◇ニューズレター20号 (抜粋) 
 2003年 1月


目 次

    祖国日本よ!
 一体どこへ向かおうとしているのか 

 1、迫りくる日本国家の破産 
   ・迫りくる国家財政の破局
   ・天文学的に膨張した国家の借金
         絶望的な借金返済
   ・もし国家財政が破綻したら?
   
 2、金銭に魂を売り渡した日本人
   ・贅沢と物欲の虜になった日本国民
   ・「金こそがすべて」という考え
   ・経済発展しか考えなかった日本人
   ・私利私欲に走った国家の指導者達と、無責任なマスコミ

 3、失われた日本精神と真の国家危機
   ・失われた伝統的な日本精神
   ・伝統的精神を崩壊させた戦後の教育
        戦後の教育の失敗が、日本人の徳性を失わせた

    ・国民の精神性の崩壊は、真の国家の危機
   ・神の摂理に支配される国家の栄枯盛衰

 4、破産後の日本国家の行方
   ・日本は破産し、そして世界から軽蔑され見捨てられる

 5、真の希望の光「スピリチュアリズム」
   ・暗黒の日本から“光”を放つ
   ・地球規模でのパラダイムの転換
   ・日本人スピリチュアリストの使命
   ・財政破産は、国家の霊的チャンス
   ・霊界から、50年後の日本を眺める



 
スピリチュアリズム・サークルは、スピリチュアリズムの最前線基地
サークルづくりの意義と重要性
 

 1、霊界の大組織と、地上のスピリチュアリズム・サークル
   ・霊界の大組織
       イエスを頂点としたヒエラルキー
   ・欧米のスピリチュアリズムの組織
   ・欧米のスピリチュアリスト・チャーチの現状
   ・少人数のサークルは、スピリチュアリズムの前線基地

 2、スピリチュアリズム・サークルの意義
   ・霊的意識を取り戻してくれるサークル
   ・霊的な礼拝所
   ・地上における「霊的家庭」
       本当の霊的人間関係を築く場所

 3、サークルにおける霊界との絆の強化

 4、サークルメンバーの選別
     どのような人とサークルをつくったらよいのか
   ・決して安易な集まりをつくらない
   ・サークルづくりでは、パートナーを選ぶべき
   ・孤独な期間に耐える
   ・私達「心の道場」は、サークル
      づくりのために協力いたします
   ・サークルづくりの第一歩は「読書会」から

  5、サークルの進め方
     ――サークルでは何をしたらよいのか
   ・サークルの時間・場所
   ・聖域をつくり守る
   ・サークルのカリキュラム
   ・良い真理の学習会と悪い学習会
   ・サークルに対する評価・自己チェック

 6、サークルにおける問題・トラブル
   ・サークルは「愛の訓練場」
   ・必ず生じる人間関係のトラブル
   ・各自が「霊的真理」に立った努力をするかどうかが決め手
   ・サークル活動に、ゆき詰まりを感じたときには
   ・サークルの解散

 7、リーダーの役割と、サークルとしての進歩・向上 
   ・孤独で辛いリーダーの立場
   ・リーダーとしての務めは、スピリチュアリズムへの大きな貢献
   ・リーダーの内容によって決まるサークルの発展
   ・メンバーを育て、サポートする
   ・リーダーは常に神と霊界を拠りどころにすべき
   ・サークル全体としての進歩・向上

 
   スピリチュアリズム・ニューズレターの読者の皆様へ
 
    ・ニューズレターの目的は、スピリチュアリズムと高級霊訓のPR
   ・ニューズレターの評価は、各人の理性的判断で
   ・『シルバーバーチの霊訓』を、判断の指針として
   ・霊界と高級霊こそ、真偽の最終判断者
   ・霊的真理の忠実な実践こそが大切
   ・ニューズレターの対象者
   ・シルバーバーチを最高の指針として 


ニューズレター


祖国日本よ!
一体どこへ向かおうとしているのか 
  

1 迫りくる日本国家の破産
 

迫りくる国家財政の破局
 最近になって、多くの経済学者や専門家が、日本の国家財政破綻の警告を発するようになっ
てきました。「国家が破産する」などというようなことは、大半の人々にとっては予想を超えた出
来事で、自分とは関係ないと思っています。

国家の危機が迫っていると聞かされても、政府が何とかやり繰りして、これまでどおりの生活
が無難に送れるものと考えています。しかし現在の財政事情を客観的に見るならば、日本は
刻一刻と、破局に向かってばく進していることは明らかなのです。

 2001年9月11日のアメリカにおける同時テロ事件で、ニューヨークの世界貿易センタービ
ルが崩壊するショッキングな現実を、世界中の人々が目にすることになりました。当日の朝ま
で、世界有数の超高層ビルが崩れ落ち、跡形もなくなることを予想した人は一人もいなかった
はずです。ところが想像を絶するようなことが実際に起こりました。

 それと同じように、ある日突然、日本の国家破産が起こるかも知れないのです。そしてその
可能性は、貿易センタービルの崩壊と比べたとき、はるかに高いと言わなければなりません。
もし「国家破産」が現実のものとなるならば、その影響は、またたくうちに日本全土を巻き込
み、世界中に深刻な衝撃を与えることになるでしょう。

 日本人ならば、誰も愛する祖国の崩壊など見たくはありません。無理にでも明るい日本の未
来の姿を思い描きたいものです。しかし現実の日本は、すでに後がない崖っぷちに立たされて
いるのです。絶望的としか言いようのない事態に、遅かれ早かれ遭遇することになるのです。

天文学的に膨張した国家の借金  絶望的な借金返済
 経済の専門家によれば、現在の日本国家が抱えている累積公的債務(借金)は、実質的に
は1000兆円を超えていると言われます。 (*国と地方の合計借金は約700兆円で、これに
公務員の退職金や年金などの隠れた借金が加わることになります。)

 小泉政権は、新たな国債発行額を年30兆円の枠内に収めようとの公約を掲げて登場しまし
た。しかし来年度の予算では、その枠を上回ることが確実になりました。小泉政権がこれまで
守ろうとしてきた30兆円枠とは、30兆円分の借金返済をしようということではありません。

新たに借金する金額を前年度に比べ、わずか数兆円減らしたいという程度のことなのです。
“焼け石に水”とはまさにこのことです。借金は減るのでなく、来年度も新たに多額分が上積み
されることになるのです。 (*実際には来年度の公的な借金は、国債・地方債・財投債を合わ
せて60兆円にのぼります。来年も60兆円の借金が上積みされることになるのです。) 

 現在の日本国家は借金の利息を払うために、さらに借金を重ねなければならない“借金地
獄”に陥っています。普通の家庭ならば、とっくにやっていけない深刻な状態にあります。借金
の利息が雪だるま式に増えていく中にあって、これまでの借金(元本)を返済するどころの話で
はないのです。

海外からは度々、日本国家の危機的状況について危惧 (きぐ)する声が発せられてきました
が、それにもかかわらず日本政府は、いっこうに借金を返済するための政策を打ち出そうとし
ませんでした。

 個人であろうが国家であろうが、他人から借りたお金はいつか必ず返さなければなりませ
ん。しかし日本国家の実状を見るかぎり、とても借金の返済はできそうにありません。小泉内
閣は歴代の政権の中で、初めて日本の危機的状況を認識し、何とか手を打とうと取り組み始
めました。

その点で小泉内閣は、今までの政権の中で最もましと言えるでしょう。ところがその小泉政権
であっても、依然として本質的な問題解決には踏み込むことができずにいるのです。いまだに
借金返済のための根本的な対策を打ち出せずにいるのです。小泉政権における財政構造改
革は初歩の初歩、あまりにも小さな一歩に過ぎません。

 これまで政府は、日本には1400兆円もの個人金融資産があるから、国家が破綻するような
ことはないとの強気の発言を繰り返してきました。これは日本国民が必死になって貯めた個人
資産を、政府の借金の担保として考えているということを意味しています。

個人資産で国の借金を帳消しにすれば、財政危機は免れることができるという極論です。しか
し、そうした極端な仮説に立った場合でも、恐ろしいことに実質的な余裕はあと2〜3年分しか
ないと言われています。その一方で1400兆円の個人資産のかなりの部分(*一説には3割)
が、すでに郵貯から財政投融資を通して公共事業に回り、不良債権化していると言われます。

したがって国民の資産を政府の借金の担保と見なしたとしても、すでに担保割れを起こしてい
ることになります。国民の資産は勝手に使われ、しかも焦げついて返ってこないものになってい
るのです。

 政府がどこからもお金の工面ができなくなると、そのとき財政破綻が現実のものとなるので
す。そうなれば国家の予算さえ立てることができないような事態を招くことになりかねません。
昨年(2002年9月)には、長期国債がとうとう売れ残るような状況に至っています。資金調達
の道が、徐々に閉ざされつつある兆候が見られるようになってきました。 

もし国家財政が破綻したら?
 もし数年後に国家財政が破産状況を迎えるとするなら、どのような事態が生じるのでしょう
か? そのとき私たち国民の生活は、どのようになるのでしょうか? 現在の日本のような経
済大国が破産するなど人類歴史上前代未聞のことであり、専門家といえども具体的な予測を
立てることはできません。

 予想されることは、国債の暴落に端を発して、財政危機が一気に表面化するということです。
通貨(円)の価値が急落し、金融不安が発生します。国民は銀行に殺到し、預金を下ろそうと
血眼(ちまなこ)になるでしょう。政府は防衛策として、突然“預金封鎖”という強硬手段に出る
かも知れません。

もしそうなれば自分のお金であっても、銀行や郵便局などの金融機関から自由に引き出すこと
ができなくなります。時をおかずして「悪性のインフレ(超インフレ)」が起きるようになります。預
金封鎖と極端なインフレによって、国民の資産(預金・現金)はどんどん目減りします。

インフレがさらに加速し最悪の事態に至れば、国債はもちろんのこと、預金の多くが紙くずのよ
うな状態になってしまいます。

 以上は最悪のシナリオですが、これに近いようなことが現実となり得る可能性があるのです。
 終戦直後(昭和21年)の日本では、そうしたことが現実となり、大半の国民の資産があっと
言う間に消滅してしまいました。

今後、日本国家が破綻するならば、これまで日本が世界に誇ってきた一億総中流階級社会も
根底から崩れ、一部の金持ちと大多数の貧困者に二分されることになるでしょう。当然のことと
して国民は大パニックに陥り、全国各地で暴動が発生するようなことにもなりかねません。

 最近では、2001年12月にアルゼンチンで、国家破産にともなう銀行封鎖という事態が現実
のものとなっています。そしてアルゼンチンの次は「日本が危ない」と懸念されています。日本
とアルゼンチンでは経済規模が全く比較になりません。

日本のような経済大国が破産するような事態になれば、世界中がどのような混乱に巻き込ま
れてしまうのか、具体的なことは予想がつきません。しかし世界中の国々の経済をメチャクチ
ャにすることだけは、はっきりしています。

 国家の破産とそれにともなう悪性インフレによって、日本国民の財産が失われる可能性は、
きわめて高いのです。多くの国民の生活水準は30年前のレベルに逆戻りし、車も家も手放さ
ざるを得ないようなことになるかも知れません。

現在では誰もが簡単に行ける海外旅行も、そのときになれば夢のまた夢といったことになるで
しょう。一番深刻なのが、仕事もなく年金に生活のすべてを頼っている人々です。国家から給
付される年金額は大幅に減額された上に、インフレによって実質的には、さらに何分の一かに
目減りすることになるのです。

年金生活者にとって、きわめて厳しい状況が生じることになりそうです。多くの中小企業は息の
根を止められ、次々と倒産することになるでしょう。こうした形となって、国家破産の深刻さが国
民の中に実感されることになるのです。

