◇ニューズレター18号 (抜粋)
2002年 7月


目 次

高級霊界通信を決定する条件
高級霊の通信に見られる13の共通点 
 1、語られる内容が、スピリチュアリズムの「基本的な真理」と100%一致している

 2、通信内容が一貫して、「地上人の魂の成長」を目的としている

 3、常に「全人類に語る」というスタンスが貫かれている

 4、通信内容が、上層からの厳格なコントロール下に置かれている

 5、道具意識に徹する謙虚さが見られる

 6、理性を用いた吟味を重要視している

  7、まじめな質問に対しては、誠心誠意で答える

 8、地上人が理解しやすいように、常にシンプルで分かりやすい話し方をする

 9、地上人の不安をかき立てるようなことは一切言わない。安心とリラックスを与えようとする

 10、霊性・人格性の優れた「専属霊媒」がいる

 11、霊媒の潜在意識の混入がない

 12、通信霊が、スピリチュアリズムの指導的立場にある

 13、神と摂理だけを、信仰の対象としている 
スピリチュアリズムから見た『神との対話』
典型的な低俗チャネリング 


    ・久しぶりのヒット・チャネリング
   ・人為的につくられたベストセラー
   ・内容のあまりのひどさ 
   ・低級霊の関与と、潜在意識の混入
   ・神が直接、通信を送る?
   ・典型的な低俗チャネリング 

 
2つのTV番組を見て
“たけしのTVタックル”と“ここが変だよ日本人” 
 1、たけしのTVタックル
   ・ついついTV局の作戦にはまって
   ・“さらし者”にされる気の毒な超能力者達
   ・印象に残った決定打!
   ・スピリチュアリズムは、どちらの味方か?
   ・宇宙人と予言については、否定派に軍配!
   ・秋山眞人氏の“致命傷”
   ・「大槻教授」は、スピリチュアリズムの敵か?
  2、ここが変だよ日本人
   ・TVで見せた「気の威力」
   ・大槻教授に通用しなかった「気の威力」
   ・気の実演は、“やらせ”か“インチキ”だったのか?
   ・気の実演が明らかにしたこと、気の実演の
    意味するもの
   ・どうして大槻教授を倒せなかったのか?


 
シルバーバーチの故郷を訪ねて 


ニューズレター
  


高級霊界通信を決定する条件
高級霊の通信に見られる13の共通点
 

 世の中にはさまざまな霊界通信がありますが、その中で真に霊的価値があるものは、ほん
の一部に限られます。大半の人々は霊からの通信の真偽を判断することができないために、
偽物の霊界通信にまんまと騙されています。霊界通信の真偽の見極めは、「霊的真理」を知っ
たスピリチュアリストにおいて初めて可能となります。

 今回は、高級霊からの霊界通信には、どのような特色があるのかを見ていくことにします。高
級霊の霊界通信に共通する特徴を明確にすることによって、霊界通信に対する判断力がさら
に飛躍するはずです。
より高いレベルの視点を身につけることによって、それ以下のレベルの通信の全体を見通せ
るようになります。当然のこととして、低級霊からの通信・程度の悪い通信も簡単に見破ること
ができるようになるでしょう。

 ここでは、高級霊の通信の特徴・共通性を、13の項目にリストアップして学ぶことにします。
  

 1 語られる内容が、スピリチュアリズムの「基本的な真理」と
  100%一致している
 


 高級霊からの通信内容は、スピリチュアリズムによって示された「基本的な真理」と完全に一
致し、食い違いがありません。高級霊が、霊的事実と決定的に異なる内容――例えば原罪説・
贖罪説・悪魔サタンの存在・キリストの肉体再臨・一人の救世主の出現・終末の天変地異の予
言・間違った因果応報説・間違った輪廻再生説などを語るようなことは決してありません。

 「基本的な真理と食い違うことは絶対に言わない」ということが、高級霊の通信であるかどう
かを判断する明確な目安となります。この際、注意を要するのが、通信内容の中に部分的に、
基本的な真理と一致しないものが含まれている場合です。たとえそれが全体の5%というよう
なわずかなものであっても、見過ごしてはなりません。

 こうした通信は、迷わず“低級霊”からのものであると判断して間違いありません。低級霊
は、わざと霊的真理を語り、地上人を信用させようとしますが、通信内容のすべて100%を霊
的真理に添わせることはできません。霊界通信に対する鋭い鑑識能力は、まさにこの点で必
要とされます。

  

 2 通信内容が一貫して、「地上人の魂の成長」を目的として
  いる
 

 高級霊からの通信は、常に「地上人の魂の成長」を最大の目的としています。単なる知識を
伝えることより、地上人の霊性向上に役立つ教訓を与えることを優先しています。したがって高
級霊の通信では、霊的成長にとってどちらでもいいようなテーマ、好奇心や軽薄な興味の対象
となるようなテーマ――例えば守護霊の名前・前世の身元・宇宙人・アトランティス・天変地異な
どを真っ先に取り上げるようなことはありません。

 それどころか地上人の関心が霊性向上とは無関係な方向にそれると、注意を促して肝心な
テーマに戻そうとします。言うまでもないことですが、宝くじや馬券など物質的な欲得に関係した
質問には、一切答えません。このように高級霊からの霊界通信には、常に地上人の魂の成長
についての配慮が一貫して見られます。

これに対して低級霊の通信では、地上人の欲望・好奇心を煽るような内容ばかりが目につきま
す。地上人の低俗な興味から発せられる質問について長々と自説を並べ立てたり、霊的成長
とは無関係な日常生活における物質レベルの問題をさかんに取り上げます。

  

 3 常に「全人類に語る」というスタンスが貫かれている



 高級霊の通信には、常に「地球上の全人類に向けて真理を語る」という姿勢が貫かれていま
す。全人類に共通する問題を優先して取り上げています。状況に応じて、地上人からの個人的
な質問に答えることもありますが、その場合も必ず、人類全体に向けてメッセージを送るという
スタンスが意識されています。

地上世界で多くの争いを引き起こす原因となるのが民族意識ですが、高級霊からの通信に
は、特定の民族だけを擁護するような内容は見られません。

 個人向けのメッセージが中心で、「人類の霊的成長」という肝心な点に焦点を合わせていな
い通信は、高級霊からのものではないと思って間違いありません。

  

 4 通信内容が、上層からの厳格なコントロール下に置かれ
  ている
 

 本物の霊界通信は、語られる内容が、常に上層の高級霊界の厳しいコントロール下に置か
れています。人類全体に対する計画の中にあって、地上人類に示される霊的真理の内容が厳
密にチェックされています。

高級霊の通信になればなるほど、これまで地上人類が知ることのなかった最前線の情報を地
上世界に伝えることになりますが、その際、地上人の霊性に見合った内容だけを語ることが許
されます。地上人の霊性が至っていない霊的事実については、勝手に語ることはできません。


 高級霊の通信には、このようにより高い霊界からのコントロールがなされています。「地上人
の霊性にふさわしいかどうか」という厳格な条件をクリヤーしたものだけが、地上にもたらされ
ているのです。

高級霊界には厳然とした秩序があり、好き勝手な行動をしたり、自由気ままに真理を語ること
は許されません。それによって高級霊界の計画は完全な統制のもとで進められ、イエスを中心
とする神庁の意志は、末端に至るまで正確に反映されるようになっているのです。

 それに対して低級霊の場合は、何の規制もないため、いい加減なことを好き勝手にしゃべっ
ています。この点において、高級霊と低級霊の通信は根本的に違っています。 

  

 5 道具意識に徹する謙虚さが見られる


 高級霊は、自分が上層の霊界からの指示下にあり、その道具であることを表明します。より
高い霊の許可のもとに真理を語らせていただいているという謙虚さが、常に見られます。こうし
た「道具意識に徹する謙虚さ」は、高級霊に共通する特徴となっています。自己主張して自分
を前面に出すというようなことは、決してありません。 

