◇ニューズレター17号 (抜粋) 
2002年 4月


目 次

霊的視野を身につけましょう
地上世界のすべてを、霊的視点から見るのがスピリチュアリズムの基本です 

 1、霊的意識と肉体意識の断絶
   ・霊界での、バーバネルとシルバーバーチの打ち合わせ
   ・地上へ誕生後のバーバネルの意識
   ・「霊的意識」を失ってしまう地上人
   ・「守護霊」が必要な理由
 2、 霊的視野を持つとは 
   ・「霊的真理」から得られる3つの宝
   ・地上人に「霊的視野」を持たせることが、スピリチュアリズムの一つの目的
   ・霊的視野を持つとは、自分の考えを「霊的真理」に添わせること
   ・霊的視野を持とうと努めることは、最高次元の霊主肉従の実践
   ・霊的視野によって、心が広くなり「霊的楽天性」が身につく
   ・霊的視野を身につけることは、本当のスピリチュアルな能力を 持つこと、この世の霊
  能 者以上の力を持つこと

 
3、霊的視野の習慣化・定着を目指して
         日常の意識的努力が不可欠

4、霊的視野の実際
         霊的視点を身につけるための実例
   ・霊界と霊達を、霊的視野から見ましょう
   ・神を、霊的視野から見ましょう
   ・地上世界・地球を、霊的視野から見ましょう
   ・地球上の出来事・ニュースを、霊的視野から見ましょう
   ・家族を、霊的視野から見ましょう
   ・まわりの人々を、霊的視野から見ましょう
   ・自分自身のことを、霊的視野から見ましょう
   ・自分の人生とライフワークを、霊的視野から見ましょう
   ・苦しみ・困難を、霊的視野から見ましょう
   ・寂しさ・孤独を、霊的視野から見ましょう
   ・死を迎える人を、霊的視野から見ましょう
   ・自分の死を、霊的視野から見ましょう 
  
スピリチュアリズムから見たTM瞑想と伝導瞑想 

1、TM瞑想(トランセンデンタル・メディテーション
   ・シンプルで効果の高い優れた瞑想法
   ・誇大に宣伝され過ぎるTM効果
   ・TMの1%効果は、事実ではない
   ・なぜTMのマントラでなければならないのか?
   ・TMの最大の問題点
          霊界と霊達の存在に対する無知
   ・「創造神論」のスピリチュアリズムと、「汎神論」のTM
          スピリチュアリズムとの本質的な神観の違い
   ・瞑想中に味わう「至福意識」について
   ・睡眠中の体験に対する無知
   ・祈り・瞑想の目的の一つは、背後の霊との絆を強化すること
   ・地上世界の浄化は、TMではなくスピリチュアリズムによる




 
2、伝導瞑想(トランスミッション・メディテーション)
   ・「大救世主マイトレーヤ如来」と、ベンジャミン・クレーム
   ・マイトレーヤの地上降臨
   ・いまだに姿を見せないマイトレーヤ
   ・マイトレーヤとベンジャミン・クレームとの特殊な通信方法  オーバーシャドウ
   ・マイトレーヤの霊的エネルギーを、地上世界にもたらす手段  「伝導瞑想」
   ・ベンジャミン・クレームの伝導瞑想だけは特殊
   ・伝導瞑想の本質は「再臨運動」
   ・「肉体再臨説」の間違い
   ・どれだけ待っても、マイトレーヤは現れない
   ・チャネラーとしての未熟性か、意図的な嘘の塗り固めか
   ・伝導瞑想の独断性  霊的な根拠のない伝導瞑想
   ・“洗脳”の手段となっている伝導瞑想
   ・エネルギー放射の写真は、単なるサイキック現象
   ・ベンジャミン・クレームの正当性を認める高級霊はいない
 
スピリチュアリズム・トピックス

アメリカ・イギリス事情 


ニューズレター


霊的視野を身につけましょう
地上世界のすべてを、霊的視点からみるのが
スピリチュアリズムの基本です
  

 1 霊的意識と肉体意識の断絶
 

 霊的視野について理解するために、まず霊界人の意識と、私達地上人が持つ意識の違いを
比較してみることにしましょう。霊的視野とは言い換えれば  「霊界人の意識・霊界人の視点」
ということです。

霊界での、バーバネルとシルバーバーチの打ち合わせ
シルバーバーチは高級霊界の神庁において、地上圏へ降り、霊的メッセージを地上に届ける
仕事を引き受けてくれないかと要請されました。シルバーバーチは、それを自分の使命として
引き受けました。ここからシルバーバーチとスピリチュアリズムとの係わりが始まることになりま
す。

 シルバーバーチはその使命を実行に移すために、まず自分のメッセージを受け取ってくれる
「霊媒」を探すことに着手します。霊界の記録簿を調べ、将来の自分の霊媒にふさわしい者とし
てバーバネルを選びました。

 シルバーバーチの言によれば、シルバーバーチとバーバネルと(地上でバーバネルの妻とな
った)シルビアは、同じインディビジュアリティーに属するそうです。すなわち「同じ類魂の仲間」
であるということです。おそらくシルバーバーチは、その類魂の指導霊であったと思われます。

 シルバーバーチは、同じ類魂のメンバーであるバーバネルに、将来、地上に再生し、自分の
霊媒としてスピリチュアリズムのために働いてくれないかと話を持ちかけました。バーバネルは
その要請を受け入れ、地上に再生して、シルバーバーチの霊媒となって働く決心をすることに
なります。そしてこの歴史的な霊界通信を成功させるために、それをサポートする強力な霊団
(*シルバーバーチ霊団)が結成されることになりました。

 バーバネルは、シルバーバーチや、再生時に自分の守護霊となる類魂の仲間の霊と綿密な
打ち合わせをし、いよいよ地上に再生することになります。こうしてバーバネルの地上人生が
始まりました。シルバーバーチを指導霊とする霊界の霊団は、バーバネル霊が受精する瞬間
を注意深く見つめました。

そしてバーバネル霊が母胎に宿った瞬間から、その育成と精神の形成に関与していくことにな
ります。バーバネルの育成には、絶えず霊界側からの働きかけがなされ、将来の「霊媒」に向
けて着々と準備が進められていきました。

地上へ誕生後のバーバネルの意識
 ところが地上に誕生してからのバーバネルは、霊界でのシルバーバーチとの約束を思い出
すことはありませんでした。霊界であれほど、地上で霊媒として働いていく強い自覚と決意を固
めていたにもかかわらず、それを全く思い出すことなく成長していきます。

 18歳までのバーバネルは、霊的なことに関心も体験もなく、将来はビジネスマンとして大きな
仕事をしたいという野心を持っていました。バーバネル自身が語ったところによれば、彼の十
代の頃は、スピリチュアリズムに対して、むしろ反感を抱いていたそうです。

両親の宗教に対する議論を見て育つ中で、彼は次第に無神論に傾き、それから不可知論へと
変わっていったと述懐しています。

 やがてバーバネルに、霊界での約束を果たす時期がやってきます。18歳の時、婚約中のシ
ルビアをともなって、ブロースタインという中年の女性霊媒の交霊会(ホームサークル)に出席
することになりました。

そこでバーバネルは、初めて自分が「霊媒」の体験をすることになります。彼は無自覚のうちに
トランス状態に入り、彼の口を通じて、シルバーバーチの第一声が発せられることになったの
です。

「霊的意識」を失ってしまう地上人
 今述べたようなバーバネルが霊媒になるまでのいきさつについては、『シルバーバーチの霊
訓』によって、すでにご存じのことと思います。さてここで注目すべきことは、霊界でのバーバネ
ルは、「再生時には霊媒になる」と決意していたにもかかわらず、地上に生まれてからはその
ことを全く意識することがなかったという事実です。

 バーバネルは霊界での意識を思い出すどころか、スピリチュアリズムに反発さえしてきまし
た。18歳になるまでは、バーバネルは自分が霊媒になるなどとは想像さえしていなかったので
す。

地上に再生する前は、霊媒としての役目を果たそうと悲壮な決意をしていたのに、肉体を持っ
てからは、そのことを部分的にさえ思い出すことがなかったのです。肉体に宿るまでの「霊的意
識」と、誕生後の「肉体意識」は、これほどまでに違うということなのです。

 この辺りの事情は、ハリー・エドワーズにおいても同様です。彼も霊界では、「ヒーラーとして、
スピリチュアリズムのために貢献しよう」と決心していたはずなのに、肉体を持ってからは、そ
れを全く思い出すことがなかったということです。

それどころか彼も、スピリチュアリズムに対してむしろ反発心を感じていました。そしてスピリチ
ュアリズムとはまるで関係のない、政治の世界に意欲を持ち、国会議員の選挙にも出馬してい
るのです。そのハリー・エドワーズも時至り、40歳を過ぎて突如、ヒーラーとしての霊的能力が
開眼し、霊界で決意していた人生を歩み出すようになったのです。

 肉体をまとった地上人は、普通、肉体意識しか自覚することができません。霊界での意識を
思い出すことは、ほとんどありません。バーバネルほどの霊媒者であっても、霊界での意識を
全く思い出すことがなかったという事実は、地上人の「霊的意識」が、いかに強烈に肉体の壁
の中に閉じ込められているかということを示しています。

人によっては時に霊的意識を部分的に思い出すことはありますが、それはきわめて稀なことな
のです。
 今このニューズレターを読んでくださっている大半の方々も、おそらく霊界で、「スピリチュアリ
ズムと係わりを持つ」という明確な決意をして地上に再生したのではないでしょうか。

「守護霊」が必要な理由
 こうした事情があるために、私達一人一人に「守護霊」が付くことになります。霊界での決意
や打ち合わせの内容を逐一知っている守護霊が、私達地上人の分身として常に寄り添い、私
達の意識の中に“インスピレーション”として「霊的意識」を吹き込み、導きをしてくれることにな
ります。守護霊の導きによって、再生前に選択した地上人生の方向に、無意識のうちに近づい
ていくように仕向けられます。

 地上人は、自分自身の判断で自らの人生を選択してきたように思っていますが、実際はこう
した形で、霊界から導かれて地上人生を歩んできたのです。皆さん方も、地上に生まれて今日
に至るまで「守護霊」に導かれ、スピリチュアリズムとの出会いを得ることができたのです。

 私達が地上でスピリチュアリズムにたどり着いたということは、霊界からの導きが成功したこ
とを意味しています。私達を背後から導いてきた守護霊にとって、これまでの苦労が確かな実
を結び、再生前に霊界で交わした約束が達成されたことになります。