 一方、国民から膨大な借金を重ねてきた国家にとっては、超インフレによって借金そのもの
が目減りし、一見都合のいいことになります。国民から借りた莫大な借金が、実質的には無き
に等しいものになるからです。

国民からの借金は、帳消しのような結果になるのです。しかし、そうした国家・政府に対し、国
民は一切信用しなくなります。もちろん国債を購入して、政府にお金を貸すような人はいなくな
ります。政府はもはや国家としての最低の運営さえもできなくなるのです。

  

2 金銭に魂を売り渡した日本人
 

贅沢と物欲の虜(とりこ)になった日本国民
 日本は、どうしてこれほどまでに天文学的な借金をつくり上げることになってしまったのでしょ
うか。これについてはすでにニューズレター(15号)で述べていますが、その原因を一言で言え
ば――「日本国民が過剰な物質的豊かさを政府に要求し、それを政府が安易に受け入れてき
た」ということです。

これまで国は、国民からあまり税金を取らずに、どんどん贅沢をさせてきました。そうしたやり
繰りを支えてきたのが、国民からの借金なのです。その結果、国民は物質的に恵まれた暮らし
ができるようになりました。世界の中でも、類まれなほどの豊かな生活が保障されることになっ
たのです。

 贅沢ができれば国民は喜び、政府も人気を維持することができます。一方、一部の政治家
や高級役人(国家官僚)には、多額の甘い汁が提供されることになります。こうして物質的快楽
を追求する「衆愚(しゅうぐ)政治」が続いてきたのです。

国民に分不相応な贅沢をさせることによって、政治家や官僚は都合よく私腹を肥やすことがで
きますが、国家が抱えた借金は、最終的には貸主である国民自身が負うようになっているので
す。本当に馬鹿げたことなのですが、政府は国民から莫大な借金をし、そのお金で国民に贅
沢をさせてきたのです。

 今、国家の首を絞めようとしている膨大な借金は、国民から借りたお金です。それなのに国
民は、さらなる贅沢をさせてもらうための資金を、預金という形でせっせと政府に差し出してい
るのです。

その国民からの借金が、国家破産によって踏み倒されようとしています。まさに自分の手足を
食べて飢えを凌ぐような事態になっているのに、ほとんどの国民はその事実に全く気がつかず
にいるのです。

 「収入の少ない者が、収入をはるかに超えた出費をする。それを続けるために、さらに莫大
な借金を重ねる」――こんな愚かなことを、日本はずっとしてきました。あちらこちらのサラ金か
ら借金をしながら、高級外車を乗り回すのと同じようなことを続けてきたのです。

政府は国民の際限のない物質的な欲望に迎合し、国民をひたすら甘やかす政策を推し進めて
きました。限度を越えた贅沢な要求を、政府は抑制するどころか、国民と一緒になって進めて
きたのです。それによって今や、絶望的な借金の悪循環・借金地獄にはまってしまいました。
そして、もはや借金を返すことができない破局状態の直前にまで至ってしまったのです。

「金(かね)こそがすべて」という考え
 戦後の経済成長の中で、国民は物質的な豊かさをひたすら追い求めてきました。その結果、
経済的な繁栄こそが国家の進歩と文化水準を示すものであり、国民に幸せをもたらすもので
あるといった幻想を抱くようになってしまいました。

政府も国民も、物質的な豊かさを追い求めることが共通の目標となり、経済的に豊かであるこ
とが“最高の善”であると思い込むようになってしまったのです。「金こそがすべて」という考え方
が支配的になり、「物質主義・経済至上主義」に完全に洗脳されてしまいました。

 国民は経済大国となったことに誇りを感じ、さらなる物質的な豊かさを求めて奔走し、物と金
にすべての価値と人生の目的を置くようになりました。いったん贅沢の味を知った日本人は、
もはや質素な生活、物より心を大切にする世界に後戻りすることができないようになってしまい
ました。そして、まさに国家の危機が身近に迫ってきているこの時に及んでも、どこまでも欲望
を追い求め、享楽の中に酔いしれているのです。

経済発展しか考えなかった日本人
 景気が上向き、経済が発展すれば、国民はさらに物質的に潤うことになります。政府は常に
経済的な成長を政策の中心目標に掲げ、国民に物質的な豊かさをもたらそうとしてきました。
こうして経済至上主義がエスカレートし、国民あげての「金権主義・拝金主義」を生み出すこと
になりました。

 そして1985年の“プラザ合意”をきっかけに、国内に資金がだぶつき、それが株や土地に
向けられ、気違い染みた“バブル経済”を到来させることになりました。それまで勤勉に働いて
きた製造業までもが、働かずに金を儲ける財テクというマネーゲーム、つまり博打(ばくち) で
金を儲けることに血眼になってしまったのです。そのあまりの異常さは、当然“バブル破綻”と
いう結果をもたらすことになりました。そして今もその後遺症に、日本中が苦しめられているの
です。

 物質的な豊かさこそが幸せであると考える政府と国民にとっては、不景気はまさに不幸な出
来事であり最大の悪なのです。政府は国民の信頼を維持するために、何としても不景気を克
服したいと考えます。バブルが弾(はじ)けるまでは、日本はずっと経済成長の道を歩んできま
した。

しかしバブル経済崩壊以後、政府がさまざまな景気回復の手段(*公共事業など)を講じて
も、あまり効果が上がらないようになっています。その結果、さらに借金を膨らませることになっ
てしまいました。この10年間で、日本はもはやかつてのような経済成長は望めないことがはっ
きりしてきたのです。

私利私欲に走った国家の指導者達と、無責任なマスコミ
 政治家や官僚達は、国家に膨大な借金をさせてきたにもかかわらず、その事実を国民に知
らせようとしてきませんでした。これ以上の借金は、国家そのものを破滅に導くことになるという
危険性を訴えてきませんでした。

日本国家の天文学的な借金も、利権の絡んだ政治家や役人(官僚)にとっては所詮、他人の
金(国民の金)であり、自ら痛みを感じるものではありません。国家や国民のことより、私腹を
肥やすこと・自分の利益を守ることしか考えない彼らにとっては、日本の将来のことなど、どち
らでもいいのです。国家に返済不能ともいえるような莫大な借金をさせてきた当事者は、こうし
たエゴ的な政治家であり役人だったのです。

 彼らのあまりにも利己的な姿勢は厳しく糾弾(きゅうだん)されるべきですし、当然、将来にお
いてはその償いをしなければなりません。しかし彼らの存在を許してきたことについては、国民
全体にも責任があるのです。なぜなら国家の借金の根本原因は、国民の飽くなき物質的欲求
にあるからです。物の豊かさこそが幸福であるとする国民の物質主義的な考え方が、彼らのエ
ゴを引き出し、国家を崩壊にまで陥れるようになった最大の原因なのです。

 一方マスコミも、国家が置かれている事態の深刻さを、真剣に国民に訴えることをしてきませ
んでした。マスコミは、これ以上借金をしてはならないこと、大幅な増税や支出の削減などの大
胆な借金返済の政策を早急に実行しなければ日本の将来がないことを、国民に知らせなけれ
ばなりませんでした。それなのにマスコミは、自身の認識不足と使命感のなさから、政府の愚
策に警鐘を鳴らすどころか、「衆愚政治の片棒をかつぐ」ようなことをしてきたのです。


3 失われた日本精神と真の国家危機
 

失われた伝統的な日本精神
 経済成長の中でひたすら金儲けに奔走するうちに、いつしか多くの日本人が、物質と金だけ
に価値を見い出すような精神状態に堕ちてしまいました。政府は経済発展を何より優先し、国
民は金儲けを人生の目的とするようになってしまいました。そして「心より物、万事は金次第」と
いう私利私欲に極端に偏った考え方を生み出すことになってしまったのです。

 日本人は本来、心を物より重視する精神性を持っていました。金銭にのみ心が奪われること
を“恥”とするような、清廉潔白 (せいれんけっぱく)な精神世界を持っていました。物や金のた
めに忠義を裏切ったり大義に背くことを恥と考えていました。それが、日本が世界に誇ることの
できる「武士道」やさまざまな「道」となって結実したのです。

 滅私奉公や大義のための自己犠牲といった、物より心を重視する日本の伝統的な精神性は
――スピリチュアリズムの「霊優位(霊主肉従)の生き方」「利他的な生き方」に通じるもので
す。戦前までの教育を受けた人々には、こうした精神がしっかり根付いており、戦後の物質主
義の嵐の中にあっても、日本の精神的支柱となってきました。

伝統的な日本精神を受け継いだ人々が、会社や公(おおやけ)のために自己犠牲を厭 (いと)
わず人生を捧げてくれたお蔭で、敗戦後の奇跡的な復興と経済発展を成し遂げ、世界有数の
技術立国の地位を確立することができたのです。

 しかし、そうした日本人が伝統的に持っていた精神性は、世代の変化とともに徐々に失われ
ていくことになりました。優れた精神性も物質主義の奔流の中で片隅に追いやられ、物質重視
の考えに席巻されることになってしまいました。

戦後生まれの日本人は、戦前の日本人が身に付けていた徳性や精神性にほとんど触れるこ
となく育ってきました。また同時に戦後の民主的な学校教育によって、利他的・滅私奉公的生
き方を間違ったものとして植え付けられることになりました。

その結果、次代を担う多くの日本人は、優れた伝統的な精神を引き継ぐことなく大人になって
しまいました。今の日本には、日本全体を支える精神的支柱がほとんどなくなりかけているの
です。そして次の世代の若者層に至っては“精神的荒廃”という、さらにマイナスの状況をつくり
出すことになっているのです。


伝統的精神を崩壊させた戦後の教育  戦後の教育の失敗が、日本人の徳性を失わせた
 戦後の日本政治の大きな失敗は、「経済政策」と「教育政策」でしょう。これまで述べてきたよ
うに経済政策の失敗によって、戦後40年間、日本人が必死になって築き上げてきた莫大な富
を急激に失おうとしています。

今や国家の経済的基盤は根底から崩れ去り、世界第2位の経済大国としての地位も名誉も、
かつてのはかない栄光になろうとしています。経済政策の失敗によって、日本は世界の中で全
く魅力のない二流国家に成り下がろうとしているのです。

 しかし、こうした経済政策の失敗よりもはるかに深刻な問題が、戦後の教育政策の失敗なの
です。戦後の教育政策の間違いは、それまで日本国家を支えてきた日本人の精神そのものを
根本から否定し、捨て去ることになってしまいました。

日本が世界に誇ることのできた優れた精神性こそが、これまで国家発展の原動力となってき
たのですが、教育の失敗によって、その大切な精神性が失われようとしているのです。間違っ
た個人主義的教育・自由主義的教育・平等主義的教育が、動物的な本能人間を大量生産さ
せることになってしまいました。

 自己主張と勝手気ままさが、滅私奉公や自己犠牲に取って代わりました。自己の利益を優
先する利己性が、公共の利益を優先する利他性に代わってしまいました。「物より心」の精神
は、「心より物」の考えに堕ちてしまったのです。日本人は坂道を転がり落ちるように、神の摂
理から急激に離れたところに向かおうとしています。


国民の精神性の崩壊は、真の国家の危機
 戦後の日本人は、「霊主肉従」から「肉主霊従」の在り方に変わってしまいました。明らかに
霊的に後退してしまったのです。人間性の後退は、経済的な後退とは比べものにならない大き
なダメージを国家に与えることになります。

若者の精神的退廃は、国家の将来を間違いなく危機に至らせることになります。まさに現在の
日本は――経済的な崩壊の危機以上に、さらに深刻な「精神的な崩壊の危機」を迎えている
のです。

優れた精神性を持った国民と政治家のいるところでは、それが実質的な国家の支えとなりま
す。そこでは経済政策の失敗が深刻な後遺症を残すことはありませんし、経済的な痛手から
も、短期間のうちに立ち上がることができます。これまで日本は敗戦のどん底から奇跡的な復
興を成し遂げてきました。また石油ショックの危機的状況を見事に乗り越えてきました。