 高級霊は、自分が上層の霊界の道具であることを誇りとし、心の支えとしています。通信の
中に  「自分はさらに高い霊の道具として働いているに過ぎない」「自分はイエスの指揮下で
働いている」といった内容が述べられている場合は、信頼のおける通信と判断して間違いあり
ません。

 それとは逆に、とうとうと自分自身の考えを語り、自己主張するような霊は、低級霊と判断す
べきです。徹底して謙虚であること、そして上層の霊界の道具であることの自己表明こそが、
高級霊の証(あかし)なのです。高級霊は謙虚で、低級霊は傲慢・尊大です。低級霊は自分を
前面に出し、自分を誇り、語り口調も高圧的です。

  

 6 理性を用いた吟味を重要視している


 高級霊は、地上人に対して、通信内容を理性を用いて吟味するように仕向けます。霊界通信
の内容を鵜呑みにすることを厳しく戒め、低級霊の通信によって自己を見失うことがないように
との配慮をします。高級霊は、理性によって正しいと判断したものだけを受け入れるように勧
めるのです。

霊性がある一定のレベルにまで至っていない人の場合には、理性の判断に従うことで、高級
霊の示す内容を拒否するような結果を招くことがあります。そうした時でも高級霊は、地上人が
現時点の霊性のレベルにおいて、理性的に納得できるものだけを受け入れるように仕向けま
す。今は理解できない内容も、やがて霊的に成長すれば、おのずと理解できるようになること
を知っているからです。

 このように高級霊は、各自の霊的レベルに見合った真理の理解を尊重し、自然で無理のな
い霊的成長のプロセスを歩ませようとします。「納得できなくても自分を信じよ」と頭ごなしに命
令するのは、低級霊の特徴なのです。どこまでも高級霊は、地上人の「理性的判断」と「自発
性」を重要視し、これを最大限にまで尊重します。

  

 7 まじめな質問に対しては、誠心誠意で答える
 

 高級霊は、地上人の不まじめな質問、ふざけ半分の質問、あるいは単なる好奇心レベルの
質問に対しては、まともに答えることはありません。質問者の心の動機を見抜いて相手にしま
せん。それとは反対に、まじめな質問に対しては、たとえそれが未熟なレベルのものであって
も、常に誠心誠意を尽くして答えようとします。

特に霊的成長に係わるまじめな質問を歓迎し、これを決して無視するようなことはありません。
もちろん高級霊にも答えられないことはありますが、その場合は、「自分には分からない」とは
っきり言います。また地上人に語ってはならないことについては、その理由を誠意をもって説明
します。

 高級霊はどのような難しい質問・批判的な質問を投げかけられても、決して怒るようなことは
ありません。低級霊を見破る方法の一つは、相手に霊的真理についての難解な質問  例え
ば類魂や再生についての質問をしてみることです。もし、その答えに霊的真理との食い違いが
見られたら、その点を詰問するのです。低級霊ならば、やがて苛立ち、そのうちに怒り出すよう
になります。

  

 8 地上人が理解しやすいように、常にシンプルで分かりやす
  い話し方をする
 

 高級霊は、常に可能な限りシンプルで分かりやすい説明を心がけます。高級霊の通信には、
解釈に苦しむような曖昧(あいまい)でいい加減な内容はありません。地上には、わざわざ複雑
な表現をしたり、屁理屈を言ったり、難解な言葉を用いて権威づけを計るような人間がいます
が、それと同じようなことをするのは“低級霊”に限られます。特に知性的ではあっても霊性が
低い霊からの通信は、取り上げるテーマが地上世界と似ており、使用する用語も難解で複雑
なものとなっています。 

  

 9 地上人の不安をかき立てるようなことは一切言わない。
安心とリラックスを与えようとする
 


 高級霊は、予言じみたことを大袈裟に語って、地上人に不安を抱かせるようなことは一切し
ません。聞く者に混乱を引き起こしたり、動揺を与えるだけの馬鹿げた未来予知や占星術を繰
り出すのは、低級霊の得意とするところです。

 高級霊はいつも、地上人が混乱したり余分な心配をしないように最大限の配慮をします。高
級霊は、地上人にとっての最大の敵は不安感や取り越し苦労であることを強調し、常に神の
導きを信頼し、リラックスした姿勢で人生を歩むように仕向けます。低級霊が不安と恐れを植
え付けようとするのに対し、高級霊はいつも、「安心」と「リラックス」を与えようとするのです。

  

 10 霊性・人格性の優れた「専属霊媒」がいる
 

 高級霊の霊界通信は、長い期間をかけて育てた専属の霊媒を通じて送られてきます。高級
霊になればなるほど、地上的要素がなくなり、物質世界との接触そのものが困難になります。
そのために大変な時間を費やして、媒介の役目を果たす専属霊媒を育て上げることが必要と
なります。

こうした手塩(てしお)にかけた霊媒がいない限り、高級霊は地上に通信を送ることはできませ
ん。シルバーバーチは、霊媒が胎内に宿る前から準備を開始してきたことを明らかにしていま
す。このように霊界サイドで十分な時間をかけて準備した「専属霊媒」がいることが、高級霊の
霊界通信の特徴なのです。

 霊性の低い霊能者を通じて、高級霊が通信を送ってくることはありません。高級霊の通信
は、霊性・人格性ともに優れた霊媒によってのみ送られてきます。したがって霊媒の人格性や
生活態度を見れば、通信霊の霊的レベルを知ることができます。(『不滅の真理』84頁参考)

 また高級霊は――「特定の専属霊媒以外には通信を送らない」「その霊媒が死んだ後は、別
の霊媒を通じて現れることはない」という表明をするのが普通です。この言葉には、専属霊媒
を養成することの大変さが、よく示されています。

ですから専属霊媒の死後、同じ高級霊を名乗る別の霊界通信が現れるとするなら、それはす
べて偽物ということになります。地上人の求めに応じて、次々と複数の霊を降ろすような霊媒を
通じて、高級霊が通信を送ってくることは滅多にありません。

  

 11 霊媒の潜在意識の混入がない
 

 霊媒を介しての通信では、大なり小なり霊媒の影響を受けることは避けられません。霊媒の
身体とエネルギーを使い、また霊媒の潜在意識にある単語と発声器官を用いること自体が、
すでに霊媒の影響下にあることを意味しています。

 しかし優れた霊界通信では、霊媒の言葉(単語・表現)と発声器官は用いますが、思想はす
べて通信霊自身のものとなっています。シルバーバーチは自ら――「今では100%自分の考
えを、この霊媒を通じて表現することができます」と言っていますが、これは実は「霊言霊媒現
象」としては、まさに奇跡的なことなのです。こうした特別な状況を実現するために、長い期間
をかけて「専属霊媒」を育て上げてきたのです。

 さて、地上の霊媒(チャネラー)の潜在意識の中に、霊媒自身の強烈な主張や意見が内在し
ていると、それがトランス状況下では、自動的に発現されるようになります。そうなると通信霊
は、霊媒の潜在意識を十分に用いることが困難になります。そこで通信霊はとりあえず、それ
らの意見・主張を吐き出させ、潜在意識を使いやすい状態にもっていきます。

こうした一連の操作によって吐き出された霊媒の意見は、外部の人にはまるで霊界からの通
信のように映るのです。霊媒が知識欲旺盛でいろいろな本を読み漁っているような場合には、
特にそうした傾向が強くなります。言うまでもなく霊媒を通して語られる内容は、霊界からの通
信ではありません。

 私達が霊界通信に触れるときには、通信内容に、どの程度まで霊媒(チャネラー)の潜在意
識が混入しているかをチェックしなければなりません。アメリカのチャネリングを見ると、あまり
にも霊媒の潜在意識内の知識が混入していることが分かります。時には(ex.バシャールな
ど)、通信内容の大半が霊媒の知識に他ならないといったものも見受けられます。

 少し注意すれば、わざわざ霊界通信でなくともその程度の情報なら、あちらこちらに出回って
いる本から入手できるということに気がつくはずです。ところが困ったことに、潜在意識の関与
を見抜くことができない地上人は、それを進化した宇宙人や霊からの通信のように思い込んで
しまうのです。

