識が飛躍しなければならない時に至っている
のです。


積極的な政治不参加も、スピリチュアリストとしての正しい在り方
 このように現代の政治に対する私達スピリチュアリストとしての見解が明確になったところ
で、最後に具体的に、どのように現実の政治と係わりを持つべきかを考えてみましょう。
 
私達スピリチュアリストが、欠陥だらけの地上の政治(民主主義)に期待を寄せたり、これを積
極的に支持するような必要は全くありません。地上の政治と特別な係わりを持ったり、政治に
参加する必要性はないのです。

それどころか、民主主義という欠陥システムの上に立った現代の政治を批判する意味で、これ
と一線を画し、積極的な政治不参加の意思表示をしてもいいのです。

 私達スピリチュアリストは、この世のいかなる政治家以上に、地上人の真の幸福のために働
いています。もし私達が、「スピリチュアリズム」という全人類に対する貢献をなしていないなら
ば、政治不参加の態度は、無責任のそしりを受けても仕方がないかも知れません。

しかし私達は現実に、いかなる政治家にも優る人類への貢献をしているのです。それゆえ、こ
の世の政治に対して一線を引いて臨む、明確な理由と資格があるということになります。はっ
きりと言えば、地上の政治には参加してもしなくてもどちらでもいい、ということなのです。

 もちろん個人的に優れた精神と献身性を備えた政治家(*例えば石原慎太郎氏のような)に
対して、これを支持し援助することは間違ってはいません。それについては、各自が自分の良
心に基づいて判断すればいいことです。しかし、地上の政治家に過大な期待を寄せることは慎
まなければなりません。

 私達スピリチュアリストは、常に「霊的視点」に立って、地上の政治を高みから見下ろしていな
ければならないのです。


アメリカ同時テロ事件について


 今回のテロ事件は、地上的な観点からすれば大事件ですが、地球人類の運命を変えてしま
うようなことには決してなりません。これまでも世界中を震撼させ、人々を恐怖に陥れるような
大事件は、たびたび発生しています。

二度の世界大戦、冷戦中の核兵器開発競争、近いところでは中東湾岸戦争などがそうです。
そして今回のテロ事件は、状況によってはさらなる報復戦争に発展し、日本もその中に巻き込
まれる危険性もはらんでいます。

 もし日本が最悪の事態に直面せざるを得なくなったとしても、スピリチュアリズムを知った私
達は、動揺したり不安におののくようなことがあってはなりません。シルバーバーチは、いかな
る危機的状況にあっても、常に楽観的な姿勢を取るように教えています。

地上には、何ひとつ不安に思うようなことはないことを述べています。私達はどのような事態に
あっても平静さと楽観性を持ち続け、心配の念を心に抱かないように努めなければなりませ
ん。

霊的真理を知った者は、こういう時こそ、地上の事件を「霊的視点」から眺め、地上の興奮や
感情に巻き込まれないようにすべきなのです。霊界の存在を知らない一般の人々と、同じよう
な反応をしてはなりません。

 今回のようなテロ事件も、結局は、地上人類が「霊的真理」を共通の指針としない限り、根本
的に解決されることはありません。その意味で、私達スピリチュアリストが、一人でも時期のき
た人に「霊的真理」を伝えることこそが、最も根本的な解決につながる道であることを、しっかり
と自覚していなければなりません。

"テロ"という暴力行為もそれに対する"武力報復"も、霊的に見たときには、ともに善しとされる
ものではありません。テロ・報復というそのいずれもが、「霊的真理」という絶対的な指針に基づ
かないところでの未熟な人間の行為に他ならないのです。 

以上は、純粋な霊的観点に立ったテロ事件に対する見解です。ここでもう一歩踏み込んで、地
上的観点から考えてみましょう。地上では常に、二つの善くない方法のうち、より善い方法を選
択しなければならない事態に直面します。今回のテロ事件も、まさにその観点から見ていかな
ければなりません。

 テロと武力報復では、どちらが「より悪い(エゴ性が強い)」のでしょうか。まず、先に暴力を引
き起こしたテロ側に「悪質性の度合いが強い」と言わなければなりません。しかも自分達の主
張のために、無差別な殺人をする、手段を選ばない殺人をするということは、最もエゴ的な行
為であることは明白です。

 一部のマスコミや学者は、イスラム世界での貧困が、こうしたテロを生み出す原因であり、貧
困の問題を解決しないうちはテロは無くならないと言います。しかし、それは間違いです。貧し
いから暴力に走るのではなく、間違った考え(思想)があるから暴力へと走るのです。

暴力の第一原因は「貧困」という環境ではなく、「間違った心」にあるのです。 無差別テロは、
エゴの極致です。テロによる被害を受けた側が報復に出ることは、"正当防衛"として認められ
ます。さらに、それをきっかけにテロの一掃を図るということであれば、動機としては決して間違
っていません。

武力を用いるという点については問題があっても、エゴ性という点から見たとき、悪質さの程度
はそれほど大きくないということです。"正当防衛とテロ撲滅"は、スピリチュアリズムの観点か
ら見ても是認されるものです。今回のテロ事件は、「テロ」という極悪に対して、「武力報復」とい
う小悪で対応するという構図で考えるべきです。 
 
次に今回のテロ事件に対して、日本が取るべき姿勢について考えてみましょう。この問題はま
ず、何十人という日本人が一方的に殺されている、という事実から考えなければなりません。

日本国家は、このテロ事件を、日本の"正当防衛"の問題ととらえなければなりません。その観
点から、自分自身で立ち上がって、テロを引き起こした相手に抗議すべきなのです。

それが国民の命を守るという、政府としての当たり前の義務なのです。アメリカの報復攻撃に
協力するというのは、その後の話なのです。この肝心な点が認識されていないために、的外れ
の議論がなされています。

 武力報復に反対する、それは確かにスピリチュアリズム的であり、正しい主張です。しかし、
スピリチュアリズムという広大な思想的背景があってそれを主張するならよいのですが、今の
時点で、単なる「暴力はいけない」というレベルで問題を論じるべきではありません。

暴力はいけないと言っていても、すでに相手が暴力をふるってきているという現実があるので
す。またこれから、いつ日本国家がテロで脅しを受けるかも知れないのです。

武力行使には悪の要素が付きまといますが、他国が犠牲を払い、血を流す陰で、「自分達だ
けは犠牲にならない」ということは、自己中心的でありエゴイズムとなってしまいます。

「国が滅んでもやむなし」との決意がないところで、武力報復へは協力すべきではないと主張す
ることは、必然的にエゴイズムと同じことになってしまいます。そうしたエゴ的国家を、どの国も
信用しなくなるでしょうし、国家存亡の危機に直面しても助けてはくれないでしょう。

日本が具体的に、どのような態度を取るべきかの問題については、ニューズレターは結論を出
す立場にはありませんが、霊的観点からは低い次元であっても、武力を含めての協力関係の
中で国家を存続させていくことが、当面の現実的な選択肢であるように思います。

平和主義という薄っぺらなきれいごとを掲げることで、最も大切な他国との信頼関係、心と心
のつながりを失うことになると思います。

 ここでは問題点を提起するにとどめ、後は、皆さん方それぞれの判断に任せることにします。
スピリチュアリズムを信じる人々の中にあっても、いろいろな意見に分かれる問題だと思いま
す。



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