しかし優れた精神性を失ったこれからの日本人に、果たしてそうしたことができるでしょうか。
精神的に荒廃し、物質的な欲望と本能的享楽だけを求める国民が大半を占めるような状況に
あっては、国家を危機から立ち直らせるエネルギーは、どこからも湧き起こってはきません。

 日本人は落ちるところまで落ちて初めて方向転換をし、そこから這(は)い上がることができ
るようになるとの楽天的な見方をする人々もいますが、それは国民に確たる精神性が存在して
いる場合に限ります。これからの日本を担うことになる若者に、本当にそうした力が残されてい
るでしょうか。

神の摂理に支配される国家の栄枯盛衰
 歴史を見るとき、物質的・経済的に恵まれていなくとも、国家の指導者が高い精神性を保っ
ていた国がありました。明治時代の日本がまさにその代表と言えます。

 一方、それとは逆に、経済的な発展だけを目指してひたすら走り続けてきたような国もありま
す。そこでは経済発展という明確な目標があるために、国家にはパワーがみなぎり、国民は活
気に満ちあふれています。

パワ−のあるところ、しばらくは物質的な発展と繁栄がもたらされることになります。戦後の高
度成長期の日本や、現在高度成長期の真っ只中にある中国がこの代表と言えます。

 しかし、その活気やエネルギーの本質は、物質的な利益を求める“エゴイズム”に他なりませ
ん。従ってそうした国々では、必ず行き詰まりがやってくるようになります。精神的なものを無視
し、物欲追求を精神の向上よりも優先することは「神の摂理と一致しない」からです。

“エゴ”という摂理に反した部分は、いつか痛みや苦しみという形で返ってくるようになっている
のです。エゴは内側から新たなエゴを生み出して国家の内部分裂を引き起こし、国家そのもの
の屋台骨を揺るがすことになるのです。

 人間の営みのすべては、神の摂理に支配されています。国家の栄枯盛衰も、すべて神の摂
理によって支配されています。国家は“利他性”という宇宙の法則と一致したときのみ、発展が
もたらされることになるのです。

そして、この法則から外れた国家は、決まって破綻をきたすことになるのです。今、多くの日本
人が中国の経済発展に脅威を感じていますが、それを恐れる必要は全くありません。すべて
が神の支配の下にあって、摂理通りに事態は展開していくからです。

国家と国民の高い精神性と利他性、そして具体的な奉仕的行為こそが、国家の発展と繁栄を
最終的に決めることになるのです。

そう考えると、日本が経済的な破綻状態を迎えたことよりも、日本人が伝統的に持っていた優
れた精神性を失いかけている事実こそ、最も憂えるべきなのです。


4 破産後の日本国家の行方
 

日本は破産し、そして世界から軽蔑され見捨てられる
 現在の日本において唯一の救いは、海外から借金をせずにきたことです。もし現在のような
財政の末期状況において、外国から借金の返済を迫られるとするなら、日本政府は、国家とし
ての打つべき手立てを失うことになります。破綻は一気に加速することになります。

 しかし海外からの借金がないことがせめてもの救いであるとしても、いずれにせよ日本は、国
家破産に向かって突進していることは事実なのです。今となってはすべてが手遅れの状況にあ
り、早晩破局を迎えることは避けられないでしょう。国民の資産による支えが不可能となった時
点で「国家破産」が表面化することになるはずです。 (*現実には、すでに日本国家は破産し
ているとも言えます。)

 そして、その後「悪性のインフレ(超インフレ)」が生じることになります。インフレによって国民
が受けることになる衝撃は、先ほど述べたとおりです。急激なインフレの発生によって国家の
借金は帳消しになりますが、それは国民の預金(貯金)を帳消しにし、国民の資産を紙くず同
然のものとすることに他なりません。

老後のために蓄えた預金や国債は、すべて価値を失うことになる可能性が大きいのです。もら
えるはずだった年金も、掛け金の半額が返ってくれば上出来と言えるでしょう。通貨(円)の価
値は暴落して、もはや誰も円を持とうとはしません。先を競ってドルを持とうとします。まさに最
貧国のような事態が到来することになるのです。

 日本国家の破産を察知した一部の目ざとい人間は、早々とすべての預金を引き出し、金(ゴ
ールド)に換えたり、海外の銀行に預金し始めています。また海外の国債や資産購入に動いて
います。

 今すぐにでも大改革に乗り出さないかぎり、日本は近いうちに経済破綻という恐ろしい事態に
突入することは避けられないでしょう。その時、日本人の多くは希望を失い、絶望のどん底に
突き落とされることになるのです。

そればかりでなく世界中の国々からは、自らの無能さによって財政破綻を招き、世界中の経済
を混乱と不安に陥れた日本に対し、一斉に非難の声が浴びせられることになるでしょう。日本
は世界中の人々から軽蔑されることになるかも知れません。物欲に狂って際限なく借金を続
け、破綻にまで至ってしまった日本に対し、世界の誰も同情するようなことはないでしょう。

救いの手を差し伸べる国もないでしょう。日本は経済大国から魅力の乏しい取り柄のない国家
に転落し、世界の中で全く存在感も重要性もない国になってしまうのです。

 そのときには“日本”という呼称は、軽蔑の代名詞のようになってしまうかも知れません。莫大
な借金をインフレによって帳消しにした愚かな国家として、何十年もの間、世界中の笑い者に
なるかも知れません。

海外で生活する人々は、日本人であることを恥じ、日本人であることを隠して暮らすようなこと
になるかも知れないのです。私達の子孫は、世界の誰からも手助けを受けることなく、軽蔑の
中で、ひたすら借金返済のために働き続けなければならなくなるのです。

 財政破産とともに、日本の未来は暗澹(あんたん)たるものとなるはずです。そうした破局が、
近い将来(数年のうちに)引き起こされる可能性が大きいのです。
  

5 真の希望の光「スピリチュアリズム」
 

暗黒の日本から“光”を放つ
 財政破綻が現実のものとなったとき、日本中が暗雲に覆われることになります。かつての大
英帝国が、国家破産を機に一気に衰退の道をたどったのと同じように、日本も坂道を転がり落
ちるように没落していくことになるでしょう。おそらく地獄のような悲惨な状態が、15〜20年に
わたって続くものと思われます。

そしてその後は、かつての経済大国とは程遠い二流国家として存在していくことになるはずで
す。このような惨めな将来の日本では、人々が希望を見い出すことは不可能となるのでしょう
か。

 結論を言えば、それでも“唯一の希望の光”が残されています。世界中の人々から蔑(さげ
す)まれ、どん底の状況に立ち至っていても、彼らの尊敬を勝ち取ることができる唯一の道が
残されているのです。それがまさに「スピリチュアリズム」なのです。

日本人が、スピリチュアリズムの真の見本となるような伝統をアジアや世界の人々に先駆けて
確立し、スピリチュアリズムの世界普及に大きな貢献をするとき、世界の人々から感謝と尊敬
を受けることができる可能性があるのです。日本人は「スピリチュアリズム」を通じて、暗黒の
日本から、世界に向けて強烈な光を放つことができるのです。 

地球規模でのパラダイムの転換
 現在までの地球では、経済力や政治力・軍事力が、国力を示す指標となってきました。それ
は地球が物質支配の世界であったからです。これまでの日本は、経済的な力を持っていたた
めに、世界の中で存在感を示すことができたのです。金持であったために、世界の人々から注
目されてきたのです。

今後、地球は現在のような「物質支配の世界」から、徐々に「精神支配の世界」へと上昇してい
くことになります。霊界からの働きかけによって、そうした地球規模での変化が着実に進んでい
るのです。そして将来は、さらに「精神支配の世界」からスピリチュアリズムの支配する世界、
すなわち「霊支配の世界」へと進化していくことになります。地球規模でのパラダイムの転換
が、現に今、進行しているのです。

 精神支配の世界では、現在のように物質や軍事力が力を持つことはありません。経済力が
物を言うのは、もうしばらくのことであって、やがてそれは時代遅れの権威となるのです。代わ
って精神の深さ・広さが威力を持つようになるのです。

今後、地球は歴史上初めて、そうしたレベルに入っていくことになります。それは遠い将来のこ
とではなく、間違いなく今、起こりつつあるのです。そしてその動きの原動力となっているのが、
「スピリチュアリズム」に他なりません。

日本人スピリチュアリストの使命
 今、私達が係わっているスピリチュアリズムは、まさに地球レベルで最先端の精神世界の道
を開拓しています。現在のスピリチュアリズムは、今後の地球全体の進化の道程(みちのり)に
おける開拓者なのです。

そうしたとき日本人スピリチュアリストが霊界の高級霊の軍団の一員となり、人類救済のため
に開拓者としての道を歩むことができるとするなら、地球人類の進化のプロセスの中で重要な
立場に立つことになります。世界全体の霊的進化と霊的救いに対する最高の貢献をすること
になるのです。

 私達日本人スピリチュアリストが、スピリチュアリズムの道具としての良き見本となり、スピリ
チュアリズムの普及において自己犠牲を払うとするなら、日本は世界に対して大きな奉仕をす
ることになるのです。

日本国家が財政破綻によって没落し、世界中の人々から軽蔑され、経済大国の座から転がり
落ちるようなことになったとしても、日本のスピリチュアリストが世界に対する最高次元の貢献・
奉仕をすることができるならば、将来的に日本は、世界の人々から感謝されることになるので
す。
 この意味で、現在の日本のスピリチュアリストは、我が国の未来にとって“真の霊的な希望の
光”と言えるのです。私達スピリチュアリストに日本の将来がかかっている、と言っても過言で
はないのです。


財政破産は、国家の霊的チャンス
 日本国家の物質的(経済的)ピンチは、「国家の霊的なチャンス」となるはずです。絶望の淵
から、日本にとっての新しい進歩の道が開かれることになるのです。経済破綻は、神の法則の
支配によって引き起こされたものであり、物欲に翻弄された日本国民にとって自業自得の結果
と言えます。

しかし、それを別の視点から見るとき、物質的繁栄のみを目指し、私利私欲に翻弄された経済
至上主義に終わりを告げ、新しい精神世界に向かっていくきっかけをもたらす出来事とも言え
るのです。「次なる高いステップに向けての出発点となる」ということです。実はそこにこそ、霊
界サイドの深い配慮があるのかも知れません。

 際限のない経済成長は必要ありません。人間が地上で生活するだけのものがあれば十分な
のです。必要以上の金銭は“精神的堕落”をもたらすだけで、決して素晴らしいものではありま
せん。現在の地球人は、自らの欲望によって自分の首を絞め苦しんでいます。

その意味で、日本人が物質的な窮地に追いやられ、否応なく質素な生活に戻らざるを得なくな
るとするなら、それはむしろ良いことなのです。現在の日本人にとって一番嫌なことが、本当は
最も必要なことなのです。

 肉体をまとった地上人が精神的・霊的方向に向かうようになるためには、苦しみや困難が必
要であったように、国家が全体として進歩・向上するためにも、大きな苦しみや困難が必要な
のです。それがまさに「経済破綻」という形でもたらされるということなのです。そう考えれば、こ
れから日本が迎えようとする事態は、決して悲劇とは言えません。

霊界から、50年後の日本を眺める地
 あと50年もすれば、現在の日本のスピリチュアリストの大半は霊界に住むことになります。
私達は霊界で引き続き、スピリチュアリズムのために一生懸命働いているはずです。そのとき
私達の意識は、地球全体に向けられ、日本に対する意識はかなり薄らいでいるはずです。日
本という一つの国の運命より、人類全体の運命に心が向けられていることでしょう。 