また低級霊とのコンタクトを安易に許してしまうような程度の悪い霊媒(チャネラー)の場合に
は、低級霊が意識的に霊媒の潜在意識に内在する低俗な思想を利用することになります。そ
して、いい加減なストーリーをつくり出し、通信として語るのです。この時、霊に利用される霊媒
は、自分自身の潜在意識が悪用されていることには全く気がつかないのが普通です。そのた
め霊媒自身も、それを本当の霊界通信と錯覚してしまうことになるのです。

  

 12 通信霊が、スピリチュアリズムの指導的立場にある
 

 通信霊が高級霊である場合には、必ずスピリチュアリズムにおける指導者的な立場に立って
います。霊的真理を地上世界にもたらすという使命を果たすために、一群の霊団を率いて任
務に当たっています。

 地上世界に霊的真理を示すというスピリチュアリズムの最も重要な役割は、特別な立場にあ
る高級霊においてのみ許されることです。したがって通信霊が、「スピリチュアリズムの中で責
任的立場・指導的立場に立っている」ということが、高級霊であるかどうかを判断する一つの目
安となります。

霊界のヒエラルキーにおける自らの立場を表明することは、高級霊以外には許されていませ
ん。デタラメばかり言っている低級霊も、スピリチュアリズムに関係する霊的立場を偽ることは
できないのです。神の遠大な計画について語り、その様子を地上に伝えることが許されるの
は、ごく一部の高級霊においてだけです。特別な指導的立場に立ってこそ、霊界の大事業の
全体について語る資格が与えられているのです。

 霊界のヒエラルキーでのポジションは、その霊の霊格によって自動的に決定されます。霊界
では“霊格”という魂の成長レベルが、上下の位置を決定します。ですからスピリチュアリズム
の大プロジェクトにおいて指導的立場が与えられているということは、その霊の霊的高さをその
まま示していることになります。

特に、シルバーバーチ霊やインペレーター霊のように、年に2度、神庁で開かれる審議会に参
加する資格が与えられているということは、高級霊の中においても、さらなる高級霊であること
を意味しています。

 スピリチュアリズムは、全霊界をあげて進められている大プロジェクトであり、すべての高級
霊は一人の例外もなく、そのために働いています。スピリチュアリズムに係わりのない高級霊
は存在しないのです。

もしある霊が、スピリチュアリズムとは無関係であるかのような発言をするならば、その霊は低
級霊であることを意味しています。アメリカのチャネリングには、イエスを中心とする霊界の高
級霊の組織について言及しているものはほとんどありません。

その理由はそれらの通信霊が、スピリチュアリズムについて語る資格を持っていないからなの
です。それを語ることが許されるほどの高級霊ではないということなのです。

 自ら高級霊のような振る舞いをする霊に対しては、スピリチュアリズムについての見解と、そ
の中における使命を問いただすのがよいでしょう。それは低級霊にとっては最もいやな質問で
す。たとえ末端であってもスピリチュアリズムのために働いている霊ならば、そうした質問に
は、正しく答えなければならない義務があります。

また“バシャール”のように、地球全体の霊的進化に責任を持っているスピリチュアリズムの存
在に触れることなく、“宇宙連合”という組織があって、それが地球へ働きかけをしているかの
ような言い方をするチャネリングがあります。こうした霊界でのスピリチュアリズムの動きを無
視したチャネリングなどは、低級霊の悪質な通信、あるいはチャネラー自身のフィクションと判
断して間違いありません。

  

 13 神と摂理だけを、信仰の対象としている
 

 高級霊は、特定の人物や霊に対する崇拝を促すようなことは絶対にありません。神と神の摂
理・法則に対する以外の信仰や服従は決して勧めません。シルバーバーチは霊界あげてのス
ピリチュアリズム・プロジェクトの司令官がイエスであることを明らかにし、「イエスに会うことが
最大の喜びである」と述べています。

しかし、そのシルバーバーチ自身が、「イエスを信仰の対象にしてはならない」と厳しく戒めてい
ます。崇拝の念は“神”にのみ向けるべきであり、イエスではないと強調しています。

 そうしたシルバーバーチの姿勢と比べ、対照的なのが低級霊です。自分自身がさも神になっ
たかのごとく尊大に振る舞い、自分を崇拝せよと言わんばかりの傲慢な態度をとり続けます。

 それに輪をかけて悪質なのが、幸福の科学などの新新宗教に見られる、ニセの霊界通信を
意図的につくり上げ、教祖のカリスマ確立や権威づけに利用しようとするやり方です。この場合
は、単なる低級霊のイタズラとは比較にならない大きな霊的犯罪を犯していることになります。

真の高級霊界通信に値するものは何か?
 以上1〜13まで、高級霊の霊界通信に共通する内容を見てきました。現在の地球上でこうし
たすべての条件を完璧に満たしている霊界通信は  『シルバーバーチの霊訓』とインペレータ
ー霊による『霊訓』を除いてはありません。

『霊の書』は、厳密な意味ではシルバーバーチやインペレーターの通信ほどには条件を満たし
ておらず、完璧性の点で少々問題があります。

 また、これら「三大霊訓」ほど質的に高いものではありませんが、良質の霊界通信として――
『ジュリアの音信』『ブルーアイランド』、そして『マイヤースからの通信』あるいは『セス』などの
良質なチャネリングをあげることができます。「三大霊訓」と比べると内容的には格段の差があ
りますが、霊的世界を人類に知らせる上で大きな役割を果たしており、その意味で、やはり人
類にとっての福音であると言えます。

霊界通信のレベルに対する判別力を、身につけましょう
 以上述べた1〜13の項目と照らし合わせることによって、世間に出回っている霊界通信や
宗教教義の霊的レベルを、的確に判断することができるようになります。霊的レベルの判定
は、自らがより高い霊的な判断基準を持つことによってのみ可能となります。霊的に高い視点
を持ってこそ、それ以下のものを、正確に見極めることができるようになるのです。

 さて、私達がスピリチュアリズムに導かれ、運よく最高レベルの霊界通信に出会えたというこ
とは、他の霊界通信や宗教教義に対する明確な判別力を持ったことを意味しています。地上
世界における最も正確な判断基準を持ったということです。世間一般の人々を騙すニセ霊能
者やニセ霊界通信に対して、それを鋭く見抜く鑑識力を身につけたということです。

 霊的真理を手にした私達スピリチュアリストの使命は、真理と照らし合わせることによって、
偽物や不正が横行できないように監視していくことなのです。


スピリチュアリズムから見た『神との対話』
典型的な低俗チャネリング




 これまで何人かの方から、『神との対話』についてのご質問を受けております。『神との対話』
に対する、スピリチュアリズムの見解はどのようなものかということです。今回のニューズレター
では「霊界通信の判別方法」について学びました。丁度よい機会ですので『神との対話』を取り
上げて、スピリチュアリズムの観点から検討してみたいと思います。 

久しぶりのヒット・チャネリング
 『神との対話』は――1992年の復活祭の日に、アメリカ人チャネラーであるニール・ドナル
ド・ウォルシュが、神に宛てて怒りの手紙を書くところから始まっています。すると自動書記の形
で、神からの返事が届き、そこからニール・ドナルド・ウォルシュと神との対話が繰り返されるこ
とになります。

その一連のやり取りが、『神との対話』という本にまとめられたのです。この本の中の神は、ま
るでこの世の人間が語るようなタッチでユーモアやジョークを交え、気軽に話しかけています。

 『神との対話』は全米で大ベストセラーとなり、世界42カ国で翻訳され、日本でもベストセラー
となりました。1980年代を通して一世を風靡した感のあるチャネリングは、1990年代に入っ
て下火となりましたが、『神との対話』は久しぶりのヒット・チャネリングとなりました。

人為的につくられたベストセラー
 では、この『神との対話』はスピリチュアリズムの観点から見たとき、どのように判断したらよ
いのでしょうか。『神との対話』は、本物の霊界通信(チャネリング)、霊的に高い通信と言える
のでしょうか。