守護霊にとって、これほどの喜びはありません。と同時に、私達にとっても、地上人として最高
に幸運な人生をたどってきたということになるのです。

 しかし、守護霊の導きが成功することがある一方で、当然のこととして多くの失敗も存在しま
す。地上人類救済のために大きな使命を担って自ら再生を希望した高級霊が、肉体をまとうこ
とによって「霊的感覚」が鈍り、物質的な欲望・煩悩に負けて道を外れることもあります。

そして霊界での約束から大きく逸脱し、地上に再生したことの意味を失ってしまうのです。そう
した霊の死後の後悔と苦痛は、当然大変なものになります。そして必死に導いてきた守護霊の
努力も、すべて無駄になってしまうのです。

 
 2 霊的視野を持つとは


「霊的真理」から得られる3つの宝
 現在、地球に対する霊界からの働きかけは、さまざまな形をとって、ありとあらゆる分野に向
けて進められています。その最終目標とするところは、言うまでもなく  「地上世界に霊的真
理を広める」という点に置かれています。

 その意味で今、私達がシルバーバーチやインペレーターなどの高級霊によってもたらされた
霊的真理を受け入れることができたということは、地上人類の中で、最も恵まれた立場にいる
ということになります。底辺の広いスピリチュアリズムの中で、まさに頂点に立っているというこ
となのです。

 霊的真理を手にした私達は、地上世界における「最高次元の霊的宝」を得ていることになり
ますが、その霊的宝とは、一言で言えば「魂の成長と救い」ということです。

 さてその霊的宝は、「3つの霊的恩恵」として見ることもできます。1つ目の霊的恩恵は、これ
まで地上人類が知ることのなかった「新しい霊的知識」を手にすることができたということです。
2つ目は、「新しい霊的視野・霊的視点」を得ることができたということです。

私達を取り巻くさまざまな問題、また人生上の悩みなどに対して、これまでとは全く異なる高次
元の視野から見ていくことができるようになったのです。3つ目は、「霊的成長のための実践的
知識」を手にすることができたということです。

地上人生の最大の目的である霊的成長(魂の成長)のために、具体的に何をなすべきかとい
うことを明確に知ることができるようになったのです。

 私達はスピリチュアリズムによって、こうした素晴らしい霊的宝を得ることになりました。私達
スピリチュアリストは  「新しい霊的知識」「新しい霊的視野」「霊的成長のための実践的知
識」という3つの霊的宝を、他の地上人に先駆けて与えられたのです。

地上人に「霊的視野」を持たせることが、スピリチュアリズムの一つの目的
 2つ目の霊的宝である「新しい霊的視野」とは  「霊的真理に立った考え方・見方・判断をす
る」ということです。それによって、これまで地上という物質世界を物質的視点だけで眺めてい
たレベルを抜け出て、物質世界を霊的視野から眺めることができるようになります。シルバー
バーチは、こうした「霊的視野」を地上人にもたらすことが、自分達の目的でもあると言ってい
ます。


「物質の中に閉じ込められている皆さんにとって、霊的実在を原理とした物の考え方をするの
が難しいものであることは、わたしもよく知っております。しかし、そういう考え方をお教えする
のが、わたしたちがこうして地上へ戻ってきたそもそもの目的なのです。皆さんが人生を正しい
視野、正しい焦点でとらえてくださるように導くことです。」
                          (シルバーバーチ・道しるべ・99)

 シルバーバーチに言わせれば、地上人の大半が、人生を正しい視野・正しい焦点でとらえて
いないということになります。大半の地上人が、間違った考え方で、毎日を過ごしているというこ
となのです。

霊的視野を持つとは、自分の考えを「霊的真理」に添わせること
 先程、地上に生まれる前と後では、バーバネルの意識に、いかに大きな隔たりがあるかを述
べました。肉体を持った人間の霊的意識は、まるで牢獄の中に閉じ込められたような状態に置
かれており、普通は全くと言ってよいほどそれを自覚することはありません。

 霊的視野を持つとは、別の言い方をすれば  「霊界の人々が地上世界や地上人を眺める
のと同じように見る」ということです。肉体を持ちながらも、霊界の人々と同じような見方・考え
方をすることなのです。したがって霊的視野を持つための努力とは、霊界人にならって、通常
の自分の見方・考え方を切り換えて、霊的なものにしていくということになります。

 しかし肉体を持ち、霊的感覚の失われてしまった私達にとって、果たしてそうしたことは可能
なのでしょうか? 霊性の鈍くなってしまっている私達には、とてもできそうにないことのように
思われます。ところが「霊的真理」を持っているということが、それを可能にするのです。 

 霊的真理とは、純粋な霊的視点そのものです。霊界にいる高級霊の視点が、取りも直さず霊
的真理として語られているのです。したがって霊的真理に添って自分の考えを変える努力をす
ることによって、高級霊と同じ「霊的視野」が持てるようになるのです。

 もちろん、そのためには大変な努力が要求されます。絶えず霊的真理を思い出し、それに一
致させようとする意識的な努力が必要となります。そうしない限り、いつまでたっても肉体的な
視野・物質的な視野から抜け出ることはできません。霊的真理を知らない人々と同じような視
野しか持つことができません。

霊的視野を持とうと努めることは、最高次元の霊主肉従の実践
 霊的成長のための実践の第一歩は、物質・肉体に翻弄(ほんろう)されないようにすることで
す。すなわち「霊主肉従」という自己コントロールから始まります。シルバーバーチは自己コント
ロールについて  「地上人は、動物性の名残と神性という相反する2つの要素を内在させて
います。霊的成長とは、動物性の名残(利己的本能)を抑え、神性をより多く発揮できるように
なることです」と述べています。

 スピリチュアリズムの実践の第一歩は、この「霊的な自己コントロール」の闘いから始まりま
す。この闘いに勝ち、自分自身が物質に翻弄されない存在となって、初めて霊的成長が可能と
なります。スピリチュアリズムではこのように、まず自分自身を修めることが真っ先に求められ
るのです。従来の多くの宗教と同様、スピリチュアリズムは、自己コントロールを信仰実践の出
発点としています。

 ところで「霊的な自己コントロール」、すなわち「霊主肉従の内面的闘い」にも、いろいろな段
階があるということを知っておく必要があります。低い次元の霊主肉従から、高い次元の霊主
肉従があるということです。初歩的な霊主肉従の段階は、物質欲・肉体本能の放縦にストップ
をかけるということです。具体的には、質素な生活・節度ある生活を心がけるということです。

 そして霊主肉従の最も高次なものが、考え・思考そのものを、すべて霊的な観点からなすよう
にするということです。純粋な霊的思考ができるようにすることです。そしてこれが、まさに「霊
的視野を持つ」ということなのです。霊界人のように地上世界の出来事を眺められるようになる
ということです。

 こうした霊的視野を持つためには、当然のこととして、自分の内部の霊的状態が高まってい
ることが必要とされます。すなわち「初歩的な霊主肉従」がしっかりなされていることが不可欠
な条件となります。基本的な霊主肉従が確立した上で、初めて霊的視野という「高次元の霊主
肉従」が可能となるのです。

霊的視野によって、心が広くなり「霊的楽天性」が身につく
 霊的視野で見るとは、地上世界の出来事を一歩高いところから見下ろし、より広範で高次元
の判断をすることです。当然、一般の地上人とは全く異なる判断をすることになります。それは
別の言葉で言えば、地上人でありながら、地上人の物質的視点を超えることです。

実はこれは、従来の宗教で言われてきた「大きな悟り」の世界に至るのと同じことなのです。も
っとも高級霊のレベルから見れば、その程度の悟りは霊界での常識ということになりますが…
…。
 そうした高く広い視野を持つことによって、地上世界の出来事に振り回されたり、翻弄される
ことがなくなります。毎日毎日の出来事に、右往左往することなく、常にゆったりと、どっしりと
臨むことができるようになります。心に深い安らぎと平安を宿すことができ、「霊的楽天性」とい
う人徳を身につけることができるようになるのです。霊的視野を持つことによって、最高のポジ
ティブ・シンキングが可能となるのです。


「いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物ごとを見ないということ、地上的
尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、
往々にして人間の判断力を曇らせている近視眼的無分別に振り回されることはないということ
を忘れないでください。」       (シルバーバーチ7・59)

霊的視野を身につけることは、本当のスピリチュアルな能力を持つこと、この世の霊能者以上
の力を持つこと

 霊的視野を持つということは、単なる霊体の持つ能力(霊能力・サイキック能力)を超えたス
ピリチュアル・レベルの能力を身につけることを意味します。霊の姿を見たり、霊の声を聞くと
いったサイキック能力を発揮することができる霊能者は多くいます。しかしそうした霊能者の中
で、高級霊と同じような視点で、地上世界の出来事を眺めることができる者はめったにいませ
ん。

 これまでの人類史上、卓越したサイキック能力と、高次のスピリチュアル能力をともに備えた
人間としてイエスを挙げることができますが、これは例外中の例外と言えます。肉体を持ちな
がらも高次の霊的視野を持つことができた人間は、地球人類の歴史の中で、イエスをおいて
他にはいなかったのです。

 この世には目を見張るような霊能力を発揮することができる人間がいますが、私達はスピリ
チュアリズムによってもたらされた「霊的真理」を活用することにより、彼ら以上の高い霊的能
力を持つことが許されているのです。

霊的真理を知ることによって、私達はどんな霊能者よりも高いスピリチュアルな能力を身につ
けることができます。霊界の高級霊と同じように、永遠の観点から日常の出来事を眺めること
ができる、価値ある霊的能力が与えられるようになるのです。 

 そして、そうした高い心境を持つことによって、霊界にいる多くの霊達の協力・応援を引き出
すことができるようになるのです。

  

 3 霊的視野の習慣化・定着を目指して
   日常の意識的努力が不可欠



 先に述べたようにシルバーバーチは、地上人が霊的視野を持てるようにすることが、自分達
が地上に来た目的であると言っています。したがって霊的視野を身につけることは、私達スピ
リチュアリストにとっての明確な目標となります。霊的視野を身につけるということは、天から与
えられた「霊的真理」という宝を、正しく活用し、実践することでもあります。

 霊的視野は、語学や新しい技術を習得するように、努力によって少しずつ身につけていくも
のです。意識しなければ、いつの間にか物質的視野に戻り、すっかりこの世の人々と同じレベ
ルにまで下がってしまいます。