 そして霊界において、かつて自分が日本人スピリチュアリストとしてスピリチュアリズムのため
に貢献できたことに大きな意義を見い出し、自分の地上人生が最高に価値あるものであった
ことを改めて確認することになるはずです。自分のかつての地上人生を間違いなく喜び、感謝
することになるでしょう。

*これまでは日本国家を中心に見てきましたが、実は崩壊寸前の状態にあるのはアメリカ経
済も同じです。アメリカも多額の借金を抱えた上に、さらに借金を重ねて浪費生活を続けてき
ました。そのツケがとうとうくるところまできて、破局が目前に迫っています。

2000年にITバブルが崩壊し、さらに株バブルが崩壊し、今後アメリカは日本のように不況の
中に入っていくでしょう。アメリカが景気を維持するために唯一残された手段は戦争しかないと
言われています。 

 今やアメリカ経済は、万策尽きて息切れの状態にあります。超大国として世界をリードしてき
たアメリカが、世界経済の主役の座から転落することは避けられません。日本にせよ、他国に
せよ、これまで何とか経済を維持することができたのは、借金をしてまで世界中から物を買い
漁るアメリカの好況(浪費)に支えられていたからです。

その肝心なアメリカが破局を迎えるならば、全世界が大不況のどん底に叩き落とされることに
なり、世界同時不況を招来します。そうなればもちろん日本は真っ先にその影響を受け、共倒
れすることになるでしょう。日本にとって最悪のシナリオが展開することになります。

 日本の国家破綻がいつ起きてもおかしくないのと同じように、アメリカのドル暴落に端を発す
る破局も、いつ発生してもおかしくないのです。日本やアメリカだけでなく世界中の国家が、崖
っぷちに立たされているのです。今は唯一好況に沸く中国も、そのときには大不況に巻き込ま
れることになるでしょう。

政治の力学ではもはや経済をコントロールできなくなり、資本主義は市場の原理によって自ら
を崩壊させようとしています。20世紀の地球は、アメリカを中心とする資本主義によって牽引
(けんいん)されてきましたが、そのアメリカ中心の資本主義の枠組みが崩れ、従来の資本主
義そのものが大きく変わらざるを得ない方向に向かっているのです。

 地球規模で、経済・物質レベルでの大きな転換が引き起こされようとしています。まさに新し
い時代に先立つ「古いシステムの崩壊・新しい時代を迎える胎動」と言えるのです。


スピリチュアリズム・サークルは、
スピリチュアリズムの最前線基地
サークルづくりの意義と重要性 
  

1 霊界の大組織と、地上のスピリチュアリズム・サークル
 

霊界の大組織――イエスを頂点としたヒエラルキー
 地球の霊的浄化は、イエスを総指揮官とする霊界の高級霊を総動員した巨大組織のもとで
進められています。何百億という霊達が、一糸乱れることのない完璧な協調体制で、地上人類
のための「救済ビッグプロジェクト」を推進しています。

 こうした想像を絶するような組織活動が可能となっているのは、霊界が地上と違って、一人一
人の霊格の違いが誰の目にも明らかな世界であり、お互いの心の内がまわりの人々に知ら
れ、嘘や隠し事ができないからです。そして思うことが一瞬に、しかも余すところなく相手に伝
達されるようになっているからなのです。

欧米のスピリチュアリズムの組織
 イギリスや欧米などのスピリチュアリズム先進国には、これまでISF国際スピリチュアリスト連
盟、SNU英国スピリチュアリスト同盟、NFSH英国心霊治療家連盟、SAGB大英スピリチュア
リスト協会といった幾つかの世界規模あるいは国家規模の組織がつくられ、スピリチュアリズ
ムの普及に大きな貢献を果たしてきました。日本には唯一の公式のスピリチュアリズム機関と
して、日本心霊科学協会があります。

 こうしたスピリチュアリズムの組織は、一般の宗教組織とは根本的に異なり、教祖もドグマ
も、強制やノルマも存在しません。スピリチュアリズムを信奉する人々のゆるやかな横のつな
がりが存在するのみです。もちろん集まる人間の霊性のレベルは一人一人異なっている以
上、いろいろな問題が生じることは避けられませんが、それが一般の宗教組織のように醜い泥
仕合にまで発展することはあまりありません。

欧米のスピリチュアリスト・チャーチの現状
 一方イギリスなどでは、各地に多くのスピリチュアリスト・チャーチが存在しています。スピリチ
ュアリスト・チャーチでは、スピリチュアリスト達が集まって神に祈りを捧げたり、交霊会を開い
たり、霊能者によるデモンストレーションを行なったりしています。

現在のスピリチュアリスト・チャーチは、交霊会を中心とした過去のスピリチュアリズムの流れ
を抜けきれずに、いまだに霊的現象や無意味な交霊会に、必要以上にこだわり続けていま
す。ニューズレターの先号でも述べたように、霊的真理を手にして死後の世界の実在を確信で
きた者は、いつまでも交霊会に関心を持ち続けるべきではありません。それが必要とされるの
は、まだ霊的真理と出会っていない人だけなのです。

 現在のスピリチュアリズムは、霊的現象や交霊会による死後実在の証明の段階を卒業し
て、「霊的教訓に基づく実践の時代」に入っています。過去の流れを引きずったままのスピリチ
ュアリスト・チャーチは、今後のスピリチュアリズムの発展に、むしろマイナスの影響を及ぼすこ
とになりかねません。最近では、スピリチュアリスト・チャーチの内部からも、チャーチのメンバ
ーの霊的レベルの低さに対して批判の声が上がるようになっています。

少人数のサークルは、スピリチュアリズムの前線基地
 シルバーバーチは、すべての地上の宗教組織は失格であると厳しく糾弾しています。そのた
めスピリチュアリズムでは、一切の集まりを持ってはならないと考え違いしている人もいます。
しかしスピリチュアリストが少人数の集まりを持つことは、マイナスでないどころか、むしろ霊的
に大きなプラスをもたらしてくれます。

不思議に思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、この後で述べるようにシルバーバーチ
は、少人数の集まり、すなわちサークルについては積極的にその意義を認めています。 

 今後、地上世界にスピリチュアリズムが展開していくとき、「スピリチュアリズム・サークル」の
存在が大きな役割を担うようになると思われます。「霊的サークル」は、スピリチュアリズム普
及の前線基地として、中心的役割を果たすようになると思われます。

今後は世界の各地において、質の高いスピリチュアリズム・サークルの展開が見られるように
なることでしょう。日本のスピリチュアリズムが、真実のサークル展開を確立することができると
するなら、世界人類に対して大きな貢献をすることになります。こうした霊的サークルは、従来
のスピリチュアリスト・チャーチをより高次元に高めたものと言えます。

 今回は、そうしたスピリチュアリズムの将来を念頭において、スピリチュアリズム・サークルの
つくり方や、サークルの展開の仕方について学ぶことにします。サークルづくりは各自がそれぞ
れ工夫して進めていくもので、これといった定石 (じょうせき)はありませんが、ここでは主とし
て、私達のこれまでの体験の中から得てきた内容を披露します。サークルづくりをしようという
方の参考になれば幸いです。
  

2 スピリチュアリズム・サークルの意義
 

 まず、スピリチュアリズム・サークルやスピリチュアリスト・チャーチといった、少人数の霊的集
まりの意義について見ていきましょう。

霊的意識を取り戻してくれるサークル
 人間は一日のうち、ほんのわずかでも、一人で静かな時間を持つことが必要です。自分の心
を高めようと努力したことのある人ならば、瞑想の重要性を身に染みて感じていることでしょ
う。日常の喧噪(けんそう)から身を引いて、霊的に静寂な世界に入り、霊界の息吹に触れるこ
とがぜひとも必要なのです。それを怠ると私達の心は、物質の牢獄の中に閉じ込められてしま
うのです。

 昼休みに一人公園で瞑想の時間をとったり、夜眠りにつく前の一時(ひととき)を瞑想に充て
たり、あるいは誰もいない早朝のすがすがしい霊気の中で深呼吸を繰り返すなどの工夫が必
要です。そうして霊界の霊達と深く交わる時間を持たなければなりません。

いつも身近にいて私達を導いてくれている背後霊の存在を思い出すだけでも、日々の霊的歩
みは全く違ったものになります。わずか5分、10分であっても、霊的エネルギーに満たされるこ
とによって、霊的感覚を取り戻すことができるようになるのです。

 しかし肉体を持っている私達地上人は、たった10分そこそこの祈りの時間をとることさえ、な
かなかできないのが実情です。肉体を持った地上人が、自分の心を「霊主肉従の状態に保つ
こと」は本当にたいへんなことです。あまりにも慌ただしい現代社会にあって、自分一人の力で
心を高く引き上げられる人は、めったにいるものではありません。

 こうした現状があるため、同じ霊的真理を受け入れた者同志の集まりである「スピリチュアリ
ズム・サークル」が必要となるのです。日常の物質世界の中にどっぷり浸かって霊界のあるこ
とさえ忘れてしまっていた心が、霊的集まりに参加することによって、一気に霊界と触れ合う高
い世界にまで引き上げられることになります。

一人ではなかなか持つことができなかった高い心境を、他のスピリチュアリストとの交わりの中
で得られるようになります。

 シルバーバーチは、次のように言っています。


「こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないよ
うにする上でも役立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。なぜなら人間
は、毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしてい
るうちに、つい、その物的なものが殻(から)に過ぎないことを忘れてしまいがちだからです。」 
       (シルバーバーチ5・36)

 実際、少人数の霊的集まり(サークルやチャーチ)に参加すると、自分の心が無条件に引き
上げられます。何とか霊主肉従の状態に至りたいともがいても、なかなかふっ切れなかった低
い心が、サークルに出ただけでたちまち消滅し、すっきりするようになることを体験します。この
世の物欲にとらわれていた先程までの自分が、心の底から馬鹿馬鹿しく思えるようになるので
す。

 このようにサークルは、日頃積もった日常の物質意識を拭い去り、物質によってぼかされて
しまった魂を引き上げ、霊的意識を取り戻させてくれるのです。


霊的な礼拝所
 スピリチュアリズム・サークルは、大半の地上人が欠乏させている霊的エネルギーを補給す
る礼拝所とも言えます。サークルに参加することによって、ふんだんに霊的エネルギーが与え
られ、意識や霊体の浄化(聖別化)がなされるようになります。

また自分達が霊的存在であったことを思い出させ、現実的に霊的世界との触れ合いを確認す
ることができるようになります。

 スピリチュアリズム・サークルは、物質世界に閉じ込められ息絶え絶えになってしまった霊と
霊体にエネルギーを与え、心に安らぎと休息を与え、傷ついた魂を癒します。サークルは、まさ
に定期的に開かれる「霊的な礼拝」そのものなのです。

地上における「霊的家庭」――本当の霊的人間関係を築く場所
 同じ霊的真理を受け入れた者同志の間では、より深い愛の交わりが可能となります。一般社
会や家庭では得られない次元の高い愛の交わりを体験できるようになります。高い目標を理
想として努力するスピリチュアリスト同志の集まりは、この世のいかなる血縁関係よりも深く、
地上の家庭を超越しています。

 こうしたスピリチュアリストの集まりが、霊的人生を歩む上での大きな励ましとなり、利他的活
動の活力源となることは言うまでもありません。スピリチュアリズム・サークルは、まさに地上に
おける「霊的家庭」と言うことができます。

  

3 サークルにおける霊界との絆の強化
 

 スピリチュアリズム・サークルが他の世間一般の集まりと違うのは、それが単なる地上人だ
けの集まりではないということです。スピリチュアリズムの理念を中心にメンバーが集まるとき、
そこに霊界の霊達も同時に加わるようになるのです。

サークルの様子を肉眼で見るならごく少数の人間が存在するだけですが、霊眼で見ると、部屋
の壁を突き抜けて、あふれんばかりの多数の霊界人が集結している事実を見ることができま
す。