 結論を言えば、「霊的真理」を理解している人ならば、初めから偽物と簡単に断定できる代物
(しろもの)です。かつての幸福の科学のデタラメ霊言集ほどではないにしても、まさに「典型的
な低俗チャネリング」と言うべきものです。本物の霊界通信に触れたことのある人には、到底
読むに堪えられないものなのです。

 なぜ、これほどまでに程度の悪いチャネリングが、世界的なベストセラーになったのでしょう
か。それは従来のチャネリングの場合と同様、うまく売り出せば大きな金儲けになると目をつ
けたアメリカの大手出版社が、人為的にベストセラーに仕立て上げたからです。

精神世界に関心を持っている人々にとっては、『神との対話』に出てくる一部の霊的真理は、
素晴らしいものに映ることでしょう。それによって人々は、『神との対話』のすべてが正しいもの
であるかのような錯覚にとらわれてしまうことになります。こうした読者の霊的真理に対する無
知と好奇心が相まって、『神との対話』はヒット作品となったのです。

 『神との対話』を、スピリチュアリズムの「霊的真理」と対比させながら見ていくと、その内容の
多くが嘘と偽りの連続であることにすぐに気がつきます。と同時に『神との対話』は、内容の素
晴らしさではなく、単に商業主義的手法が巧妙であったためにベストセラーになったものだとい
うことがよく分かります。

『神との対話』は、世間一般に流通している低俗なチャネリングやニセ霊界通信、あるいは新
新宗教における教義と同様のものなのです。そうした偽物の中には、真理と一緒に、まことし
やかな嘘が盛り込まれています。それによって人々は騙され、結局、真実の道から遠ざかって
いくことになるのです。

内容のあまりのひどさ
 『神との対話』は、このニューズレターで示した高級霊による通信の条件から、すべて外れて
います。スピリチュアリズムの霊的真理と比較するまでもなく、その内容のひどさは一目瞭然で
す。

 今ここで『神との対話』の中身を、先に述べた「高級霊訓の13の条件」と一つ一つ照合して批
判するつもりはありません。あまりにも程度の悪い内容を前にすると、いちいち取り上げる気に
はなれません。もし皆さん方の中に関心のある方がいらっしゃるならば、そうした作業はその
方にお任せすることにします。

低級霊の関与と、潜在意識の混入
 こうした内容の低俗さの原因は、通信を送ってくる霊が“低級霊”であるという一言に尽きま
す。またこの本には「低級霊の関与」と同時に、「霊媒の潜在意識の混入」が見られます。バシ
ャールの場合にもそうであったように、チャネラーの潜在意識に内在している知識が多分に混
じり込んでいます。

 バシャールのチャネラー(ダリル・アンカ)はニューエイジについてよく勉強し、多くの知識を持
っていました。そのため通信内容は一見、知的レベルの高いもののように映ります。それに比
べ『神との対話』のチャネラーは、それほど知性的でもなく、知識も乏しいために、通信内容が
知性を感じさせないものになっています。同じニセ通信であっても、チャネラーの知性の差が歴
然としています。

神が直接、通信を送る?
 霊界通信について少しでも知っている人ならば、神が直接、通信を送ってくるようなことはあ
り得ないと考えるのが常識です。ウォルシュに自動書記をさせ、質問の答えを送ってきたのは
神ではなく、“霊”であることは今さら言うまでもありません。

『神との対話』のチャネラーは、こうしたごく当たり前の霊的な判断さえもできず、通信内容をそ
のまま鵜呑みにし、神からの返事が得られたと思っていたのです。それほど霊的事実に対して
無知であったということなのです。お粗末と言えばあまりにもお粗末です。

 しかし、そうした彼にも、やがて神なるものの実態が明らかにされるようになります。それまで
神と思っていた相手が、実は創造主たる神ではないことが、神を自称してきた霊自身の口から
語られます。(『神との対話』普及版A13章・201〜203頁) 

 それを聞いてウォルシュはびっくりし、神に詰め寄ります――「私は本当の神と話していると
思っていました。神の中の神です。トップ、ボスですよ」ここで初めて、通信を送ってきたのが本
当の神でないことが分かったのです。

これには、さすがのウォルシュも驚いて「神との対話」をやめると思いきや、依然として滑稽な
対話は続くことになります。これまで騙されてきたことに懲りる素振(そぶ)りもありません。神の
名を騙(かた)る相手は、その後も以前と同じように、まるで神のごとくのポーズで語り続けま
す。

 この一連のことから判断すれば、通信を送ってきたのは、程度の悪い低級霊であることは明
らかです。ウォルシュがそれに気がついて当然なのですが、不思議なことに、その後も延々と
「神との対話」が続いていきます。ここまでくると、もはや論外としか言いようがありません。

典型的な低俗チャネリング
 霊的真理を知らない人が、この手の霊界通信に騙されるのは致し方がないとしても、スピリ
チュアリズムに導かれ「最高の霊的真理」を知った者が、その実態を初めから見抜けないとし
たら残念なことです。

 いずれにしても『神との対話』は、スピリチュアリズムから見たとき、全く価値のないニセ霊界
通信です。それどころか無知なチャネラーが低級霊に弄ばれ、からかわれているやり取りを本
にした、くだらないものに過ぎません。まさに「典型的な低俗チャネリング」と言うべきものです。


2つのTV番組を見て
“たけしのTVタックル”と“ここが変だよ日本人”


  

 1 たけしのTVタックル
 
ついついTV局の作戦にはまって
 何カ月かに一度の、“たけしのTVタックル”を楽しみに見ています。この番組は、霊魂・超能
力・宇宙人・予言といったテーマを中心として、「肯定派」と「否定派」が激しい論戦をするという
ものです。

霊魂や超能力をめぐってのバトルが行われるとなれば、スピリチュアリストとしては見逃すこと
はできません。(*たけしのTVタックルは、今世の中で話題になっているテーマを取り上げ意
見を闘わせる番組で毎週放映されていますが、霊魂や超能力についてのバトルは数カ月に一
度です。)

 まず最初に、証拠ビデオ(?)が流され、それに否定派が反対意見を述べるという形でバトル
の火ぶたが切って落とされます。次に、その意見に対して肯定派が猛烈に反論します。こうし
て論争が続いていきます。

否定派の代表は、早大教授の「大槻(おおつき)義彦氏」とタレントの「松尾貴史さん」です。肯
定派の代表は、元たま出版編集長の「韮澤(にらさわ)潤一郎氏」と超能力研究家の「秋山眞
人(まこと)氏」です。これらの人達がレギュラーメンバーとして毎回参加します。

 この番組の製作者であるTV局にとっては、何より高い視聴率を上げることが目的です。肯定
派・否定派のどちらが勝ってもいいのであって、視聴者が喜ぶような激しいエキサイティングな
バトルをいかに演出するかが問題なのです。したがって片方だけが優勢では困ります。見てい
る側が、ハラハラ・ドキドキするような白熱した番組になることが大切なのです。

大槻教授が、わけの分からないようなケチをつける(大槻は何と霊性が低いやつなんだ。見て
いるだけで腹が立つ)――肯定派が大槻教授に反論する(そうそう、そうなんだ。大槻教授、分
かったか)――再び大槻教授の反論(教授は本当にいやらしいやつだ。死んだら間違いなく地
獄行きだ!)