したがって霊的視野を身につけるためには、初めは「意識的に霊的真理を思い出す」ことが必
要となります。絶えず一人の時間をつくり、霊的真理を思い出し、心の持ち方を正していく作業
を繰り返さなければなりません。心の切り換えは、初めはとても難しいことですが、努力を継続
する中で徐々に身についていきます。

それにともない日常生活においても、自然に霊的視野に基づく考え方ができるようになってい
きます。やがて霊的視野が習慣化し、意識の中心に定着するようになります。

 このように最初は、意識的に霊的視野を思い出したり、心を切り換える努力をしなければなり
ません。頭で分かっていても心がしっくりしない、実感が湧かないといったことは初期の段階で
は普通です。心もなかなか広がりません。

そんな時こそ率直に、「神に助力を祈る」ことが必要です。まさに神に祈る好機なのです。そうし
た祈りは、地上人の霊的成長を心から願ってくれている守護霊にとって、とてもうれしいことで
あり、必ず全力で手助けしてくれるはずです。

 一人になって目を閉じ祈ります  「神様、私に霊的エネルギーを与えてください。私の心にエ
ネルギーを注ぎ込んでください。そして霊的視野が実感できるようにしてください。」5〜10分、
じっとして霊界からのエネルギーを取り入れるのです。

すると自然と不思議な心の安らぎが訪れるようになります。心が明るくなり、力が湧き、頭がす
っきりして視界が広がります。すぐそこに霊界があることを、生き生きと感じられるようになりま
す。そしていつの間にか、霊的視野からの見方ができるようになっていることに気がつくはずで
す。

 こうして守護霊の助けを得ながら、「霊的視野」が実感的なものとして身につくようになってい
きます。霊的視野が自分のものになるにつれ、日常の出来事に心が乱されることがなくなり、
常に安定した心境を保てるようになります。日々の努力を通じて、霊的視野から物事を眺めら
れるようになったとき、自らの霊的成長を自覚することになるでしょう。

  

 4 霊的視野の実際  霊的視点を身につけるための実例




 次にさまざまなケースごとに、「霊的視野」の実際を見ていくことにしましょう。ここに挙げた実
例を、霊的視野を身につけるための練習材料として、また自分の心を整理するための現実の
手助けとして、あるいは皆さん方の祈りの言葉として活用してみてください。

霊界と霊達を、霊的視野から見ましょう
   今、皆さん方は、どのような場所にいるでしょうか。自宅の部屋の中でしょうか。会社のオ
フィスでしょうか。あるいは雑踏の中、通勤電車の中でしょうか。どのような場所であっても、そ
の場から、霊界と霊界人に思いを馳せることにしましょう。

 今、私達の目に映るのは物質世界だけです。しかし実際は、その背後に「霊界」があります。
現実にこの場に、霊界が展開しています。それを意識してみましょう。目に見える物質世界だ
けでなく、霊界を心の中に思い描いてみましょう。私達は今、2つの世界に同時に身を置いて
います。

 今、私達の眼前に広がる霊界には多くの霊達がいます。そして私達のすぐ後ろには守護霊
がいます。守護霊はいつも、私達一人一人を導き守ってくれています。その「守護霊」の存在を
心の中に感じてみましょう。私達の行動と心のすべては、守護霊に知られています。一切の隠
し事はできません。ですから裸になって正直に、守護霊に対しましょう。



〈祈り〉
「たとえ肉体を持った私であっても、常に霊界があることを意識できますように……。物質的な
ものに心を奪われないように、霊的視野を与えてください。いつも私を導き守ってくださっている
守護の霊に、心から感謝いたします。」 



  今度は霊界全体に目を転じてみましょう。


◆  ◆  ◆

 霊界には、地上人類を救うためのスピリチュアリズムの大霊団が組織されていて、地球に向
けて働きかけをしています。地球圏霊界のすみずみまで霊達が配属されています。今この時
も、世界各地で昼夜を問わず、スピリチュアリズム普及のために働きかけています。私達の背
後にも、多くの霊達が連なって応援しています。 



〈祈り〉
「私も、霊界の高級霊の方々と同じスピリチュアリズムの一員として、自分の人生を捧げたいと
思います。どうか私の人生を、霊界の方々の道具として用いてください。」 




神を、霊的視野から見ましょう
  物質世界と霊界と霊界人の3つが、同時に心に感じられるようになったら、さらに意識を拡
大し、神に思いを馳せることにしましょう。


◆  ◆  ◆

 地上世界・霊界のすべてが、神の霊に包まれています。私達の心、私達の体は神の霊に満
たされ、包まれています。神の霊の大海の中に、私達も、物質世界も霊界も霊達も浸っていま
す。

 私達は神の分霊であり、神から生まれました。だから神は私達の「霊の親」、私達は神の「霊
的子供」です。そして私達一人一人は、今、神から最高の愛で愛されています。神は法則によ
って世界と人間を支配していますが、その法則の背後には「神の慈悲」が存在しています。神
は私達に直接、姿を顕すことはありませんが、私達は常に、神によって愛されているのです。



〈祈り〉
「神様、私はあなたを信じます。私のすべてを、あなたに委ねます。あなたによって愛されてい
ることは、私にとって最高の喜びです。あなたの子供であることに、感謝いたします。」 




地上世界・地球を、霊的視野から見ましょう
  霊界と神が意識できるようになったら、次は目の前に存在する物質世界・地球を眺めること
にしましょう。


◆  ◆  ◆

 眼前に広がる物質世界は、霊界での生活に備えて造られた“訓練の場所”です。わずか10
0年にも満たない短い地球上での生活で、いろいろな体験をして魂(心)を鍛え、成長させるた
めに私達は生まれてきました。今、私達は魂を成長させるために、地球という物質世界に生き
ているのです。

 その地球は多くの惑星の中で、霊的にきわめて低い場所です。「物質主義と利己主義」だけ
に支配され、神の愛も光も届かない暗黒の世界になっています。そのため多くの人々が、本来
必要のない苦しみを味わっています。しかしその暗黒の地球にも、高級霊によって少しずつ光
が射し込まれ、徐々により良い訓練場になりつつあります。
 
私達は暗黒の地球にあって、幸いにもスピリチュアリズムと出会い、直接、霊的光を受けられ
る恵まれた立場に立っています。地上人として「最高の恩恵」に浴しているのです。



〈祈り〉
「神様、私に最高の地上人生を与えてくださって、ありがとうございます。私の一生を、スピリチ
ュアリズム普及のため、人類の救いのために捧げます。」 


地球上の出来事・ニュースを、霊的視野から見ましょう
  地球上で毎日起こっている、さまざまな事件・ニュースに目を向けてみましょう。大半の地上
人は、そうした出来事に右往左往し、不安を募らせ、無用な心配・恐怖にとらわれています。


◆  ◆  ◆

 地球上の悲惨な事件・ニュースは、すべて地上人類を支配している「物質主義と利己主義」
から生じています。でもそれを、私達が心配したり恐れたりする必要はありません。霊界からの
働きかけによって、徐々にではあっても確実に、地球は良い方向に向かっています。

 霊界の高級霊達がすべて良きように計らってくださっている以上、私達が将来を憂える必要
などありません。私達スピリチュアリストは「霊界の道具」として精いっぱい、スピリチュアリズム
普及のためにお手伝いしていけばよいのです。それがベストの生き方なのです。



〈祈り〉
「神様、一刻も早く、地上での醜い争い・騙(だま)し合い・奪い合い・人や動物への虐待がなく
なりますように……。
 私は地上の出来事に心を乱すことなく、あなたと高級霊の方々の導きを信じます。そして、い
つかその努力が実って、地球上に天国が到来することを信じます。」 




家族を、霊的視野から見ましょう
  次に、地球上の人間関係に意識を向けてみましょう。まず、皆さん方の家族を見てみましょ
う。家族(家庭)は大半の地上人にとって、心の拠りどころであり、最も大きな慰めの場所となっ
ています。これをどのように見つめるべきでしょうか。


◆  ◆  ◆

 私達の家族の一人一人は、霊的成長を目指して、この地球に生まれてきました。彼らは私達
の家族であるより先に、「神の霊的子供」なのです。そして家族のそれぞれに、彼らを導く「守
護霊」が付いています。同じ家族であっても霊的成長のレベルは異なり、各自が自分の成長に
責任を持って地上人生を生きていかなければなりません。一人一人が皆、霊的成長のための
厳しい訓練の道を歩む等しい神の子供なのです。

 家庭は人間にとって優れた“愛の訓練場所”ですが、そこで育まれる愛のほとんどは、霊的な
ものではありません。家族への愛よりもっと価値ある愛は、血縁関係のない人々へ向けての愛
です。多くの人々の霊的救いのために働くことこそ、より次元の高い愛の行為なのです。家族
愛より「霊的奉仕」の方が、はるかに価値があるのです。



〈祈り〉
「神様、縁あって地上で家族となった者達が、どうか地上人生を有意義に過ごし、霊的成長を
なせますように……。
 そして自分の意識が家庭を超えて、より広い人類の幸福へと向かいますように……。常に私
の心に、家族よりもあなたと全人類への愛が強く宿りますようにお導きください。」 




まわりの人々を、霊的視野から見ましょう
  家族という身近な人間関係から目を広げ、まわりにいる人々を眺めてみましょう。私達のま
わりにはさまざまな人々がいます。背中の曲がった老人がいます。茶髪の青年もいます。会社
員風の男性、セーラー服を着た女子高校生も見えます。金持ち風の男性が高級車に乗ってい
ます。公園のベンチには、みすぼらしいホームレスの男性の姿が見えます。


◆  ◆  ◆

 まわりの人々の、外見に惑わされてはなりません。すべての人々は、魂を成長させるために
地球に生まれてきたのです。しかし大半の人々は地上かぎりの楽しみや喜びを求め、かけが
えのない人生を、全く無駄なことだけに費やしています。
 彼らが「霊的真理」を知らず、物質的な満足だけを追い求めているのは、何と気の毒なことで
しょうか。死ねば素晴らしい霊界に行けることを知らず、死を恐れているのは、何と哀れなこと
でしょうか。



〈祈り〉
「神様、今、私の目の前にいる人々が一刻も早く霊的真理を受け入れ、霊的人生を歩み出す
ことができますように……。せっかくの地上人生を、はかない物質欲だけにとらわれて無駄に
終えることがないようにお導きください。」 




  道を歩くと、ブラジル人らしい若者のグループが見えます。またテレビのスイッチを入れる
と、画面には世界各国の人々の姿が映し出されています。


◆  ◆  ◆

 この人々も皆、私達と同じ「神の子供」です。彼らも魂を成長させるために地球に生まれてき
ました。そして自分にふさわしい環境として、今の人種・国・性別を選んだのです。彼らは、神の
子供であり、私達とは「霊的兄弟姉妹」なのです。