サークルは、地上人と霊界人が心を一つにして、霊的な絆を強化する時でもあるのです。参加
者の心境が高く、世俗から切り離された時間を保つことができるならば、霊界との距離はさら
に近くなります。

 霊界との一体関係を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。サークルの
背後で、霊界からの働きかけが着々と進展し、霊界との絆が強化され、参加者の霊的感受性
が鋭くなっていきます。

地上人が霊的世界を重視し、スピリチュアリズムに対する献身性と霊界の導きに対する信頼
性を高めれば高めるほど、霊界との絆はいっそう強くなります。霊界との絆を強化するため
に、長時間にわたる瞑想が必要とされるわけではありません。

何よりも高くて純粋な心境が必要とされるのです。メンバーが心を一致させ、高い世界で霊界
の人々と共鳴することによって、そこでつくり出されるエネルギーが、新たな人々をスピリチュア
リズムに導くことになるのです。



「大霊への畏敬の念を胸に皆さんがこの部屋に来て、私たちと一時間そこらを共に過ごすとい
うそのことが、ここに霊的神殿をこしらえる上で大きな力になっているということです。(中略)調
和の心で集う時に蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築く上で役に立つのです。その
架け橋を通って新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けんとする霊が大挙して降りて
来ます。」   (シルバーバーチは語る・262)

  

4 サークルメンバーの選別  どのような人とサークルをつくっ
  たらよいのか



 よく、どのようにしてスピリチュアリズム・サークルをつくったらよいのですか、という質問を受
けます。シルバーバーチは――「2人ないし3人の者が集う所には、大霊が賜(たまもの)を授
けてくださる」(シルバーバーチは語る・261)と意味深長な言葉を述べています。

 では、私達はどのような人間との集まりを求めるべきなのでしょうか。スピリチュアリズムに関
心のある人なら誰とでも、すぐにサークルをつくることができるのでしょうか。この質問に対する
答えのヒントを、シルバーバーチは次のように述べています――「嫌な思いをすることのない、
本当に心の通い合える人々が同じ目的をもって一つのグループをこしらえます」(シルバーバ
ーチは語る・247)

 シルバーバーチはサークルのメンバーの条件として、「心の通う人間」と、そして「同じ目的を
持った人間」の2つを挙げています。このことはサークルをつくるに際しては、メンバーを選別し
なさい、ということを意味しています。すなわちサークルづくりは、誰とでもいいというわけではな
いのです。

 ここでシルバーバーチが述べている「同じ目的」というのは、言うまでもなくスピリチュアリスト
としての共通目的を指しています。シルバーバーチは、そのスピリチュアリストとしての共通目
的を――「まず自らが身を修め、それから他人のために自分を役立てる仕事に着手する」と述
べています。

したがってサークルのメンバーとして求めるべき相手は、すでにスピリチュアリズムを受け入
れ、スピリチュアリズムの霊的真理にそって自己コントロールの努力(自己努力)をし、その上
で自分の人生を奉仕に捧げ、スピリチュアリズム普及のために参加したいと思っている人とい
うことになります。シルバーバーチは、こうした内容を持った人とサークルをつくりなさいと言っ
ているのです。

 このような条件を満たすことができる人ならば、連絡を取り合えば翌日から即、2人の霊的サ
ークルを出発させることができるようになります。そして深いところで心を通い合わせることがで
きるようになります。

決して安易な集まりをつくらない
 サークルをつくる場合、特に注意しなければならないことは、決して安易な集まりをつくらない
ということです。焦って安易なサークルづくりに走らないということです。単なる知的好奇心レベ
ルの人、あるいは心霊現象や霊能力への関心だけにとどまっているような人とは、パートナー
を組まないということです。

そうした人は、とかく傲慢で謙虚さも乏しく、スピリチュアリズムの普及よりも自分の満足や利
益・名声だけを優先しようとします。スピリチュアリズムの普及を共通の目的とした純粋な歩み
も、心の底からの深い交わりもできません。そして後になって必ず問題を起こすようになるので
す。

 また、単にスピリチュアリズムに関心があるというだけの人、シルバーバーチが好きだという
ような人とも、安易にサークルをつくろうとすべきではありません。世の中の多くの人々は、気
軽な集まりや交流の場所を持ちたいと思っています。

そして自己努力や自己犠牲を頭から嫌っています。ただおしゃべりのできる気ままな時間を欲
しています。必死に霊的真理にそわせる努力をすることより、まず仲間を求め、楽しく気ままな
時間を持とうとします。何度も霊訓を読み返し、自分の心を鼓舞して挑戦していこうとするより、
どこかに手頃なセミナーはないものかと、それだけに関心を持つのです。

 あまりにも他人に頼ろうとする人や、まわりの人々から優しくされることだけを求める人も注
意が必要です。癒しブームの世の中では、他人の優しさだけを求める人々があふれ返ってい
ます。そしてそうした風潮に迎合して、偽(いつわ)りの愛を安売りする宗教やニューエイジなど
の思想が、多くの現代人を虜にしています。

 自らがまず与え愛するのではなく、先に与えられ慰められ、癒され愛されることを願うところ
からは、真の霊的成長も幸せも得られません。そうした人々の集まりは、時間の経過とともに
間違いなく破綻が生じるようになるのです。優しさの安売り・癒しの安売りをすれば、一時(いっ
とき)人々は集まってきます。

しかしそうした集まりは、結果的に醜い争いを残すだけになってしまうのです。自分に厳しくでき
る人であってこそ、霊的歩みの一歩が踏み出せるようになります。いつまでも甘えを抜けきれ
なかったり、人から愛されることだけを望む未熟な人間は、一般人の人間関係の中で多くの体
験を積み、大人になることが必要なのです。

サークルづくりでは、パートナーを選ぶべき

 伝道における真理の種蒔(たねま)きでは、相手を選ぶというようなことがあってはなりませ
ん。しかし、すでに基本的な真理を手にした人間同志が、さらに高度な霊的レベルでの交流を
目指そうというときには、本当にそれにふさわしいパートナーかどうかを選別しなければなりま
せん。

心から霊的成長を願い、純粋に自己コントロールの努力を心がけ、スピリチュアリズムのため
に奉仕したいと思っている人(大人の霊)との交わりを求めるべきなのです。サークルづくりに
おいては、そうした意志を明確に示すことが必要です。サークルが単なる無意味な議論や慰め
の場所ではないことを表明することが大切なのです。

 シルバーバーチは――「初心者を相手にする伝道のケースとは違って、すでに基本的真理を
手にした人々、霊性開発への準備が整った人々が、さらに高度な霊的レベルとの交流を目指
すときには、相手を選ぶことが必要である」といった意味の内容を述べています。(最後の啓
示)

孤独な期間に耐える
 サークルをつくりたいと考えるならば、純粋な思いでスピリチュアリズムのために生きたいと
願っている人、あるいは内省的努力に意識を向け、誠実で謙虚な歩みをしている人との出会
いを待つべきです。

そうした人との出会いを求めて、毎日祈り、種を蒔き続けることが必要なのです。時には条件
に適った一人のパートナーと出会うために、3年から5年もの間、孤独な時を耐え忍ばなけれ
ばならないことになるかも知れません。素晴らしいパートナーとの出会いの時は本当にくるの
かしらと不安に駆られたり、焦るような思いを持つかも知れません。

 しかし皆さんの決心が本物ならば、いつか必ず高い世界で交わることのできる人との出会い
が与えられることになるのです。真剣な思いのあるところには、霊界にいる多くの霊達が、時の
きた人との出会いのために全力で応援してくれるからです。霊界の導きのあることを忘れては
なりません。霊界の人々の応援と導きを信じるのです。

今すぐ目に見える結果が現れなくとも、自分はベストの道を歩んでいることを信じ続けるので
す。それは、まさに「忍耐が試される時」なのです。皆さん以上に長い間、時のきた地上人を求
めて働き続けてきた霊界の人々の苦労に思いを馳せ、スピリチュアリズムの重要性と意義をし
っかりと確認する時でもあるのです。

 こうした孤独の歩みはとても辛いものであるため、つい誰もがてっとり早く安易に仲間を求め
ようとします。しかし霊界の導きをひたすら信じ、この孤独な時をじっと耐えて乗り越えるか否か
で、その人の人間性の深さに格段の差がつくことになります。

孤独な期間を通じて、霊性が高められ、信仰が強められることになります。また人間の心の複
雑さ・頼りなさ・弱さを知ることができるようになり、人間に対する洞察力が身につくようになりま
す。そして霊界の人々との絆がいっそう強化されることになるのです。


私達「心の道場」は、サークルづくりのために協力いたします
 心の道場には、これまで全国各地の方々から、入会の申し込みや学習会への参加・講演の
依頼などの問い合わせをいただいております。しかし私達は、そのすべてをお断りしています。
もともと私達は心の道場を大きくしたり、メンバーを増やそうなどとは思っていません。

 さらにお断りするについては、今述べたような理由があるからです。もし安易に心の道場のメ
ンバーになることができるなら、その方が自分で孤独の時を乗り越え、魂を成長させるチャン
スを失うことになってしまいます。

すぐに集まりに入ろうとしたり、何でもいいから交わりを持ちたいという人の場合、いつまでたっ
ても霊的な成長や心の深まりが得られないのです。

 霊界の導きを信じ、サークルをつくるにふさわしい“真の友”との出会いを希望として歩む期
間は、確かに辛く寂しいものです。私達もその孤独の辛さは、痛いほど理解しているつもりで
す。しかしそうした歩みこそが、霊的に充実し、霊的成長がもたらされるありがたい時なので
す。

孤独の中で力を失い、絶望感にとらわれそうになったときには、どうか必死に導きを祈ってくだ
さい。それでもさらに力が欲しいときには、遠慮なく私達のところに連絡をください。スピリチュ
アリズムの同志として、何らかの励ましを差し上げることができるものと思います。

 夫婦そろってスピリチュアリズムのために人生を捧げ、スピリチュアリズムの普及をライフワ
ークとし、そのためには家族を犠牲にすることさえ厭わないスピリチュアリストである場合は、
素晴らしいサークルが出来上がることになります。夫婦そのままで、強力なスピリチュアリズ
ム・サークルが形成されることになります。

定期的に2人で聖別された時間を持てば、それが即、霊的サークルとなるのです。とは言え、
そのような家庭がそのままスピリチュアリズム・サークルになるといったケースは、何十年、何
百年か先の地上では当たり前のものとなるでしょうが、現在ではめったにあるものではありま
せん。今の地球は「スピリチュアリズムの開拓期」であるからです。


サークルづくりの第一歩は「読書会」から
 さて、これからスピリチュアリズム・サークルをつくりたいという場合には、まずシルバーバー
チの霊訓の「読書会」などを設けて、積極的に外部にPRするのがよい方法だと思います。イン
ターネットや広告・ミニコミ誌など、あらゆるメディアを活用して呼びかけたらよいと思います。

「シルバーバーチの読書会」を開けば、そこにはすでにシルバーバーチの霊訓を読んだ人々
が集まるようになります。シルバーバーチを自分で読んできたような人々は、ある面では時の
きた人と考えられます。そのような人は、シルバーバーチの読書会のPRを目にすれば、向こう
からやって来ることになります。

 読書会は、霊的真理を学ぶ最初の集まりですが、当然そこにはいろいろな人々が寄ってきま
す。集まる人々の中には、霊的向上や自己反省、さらにはスピリチュアリズムのための自己犠
牲などは全く眼中にないような人もいるはずです。この世の程度の悪い議論好きと何も変わら
ないような人間は、せっかくの読書会を台なしにしてしまいます。

そうした人は、読書会への参加をやめてもらうべきです。常に自分が話の中心となりたがり、
集まりを自己満足の場として利用したいだけの人間は遠慮してもらわなければなりません。