 こうしてTVを見ている私達は、毎回TV局の思惑どおりにはめられていくことになります。番組
を楽しみに待っている私などは、初めからTV局の作戦にまんまと乗せられていることになりま
す。TV局にとっては、まさにもってこいの“カモ”なのです。そうとは知っていても悲しいかな、つ
い見てしまうのです。

“さらし者”にされる気の毒な超能力者達
 この番組を見ていて心が痛むのが、スタジオで“さらし者”にされる超能力者達です。肯定派
は、超能力存在の強力な証拠として、スタジオに超能力者を連れてきます。否定派の目の前で
事実を見せつけ、鼻をへし折ってやろうとするのです。TV局側はスタジオでの実演に対してそ
れなりの公正を期す配慮をしており、真偽(しんぎ)を見極めるための実験環境・実験条件とし
ては問題ありません。

 さて、スタジオで行われる実演を客観的に見ている限り、彼らの超能力は明らかに本物と言
えます。どう見ても、インチキではありません。

 ところが否定派は、言いがかりとしか思えないような理由を並べ立て、決してそれを認めよう
としません。あげくの果てには無理難題と言うべき要求を、いきなり超能力者に突きつけるの
です。

そもそも「超能力」を認めない否定派の連中には、それが周囲の状況によって左右させられる
デリケートなものであることが分かっていません。また「超能力者」といっても、人によってその
能力には差があることを全く理解していないのです。

彼らには、ただケチをつけて目の前の現象を否定しようとする考えしかありません。何が何で
も、「インチキの可能性がある」と主張したいのです。

 例えば「透視能力」の場合、被験者(超能力者)がこれまで行ったことがない場所について、
そこにある建物の特徴や全体の風景をある程度まで正確に言い当てたとするなら、普通は、
それだけで間違いなく「透視能力がある」と認められることになります。

しかし否定派は、透視内容が100%実際と一致しなければ「インチキだ」と言うのです。まるで
写真で撮ってきたように細部にわたるまで一致していない限り、決して事実とは認めようとしま
せん。

 そうした否定派の態度が間違っていることは、まともな判断力を持った人には一目瞭然で
す。インチキだと決めつける方が、よほど不自然で無理なことなのです。全く何の情報も与えら
れないところで70%も言い当てているのに「すべて嘘(うそ)だ」と言うのですから、あまりにも
おかしな話です。

一度も行ったことのない場所の様子を70%も当てたとするなら、「透視能力がある」と思うのが
当たり前なのです。いずれにしてもこうした形で、スタジオに来た超能力者達に無理難題をふ
っかけて困らせるのです。

 それを見ていると、19世紀末〜20世紀初期の心霊研究時代に、心霊現象を否定する科学
者達が霊能者に向けた非道で執拗な攻撃を思い出します。もっとも否定派の連中の、品性の
劣る言動がなければTVの視聴率は稼げませんから、それも仕方がないと言えるかも知れま
せん。また出演した超能力者達も、それなりのギャラをもらっていることでしょうから、不当な言
いがかりも甘んじて耐えなければならないのかも知れません。

 実験に取り組む超能力者達は皆、真剣そのものです。それに対してスタジオの雰囲気はまる
で遊び感覚で、超能力者が精神統一をしている脇で、ふざけたり、からかったり、ジョークを言
って笑い合っています。

こうしたTV局側や番組の司会者(たけし)達の、無神経さ・配慮のなさに腹が立ちます。どうし
てもっと静かで精神統一しやすい雰囲気をつくってあげないのかと、抗議したくなります。ひど
い環境の中で  「さあ、お前の能力を見せろ」では、参加した超能力者に失礼です。これでは
実演に失敗したとしても仕方ありません。こんな見世物のような番組に出なければよかったの
にと、つい同情してしまいます。

印象に残った決定打!
 とは言っても、参加した超能力者が毎回、実演に失敗したということではありません。いつも
否定派に、やり込められていたわけではありません。否定派は、何を見せつけられても難癖を
つけることしかしませんが、時には否定派も、否応なく現象の真実性を認めざるを得ないような
こともありました。否定派が、無理やり粗探しをしてインチキの口実を見つけ出そうとしても、ど
うしてもできなかったケースがあったのです。

 その一つが、長野県の男性(綾小路鶴太郎氏)による「スプーン曲げ」の実演でした(2000
年10月2日放映)。男性は、大槻教授の目の前30cmのところで、何度も複雑なスプーン曲げ
をして見せたのです。

同席したマジシャン(ナポレオンズ)も、トリックでないことを認めました。さすがの大槻教授も、
目の前に突きつけられた現実に反論することができず、それが事実であることを認めました。
そして否定派の連中が、こぞって拍手を送るというクライマックスで番組は時間切れになりまし
た。

 TVを見ていた視聴者にとっては、「さあ、これからが見ものだ」と思っていた矢先に、番組が
終わってしまったのですから、これには大変な不満が残ったはずです。大槻教授はかねがね
――「自分の目の前で超能力を見せたら、いつでも大学に辞表を提出する」と公言していまし
たから、本当はこの時、彼は大学を辞めなければならない状況に立たされていたのです。

 私を含め大半の視聴者達は、次回の番組での展開を楽しみにして、ひとまずTV局の思わせ
振りな演出を我慢することにしました。次回のバトルでは、この「スプーン曲げ」の事実を取り上
げて、肯定派が攻勢に転じるようになるだろうと期待することにしました。

ところが何カ月か後に行われたバトルでは、肯定派からこの問題が持ち出されることはありま
せんでした。肯定派の無能さか、またはTV局側からストップの要請があったためなのかは分
かりませんが、せっかくのバトルの進展が見られず、番組はうやむやのままで終わってしまっ
たのです。


*この綾小路氏は、2001年12月31日に別の番組に出演し、たけし達の前で再び見事なス
プーン曲げを披露しています。最近になってミスター・マリックなどのマジシャンがスプーン曲げ
に挑戦していることを意識し、その番組では、自分のスプーン曲げが決してトリックではないこ
と、マリックとは格違いのものであることを証明して見せました。


 さらに印象的だったのは、12歳のロシアの少女によるスタジオでの「透視実験」でした(200
2年4月1日放映)。この少女に、大槻教授の書いた専門家にしか理解できないような物理式
を透視させることになりました。少女がアルファベットに馴染みがあることなどが幸いして、完璧
とは言えないまでも、誰が見ても透視が事実であることを認めざるを得ないような素晴らしい結
果が出ました。

 これにはさすがの大槻教授も脱帽して、たけしの、「これでは辞表とまではいかなくても、休職
だね」の声に、教授は――「4月から講義をしません」と宣言することになりました。果たしてそ
の通り実行したのでしょうか? もし教授が、これまで公言していたとおり本当に辞表を出した
としたら立派なものですが……。

 この他にも、印象的だった実演がありました。実演時期は先の2つよりかなり以前になります
が、中国の2人の女性が、スタジオで「透視実験」に臨みました。否定派の「野坂昭如(あきゆ
き)氏」の書いた文字を透視するというものでした。その結果、野坂氏は彼女達の能力の正当
性を認め、否定派の仲間の2人(大槻・松尾氏)と意見が対立するというおかしなことになりまし
た。 

 ここに挙げた以外にも、印象に残った実演は数多くあります。そのいずれもが、頑固な否定
派を前にして「超能力の事実」を見せつけるのに十分なものでした。それによってTVを見てい
た大勢の人々に超能力の実在を知らせることになったのは、大きな意義がありました。

スピリチュアリズムは、どちらの味方か?
 ここで少し視点を変え、この番組を、スピリチュアリズムの立場から見ていくことにしましょう。
スピリチュアリズムにおいては、霊魂や超能力の存在を頭ごなしに否定する大槻教授は悪玉
の代表のように思われています。彼には悪玉の親分のイメージが定着しています。

 しかし、この番組に関する限り、彼をいちがいに悪玉と決めつけることはできません。一般的
には、スピリチュアリズムは当然、肯定派の味方であると思われるでしょうが、そうではありま
せん。この番組に参加している肯定派の連中は、およそスピリチュアリズムからは懸け離れ
た、むしろ敵・反対者と言った方がいいような人達ばかりです。

 この番組で取り上げられているテーマは――「心霊関係(霊魂と超能力)」「宇宙人」「予言」
の3つに分けられます。この3つのテーマのうち、スピリチュアリズムでは霊魂と超能力の存在
は認めますが、宇宙人と予言は認めません。