〈祈り〉
「神様、地球上に生を享(う)けたすべての人々が、あなたの本当の子供として霊的成長の道
を歩むことができますように……。異なる人種・民族のすべての人々が、私の霊的兄弟姉妹で
あることを深く実感させてください。」  



  物質主義と利己主義の支配するこの地球上には、肉体を維持するための最低条件(食料・
衣類・住まい)さえも保証されない気の毒な人々が大勢います。食べる物にも事欠く悲惨な状
況の中で、霊的なことなど到底考えられない哀れな人々がたくさんいます。


◆  ◆  ◆

 地上に生を享けた人々は皆、地上生活を通じて霊的成長をなすために生きています。それ
が地球全体の未熟さのために犠牲となり、霊の道具である肉体さえも維持することができなく
なるというのは、本当に悲惨なことです。今後、何百年をへて地球が霊的に進化した暁には、
こうした人々は、地球上には存在しなくなるはずです。

 しかし21世紀の現代では、地球はまだそこまで進化していないために、多くの哀れな犠牲者
達を生み出しています。地球人類全体の未熟さのために犠牲となった人々は、霊界において
埋め合わせの道を歩むことになり、永い視点から見れば、決して不公平な扱いを受けることは
ありません。しかし現在の地球上においては、彼らは最も不幸な人々なのです。



〈祈り〉
「神様、どうか最も恵まれない地上の仲間達に、生命をつなぐ最低限の保証が与えられますよ
うに……。今、地上人生において最低のものさえ得られずに死んでいく哀れな兄弟姉妹達に
は、霊界での幸福と、今後の霊的成長の道が約束されますように……。 そして地球全体が進
化して、一刻も早く、こうした哀れな人々を生み出すことのない惑星に至ることができますよう
にお導きください。」 




自分自身のことを、霊的視野から見ましょう
  ここで目を転じ、今度は、自分自身のことを霊的視野から見ることにしましょう。


◆  ◆  ◆

 私達は、魂を成長させるために地上に生まれてきました。肉体は、地上で魂を成長させるの
に必要な道具のようなものです。道具(肉体)は死とともに朽ち果て、土に戻りますが、私達の
魂は、死後も霊界で永遠に生き続けます。

 霊界こそが、私達の本来の世界であり、今は一時、物質世界ならではの体験を求めて、この
地上に立ち寄っているのです。不自由な道具をまとって生きる地上は厳しい霊的修行の場で
すが、その地上生活の間中、私達には「守護霊」が付き添い、守り導いてくれています。



〈祈り〉
「神様、私の人生は、人々への奉仕と自分の霊的成長をなすためだけにあることを、強く自覚
させてください。物欲に惑わされ、本能の放縦に流されることがないように、私を高めてくださ
い。もっともっと清い世界を求める力を、どうかお与えください。」 






自分の人生とライフワークを、霊的視野から見ましょう
  私達は、何のために生きているのでしょうか。大半の人々が人生に確かな目的を見い出せ
ないまま空しく時を過ごし、死んでいきます。自分の一生を懸けて追い求めていく目標を持った
人々は、ほとんどいません。
 それは物質世界だけがすべてだと思い、人生を永遠の尺度から考えられないからです。


◆  ◆  ◆

 私達は「霊界の道具」として、スピリチュアリズムのために働くことを決意し、自ら願って地上
に生まれました。私達の地上人生は、霊界の人々の地上人類救済活動に協力するためにあ
るのです。私達を通じて、一人でも多くの人々が「霊的真理」に出会うことが、私達の本来の願
いでした。それを思えば、真理普及と関係のないどちらでもいいことに、自分の人生を費やして
はならないはずです。
 これからの私達の人生を、すべて神と霊界に捧げ、「良き霊界の道具」として奉仕の道を歩
んでいきましょう。



〈祈り〉
「神様、私の人生を、すべてあなたの道具として捧げます。この世の物質的利益や名声は、何
も求めません。私の唯一の願いは、この地上人生を終えたときに  “お前はすべてを人類の
ために捧げた、良き神の道具であった”という、あなたからの評価をいただくことだけです。どう
ぞ、私のすべてをあなたの道具として存分にお使いください。」 




苦しみ・困難を、霊的視野から見ましょう
  地上人生では、苦しみ・困難との遭遇は避けられません。次々と苦しみや困難が生じてき
ます。それはこの地上は、苦しみを体験する中で霊的成長をなすための“訓練場所”として造
られているからです。

 大半の人々は、何とか苦しみから逃げることだけを考えますが、同じ苦しみ・困難も、霊的視
野から見れば小さなものとなります。そうした苦しみ・困難への対処こそ、まさにスピリチュアリ
ストならではの努力なのです。


◆  ◆  ◆

 すべての苦しみ・困難は、自分の霊的成長を促すものとして生じてきます。物質次元にとらわ
れなければ、教訓を学び、霊的成長の糧とすることができるものです。正しい考え方をもって臨
めば、地上の苦しみはすべて良いものとなるのです。その地上の苦しみは、一時的なものであ
り、いつまでも続くわけではありません。

 また私達には、霊界の霊達(守護霊)という最強の味方・真の理解者がいます。霊界の人々
が私達の人生をすべて良きように計らってくださる以上、その導きを信じるべきです。私達にと
って、最も良い道が示されるのです。

ですから自分なりにあがいたり、余分な心配や取り越し苦労をしないようにしましょう。いたずら
に心配し、恐れや不安を募らせ苦しむのは、霊界の人々の導きを忘れているか、信じていない
からです。それは自分の未熟さであり、霊性の鈍さに他なりません。

 地上では、とかく人目を気にするところから苦しみが生じますが、霊的真理を知った者は、人
の目より「神の目」を気にしなければなりません。自分に対するまわりの人々の評価は、気に
する必要はないのです。今、自分が神の前に正しく立ち、心を高める努力をしているかどうか
だけが問題なのです。



〈祈り〉
「神様、いつの間にか物質次元の意識にとらわれ、あなたの存在と霊界の事実を忘れていまし
た。そして、どちらでもいいような地上の出来事に心を奪われ、取り越し苦労をしていました。
あなたが愛してくださっていること、そして常に霊界の方々が最大の導きをしてくださっているこ
と、そのため何一つ心配する必要はなかったことを忘れていました。

 神様、いつもあなたのことを強く思い、霊界の方々の導きを実感し、地上世界の出来事に超
然とできるような広い視野を、私にお与えください。自分のことで悩み、エネルギーを費やすの
ではなく、人々への奉仕のために、すべてのエネルギーを傾けることができますように……。
 地上の出来事は決して大きなものではないことを、自分の生き方を通じて、まわりの人々に
示すことができますよう、どうか力をお与えください。」
 

寂しさ・孤独を、霊的視野から見ましょう
  人間にとっての最大の苦しみは、誰からも愛されていないという寂しさ・孤独です。人はこの
寂しさ・孤独から逃れるために、刹那的刺激や本能的快楽を追い求めます。他人とのお喋りや
ペットによって自分を慰めたり、趣味や娯楽で気を紛らわせようとします。
 
私達スピリチュアリストにとっても、寂しさ・孤独を乗り越えることは容易ではありません。それ
はまさに地上世界ならではの修行の現場であり、「霊的真理」を本当に活用する時なのです。


◆  ◆  ◆

 今、私達一人一人は、地上のどんな人間(両親・家族)よりも深い愛で、「神と守護霊」から愛
されています。私達が今、寂しさを感じているのは、日常生活の忙しさの中で、その一番肝心
なことをすっかり忘れていたからです。私達は、決して独りぼっちではありません。いつも神と
守護霊と一緒です。
 
神と守護霊から「最高の利他愛」で愛されている私達は、何と幸せな人間なのでしょうか。それ
なのにその事実を忘れ、寂しくなって、いつの間にか自分と同じ不完全な人間から、愛された
いと考えていたのです。

 今すぐ「神と守護霊」に意識を向け、その愛を思い起こし、霊的エネルギーをもらうことにしま
しょう。守護霊から与えられる霊的エネルギーによって、私達の心は満たされ、元気が湧いてく
るはずです。



〈祈り〉
「神様、あなたと霊界の方々から、真実の愛で愛されている私は、本当に幸せ者です。できる
ことならばその愛を、もっともっと強く実感させてください。そして他の人から愛されることを期待
するのではなく、自分が先に愛することができる強い人間になれますように……。
 霊界の方々が地上人を愛するように、いつも明るい“愛の灯台”となれますようにお導きくだ
さい。」 




死を迎える人を、霊的視野から見ましょう
  地上人にとって、“死”は避けられない宿命です。誰もが何十年か後には、必ず死に直面し
なければなりません。一般の人々にとって、死は最大の不幸であり、最も悲しい出来事です。
そして多くの人々が、何とか少しでも先に延ばしたいと思っています。
 しかしスピリチュアリズムでは“死”について、180度異なる考え方をします。


◆  ◆  ◆

 死は素晴らしい再出発の時であり、楽しみに待ち望むべき喜びの時です。もうすぐ死を迎え、
霊界に戻ろうとする人は、病気の苦しみや肉体の重さから解放され、素晴らしい出発をしようと
しています。間違いなく、地上人生よりずっと幸せな生活が待っています。そうした新しい門出
を迎えた人には、祝福の言葉を贈るべきなのです。



〈祈り〉
「神様、今、霊界に旅立とうとするこの人が、死を自覚し、霊界での環境に早く慣れますように
……。霊界の人々の迎えに、素直に従うことができますようにお導きください。」 




自分の死を、霊的視野から見ましょう
  最後に、自分の死について考えてみましょう。いつ死を迎えてもよいように、「霊的真理」に
照らし合わせて、心の準備をしておくことが必要です。


◆  ◆  ◆

 私達自身が重病で“死”を避けられない状況のときは、霊的真理で心を整理し、霊界に思い
を馳せ、死の訪れを静かに待ちましょう。死の直後には、あの世にいる家族や親しい人達が出
迎えてくれるはずです。その人達との再会を心待ちにして、喜びに胸をふくらませましょう。



〈祈り〉 
「神様、私はもうすぐ地上人生を終わろうとしています。私は短い地上人生の中でスピリチュア
リズムと出会い、スピリチュアリズムのために働くという、幸せな人生を送ることができました。
まだまだやりたいことがたくさんありますが、それは他の多くの人々が、代わってやってくれるも
のと信じています。