 低俗な自己満足のためだけの読書会になっていないか、無駄話や無益な議論に時を費やす
遊び半分の学習会になっていないか、厳しくチェックする必要があります。そして心霊アップな
らびに奉仕精神の喚起のための学習会、少しでも霊的成長を促すための学習会であるよう
に、絶えず見直していかなければなりません。

 現在は霊界から地上に向けて、すさまじい働きかけがなされています。したがって意欲のあ
るところでは、どんどん時期のきた人との出会いがなされるようになっています。読書会に集ま
った人々の中から、本当にスピリチュアリズムに人生を捧げ、心から信じられる同志を見つけ
出していくのです。そのような人との出会いが得られたとき、いよいよ本当の「スピリチュアリズ
ム・サークル」を出発させることができるようになります。


5 サークルの進め方――サークルでは何をしたらよいのか
 

サークルの時間・場所
 真の同志とも言うべき相手、スピリチュアリズムをライフワークと考えることのできる相手との
出会いが得られたならば、2週間から1カ月に一度くらいの割合で定期的にサークルを開くよう
にします。サークルの時間は1〜2時間くらいで十分です。大切なことは、あらかじめ日時を決
めて、定期的にサークルを設けるということです。

サークルを開く場所は、最初は公共の施設を利用してもかまいませんが、もし可能であるな
ら、一般の人々の出入りのない場所(家庭の一室など)を確保する方がずっと好ましいでしょ
う。サークルを開く場所自体が聖別されることになるからです。

時間と場所が決まっていれば、霊界サイドも働きかけやすくなります。(*サークルを開く回数
については、最初は1カ月に1〜2度が適当と思われます。そしてサークルのメンバー同志の
関係が密接になり、内容が充実するにつれて回数を増やしていったらよいでしょう。)

 何より大切なことは、参加者の一人一人が、サークルを最も価値ある時間と位置づけし、「サ
ークルへの参加を実生活の中で最優先する」ということです。


聖域をつくり守る
 サークルは、世俗から切り離された聖なる特別な時間ですから、読書会では大目に見ていた
ような世間話や日常的な話はしないようにします。世俗の話題に参加者が巻き込まれるなら
ば、この世の井戸端会議と全く同じレベルにまで堕ちてしまい、せっかくの聖別された時間が
台なしになってしまいます。

サークルの間は、スピリチュアリズムに関すること以外はあまりしゃべらないようにします。久し
ぶりに会った人とは、つい世間話をしたくなるものですが、それは謹むべきです。まず神・霊界
と触れ合う聖別された時間を優先すべきなのです。

 スピリチュアリズム・サークルは、世間一般の仲良しグループでないことを肝に銘じておかな
ければなりません。

サークルのカリキュラム
 サークルは、瞑想から始めるようにします。それから霊訓を輪読したり、各自で読み進めた
り、さまざまな形で霊的真理の学習をします。時にはスピリチュアリズムに関する体験談などを
語り合うのもよいでしょう。またヨーガなどをして、心身のリフレッシュを図るのもよいでしょう。
終わりは瞑想で締めくくるようにします。そしてその日は、そのまま解散します。

 先に述べたように、サークルの後、ワイワイガヤガヤとなるような食事会などを設けることは
あまり好ましくありません。せっかく高まった心霊が、たちまち失われてしまうことになるからで
す。サークルの余韻(よいん)を、その日は少しでも長く保つようにしたいものです。

良い真理の学習会と悪い学習会

 真理の学習は、サークルにおける必須カリキュラムと言えます。読書形式・輪読形式・講義
形式・議論形式と真理の学習の方法はいろいろあります。大切なことは、形式そのものより
も、参加者の姿勢です。「どのような目的意識で霊的真理を学ぶのか?」ということです。それ
によって、同じ学習会が良いものになったり、悪いものになったりするのです。 

 そもそも真理の学習は、日常における意識の持ち方を反省したり、より深く真理を理解して
霊的向上に役立てるために行うものです。それは霊的意識を高め、日常生活における実践意
欲を高めることを目的としています。

神と高級霊の前に、心を純粋にすることを目的としているのです。常に霊的真理の実践を心が
け、スピリチュアリズムの普及を第一の目標に掲げて歩んでいる人々の集まるサークルでの
学習は、必然的に目的に適った正しいものになっています。

 しかしそれとは反対に、神や高級霊が心を見通している現実を無視し、スピリチュアリズムへ
の貢献もどちらでもいいというような人々の集まりでは、自分達の知的関心を満たすだけの無
意味なものになっています。

知的満足を求めるだけならまだしも、議論や自己主張の刺激と自己満足だけを求めるように
なるなら、集まり自体がスピリチュアリズムから最も遠い、全くマイナスと言った方がいいような
結果になってしまいます。

 「スピリチュアリズム・サークル」と、広く門戸を開いた「読書会」では、真理の学習の内容が
違って当然なのです。 

サークルに対する評価・自己チェック
 サークルが終わったときは、霊的エネルギーに満たされ、スピリチュアリズムに導かれたこと
への感謝と喜びの思いで心が一杯になっていることが大切です。サークルに参加することによ
って、人間は物質的な存在ではなく霊的な存在であるというスピリチュアリズムの原点を確認し
て「日常意識」を払拭し、一時 (いっとき)であっても本来の「霊的意識」を取り戻すことができな
ければなりません。

神と高級霊が、いっそう身近にならなければなりません。それができたとき、サークルの集まり
は成功であったということになります。サークルに参加して心が引き上げられたかどうか、霊的
意識を呼び戻すことができたかどうかを毎回、確認すべきです。

 またサークルに参加する際には“心霊ノート”を持参し、感想を書き留めておくようにするのも
よいと思います。サークルによって心霊アップしたときの、自分の心の状態や心境を記録して
おきます。サークルや祈りなどによって霊的エネルギーが満たされたとき、自分の心がどの程
度まで引き上げられるかを記録しておくことで、自分の心霊の上限レベルを知ることができる
のです。

それによって自分自身の心を客観視する力を養うことになります。 日常生活に埋没して心霊
が下がってしまったとき、心霊ノートを見ると、自分の心がいかに低い状態に落ちているかがよ
く分かるようになります。それと同時に、サークルに参加することで体験する高い心霊状態を取
り戻すことさえできれば、自分の心にただちに、明るさ・すがすがしさ・広さが蘇ってくることも実
感できるようになります。


6 サークルにおける問題・トラブル
 

サークルは「愛の訓練場」
 心の道場へ入会を申し込んでこられる方々の中には、心の道場には何の問題もなく、初め
から素晴らしい人間関係があったかのように錯覚している方がいらっしゃいます。しかし現実
は、一人一人が自分の足りなさを自覚し、少しでも理想に近づきたいと奮闘努力しているとこ
ろです。まだまだ未熟であることを痛感しています。

 深い人間の結び付きは、サークルメンバーのそれぞれが「霊的真理」を指針として、現実の
問題やトラブルを乗り越えたときに実現するものです。スピリチュアリズム・サークルは、まさに
「高次元の愛の訓練場」です。単なる茶のみ仲間の集まりや、軽いおしゃべりサロンとは、根本
的に違っています。人生を懸けた重みと真剣さが支配すべき場所なのです。

 一人一人が自らの欠点をコントロールし、自発的に霊的成長のための努力をするとき、はじ
めてより高い霊的関係・霊的愛で結ばれた人間関係ができるようになります。メンバー各自の
必死の自己努力があるときのみ、高次元の人間関係を築くことができるのです。

自己コントロールの努力がともなわない人間関係、理想だけに走った人間関係は、時間の経
過とともに必ず破綻をきたすようになります。スピリチュアリズム・サークルは、どこまでも自己
努力を前提とする人々の集まりなのです。理想を目指して、足りない人間・欠点を持った人間
が努力する訓練場なのです。

必ず生じる人間関係のトラブル
 サークルを維持していく上での最大の問題は人間関係です。スピリチュアリズムが最高であ
ると思える人々の間においても、一人一人の霊的成長レベルは異なります。さらに性格やこれ
までの人生経験・育った環境・習慣も異なっています。

そのため各自の心の世界は全く違ったものになっているのです。現実問題への対処の仕方・
判断の仕方が、さまざまになるのです。

 夫婦関係を見れば明らかなように、人間は身近な関係になればなるほど、相手の欠点や粗
(あら)が目につくようになり、心を一致させることがとても難しくなります。これは霊的成長の違
う人間が、同一の世界に住むところから生じる避けられない宿命です。

 サークルのメンバーは霊的家族の一員であり、きわめて深い関係・身近な関係にあります。
そしてとてもデリケートな霊的背景を背負っています。サークルが目標としている世界は、この
世の一般的な家庭や組織と違って、きわめて純粋で繊細で霊的なものなのです。したがってこ
の世の単なる友達や親族以上に、お互いの違いや欠点がストレートにぶつかり合い、愛し合
いにくい状況が生じることになります。

「団結というのはそう簡単には成就できないものです。命令によって強制できる性質のもので
はありません。理解力の発達とともに徐々に達成していくほかはありません。問題は、人類の
一人一人が知的にも道徳的にも異なった発達段階にあることです。一つの共通した尺度という
ものがないのです。」       (シルバーバーチ9・159)

「同じ目的、同じ大義によって団結すべき人たちの中にあってすら、摩擦と誤解の犠牲となるこ
とがあります。が、たとえすべての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から
眺めるということは、所詮、無理なのです。」   (シルバーバーチ9・98)


各自が「霊的真理」に立った努力をするかどうかが決め手
 恋愛感情に身を任せ、結婚に至ることは何も難しいことではありません。それは動物と等し
い本能に支配された行為であるからです。しかし恋愛感情が冷め、相手に対する嫌気が差す
ようになった夫婦が根本から考え方を改め、もう一度ゼロからやり直そうとするのは並大抵の
ことではありません。男女それぞれが、自ら意識を高める厳しさを持たなければならないから
です。

 これと同じく「サークル」という密接でデリケートな人間関係を維持するためには、メンバーの
一人一人が自分に厳しさを課すことが不可欠となります。安易に他人に頼ったり、真っ先に他
人からの援助を期待したり、自分の感情をすぐに表に出すような人間は問題です。そのような
人は、自分の人間性の未熟さを打ち破るために、さらなる孤独の歩みが自動的に準備される
はずです。
 
人間関係にトラブルが生じたとしても、どちらか一方の人が、自分の心を高いところに置き、寛
容さと忍耐を持って相手に接することができるなら、不一致から決定的な分裂状態に至るのを
避けることができます。しかし互いが低いところに立って自己主張をするなら、たちまち人間関
係は暗礁に乗り上げてしまいます。まさに自己主張よりも、霊的真理に基づいた真の謙虚さと
寛容さが必要とされるのです。

 より良いサークルの人間関係をつくるための努力は、地上世界における最高に厳しい霊的
修行です。人が集まるところ、魂の成長レベルの違いから必ず問題が生じるようになります
が、そのときは各自が「霊的真理」に立ち返って、自分自身の心を真理に添わせようと努力す
ることが大切なのです。 

“謙虚さ”と“寛容さ”を持とうとする内面的努力が必要なのです。そうした努力をすることなく感
情の赴くままに振る舞うならば、せっかくのサークルも、この世の人間関係と何も変わらないこ
とになってしまいます。


「真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということで
す。」    (シルバーバーチ9・191)
「われわれはこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。基盤に間違いが
ないことを確信した上でなくてはいけません。そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指し
て、手を取り合って開拓していきましょう。」   (シルバーバーチ9・134)

「人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。(中略)それは致し方のないことです。幸い
にして自分の方が進化の階梯 (かいてい)の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる
人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。」    (新たなる啓示・152)


サークル活動に、ゆき詰まりを感じたときには
 サークルのメンバーは、サークルが霊的に停滞したり、当初の目的から外れ、あまりにも低
いレベルの歩みしかできなくなったと思ったときには、そこを去るべきかも知れません。より高
い霊的世界を求め、さらなるスピリチュアリズムへの貢献をしたいという動機が確かなものであ
るならば、これまでのサークルを去り、自分の霊性に合った別のスピリチュアリストとの交わり
を求めることは間違いではありません。