「そんなことはない。スピリチュアリストの中には宇宙人の存在や予言を認める人もいる」と思
われる方がいるかも知れませんが、それは、スピリチュアリズムを正しく理解していないところ
からの見解なのです。シャーリー・マクレーンに代表される軽々しいニューエイジャー達は、宇
宙人や予言の類を信じますが、スピリチュアリストはそうであってはなりません。

 つまり番組で取り上げられている3つのテーマのうち2つについては、スピリチュアリズムは
大槻教授と同じ立場・見解に立っているのです。「宇宙人」や「予言」についての大槻教授の非
難は、スピリチュアリズムとしても大賛成なのです。

宇宙人と予言については、否定派に軍配!
 宇宙人肯定派・予言肯定派のあまりの内容のひどさについては、TVを見ている大半の方々
はご承知のはずです。1999年7月に関する“ノストラダムスの予言”が外れても、なおこじつけ
としか言いようのない屁理屈を並べて、「やはり予言は、これから当たるのだ」と主張するにつ
いては馬鹿馬鹿しくて聞いていられません。

また韮澤元編集長の、「宇宙人の住民票を持っているが、今は見せられない」との意見に至っ
ては、最早まともな議論が成り立たないのは誰の目にも明らかです。狂信者が、自分達だけは
正しいと思い込んでいるのと全く同じことなのです。番組も回を追うごとに、宇宙人肯定派・予
言肯定派の程度の悪さだけが、浮き彫りにされるようになってきました。

 こうした状況をTV局側が察知してか、正面きって肯定派と否定派を議論させる時間が少なく
なってきています。宇宙人と予言についての議論を取り上げるウェイトが、以前と比べて軽くな
っているのがよく分かります。

「宇宙人」「予言」という2つのテーマについては、明らかに否定派の勝利と言えます。いくら興
味本位の番組であっても、度を超したデタラメの主張を続ける人達を出演させていては、番組
が成り立たなくなるのは当然です。

 結果的に、真実なものと真実でないものに明白に色分けされるようになり、よかったと思いま
す。肯定派は、「霊魂や超能力」といった心霊に関するテーマだけについて議論すれば、この
ような惨めなことにならずに済んだのです。

秋山眞人氏の“致命傷”
 肯定派のあまりにもひどい顔触れの中で、唯一まともな感覚と知性を持っていると思われる
のが「秋山眞人氏」です。彼だけが常に、大槻教授とかみ合った議論をしています。その点に
おいて最も好感の持てる人物であり、スピリチュアリズムなど心霊問題の肯定派にとって、頼も
しい存在と言えます。

 しかし、この秋山氏は数年前に、「宇宙船に乗り込み、宇宙人と会った」というとんでもない内
容の本を出版しています。スピリチュアリズムから見ればこれは明らかな間違いであり、彼の
長所をすべて台なしにしてしまうほどの“致命傷”と言えます。

否定派がこの弱点を突かなければいいのにと危惧(きぐ)していましたが、案の定、最新のバト
ルではそれが取り上げられてしまいました。彼は防戦一方に追い込まれ、「あれは夢である」と
いったみっともない言訳(いいわけ)に終始していました。

本当に馬鹿げたことを本にしてしまったものです。 「宇宙人との会見は、夢の中の出来事だっ
た」などと言い逃れできる問題ではありません。この傷は、今後もずっとついて回ることになる
でしょう。彼が優秀な人材で、スピリチュアリズムにとっても頼りがいのある人間だけに、実に
残念なことと言わざるを得ません。韮澤元編集長の宇宙人の住民票と同様に、このバトルの
中では、まさに致命傷となっています。

「大槻教授」は、スピリチュアリズムの敵か?
 霊魂の存在や超能力をかたくなに否定し続ける「大槻教授」は、スピリチュアリズムの敵とも
言える人物です。しかし見方を変えれば大槻教授は  「宇宙人」や「予言」、あるいは「ニセ霊
能者」というスピリチュアリズム内部の敵を叩いてくれる、ありがたい存在なのです。

内部の敵は外部の敵よりもタチが悪くて厄介です。スピリチュアリズムを語りながら、その一方
で宇宙人の存在を認めることは、大きな弊害をもたらします。そうした“内部の敵”を非難する
大槻教授のような“外部の敵”は、まさにスピリチュアリズムにとっては、ありがたい人間と言え
ます。

 スピリチュアリズムでは  「自分の良心に忠実に従う生き方が大切である」と教えています。
大槻教授を見る限り、本当に心の底から「霊魂などない」と信じているようです。霊魂の存在を
信じられないことは気の毒としか言いようがありませんが、彼が自分の良心に忠実に生きてい
ることは、誰の目にも明らかです。

霊的事実を全く認めることができないというのは、「霊性が低い」という単純な理由によるもの
です。大槻教授は霊性は低いけれど、低いなりに人生を誠実に生きていると言えるのです。
 それに対して、スピリチュアリズムを自らの利益と名声のために悪用する「ニセ霊能者」はど
うでしょうか。

口先では霊魂や超能力の実在を主張します。しかし現実の生活では、霊的真理を悪用して、
人々を騙し続けています。その罪は霊界において免れることはできませんし、必ず後悔の中で
償わなければならなくなります。自分の良心に反する行為、悪いと知りつつ行ったことは、いつ
か咎めを受けなければなりません。

こうした「ニセ霊能者」と、大槻教授のようなスピリチュアリズムを否定する「正直者」とでは、神
はどちらを善しとされるでしょうか?

 大槻教授は、霊魂や超能力などないと心の底から思っているのです。だから公然と、「それ
が事実なら辞表を出す」とまで言い切っているのです。心霊世界を否定することは霊的事実か
ら見て明らかに間違っていますが、自分の信念に忠実であろうとすることにおいて、動機は純
粋なのです。

それゆえに死後、彼が霊的な責めを負うことはないと思われます。嘘と知りつつ自分の利益の
ために人々を騙し続けるニセ霊能者は、その動機が不純です。人間的価値において、大槻教
授に大きく劣るのです。

 スピリチュアリズムでは  「何を信じるのか、何を語るのかではなく、何をするのかが重要で
ある」としています。スピリチュアリズムの霊的真理を語りながら罪を犯す人間は、残念ながら
多いのです。こうしたスピリチュアリズムの“内部の敵”を叩いてくれる大槻教授は、間接的に
スピリチュアリズムの味方とも言えるのです。
  

 2 ここが変だよ日本人

 
TVで見せた「気の威力」
 たけしのTVタックルと同様、印象的だったのは、“ここが変だよ日本人”での気功師による気
の実演でした。この番組は、日本に滞在する外国人をスタジオに呼び、日本に対するさまざま
な意見・批判を述べさせ、議論するというものです。(*この番組は今年の3月で打ち切りとな
り、現在は放映していません。)

 番組の中では数回にわたって気功の実演が行われ、ここにも否定派代表の大槻教授が出
演しました。日本・韓国・中国から、名うての気の達人・気功師が次々とスタジオに招かれ、番
組に参加していた外国人を実験台にして気功を実演し、「気の威力」をあますところなく見せて
くれました。

特に気の力による“遠当て(とおあ)”の実演には目を見張るものがあり、スタジオにいた参加
者は皆、唖然(あぜん)としていました。(*遠当てとは、離れた所にいる人間を気の力で操ると
いう気の技で、時には数十人の人間をいっせいに操ることもできます。) 

否定しがたい事実を目の前にして、スタジオにいた者ばかりでなく、TVを見ていた多くの人々
も、気の威力に驚いたはずです。それは「サイキック能力の存在」を、TVという現代のメディア
によって国民に知らせたことであり、スピリチュアリズムにとっても実に意義のあることでした。

20世紀初期の、「科学者による心霊現象の研究」に匹敵する意味を持っていると言えるかも
知れません。当時は、一部の科学者だけが目にすることのできた「超能力現象」が、TVを通じ
て多くの国民の前に示されたことは、“唯物論”との戦いにおける大きな貢献と言えるでしょう。