 私は霊界に行ってからも引き続き、霊界の方々とともに、スピリチュアリズム普及のために働
きたいと思います。すべてをあなたに委ねますから、どうか霊界でも、スピリチュアリズムのた
めに貢献する道を、私にお与えください。
 神様、これまでのあなたの導きに、心から感謝いたします。」 


スピリチュアリズムから見た
TM瞑想と伝導瞑想 


 スピリチュアリズムでは、祈りや瞑想を、とても重要なものと考えています。物質世界での忙
しい歩みの中で、私達の心は自然と「肉主霊従」に陥ってしまいますが、祈りや瞑想は、下がっ
てしまった心を強力に「霊主肉従」の状態に引き上げてくれます。

祈りや瞑想を通して、私達は神からの霊的エネルギーを取り入れることができます。それによ
って高いレベルに心を保ち、日頃から私達を導いてくれている背後の霊達との関係を密接に
することができるようになります。

こうした霊的効果があるため、高級霊は私達地上人に、一日わずかな時間でもよいから祈り
の時を持つように繰り返し述べているのです。(*スピリチュアリズムにおける祈りや瞑想につ
いては、ニューズレター4号ですでに詳しく説明していますので、ここでは省略します。)
 時々、「瞑想にはさまざまな種類がありますが、その中でどれを選んだらよいのでしょうか」と
いう質問を受けることがあります。

 それについてシルバーバーチは  「物的混沌から抜け出させ、霊的静寂の中へと導くことを
主眼としておりますが、私はどれといって特定の方法を説くことには賛成しかねます。各自が自
分なりの方法を自分で見い出していくべきものだからです」(シルバーバーチ1・155)と言って
います。

 要するに、各自が自分に合った瞑想法を探せばよいということです。霊的意識を取り戻し、霊
的意識を引き上げる効果が得られるならば、どのような方法であっても構わないということで
す。

さてここでは、禅(ゼン・メディテーション)と並んで、世界的によく知られている2つの瞑想法(T
M瞑想と伝導瞑想)を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検討してみることにします。

  

 1 TM瞑想(トランセンデンタル・メディテーション)


シンプルで効果の高い優れた瞑想法
 TM瞑想は、日本語では「超越瞑想」と訳されます。これは古代インドのヒンドゥー教の聖典
を、物理学者で哲学者である、マハリシ・マヘーシ・ヨーギが、現代社会に合った形で復興させ
たものです。

TM瞑想の方法は実に簡単で、教師がヴェーダ経典の中から選んだその人向けの「マントラ
(真言)」を、心の中で15〜20分(1日2回)唱えるだけのことです。たったこれだけのことです
が、それによってさまざまな効果がもたらされるのです。

 しかもその効果は、現代科学によって確かめられています。ストレス解消や不安感の減少と
いった心理的効果や、新陳代謝率のアップ・不眠症からの解放・血中乳酸塩の低下・高血圧
の正常化といった生理的効果が確認されています。

また職場の雰囲気の改善や、従業員の仕事に対する満足度の向上といった行動面への効果
も認められています。TMでは実際にこうした多くの効果がもたらされるため、現在、企業の中
にはTMを導入するところが現れています。


その他、TMの評価できる点は、新興宗教のような強引な勧誘をしないということです。TMに
は、新興宗教的な狂信性・宗教臭さがありません。スピリチュアリズムから見たとき、TMはグ
ループとしての在り方や瞑想効果という点で、一定の評価を下すことができます。スピリチュア
リズムと共存することができる数少ない組織・グループと言えます。


誇大に宣伝され過ぎるTM効果
 このようにTMについては、スピリチュアリズムの立場からも評価すべきいくつかの点があり
ます。しかしTM独自のものとしてPRされる心理的効果や生理的効果は、何もTMだけに限ら
れるものではありません。

TM以外の多くの瞑想法においても、同様の効果が実際に確かめられています。TMでは500
に上る研究調査によって、TM瞑想の独自的効果は立証済みだと言っていますが、比較研究
の完全な情報が提示されているわけではないため、TMサイドの見解を、そのまま鵜呑みにす
ることはできません。

 またTMでは、瞑想が進んだ段階で、フライング(*空中へのジャンピングや浮遊)という現象
が起こることが知られています。かつてはこれが、TMの優秀性と独自性を示すものとしてPR
されたことがありました。しかしこうした現象も、TMだけに見られる独自のものではありませ
ん。ましてやそれによって、TMの優秀性が証明されることにはなりません。

 こうしたフライング現象・人体浮遊現象は、かつてのスピリチュアリズム(*20世紀初期の心
霊科学研究の時代)にも頻繁に見られました。スピリチュアリズムの観点からすれば、これは
サイキック・レベルの心霊現象の一つに過ぎません。

何より重要なことは、そうしたサイキック現象を引き起こす能力は、その人物の霊的成長・霊性
のレベルとは無関係であるということです。

TMの1%効果は、事実ではない
 TMでは、TM瞑想の実践者が都市人口の1%を超えると、人々の精神状況に変化が生じ、
社会環境が改善され、犯罪も減少することになると言っています。これを彼らは「1%効果」と
呼んでいます。

彼らはこの1%効果は、大規模な科学的調査結果によって証明された事実であるとしていま
す。しかし彼らが証拠として挙げるデータは、どこまでもTMサイドで大量に製作されたものに
過ぎません。事情は分かりませんが、最近ではこの1%効果は、以前ほど盛んにはPRされな
くなっています。

 スピリチュアリズムの観点からすれば、1%効果は明らかに誇大宣伝としか言いようがありま
せん。あるいはTMに潜む盲信的要素が表面化したと言うべきかも知れません。地上世界は、
一定の霊的レベルに至った人が「霊的真理」と出会い、それを実践に移すことによって徐々に
霊的浄化が進むようになっています。

すなわち真のスピリチュアリストが、一人また一人と増えることによって、「地球の霊的浄化」が
進展していくのです。TMの言う1%効果は事実ではありません。

なぜTMのマントラでなければならないのか?
 TMに対しては、次のような疑問もあります。なぜヴェーダ経典から選んだマントラでなければ
ならないのか、どうしてそれを他人に口外してはならないのか、ということです。それについて納
得のいく根拠が示されていません。

TMでは、TMのマントラは生命の成長を育む調和的な質を持った波動であり、その人個人に
合った特定の音であるからとの説明をしていますが、それではあまりにも説得力がありませ
ん。

 スピリチュアリズムの観点からすれば、何もマントラでなくとも能力を引き出す方法はいくらで
もあるということです。TMの言うマントラでなくとも、他の方法によって同じ効果を引き出すこと
ができるのです。TMのマントラは、単なるサイキックの手法の一つに過ぎません。

TMの最大の問題点  霊界と霊達の存在に対する無知
 TMにおける最大の問題点は、霊界と霊達の存在について全く無知であるということです。ス
ピリチュアリズムでは、地上世界の背後には厳然として霊界が存在していること、そして霊界
から絶えず地上に向けて影響が及ぼされていることを明らかにしています。私達地上人にとっ
て、霊界と霊達の存在は絶対的なものなのです。

 しかるにTMでは、この重大な事柄についての理解・認識が、ごっそり抜け落ちています。こ
れがTMの決定的な思想的致命傷なのです。したがってTMがどれだけ自らの正当性と優秀
性を主張したとしても、片手落ちの思想・片端の理論の域にとどまることになってしまうのです。

「創造神論」のスピリチュアリズムと、「汎神論」のTM  スピリチュアリズムとの本質的な神観
の違い

 霊界の存在を無視するという根本的な間違いを生じさせている原因は、マハリシが根拠とし
ている古代ヒンドゥーの教えそれ自体にあります。霊界通信に根拠を置くスピリチュアリズム
と、ヒンドゥーの教え(ウパニシャッド)に基づくTMでは、「神観」において本質的な食い違いが
あります。これについては先号のニューズレターでも触れましたが、もう一度取り上げることに
します。
 
スピリチュアリズムでは、神(大霊)と人間を、「創造主」と「被造者」という関係としてとらえま
す。この点においては、スピリチュアリズムの神観は、ユダヤ教やキリスト教と同じ「創造神論」
に立っています。

神は、どこまでも宇宙の創造主であり、人間との間には明確な一線が引かれています。そして
人間の霊魂は、神から生み出された分霊であり、それゆえミニチュアの神と表現されます。人
間の霊魂は、永遠的な個別性を保つように造られており、しかも神と同じ要素からなる「神の
子供」なのです。

人間は、神から与えられた分霊を、種子の状態で内蔵させています。霊性の進化とは、その種
子状態の「霊魂(ミニチュアの神)」を、努力によって少しずつ成熟させ、神に似ていくプロセス
に他なりません。人間は地上生活中も死後も、進化の道をたどっていきますが、それはどこま
でも「親なる神」の霊性に似ていく歩みなのです。

 したがって進化の暁に、神と一体融合化し、個別性を失うというようなことはありません。分霊
としての個別性は、どこまでいっても保たれるのです。古代インド思想や神智学で言うニルバ
ーナのような、神と融合一体化し、個性を失う世界に至ることは絶対にないのです。 

 古代インド思想は、こうしたスピリチュアリズムの考えとは全く異なっています。神(ブラフマ
ン)と人間との間に、創造主と被造者という一線を引きません。神と人間の関係を「汎神論的」
にとらえ、人間を神の一部であると考えるのです。

宇宙はたった一つの真の現実であるブラフマン(*TMではこれを超越絶対存在と言ったり、
永遠存在・純粋意識の存在と言っています)だけが存在するとします。自己と絶対存在(ブラフ
マン)との合体を完全に成し遂げることで、解脱(げだつ)の瞬間を迎えるようになると考えま
す。

古代インド宗教が理想として求めてきたブラフマンと合一した世界を、TMでは、第4の意識の
境地・意識の最高状態・宇宙意識と言っています。そしてこれは、現代物理学で言う“統一場”
と同じであると主張するのです。 

瞑想中に味わう「至福意識」について
 このようにスピリチュアリズムとTMでは、神観において全く異なった考え方をします。この神
観の違いが、瞑想中の「至福体験」に対する見解の違いを生み出すことにもなります。深い祈
りや瞑想中には、たびたび霊的なエクスタシー状態を体験することがあります。そうした状態で
は、自分の身体がまるで宇宙の中に溶け込んでしまうような感覚に包まれます。