 霊界においては、霊的成長にともない、それまで所属していた“類魂”から抜け出て、より高
い別の類魂に入っていくことになります。地上の霊的グループ(スピリチュアリズム・サークル)
の間でも、同じような移動が行われてしかるべきです。

それは霊的成長にともなう当然の結果と言えるでしょう。言うまでもないことですが、他のサー
クルへの移動は“純粋な動機”に基づくものであることが重要です。利己的な動機・不純な動機
からの場合、すべての責任は自分で負わなければならなくなります。

サークルの解散
 霊界からの導きによって地上で霊的真理に出会うという幸運に浴し、スピリチュアリズムの普
及をライフワークにしようと決意しながらも、時間とともにその感動が薄れ、大義を忘れてしまう
ようなこともあります。

地上生活は感動とマンネリ、緊張と弛緩のサイクルの繰り返しの中で進んでいきますが、「スピ
リチュアリズム」という肝心な世界を見失ってしまうことは、人生最大の損失であり失敗です。ス
ピリチュアリズムのために喜んで自分の人生を捧げたいという決意が失われるならば、自動的
に物質欲に翻弄 (ほんろう)され、この世の人々と大差のない状態に堕ちてしまいます。

 時としてサークルのメンバーが、お互いの意見の食い違いを埋め合わせることができず、険
悪な人間関係に発展して、スピリチュアリズムへの貢献や自己の霊的成長に対する熱意を失
ってしまうことがあります。

もしそうした事態を迎え、もはやサークルとしての存在自体が魂の成長にプラスにならないと思
われるような場合は、サークルを解散すべきでしょう。各自がいったん自分の世界に戻り、じっ
くり考え直すことが必要となります。

 最終的な決断は――「各自の霊的成長にプラスとなっているか」「人々への貢献にプラスとな
っているか」「霊界の良き道具となっているか」どうかを基準として下すべきです。サークルの維
持が重要なのではなく、一人一人の霊的成長とスピリチュアリズムへの貢献が大切なのです。
サークルを一度解散して、時期のきた別の人との出会いを求め、新たなサークルづくりに乗り
出すことは、さらなる進歩の扉を開くことになるかも知れません。
  

7 リーダーの役割と、サークルとしての進歩・向上
 

孤独で辛いリーダーの立場
 サークルを立ち上げようと決意した人は、メンバーが増えるにともない、自動的にサークルの
中心的立場・リーダーとしての立場に立つことになります。サークルのまとめ役として、会場の
予約をしたり、学習会の準備をしなければなりません。また毎回、サークルの進め方をあれこ
れ考えたり、今後のサークルの予定を立てなければなりません。

時にはメンバー間の人間関係の調停の役割を果たさなければならなくなります。一人の人間
(リーダー)に、サークルに関するすべての仕事が集中するようになります。サークルのリーダ
ーには、常にこうした大変な仕事と責任が負わされることになるのです。

 サークルのリーダーは、肉体ばかりでなく、精神的にも霊的にもくたくたになり、遅かれ早か
れ、自分にはとてもこの役目は務まらないと思うようになります。サークルのリーダーになると、
誰もが自分自身の力に限界を感じ、「もはや自分一人の力では、これ以上やっていけそうにな
い」という壁に突き当たるようになります。

そのような時、ふっと空しさを覚え、サークルをやめて、一人のスピリチュアリストに戻ってしま
いたいと思うようになります。サークルのリーダーは、一度はこうした孤独で辛い世界を体験す
ることになるのです。


リーダーとしての務めは、スピリチュアリズムへの大きな貢献
 リーダーとしての役割を果たすためには、このように大変な苦労と孤独がともないます。何の
ために自分の時間と生活を犠牲にし、家庭も財産も犠牲にしなければならないのかと、考えて
しまうかも知れません。しかし、それはすべてスピリチュアリズムのためにしていることなので
す。見方を変えるならば、その犠牲の分だけスピリチュアリズムに大きな貢献をしているという
ことなのです。

 スピリチュアリズムのために自らを犠牲にするところには、霊界から多くの霊達が援助のた
めに集ってきます。リーダーは一人で戦っているのではなく、ずっと霊界の霊達の応援を受け
てやっているのです。

地上人には目の前のメンバーの姿しか見えませんが、その背後で常に多くの霊達が群がり、
全力を挙げて援助してくれています。それによって、時期がきて今後、出会うことになる人との
距離がどんどん縮まっているのです。霊界の人々との絆は確実に太くなっていきます。こうした
霊的な事実を忘れてはなりません。

 サークルのリーダーは、まさに歴史的なパイオニアとして戦いの最前線にいます。スピリチュ
アリズムのために苦労し、犠牲になることほど価値ある地上人生はありません。サークルのリ
ーダーとして味わう(一般の人では味わうことのないような)孤独・苦労・疲労・悲しさ……、これ
らはすべてスピリチュアリズムのための犠牲であり、ありがたいものなのです。

 皆さんがリーダーとして苦労すればするほど、誰も手にすることができない貴重な霊的宝を
得られるようになります。犠牲的歩みの中で、人間性が磨かれ、広く深い心を持つことができ
るようになります。また人間の心の複雑さを理解できるようになり、今後のスピリチュアリズム
に対する貢献のための、さらに大きな力を養うことになるのです。

リーダーの内容によって決まるサークルの発展
 サークルの発展は、リーダーの内容と力量によって決定される一面を持っています。リーダ
ーにとって最も重要な資質は、霊的な純粋さです。霊界の人々の応援を引き寄せられるだけ
の霊的内容があるかどうかということです。

「無私で謙虚な道具意識」「見返りを一切期待しない犠牲精神」「スピリチュアリズムへの貢献
性」「霊的導きに対する信頼」「いかなる困難にもめげない忍耐力」「他人の足りなさに対する寛
容性」といった内容が必要とされます。

 リーダーにこうした霊的資質があるか否かで、サークルの発展が決定されることになります。
これに加え、優れた人間性(明るさ・気さくさ・上品さ・面倒味のよさ・ユーモアセンス)と豊富な
スピリチュアリズムの体験があるならば、サークルはいっそう発展する可能性を持つことになり
ます。

限界状況の中で神にすがるしかないような体験、もはや人間の力には頼れないといった体験
が多ければ多いほど、いかなる困難に遭遇しても、正確な判断力を働かせることができるよう
になります。リーダーとしての的確な判断力・洞察力が身につくようになるのです。 さらにリー
ダーには、霊的知識の力が必要となります。

霊的真理の深い理解は、リーダーの力量の一部です。リーダーは学習会を意義ある方向に導
き、メンバーからの質問に答える力を持たねばなりません。とは言っても、現在十分な知識が
ないからといって悲観的になる必要はありません。知識については、真剣に学ぶ姿勢さえあれ
ば、今後の歩みの中で確実に力をつけることができるからです。

 リーダーのトータル的な力量によってサークルの発展は決定されますが、最も重要なリーダ
ーの資質は、何と言っても「純粋な道具意識と犠牲精神」であり、「徹底した奉仕精神」です。そ
れに比べれば、人間性や体験の有無・知識の多さはそれほど決定的な影響力を持つことはあ
りません。

 もしリーダーの動機が不純である場合、やがてそれがエゴ的世界を増幅し、スピリチュアリズ
ムから逸脱していくことになります。当然、その人間は霊界において、自分自身を裁くという哀
れな事態を招くことになるのです。動機こそが、リーダーにとって一番重要な要素なのです。

メンバーを育て、サポートする
 リーダーは、好むと好まざるとにかかわらず、新しいメンバーの霊的な教育に係わらなくては
なりません。またメンバーの中に、全体の調和を乱すような者がいるならば、誠意を持ってじっ
くり話し合い、間違いを気づかせてあげなければなりません。

親や先生のような立場で、スピリチュアリズムの正しい在り方を教えてあげるのです。そして日
常生活に飲み込まれて霊的力を失ったり、失敗から絶望的になっているメンバーには、霊的
真理によって視野を広げたり、優しく励まして、やる気を取り戻させてあげることも必要です。


 「同志の中に手を焼かせる者がいたら、その人のことを気の毒に思ってやることです。道を
間違えているのです。そういう人間を激しい口調で説き伏せようとしてはなりません。素朴な真
理を教えてあげるだけでよろしい。そのうち分かってくれるようになります。」   (シルバーバ
ーチ8・216)

「その種の人間に個人的見解の相違を忘れさせ、基本の原理・原則に立ち帰って、最初にこ
の仕事に情熱を燃やした時の目標に向かって無心に努力するように指導することです」   
(シルバーバーチ8・214)


 ここで注意しなければならないことは、「優しさの安売りをしない」ということです。スピリチュア
リズムと出会ったメンバーといえども、未熟さも欠点も数多く持っています。それを指摘し、注意
することは、リーダーにとっても注意される相手にとっても嫌なことです。しかし相手の霊的成
長を考えたとき、言いたくなくとも敢えて心を鬼にして言わなければならないこともあります。

 現代社会では、親と子・教師と生徒・上司と部下という上下関係が崩れ、間違った平等主義
が広まっています。その影響で、親や教師・上司は厳しさを捨て去り、優しさだけを与えるよう
になっています。相手の問題点や欠点を知っていながら、黙って見過ごすようなこともありま
す。

そしてそれに対して、相手はそのうち分かるようになるから長い目で見ていようと自分自身に
言い訳をするのです。注意するのが当たり前なのにそれをしないで相手の顔色を窺い、嫌わ
れないように努めるのです。

 そこには、もはや本当の愛情はありません。単なる表面的な愛情があるだけなのです。本当
の愛情があるならば、相手のためを思って注意したり、嫌がることも言うことができるはずで
す。自分が嫌われたくない、子供や生徒・部下から好かれたい、愛されたいと思っているので
す。

“優しさと厳しさ”がともにあってこそ、「本当の利他愛」と言えるのです。サークルのメンバー
は、スピリチュアリズムという共通の理念・生き方を共有する人間関係であって、一般の人々
の関係とは違っているのです。神・霊界の前に正しくあろうとする、共通の深い絆があるので
す。

 さて、メンバーの教育において心しなければならないことは、相手の成長を願うあまり、相手
を自分の思うようにしたいという方向に道を間違えないことです。リーダーとして相手の成長の
ために熱心に働きかけ、可能なかぎり指導はしても、最後は本人の問題であるということを忘
れてはなりません。霊的成長は最終的には、すべて本人自身の責任なのです。

教育熱心が高じて、いつの間にか相手を自分の思いどおりにしたいという、そんな世界にはま
ってしまうことが往々にしてありますが、その点は厳に謹まなければなりません。熱心さから、
「霊的成長は自己責任である」という摂理を踏み外すようなことをしてはならないのです。


リーダーは常に神と霊界を拠りどころにすべき
 リーダーは絶えずメンバーから頼られ、メンバーの面倒を見なければなりません。リーダーは
サークルのために、いつも一番の犠牲を払うことが要求されていますが、それでいてメンバー
やまわりの人々から、真っ先に批判の対象とされるという弱い立場に立っています。リーダー
は、常に孤独の世界を体験することになるのです。

 こうした厳しい状況の中で役目を果たしていくリーダーには、神と霊界に対する深い信仰心が
必要とされます。人間である以上、辛い時にはついサークルのメンバーに頼りたくなりますが、
そうしたときこそ弱い心をぐっと抑えて、神と霊界だけを心の支え・拠りどころとして乗り越えて
いかなければなりません。