大槻教授に通用しなかった「気の威力」
 ところがこの番組は、今述べた目を見張るような気の実演だけで終わったのではありませ
ん。そうした実演の後に、さらにおもしろい展開が見られることになりました。驚愕(きょうがく)
するような素晴らしい実演に続いて、大槻教授を実験台にして同じような実演がなされ、それ
が番組に、新たな別の問題を提起することになったのです。 

 例によって大槻教授は、気功の威力などは認めようとしません。いくら目の前で外国人が気
の力によって倒され、操られ、振り回される事実を見せつけられても、それは「ただ疲れている
だけだ」と言って認めようとしないのです。そこで教授自らが実験台となって、気を受けることに
なりました。これが大槻教授のいいところで、参加した気功師の挑戦を、毎回一人で受けて立
ったのでした。

 スタジオにいた人々、TVを見ていた人々全員が、きっと先ほどと同じような現象が教授にも
起こり、教授は倒されたり、操られるようになるだろうと思っていたはずです。気功師は、渾身
(こんしん)の力を振りしぼり、教授に気を投射しました。

誰もが、すぐに教授は跳ね飛ばされると思って固唾(かたず)を呑んで見ていました。そうしてし
ばらく沈黙の時が過ぎますが、教授は倒れません。必死に倒れまいと戦っているようにも見え
ます。体に微妙な反応らしい動きも見えますが、なかなか倒れません。

そのうち気功師は、「できない」と敗北宣言をしました。教授にとっては、まさに気功の嘘を暴い
た誇らしい勝利の一時(ひととき)でした。こうして日本・韓国・中国の気の達人との直接対決
は、ことごとく大槻教授の勝利に終わったのです。

気の実演は、“やらせ”か“インチキ”だったのか?
 この場面を見ていた人々は、先ほど投げ飛ばされ、操られた10人の外国人は“さくら”だっ
たのか、あれは“やらせ”だったのかと思ったに違いありません。大男を含む10人もの人間を
一度に操ったのが事実なら、それほど大柄でもない大槻教授一人を倒せないはずがないと考
えて当然です。

おそらくTVを見ていた大半の人々は、さっき見た「気の威力」とは一体何だったのか分からなく
なったはずです。あの実演は、嘘か本当か、信じていいものかどうか分からなくなり、中途半端
な気持ちだけが残ったと思います。

気の実演が明らかにしたこと、気の実演の意味するもの
 唯物論者や否定派の人々は、スタジオにおけるこの一連の出来事によって、「気功のインチ
キ性」が暴露され、証明されたと思ったことでしょう。否定派は、「気の威力」などもともとあるは
ずはなく、嘘かせいぜい暗示の類に過ぎないと考えています。では、スタジオで参加者が見せ
た反応は、“やらせ”か“インチキ”だったのでしょうか。そうではありません。現実に気功師によ
って倒され、操られたのです。

 この一連の気の実演を客観的に述べるならば、次のようになります――「気功の威力は絶大
で、一度に何人もの人間を、手を触れずに倒したり、操ることができる」ということ。それと同時
に、「大槻教授のように、気の威力が及ばない人間もいる」ということです。TVの実演で明らか
にされたことは、この2点なのです。気の威力は事実ですが、気の威力が効かないケースもあ
るということなのです。

 こうした実演の結果を、ありのままに認めることができる人ならば――「では、どんな人間に
気功は効力を発揮し、どんな人間には効力を発揮しないのか?」という新たな疑問を持つよう
になるはずです。「気の威力は嘘(うそ)か真(まこと)か」ではなく、どうしたら気の威力は発揮
され、どうしたら発揮されないのか、という方向に問題意識が移っていくことになるはずです。

どうして大槻教授を倒せなかったのか?
 なぜ、大槻教授には気功が効かなかったのでしょうか。結論を言えば、気功が威力を発揮す
るのは、相手に受け入れる気持ち・受け入れ態勢があるときに限られるという原則があるから
なのです。

別の言い方をするなら、気を送る者とそれを受ける者との間に、ある種の“共鳴性”が必要だと
いうことです。徹底して疑いを持ったり、頭からそんなものはあるはずがないと決めてかかるよ
うな人には、気功の力は及ばないのです。そうした人には気の影響力は素通りしてしまい、“の
れんに腕押し”といった状況ができてしまうのです。

 気の力で相手を倒すには、相手が気功の威力に関心を持っていたり、あるいは好奇心を示
すなど、それなりの受け入れ態勢が必要となります。したがって公開実演などでは、影響を受
けやすい人間を最初のモデルにして実演し、それを見ていた他の人間に、自然に関心や好奇
心を起こさせるように仕向けるのです。

信じがたいといったようなレベルの反応でもいいのです。実演と意識の方向性がかみ合えばい
いのです。驚きがあれば、なおいい状態ができることになります。なかにはそれを見るだけで
信じるような人もいますが、そうした人は最も気の影響を受けやすいのです。

 初めは否定的だった人も、目の前で事実を見せつけられると、自分のうちに納得できる説明
(否定理由)を見い出せない限り、不安になり、かたくなに構えていた心にスキができるようにな
ります。このようなとき次々と実演を見せられると、大半の人は抵抗する力を失い始めます。

“潜在意識”は、そうした状況下で「気の威力」を受け入れようと動き出します。そしていつの間
にか、自分から気の威力に簡単に反応するようになってしまうのです。 

 TVに出演した気功師は、最初に心の受け入れ態勢・気の共鳴状態をつくるために、相手を
直立させ、これを意図的に押してぐらつかせるようなことを繰り返しています。これは気の力に
反応させやすくするための呼び水のようなものです。

気の実演におけるこうした状況は、実は「催眠術」と全く同じなのです。相手に暗示を受け入れ
る姿勢がない限り、催眠術は成功しません。催眠術師がいくら必死に暗示を与えても、相手が
暗示に意識を向けない限りコントロールはできないのです。

 もし皆さんが催眠術にかからないようにするためには、相手の暗示に耳を傾けなければいい
のです。てっとり早いところでは、耳栓をして催眠術師の声が聞こえないようにしたり、催眠術
師と視線を合わせないようにして、あらぬ方向を見ていればいいのです。

あるいは相手が何を言っても、自分の頭の中で別のことを一生懸命考えていればいいので
す。要は相手の言葉に意識を合わせないということが肝心で、相手が突如、指を目の前に突
き出しても動じず、「この人の指は汚いなあ」などと、とっさに指の観察に意識を切り替えてしま
うのです。こうして意識を徹底してずらせば、そのうちに催眠術師は疲れ果てて続けられなくな
ります。

気功も催眠術も、サイキックレベルの世界に係わる以上、相手との“共鳴性”が決め手となりま
す。大槻教授は、そのあたりのコツを敏感に察知していたのでしょう。必死に自分の心の世界
を崩さないようにしている様子が見られました。

もちろん心の底から「そんなものは、あるはずがない」と思う堅い信念があればこそ、自分が試
される場に置かれても、何とか心を維持できたのです。これは、やはり信念が大きな力を持つ
ことを示しています。

日本の気の行者と中国の気の達人が直接対決し、日本の行者が跳ね飛ばされて骨折してし
まいました。気の威力を常に高めようとしている人間同士が気をぶつけ合うと、必ずこうした結
果になります。普通の人以上に気の威力を知っているため、よけいに反応が大きくなるので
す。

激しい剛と剛とのぶつかり合いの様相を呈します。10人の人間を動かす力が堅い塊となっ
て、そのまま相手に投げかけられるのと同じことになるのです。

 もし一方が、相手と気がかみ合わないように意識を別の方向に向ければ、相手を倒すことは
できませんが、自分も倒されずに済むことになります。賢明な闘い方は、初めに相手と意識を
相応させないようにし、相手だけに力を振り絞らせ、疲れさせることです。

相手が疲れてきたら、それから相手に向けて気を送るようにするのです。そうすれば、いかに
相手が強力な気の達人でも、必ず勝てるようになります。「柔よく剛を制す」とは、まさにこのこ
となのです。

気の達人や行者にはプライドがあるため、初めから全力で相手に立ち向かおうとします。その
ためそうした者同士の対決は、どちらかが跳ね飛ばされるまで収まらないようになっています。
気功とはそういうものなのです。