 TMでは、第4の意識状態(純粋意識)に近づくにつれ、至福感覚が高まると説明しますが、
これはスピリチュアリズムにおける至福体験と同じことを意味しています。すなわちTMの言う
「至福意識」とは、スピリチュアリズムで言う「霊的なエクスタシー体験」と同じものなのです。

しかしその等しい体験を、スピリチュアリズムとTMでは、全く異なるものとして解釈します。
 スピリチュアリズムでは「至福体験」を、霊的意識の拡大による神(大霊)との接近状態、神と
愛において深く結ばれた状態と考えます。

実はこうしたことは、肉体の影響を一切受けない霊界においては、日常的に生じていることな
のです。各霊の進化のレベルに応じて意識の度合いは異なりますが、地上人ではめったに味
わえない至福意識の状態を、霊界人は絶えず体験しています。

 一方、TMではそうした「至福体験」を、神(ブラフマン・一者)と合一・合体した瞬間ととらえま
す。スピリチュアリズムとTMの見解のどちらが正しいのかは、霊界の事実と照らし合わせれば
明らかです。至福意識を体験している最中にあっても、霊体が神と一つとなるという事実はあり
ません。

主観的にはまさに宇宙と一つとなり、神と一体となったかのような感覚を味わいますが、それ
はどこまでも主観的感覚であって、霊的な事実ではないのです。霊体という形態が消え失せ、
神と融合してしまうようなことはありません。

睡眠中の体験に対する無知
 またTMでは霊的世界の事実が分からないために、睡眠中の貴重な体験についても、その
重要性を全く認識していません。私達は一人の例外もなく、睡眠中に霊体が肉体から離れ、霊
界に赴いて死後に備えてさまざまな体験をしています。このように睡眠には、単に肉体を休め
る以上の大きな意味があるのです。

TMでは盛んに、睡眠とは異なる深いリラックス効果が得られると宣伝しますが、それは睡眠
の持つ重要性を知らないところから発する無知な判断に過ぎません。

祈り・瞑想の目的の一つは、背後の霊との絆を強化すること
 地上人は絶えず霊界の守護霊による導きを受けているという重大な事実を、TMでは全く理
解することができません。実は祈りや瞑想は、こうした霊達の存在を前提としないところでは成
立しないものなのです。

 スピリチュアリズムにおける祈りは、神に向けて発せられます。それが魂を神に近づけ、霊界
の人々とのパイプを強め、霊達がより働きかけやすい状況をつくり出すことになります。このよ
うに正しい祈りには、必ず霊界の霊達の反応がともなうようになっているのです。

それによって私達地上人は、大きな導きを得られるようになるのです。スピリチュアリズムにお
ける祈り・瞑想は、常に背後にいる霊達の存在が前提となっています。

TMでは、霊界の人々の導きや、祈りがそのために大きな意味を持っているという事実が分か
っていません。TM瞑想は、霊との係わりという祈りにおける重要な一面を、初めから捨て去っ
てしまっています。

TM瞑想は、霊の存在を全く無視した単なるサイキックの手法に過ぎません。そうした瞑想法で
は、いつまでたってもサイキック・レベルを抜け出ることができず、さらに高次のスピリチュア
ル・レベルに至る道が完全に閉ざされてしまっています。

 シルバーバーチは、霊的存在を意識しない祈りや瞑想に対して、次のように言っています  

「もしも宇宙の最高神と直接の交流が持てるとすれば、指導霊のような中間的存在は無用とな
るでしょう。が、そんなことが出来るかのごとき言葉を耳にすると、私は“キザな霊的俗物根性”
の響きを感じずにはいられません。」(最後の啓示・86)  

 霊界の霊達との係わりを持たない瞑想は、本質的に片手落ちの瞑想ということなのです。


地上世界の浄化は、TMではなくスピリチュアリズムによる
 1990年1月、マハリシは地上天国を実現するとの決意を表明し、具体的な活動を開始しま
した。そしてマハリシ・シティーという理想都市・共同体を建設することに着手しました。ストレ
ス・公害・犯罪・騒音から解放され、暮らしの質を最高度に高めるよう設計された建物やインテ
リアを備えた具体的な理想世界の建設を始めました。

しかし、こうした意欲的な試みも、間違いなく失敗に終わることになるでしょう。なぜなら地上世
界の浄化は、TMの瞑想人口が増えたり、理想都市の建設によって進められるものではない
からです。

 地上世界の浄化は、スピリチュアリズムに係わる霊達の一大組織によって進められていま
す。霊界側からの働きかけなくして、地上人類の霊的進化はあり得ません。霊界の高級霊から
もたらされた「霊的真理」を受け入れ、それを実践に移す地上人が一人また一人と増えること
によって、地球はより良い惑星へと進化していくのです。

今この時も、地球の霊的浄化は、霊界の霊達の計画にそって着実に進められています。地上
世界は、霊界あげての地上救済の働きかけによって、今、霊的向上の道を歩むことが可能と
なっているのです。

 以上、TM瞑想について見てきました。TMは単なる心理的・生理的効果を期待するにはとて
も優れた方法・手段と言えます。スピリチュアリズムの観点に照らしても評価できる内容を持っ
ています。しかし、それを「霊的観点」から見ると、真に評価に値するものは、ほとんどないとい
うことになります。

  

 2 伝導瞑想(トランスミッション・メディテーション)



「大救世主マイトレーヤ如来(にょっらい)」と、ベンジャミン・クレーム
 1922年生まれのイギリス人、ベンジャミン・クレームは、公表されたプロフィールによると、
画家で密教学徒であり、深い知識と体験を備え、超能力を持っているとされています。彼はま
た、これまでUFOや宇宙人との接触があったとも紹介されています。そのベンジャミン・クレー
ムは、1972年の終わり頃から、「マイトレーヤ」と呼ぶ如来からのメッセージを受けることにな
ります。

 「マイトレーヤ」とは、釈迦が末法の世に現れると予言した弥勒菩薩(みろくぼさつ)のことで
す。ベンジャミン・クレームによれば、このマイトレーヤは、まさに神が人類に遣わされた大救
世主であり、全人類のための最大の導師なのです。世界の大宗教がこぞって予言し待ち望ん
できた救世主であり、仏教で言われてきた弥勒菩薩、キリスト教で言うキリスト再臨主、イスラ
ム教のイマム・マーディー、ヒンズー教のクリシュナの再臨者と同一人物ということになります。

マイトレーヤの地上降臨
 マイトレーヤは、地上の全人類を苦境から救い出し、神の啓示を授け、地上に天国を建設す
るために降臨するということですが、ベンジャミン・クレームは、この「マイトレーヤの降臨」につ
いて驚くようなメッセージを伝えています。

 それは1977年に、すでにマイトレーヤの地上降臨が行われたと言うのです。マイトレーヤが
肉体を持った一人の地上人として、地球上に存在していると言うのです。そしてその肉体を持
って降臨したマイトレーヤは、現在まで、全人類の前に救世主として公に登場する時を待って
いると述べています。

 1982年には、ベンジャミン・クレームは、さらにマイトレーヤについての詳しい情報を伝えて
います。それによれば、マイトレーヤは1977年7月に、ヒマラヤの山上、5400mの光のセン
ターから降り、インド大陸からロンドンに入ったと言います。

そして最初の拠点地を、ロンドン市内のインド・パキスタン系移民の住む貧民街に選び、そこで
ありふれた素朴な男として徐々に人前に姿を現していく過程を歩んでいると述べています。

 その受肉化したマイトレーヤは、ベンジャミン・クレームを通じて、「可能な限り最も早い時期
に、一刻の猶予も許さず私自身を顕し、世界の前に登場することが私の意図である。私をただ
ちに発見してくれることに多くのことがかかっている」とメッセージを送っています。

ベンジャミン・クレームは、そのマイトレーヤからのメッセージを踏まえて、次のように述べてい
ます。「残念ながら世界の責任あるマスコミは、いずこもロンドンへ行ってマイトレーヤ探索の
ための労を取ることをせず、マイトレーヤはいまだに待っておられる」と。

いまだに姿を見せないマイトレーヤ
ベンジャミン・クレームは、マスコミの怠慢によって、マイトレーヤは現在まで世界人類の前に
出られないでいると非難しています。一方、ベンジャミン・クレームのメッセージを信じた人々
は、マイトレーヤが世界人類の前に現れる時を、今か今かと待ち望んできました。

 ベンジャミン・クレームは、これまでマイトレーヤが人々の前に現れる日時まで発表したこと
がありましたが、その度に、マイトレーヤの出現は空振りに終わっています。しかしその後も、
彼は、マイトレーヤの登場の準備をするために選ばれた代表として、その役割を果たそうと活
動しています。しかし今日この時に至っても、マイトレーヤは、出現を待ち望む人々の前にさ
え、その姿を現してはいません。

マイトレーヤとベンジャミン・クレームとの特殊な通信方法  オーバーシャドウ
 ところでベンジャミン・クレームは、マイトレーヤからのメッセージを、どのようにして受信して
いるのでしょうか。彼は、その方法を「オーバーシャドウ」と呼んでいます。オーバーシャドウと
は、意識の伝達がテレパシーによって行われることであり、マイトレーヤがベンジャミン・クレー
ムの肉体を使ってメッセージを送ることであると説明しています。要するにオーバーシャドウと
は、高度な心的テレパシーのことと考えられます。

 こうした説明を聞く限り、明らかに「チャネリング」と同じものと思われますが、ベンジャミン・ク
レームはそれを強く否定します。彼はオーバーシャドウは、一般の霊媒現象やチャネリングと
は異なるものであることを盛んに強調します。マイトレーヤはオーバーシャドウという特殊なテ
レパシーによって、ベンジャミン・クレームにのみ、メッセージを送っていると言うのです。

マイトレーヤの霊的エネルギーを、地上世界にもたらす手段  「伝導瞑想」
 ベンジャミン・クレームは、マイトレーヤの地上降臨に先立つ1974年に、天上界のエネルギ
ーを地上世界に伝導する(もたらす)ためのグループを結成することにしました。そして天上界
の高度なエネルギーを受け止め、変圧し、伝送する仕事に着手しました。そのエネルギーのト
ランスミッション(変換伝導)の手法として彼が示したのが、「伝導瞑想」だったのです。

 伝導瞑想は、マイトレーヤが神から受けたエネルギーを、地上人類に配布する手段であり、
それに係わる者は、光の通路(チャンネル)として全人類に対して奉仕をすることになるとされ
ます。伝導瞑想は、それ自体が世界への奉仕という利他的な行為になっていると言うのです。

ベンジャミン・クレームの伝導瞑想だけは特殊
 ベンジャミン・クレームの発言の中には、注目すべき内容があります。それは彼が出席する
伝導瞑想においてのみ、マイトレーヤのエネルギーのオーバーシャドウが起こるということで
す。これは別の言い方をすれば、ベンジャミン・クレームが出席していない伝導瞑想の集まりで
は、マイトレーヤの直接的なエネルギーのオーバーシャドウは生じないということになります。

 ベンジャミン・クレームが加わるときのみ、グループ全体がマイトレーヤのエネルギーによっ
てオーバーシャドウされることになり、それによって参加者の霊的成長が助長され、それ以後
は、各人のエネルギー伝導能力が高まると言うのです。

したがってベンジャミン・クレームが、世界各地で伝導瞑想の集いを持つことにより、それにた
ずさわる人々の霊的成長が促され、世界人類がいっそう向上するということになります。

 以上、マイトレーヤとベンジャミン・クレーム、並びに伝導瞑想について述べてきました。次に
これらを、スピリチュアリズムの観点から検討していくことにします。

伝導瞑想の本質は「再臨運動」
 ベンジャミン・クレームが一貫して係わってきたのは、マイトレーヤの降臨です。彼がこれまで
語ってきた内容は、一言で言えば「再臨思想」であり、その活動は「再臨運動」ということになり
ます。伝導瞑想として知られている瞑想法の本質は、この再臨運動の一環に他なりません。

 さてこの再臨思想ですが、これには2つの異なる立場(考え方)があります。一つは、「肉体再
臨説」で、キリストが肉体を持って再臨する、すなわち地上人として生まれるとする見解です。も
う一つが、肉体を持たない形でキリストが再臨するというもので、「霊的再臨説」と言います。

ベンジャミン・クレームは明確な「肉体再臨説」を唱え、しかもその内容は、キリストはすでに地
球上で生活しているという、きわめて具体性をともなったものとなっています。

 スピリチュアリズムでは「霊的再臨説」を主張します。ただし、イエス本人が降臨するという一
般的な霊的再臨説とは根本的な部分で異なっています。イエスの再臨とは  「イエスの霊的
影響力の地上への再出現」のことであり、これが取りも直さず「再臨のイエス」という言葉の真
意であるとしています。スピリチュアリズムとは、イエスの霊的影響力を地上世界にもたらすた
めに展開されている手段なのです。

 したがって「スピリチュアリズム」こそが、人類が長い間待ち望んできたイエスの再臨の実態
ということになります。20世紀以降、地球上においてこうした再臨思想が盛んに話題に上るよ
うになったのは、霊界において、イエスを頂点とする地上救済の大プロジェクトが活発に進めら
れてきたからなのです。

「肉体再臨説」の間違い
 肉体再臨説は、霊的影響力の到来を、イエス自身が肉体を持って再び地上に現れると錯覚
したものです。なかにはイエス本人が、手足をクギで打ち抜かれた傷痕のある肉体を持って地
上に現れるといったことを、まともに信じている人々もいます。またイエスと同一人物ではない
にせよ、キリストとしての使命を持った人物が、再臨のメシアとして地上に生まれると唱える一
派もあります。

 結論を言えば、どのような形であれ、キリストが肉体を持って再び出現することは決してあり
ません。もちろんベンジャミン・クレームが言うような、キリスト・マイトレーヤが肉体を持って地
上に出現するというようなこともありません。

 キリストが地上に再臨するという点については、スピリチュアリズムとベンジャミン・クレーム
は同様です。ただしその具体的な内容となると、両者では全く異なっているのです。

どれだけ待っても、マイトレーヤは現れない
 「肉体再臨説」が事実でない以上、今後、ベンジャミン・クレームやその信奉者達が、どれほ
ど肉体を持ったキリスト・マイトレーヤとの対面を待ち望んでも、それが実現することはありませ
ん。彼はいまだに、本当に心の底からキリスト・マイトレーヤの出現を事実だと信じているので
しょうか?

 もしかしたらベンジャミン・クレーム自身は、自分の言ったことの間違いに、すでに気づいてい
るかも知れません。25年前に宣言した「マイトレーヤ降臨」のメッセージの誤りを自覚し、その
大きな勘違いに不安を感じているかも知れません。あるいはかつて受けたメッセージが偽物で
あったことに気がついたものの、後に引けずに、あれこれと姑息な策をめぐらしているのかも
知れません。

チャネラーとしての未熟性か、意図的な嘘(うそ)の塗り固めか
 ベンジャミン・クレームが「肉体再臨説」を唱えるという決定的な間違いを犯してしまった理由
として、彼がチャネラーとして未熟であったことが考えられます。霊界からの象徴的メッセージ
の意味を取り違えたのか、あるいは低級霊からの通信を見抜くことができずに、それをまとも
に受け入れてしまった可能性が考えられます。

 理由は何であれ、こうした人々を惑わすことになる重大な間違いは、ベンジャミン・クレーム
自身が訂正しなければなりません。地上に生きている間に、勇気を持って自分の間違いを撤
回しなければなりません。さもないと霊界において事の真相が明らかになったとき、身の置き
場がないようなことになってしまいます。これはニューズレターで以前にも取り上げた、新新宗
教の教祖達にも同様に言えることです。

 しかしベンジャミン・クレームの行動を見る限り、今も架空の使命にしがみつき、嘘を嘘で塗
り固め、さらに事実から外れた方向に走り続けています。間違いを訂正するどころか、ますま
す霊的事実から懸け離れた方向に人々を導いていこうとしているように見受けられます。

伝導瞑想の独断性  霊的な根拠のない伝導瞑想
ベンジャミン・クレームは、自分達に人類最高の奉仕の道として伝導瞑想が示されたと言って
います。伝導瞑想は、神から与えられる霊的エネルギーを、地上世界に伝えるための手段とし
ての瞑想方法であり、高度な源であるハイアラキーと、低い源である人類を結ぶ橋であるとも
述べています。

 伝導瞑想は、個人の霊的成長のために行うことを目的としたものではなく、あくまでもグルー
プとしての集団奉仕の一形態であると言います。伝導瞑想に参加することは、霊界と地上のつ
なぎ役を果たすことであり、それ自体が奉仕となり、信仰実践とみなされています。

したがって長時間にわたって伝導瞑想することは、それだけ多く人類に奉仕することになり、信
仰が深いということになります。そのため信奉者達には、何時間もの伝導瞑想が当然のことと
して要求されるのです。

 ベンジャミン・クレームは、その正当性を、ヨーガや神智学(しんちがく)・心霊学の知識を駆
使して語り、また彼自身が勝手につくり上げた独断的見解によって主張しています。その結
果、程度の悪い新新宗教の教祖達と同レベルに堕ちてしまっています。

彼は伝導瞑想というグループの奉仕活動に加わることによって、地上人類に最高の貢献がで
きると言っています。それと同時に、個人的には、普通の努力の10〜20年分の霊的成長が1
年で可能になるなどと、霊的事実に照らしたとき何の根拠もないことを平気で言っています。

 スピリチュアリズムにおける祈り・瞑想は、日常生活で失われていた霊的意識を取り戻すた
めの実践です。さらには霊的エネルギーを取り入れることによって霊的意識をアップさせるた
めの一つの手段なのです。

その結果として、霊界の人々との結束を強め、利他愛実践・奉仕のための援助を得られるよう
になるのです。スピリチュアリズムにおける祈り・瞑想は、どこまでも利他愛実践のための手
段・下準備の行為であるということなのです。瞑想それ自体が、人類への奉仕の代用となった
り、信仰の目的そのものになるということはないのです。

“洗脳”の手段となっている伝導瞑想
 自分達だけが世界人類を救えるのだと思い込み、情熱をかき立てて邁進していく姿は、多く
の宗教(*特に新興宗教や新新宗教)に共通して見られます。そこでは狂信的な使命感を植
え付けることが、常套手段となっています。

一人一人の信者は皆、善人であり純粋に人々のために尽くしたいという誠実な思いを持ってい
ます。しかしその善良さが逆に、いつの間にか自分を、一人の人間のカリスマ形成に加担させ
ることになってしまいます。そして教祖に対する狂信者にすり変わってしまうのです。

 スピリチュアリズムは  「地上のどのような人物も崇拝の対象としてはならない、たとえそれ
が霊的存在であっても……」と教えています。

 伝導瞑想における大きな問題点は、瞑想という本来ならば各自の霊性進化のための手段
が、ベンジャミン・クレームという一人の人間をカリスマ化するための道具となっている、という
ことです。ベンジャミン・クレームは明らかに、霊的事実に対する背信行為と、人々に対する詐
欺的行為を行っています。伝導瞑想は、霊界からの指示によるものではなく、ベンジャミン・ク
レーム個人が意図的につくり上げた人工的手段としか考えられません。
 
ベンジャミン・クレームは、自分が参加する伝導瞑想においてのみ、マイトレーヤとのオーバー
シャドウが起こると言っています。それ以外では決して起こらないと断言しています。オーバー
シャドウとは、マイトレーヤのエネルギーがベンジャミン・クレームを覆う状態になることです。し
たがってベンジャミン・クレームが参加する伝導瞑想においてのみ、参加者はマイトレーヤの
霊的エネルギーを直接受けることができるということになります。

 これは結論を言えば、ベンジャミン・クレームを無条件に「霊的カリスマ」とすること以外の何
ものでもありません。霊的エネルギーを一人の人間が独り占めするようなことができるはずが
ありません。ここまでくると伝導瞑想は、相手の霊的無知に付け込んで“洗脳”する、この世の
偽宗教と全く変わりないことになってしまいます。

エネルギー放射の写真は、単なるサイキック現象
 伝導瞑想では、ベンジャミン・クレームがマイトレーヤによってオーバーシャドウされた時の、
エネルギー放射の写真が公表されています。しかしその写真は、何も彼らの言っているような
オーバーシャドウが現実に生じていることを証明するものではありません。程度の悪い新新宗
教の教祖が講演している時にも、この種の写真はよく撮られます。

 狂信者の集会では、神経の興奮状態がピークに至ると、それによって引き出された莫大なエ
ネルギーが、さまざまな異常なサイキック現象や心霊現象を引き起こします。敏感な参加者は
ヒステリック状態になったり、泣き叫んだり半狂乱になったりします。

また時には異言などの心霊現象が生じることもあります。それをある人は、神の霊・聖霊に包
まれたと錯覚します。普段は霊的に鈍感な人でも、こうした集会に参加すると異様な雰囲気に
巻き込まれ、ある種のサイキック的な感覚を味わうことになります。一時的にオーラを見るよう
なことも起こってきます。教祖のまばゆいばかりのオーラが見えたと言う人も現れます。