話は少し変わりますが、昔から「敵を呪い殺すこと(呪詛(じゅそ))」が行われてきました。ワラ
人形にクギを打ち込むという呪術も、この一種と言えます。これらはいずれも「サイキック能力」
を用いた方法で、気功と同じような性質を持っています。

つまり呪詛の相手が、こうしたことを信じている人間であってこそ力を発揮するのです。昔は
“御霊(ごりょう)信仰”が社会の隅々まで浸透していたため、誰もがそれを事実として受け入
れ、信じ、恐れていました。そのために、呪詛やワラ人形が確かな力を発揮することができた
のです。

 しかし現在のように、呪詛など頭から馬鹿にし否定するような時代では、同じようなことをして
も、相手がよほど霊的に敏感でない限り、効き目はほとんど現れません。低級霊が関与しない
限り、自分のサイキック能力だけでは、効果が少なくなっているのです。


シルバーバーチの故郷を訪ねて


 シルバーバーチゆかりの地を訪ねたいという願いがかなって、初春のロンドンに行ってきまし
た。前もってトニー・オーツセンに連絡したところ、一日時間をさいて案内してくれるということに
なりました。ロンドンで一番古いパブでの昼食をはさみ、トニーの車で、SAGB(大英スピリチュ
アリスト協会)本部、ツー・ワールズのオフィス、バーバネル夫妻が住んでいたアパートを案内し
てもらいました。

 SAGBでは、トニーがセミナーの専属講師をしていることもあり、内部のさまざまな部屋を見
せてもらうことができました。ツー・ワールズのオフィスは、テムズ川を見下ろす古い石造りの建
物の中にありました。以前はコーヒー豆を売っていた会社の一室を、安い家賃で借りているそ
うです。

今回の訪問で最も楽しみにしていたのは、「シルバーバーチの交霊会」が行われたバーバネ
ル夫妻のアパートです。トニーがそのアパートを訪ねるのは、1981年にバーバネルが亡くな
って以来、20年ぶりとのことでした。アパートは、ロンドンの閑静な住宅地にあり、すぐ近くには
ビートルズファンにとってのメッカ「アービーロード・スタジオ」があります。

 
 シルバーバーチの交霊会が行われたアパート


 写真は、バーバネル夫妻が結婚してから死ぬまでの約50年間住んでいたアパートです。英
国ではこの種の住居をフラットと呼んでいます。アパートの2階、向かって右側の一角がバーバ
ネル夫妻の住居で、交霊会はその中央寄りの部屋で行われていました。

1930年代からハンネン・スワッファーが亡くなる1962年までは、交霊会は彼の自宅で行わ
れていましたが、スワッファーの死後は、バーバネルのアパートで開かれるようになりました。
そしてバーバネルが死去するまでの20年間、交霊会はこのアパートで続けられたのです。

現在その住居には、スピリチュアリズムとは縁もゆかりもない人々が住んでいます。かつてここ
で「人類史上最高の交霊会」が行われたことなど、全く知る由もありません。人類全体の宝とも
いえる霊界通信が送られてきた場所に、今はスピリチュアリズムとは何の関係もない、シルバ
ーバーチの名前さえ知ることのない人々が住んでいることに、不思議な感覚を覚えました。

トニーも、交霊会に参加していた自分でさえ足が遠のいていたアパートに、わざわざ日本から
訪問者がきたことに感慨深い様子でした。

 運良くアパートの住人が帰ってきたため、アパート内に入って、バーバネルの住居の玄関ドア
ーの前まで歩いていくことができました。トニーは、日本のスピリチュアリストに向けてのメッセ
ージとして、このアパートの一室に、かつて世界各地から多くの人々が訪れたことを述べ、交霊
会の様子を説明してくれました。

トニーは、バーバネルの最後についても語ってくれました。それによると、バーバネルは亡くな
る2週間前に旅行に行って体調を崩し、それがもとで心臓マヒで他界することになったそうで
す。バーバネルは最後は現代医学の医者にかからず、ハーブを用いる自然療法医の治療を
受けたということです。

 普段のバーバネルは健康体で、ほとんど病気をすることがなかったのですが、妻のシルビア
は呼吸器系が弱くて煙草の煙を嫌っており、バーバネルは自宅では、できるかぎり煙草を吸わ
ないようにしていたそうです。またバーバネル夫妻はベジタリアンで、ごくたまに魚を食べるとい
った食事を長年続けてきました。

別れ際にトニーは、また素晴らしいプレゼントをくれました。すでにニューズレター16号で、トニ
ーから贈られたバーバネルの形見の古いアルバムを紹介しましたが、今回はさらにもう一冊、
別のアルバムをくれたのです。

 それは1930年代から1950年代にかけてのアルバムで、「シルバーバーチの交霊会」が最
も充実していた時代のものです。この間には第2次世界大戦があり、交霊会を維持すること
が、きわめて困難な時期でもありました。

ロンドンもドイツ軍の空襲によって戦禍にさらされましたが、交霊会は休むことなく続けられまし
た。その当時の様子が、『シルバーバーチの霊訓』の中に詳しく述べられています。(*潮文社
発行『シルバーバーチの霊訓』第3巻・1〜2章参照)

 私達はトニーに、「大切な形見のアルバムを手放してしまって、本当にいいのですか?」と尋
ねました。するとトニーは――「バーバネル夫妻の思い出は、自分の心の中にしっかり刻み込
まれていますから、どうか気にしないで受け取ってください。

このアルバムを皆さん方が喜んでくださることが分かりますから、ぜひそうしていただきたいの
です」と言ってくれました。

 そしてさらに、バーバネルが生涯を通じて愛用していた木製のペン皿もくれたのです。サイキ
ック・ニューズ社のバーバネルのデスクの上に、いつも置かれていたものです。


   
バーバネル夫妻の古いアルバム バーバネル愛用のペン皿



 トニーは、もう一つ貴重なプレゼントをくれました。それはティーカップとソーサー(受け皿)・ケ
ーキ皿のセットで、日本を発つ前から  「今度、皆さんがイギリスにいらっしゃったら差し上げ
ます」と約束してくれていたものでした。写真はそのティーセットです。これまで何人かの方々に
分け与え、あと数組しか残っていない内の一セットをくれたのです。

 このティーセットは、「シルバーバーチの交霊会」が終わった後だけに使われた特別なもので
す。トニーの言うところによれば、このティーセットは1930年代のもので、ハンネン・スワッファ
ーやメアリー・ピックフォードなどの有名人も、それでお茶を飲んだということです。(*メアリー・
ピックフォードは、米国無声映画時代のスター女優で、シルバーバーチの交霊会にも招かれて
います。『シルバーバーチの霊訓』第2巻・5章参照)

 このティーセットには、“白樺”の絵が描かれています。そのため皆は、これを“シルバーバー
チ”と呼んでいました。このティーセットは、シルバーバーチからバーバネル夫妻へのプレゼン
トだと、皆が信じていたそうです。

 日本語版『シルバーバーチの霊訓』第1巻の英文原書は、アン・ドゥーリー編の『Guidance 
from Silver Birch』ですが、この原書の表紙にはティーセットと同じ白樺の絵が描かれていま
す。トニーが専門家に依頼して、ティーセットの図柄をそのままコピーしてもらったものです。 



“シルバーバーチ”と呼ばれていたティーセット


私達は、これまでトニーから贈られた貴重な品々は、日本のすべてのスピリチュアリストに対す
るプレゼントだと思っています。長年、トニーの手元にあったシルバーバーチゆかりの品々を、
今次々と私達に与えてくださるその背後に、シルバーバーチをはじめとする多くの高級霊の働
きかけを強く感じています。日本国内だけでなく世界各国に――『シルバーバーチの霊訓』を中
心とした「本物のスピリチュアリズム」が展開することへの期待が、こうした形で示されているも
のと思っています。
 トニーには、日本のスピリチュアリストを代表して、何度も感謝の言葉を述べました。



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