 狂信が異常なエネルギーを生み出し、これがさらに霊界の低級霊の結集を促すことになりま
す。そうなれば洗脳は、いとも簡単に進んでいくことになります。普段では体験したこともないよ
うな経験をするからです。

そうしたサイキック・エネルギーが異常に高まった状況下では、エネルギーが念写によって写し
出されるようなことも起こります。オーバーシャドウ時に撮られたエネルギー放射の写真が、も
しトリックでないとしたなら、まさにこれと同じものと考えるべきなのです。

ベンジャミン・クレームの正当性を認める高級霊はいない
 ベンジャミン・クレームが自ら言うような、彼のみに与えられている特殊な霊的立場というよう
なものは事実ではありません。彼を通じなければ、マイトレーヤとの霊的一体化がなされないと
いう霊的事実もありません。

霊界の高級霊に質問してみれば、その間違いは明白です。霊的事実と根本的に食い違ってい
る伝導瞑想の正当性を、認める霊は一人もいないはずです。

 ベンジャミン・クレームの発言については、細部にわたって批判すべき点が多々ありますが、
要は伝導瞑想が本物の瞑想ではないこと、ベンジャミン・クレームという一人の人間によってつ
くり出された人工的な手段に過ぎないことを理解しておくだけで十分です。

伝導瞑想は、ベンジャミン・クレームの言うような霊的エネルギーを地上にもたらす特別な手段
ではありません。またオーバーシャドウという特別なコミュニケーションの手法も存在しません。
もしこれに類するような現象が実際にあるとするなら、それは誰もが体験することができる、ご
くありふれた霊との交わりであったり、守護霊を通じての神との触れ合いに他なりません。

 繰り返しますが、霊界のどこを探しても、ベンジャミン・クレームの言説を認める霊は存在しな
いということです。こうしたことがあるためベンジャミン・クレームは、メンバーが霊界からの通
信を受けることを躍起になって否定しようとしているのでしょう。

霊界からのメッセージを受け取ることができる人間が彼以外にいては、都合が悪いからです。
彼のこれまでなしてきた不正な行為や作り話の数々は、霊界では、すべて白日の下にさらされ
ることになります。今はベンジャミン・クレームを信じている人々も、霊界に行った時には、その
間違いをはっきりと理解することになるはずです。

スピリチュアリズムは、霊的事実を地上人類に明らかにするために、霊界の高級霊の綿密な
計画によって進められてきました。そこには、人類がこれまで明確に知ることができなかった
「霊的真理」がはっきりと示されています。

これまで伝導瞑想を実践してきた方達には、ぜひじっくりとシルバーバーチに代表される「霊界
通信」に目を通していただきたいと思います。霊界から届けられた生の情報を、ベンジャミン・
クレームが語った内容と比較していただきたいと思います。

 幸いなことに、スピリチュアリズムと伝導瞑想には共通性が多く、同じ土俵の上で比較するこ
とができるようになっています。「霊訓」を読めば、伝導瞑想とスピリチュアリズムとの違いを容
易に理解されるはずです。どちらの言い分が正しいのか、どちらが神によって与えられた理性
の批判に耐えられるのか、じっくり検討してくださることを願っています。


スピリチュアリズム・トピックス

アメリカ・イギリス事情 




 2月18日、滞在先のニューヨークのホテルで、たまたまテレビを見ていました。その日は丁
度、プレジデント・デイ「大統領の日」で、それにちなんでABCテレビでは、「ケネディー家の特
集番組」を放映していました。

 アメリカでは毎年、歴代大統領に対する人気投票が行われ、その結果がこの日に発表され
ます。今年もリンカーンが1位でした。これまでの人気投票の結果を総合すると、1位リンカー
ン、2位J.F.ケネディーとなります。

 アメリカ人が最も偉大な大統領と考えている「リンカーン」は、生前、交霊会に深い関心を示
し、霊の声に耳を傾けていたことがよく知られています。有名な“奴隷解放宣言”は、当時の政
治的情況に発表を渋っていたリンカーンに対して、霊側が催促するという形で、1861年に実
現しました。

 そのリンカーンは現在、霊界でシルバーバーチ霊団の一員として働いています。シルバーバ
ーチの部下の一人として、スピリチュアリズムのために働いているのです。

 こうしたことは、アメリカ人にとってなかなか受け入れ難いことかも知れませんが、紛れもない
霊的事実なのです。アメリカの歴代大統領の中で最も偉大なリンカーンは、今、霊界で、私達
地上のスピリチュアリストと同じ方向に向かって努力しています。その意味で、リンカーンにとっ
て一番身近な存在は、アメリカ国民ではなく、私達スピリチュアリストということになるでしょう。

※ワシントンにある「リンカーン記念館」のリンカーン像

 アメリカ人がリンカーンに次いで偉大な大統領と考えている「J.F.ケネディー」は、どうでしょ
うか。アーリントン墓地にあるケネディーの墓には、毎日大勢の人々が訪れ、アメリカ国民の間
における彼の人気の高さをうかがわせます。

 ケネディーの墓の隣には、ジャクリーン夫人(*オナシスと再婚。オナシスの死後米国に戻
り、他の男性と同居、死を迎えた)の墓、流産した未熟児、生後数カ月で亡くなった赤ちゃんの
3つの墓が並んでいます。去年、飛行機事故で死んだ息子J.F.ケネディー・ジュニアの墓は、
ここにはありません。生前の彼の意向を尊重して、海に散骨したということです。

 故J.F.ケネディー大統領は、近年、某霊媒者を通じて、地上に通信を送ってきています。そ
れによると、霊界に行ったケネディーは、自分の霊的内容のなさを痛切に感じたようです。そし
て次のようなことを言っています  「わたしは、あのような高い地位にふさわしい人間ではあり
ませんでした。
あの地位は、努力ではなく金で手に入れたものであり……。いまにして思えば、わたし自身の
外部にあり、あなた方の世界の外部にあるもっと大きな力が(暗殺という形で)わたしをあの地
位から解放してくれたということがわかります。」

 この霊界通信が本物かどうかの確証はありませんが、生前のケネディーの行状を考えると、
「なるほど……」と頷けます。ケネディーの女好きは広く知られていましたが、それは彼の本性・
霊性の内容の一部を示しています。政治家としての力量は優れていたものの、霊的存在として
の内容は、それほどではなかったようです。

 さて英国では、去る2月9日にマーガレット王女(*エリザベス女王の妹)が71歳で死去され
ました。

 イギリス王室のスピリチュアリズムとの深い係わりは、ビクトリア女王の時代に始まっていま
す。夫アルバートの死後、ビクトリア女王は交霊会にのめり込み、「霊のお告げで政策を決定し
ている」とまで批判されるほどでした。

 近年では、故アスローン伯爵と故マリー・ルイーズ王女が、何度もハリー・エドワーズ治療院
に足を運び、“スピリチュアル・ヒーリング”を受けていたことが知られています。2人は熱心なス
ピリチュアル・ヒーリングのファンだったのです。マリー・ルイーズ王女は、エリザベス女王の戴
冠式に出席するため、その2日前に老体に鞭打ってハリー・エドワーズの所へ足を運び、霊的
エネルギーを補給してもらって式典に臨みました。

 最近では、アン王女がスピリチュアル・ヒーリングを受けたことや、チャールズ皇太子がスピリ
チュアル・ヒーリングも含めたホリスティック医学に、積極的に協力していることが知られていま
す。


 先頃亡くなったマーガレット王女ですが、彼女は生前から霊的世界についての知識を持って
いました。死後の世界の実在や、そこでは一切の肉体的苦しみがなくなることや、死は第2の
人生の出発であることなどを、しっかりと認識していました。

 話は溯(さかのぼ)りますが、ジョージ6世(*エリザベス女王・マーガレット王女の父君)が死
去された際、しばらくして密かに“交霊会”が催されました。霊媒は有名なリリアン・ベイリーで、
彼女は交霊会の参加者の身元を一切知らされていませんでした。

リリアン・ベイリーは霊媒の務めを果たし、深いトランス状態から醒めて目を開けたとき、初め
て参加者が王室一族であることを知りました。エリザベス女王、女王の母君(*クイーン・マザ
ー、彼女はジョージ6世の妻で現在101歳)、アレクサンドラ王女、フィリップ王子、そしてケント
公爵夫人であることに気がついたのです。

 マーガレット王女は、その交霊会には参加していませんでしたが、交霊会で父親の霊が現れ
喋ったことを、間違いなく聞いたはずです。その後、クイーン・マザーは、何度もベイリー夫人を
呼んで交霊会を持つことになりました。

 さて故ダイアナ妃が、英王室内で唯一頼りにしていたのが、マーガレット王女であったことは
よく知られています。ダイアナ妃とマーガレット王女には、本人自身の不倫・夫の不倫・離婚と
いう、どろどろした共通の人生経験があります。

 ダイアナは、多くのスキャンダルを引き起こし、英王室の伝統的権威を大きく傷つけることに
なりました。しかしその一方で、リタ・ロジャーズという女性霊媒者と親しく交わり、彼女の熱烈
な信奉者でもありました。ダイアナは、霊界からのメッセージに耳を傾けるという一面も持って
いたのです。

 ダイアナは、交通事故で死ぬ半月前に、彼女と一緒に事故死することになる恋人ドディーとと
もに、ヘリコプターでリタの家を訪問しています。そして事故の前日には、パリからイギリスの彼
女の家に電話をしています。(*リタ・ロジャーズとダイアナについては、最近発刊された『愛の
絆』野村安正訳・中央アート出版社に詳しく述べられています。)

 英国王室はこれまで、さまざまなセックス・スキャンダルを引き起こし、肉体的煩悩にふり回さ
れる地上人の醜い姿を露呈してきました。しかしその一方で、大勢の王室関係者が霊の存在
を信じ、交霊会に参加するという、スピリチュアリズムとの係わりを持ってきました。物質世界で
の多くの煩悩に翻弄(ほんろう)されながらも、霊界の存在を信じ、霊のメッセージを求めるとい
う素朴な霊的姿勢を持ち続けてきたのです。

 シルバーバーチは、英王室存続についての意見を求められたとき  「国民の心を一つにす
るものは大切にすべきです」と答え、王室の存続に肯定的な見解を述べています。シルバーバ
ーチがこうした見解を述べたのは、英王室がスピリチュアリズムのPRに大きな貢献をしている
という一面も考慮していたものと思われます。



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