 リーダーには、ひたすら自分の人生をスピリチュアリズムのために捧げ、一人でも多くの人に
永遠の霊的救いをもたらしたいとの強くて純粋な思いが必要です。可能なかぎりスピリチュアリ
ズムのために奉仕したい、スピリチュアリズムのために自分の人生をすべて捧げたいという、
一点の曇りもない純粋な動機が必要です。

そうした「神と高級霊の前に恥じない誠実さ」があればこそ、霊界の全面的な応援を得られるよ
うになるのです。高級霊の応援のみが、リーダーの本当の心の支えとなり、力となるのです。


サークル全体としての進歩・向上
 健全なサークル活動が行われ、一人一人のメンバーが霊的成長の道を歩むにつれ、サーク
ル全体の霊的レベルも上昇することになります。より純粋な人間関係・より密接な霊界との関
係がつくられるようになります。そしてスピリチュアリズムのための、さらなる貢献の道が開か
れるようになります。

 リーダーは常に、今より高いサークルの目標を設定し、全体を導いていくことが必要です。サ
ークル全体として常に高い世界を目指さないかぎり、サークルの生命力は失われ、マンネリ化
し、やがてサークルの存在自体が意味を失ってしまいます。一人一人は、より高いレベルと、さ
らなるスピリチュアリズムへの貢献を目標としなければなりませんが、サークルもそれと同じ
で、いっそう高い世界と多くの貢献を目指し続けなければならないのです。

 時には、長年来のメンバーが、サークル全体の進歩向上に決定的なマイナスとなるような行
為に走るといった事態を迎えることがあります。また貢献への情熱を全く失って、日常生活に
完全に舞い戻ってしまうようなことも起きるでしょう。

そうしたときリーダーは、そのメンバーを、サークル全体のために後回しにしたり、袂 (たもと)
を分かつようなようなことになるかも知れません。厳しいようですが、それでいいのです。道を
外れたメンバーの運命は、 “守護霊”に任せておくしかありません。回り道をしたり後退するこ
とが、長い目で見たとき、その者にとってふさわしい歩みとなるはずだからです。

 いったん神・霊界との磁気的つながりを持ち、スピリチュアリズムとの深い係わりがある以
上、また人生の次の転換期には新たな自覚を持つようになることでしょう。




時として、悲しいことですが、この道に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先さ
せ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします。万が一そういう事
態になった時は、それは本来の道を見失ったわけですから、その人のために蔭で涙を流して
おやりなさい。」          (シルバーバーチ8・209)



「袂(たもと)を分かつべき人とは潔く手を切り、その人の望む道を進ませてあげればよろし
い。」       (新たなる啓示・47) 


スピリチュアリズム・ニューズレターの読者の皆様へ 





 スピリチュアリズム・ニューズレターの発刊以来、いつの間にか20号を数えることになりまし
た。当初は資金や時間などの諸事情から、10号くらいまで続けられればよいものと思っていま
した。その後、必要な援助が与えられる中で、何とか20号にまで至ることができました。今後
も諸条件が許すかぎり続けていきたいと考えていますが、当面は30号を目標にしています。


ニューズレターの目的は、スピリチュアリズムと高級霊訓のPR
 すでに何度か述べておりますが、ニューズレターの発行はスピリチュアリズム・サークル「心
の道場」が、自分達のできるスピリチュアリズムへの奉仕活動の一環として行っているもので
す。

「時期がきてスピリチュアリズムと出会う段階にまで至った方々に、シルバーバーチに代表され
る高級霊訓の存在を知っていただきたい」、また「すでにそうした高級霊訓を手にされている
方々には、その素晴らしさを再確認して霊的真理の実践の重要性を深く理解していただきた
い」――これがニューズレターに込めた私達の願いです。

 現在の地球人にとって、スピリチュアリズムによってもたらされた「霊訓」ほど優れた知識・教
えはありません。高級霊訓は、地球人類救済のための霊界あげての働きかけが結実したもの
です。地球に係わる全高級霊の努力の賜(たまもの)なのです。 “スピリチュアリズムの到来”
という時代的背景の中で、私達は高級霊訓を手にするという最高の恩恵に浴することができま
した。

 ニューズレターは、そうしたスピリチュアリズムによってもたらされた高級霊訓を、スピリチュ
アリズム内外の人々にPRすることを目的としています。スピリチュアリズムと高級霊訓を宣伝
することによって、一人でも多くの方々が霊的真理に基づく本当の霊的人生を歩んでくださるこ
とを願っています。日本全国に真のスピリチュアリズムを普及させるお手伝いをすることができ
たらと考えています。

 言うまでもないことですが、このニューズレターによって、私達のサークルの宣伝をしたり、会
員を増やしたり、利益を得ようとの意図は全くありません。

 発刊以来、大勢の方々からありがたいお便りをいただきました。少しでもお役に立っているこ
とをたいへん嬉しく思っています。最近では連日のように――「ニューズレターによってシルバ
ーバーチの素晴らしさがよく分かるようになりました」とか、「これからはシルバーバーチをじっく
り読みこなすようにします」といった声をお聞かせいただき、心から喜んでいます。

 私達にとっては、ニューズレターは高級霊訓に至る一つの道しるべであって、その最終目的
は、一人一人の方々にシルバーバーチなどの高級霊訓を「人生の指針・座右の銘」としていた
だくところにあります。シルバーバーチを真剣に読み、それを人生の教師としてくださる方が一
人でも現れるとするなら、ニューズレターはその目的を果たしたことになります。それが私達の
願いであり、一番の喜びなのです。

ニューズレターの評価は、各人の理性的判断で
 さて、ニューズレターの内容についてですが、それにはさまざまな意見や感想があって当然で
す。賛否両論あってしかるべきです。現に一部の方達からは、批判の声が寄せられています。

 私達はニューズレターに反対される方々には、もしニューズレターの内容が、皆さんの理性
的判断に照らして納得がいかないときには、あるいは気に食わないときには、ニューズレター
を拒否し、無視してくださるように申し上げております。ニューズレターの内容が、シルバーバー
チの言うところと違っていると思われるのなら、「ニューズレターをすべて否定していただいて結
構ですとお伝えしています。

 シルバーバーチは常に、“語られる言葉”を自分の理性と照らして判断するように繰り返し強
調しています。ニューズレターに対しても、当然そうあるべきです。シルバーバーチが――「理
性が反発するときには、どうぞご自由に無視してください」と言っているのと同じで、皆さん方の
理性が納得しないのであれば、ニューズレターをすべて否定されても、私達はいっこうに構わ
ないのです。

私達も、ニューズレターの評価を皆さん方の理性的判断に委ねています。ニューズレターから
多くのものを学び取っていただくのも、ニューズレターそのものを否定されるのも自由なので
す。各自の霊的成長は、一人一人の自己責任のもとにおいてなされるのですから、それが神
の摂理にそった在り方なのです。

『シルバーバーチの霊訓』を、判断の指針として
 ニューズレターは、『シルバーバーチの霊訓』を最高の拠りどころ・真理の大前提として述べ
ています。したがって各自が直接シルバーバーチをじっくり読み、自分自身の理性で判断して
いただきたいと思います。

 ニューズレターの内容は、シルバーバーチの見解と一致しているかどうか、もしニューズレタ
ーに批判的な思いを持たれるなら、それが本当に適切なものかどうかは、シルバーバーチと照
らし合わせて判断してくださればいいことなのです。偏りのない視点からシルバーバーチを読
むかぎり、必ずや心から納得することのできる答えが示されるはずです。

霊界と高級霊こそ、真偽(しんぎ)の最終判断者
 私達は、最終的判断は霊界と高級霊によってなされると思っています。高級霊の目には、地
上人のなすことはすべて明らかであり、死ねば地上時代の行為の善悪は、余すところなく白日
のもとにさらされることになります。霊界の人々にとっては、地上人の動機はすべて見通しで
す。霊界に行けば、あらゆる真偽の判定は誰の目にも明白になるのです。
 
したがって私達は、ニューズレターに反対される方々との意味のない議論にエネルギーを浪費
するつもりはありません。霊界と高級霊の判断に、委ねればいいのです。純粋な動機のあると
ころ、霊界の高級霊達が一丸となって支援し援助する事実を考えて、スピリチュアリズムと高
級霊訓の普及だけにエネルギーを向けていきたいと思っています。

霊的真理の忠実な実践こそが大切
 私達は、シルバーバーチの霊訓に代表される「高級霊訓」を、人類史上最高の人生の指針・
人生の教師であると確信しています。高級霊訓の内容を忠実に実践することによって、「霊的
成長」という最高の宝が人類の上にもたらされるようになることを確信しています。

そして一人でも多くの時期のきた方々に、深くて純粋な霊的人生を歩んでいただきたいと思っ
ています。私達は、そのためのわずかなお手伝いをしているに過ぎません。

 シルバーバーチは――「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心がけましょう。
(中略)人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生きて……」
と述べています。

またシルバーバーチは――「奮闘努力なくして成長は得られない」と言い、「常に高い目標に向
かって努力を怠らないように」と強調しています。

 すでに霊的真理を手にした方々には、他の人々に先駆けてスピリチュアリズムの真理を知っ
たということにおいて、大きな責任と義務が与えられています。「真理を真剣に忠実に実践す
る」「真理を正しく人に伝える」「真理に背いたことをしない」という、言い逃れできない義務が生
じています。

 私達は、ニューズレターを読んでいただかなくとも、シルバーバーチの霊訓を読み、その内容
を実践してくださるなら嬉しいのです。もし、スピリチュアリズムもシルバーバーチも素晴らしい
が、ニューズレターは間違っていると思われるときには、ニューズレターを無視していただいて
もいっこうに構いません。ニューズレターを否定されても、シルバーバーチの教えを忠実に実行
に移してくださるなら、それで十分なのです。

ニューズレターの対象者
 再度述べますが、私達がニューズレターの読者(対象者)として考えているのは、スピリチュ
アリズムは最高の道かも知れないと感じられたり、すでにスピリチュアリズムを最高のものとし
て受け入れた方々です。またはシルバーバーチの霊訓を最高の教えだと思えるような方々で
す。

 スピリチュアリズムの価値が全く理解できない方、スピリチュアリズム以上の道が他にもまだ
あると思っている方、さらに他の宗教や思想に没頭してそこに満足している方を対象とはして
いません。言い換えれば、シルバーバーチが言う「時期のきた人」だけを対象としています。

 ニューズレターは――「高級霊界あげての大プロジェクト」と、それによって地上にもたらされ
た「高級霊訓」を最高のものと認めるところから出発しています。それが大前提なのです。した
がってスピリチュアリズムやシルバーバーチの価値を理解できない方は、ニューズレターの対
象者ではないのです。

今はお読みにならない方がいいのです。そうした方がこのニューズレターを読んでも何の意味
もありませんし、読めば反発するだけのことなのです。前提とするものが違っているからです。

シルバーバーチを最高の指針として
 私達は、シルバーバーチに代表される「高級霊訓」に絶対の信頼を寄せています。これに優
る素晴らしい教えは、現在の地球上には存在しないことを確信しています。特に『シルバーバ
ーチの霊訓』は、人類史上最高の教えであると思っています。多くの皆さん方がそうであるよう
に、私達もこれまで「真理と真実」を徹底して求めてきました。そして、やっとスピリチュアリズム
の高級霊訓にたどりついたのです。

 もし、シルバーバーチよりも優れた教え・霊界通信があると言う方がいらっしゃるならば、私
達は喜んでその方の声に耳を傾けます。どういう根拠からシルバーバーチよりも優れているか
の説明を、ぜひ聞かせていただきたいのです。

もしその方の説明が、私達の理性を納得させるものであるなら、シルバーバーチを捨て去り、
代わりにその教えなり霊界通信を人生の新しい指針とし、PRに専念することにします。より優
れたものをお知らせすることこそ、私達の奉仕の目的なのですから……。

 しかし結論を言えば、シルバーバーチ以上の霊訓は、当分地球上に現れることはないと思っ
ています。唯一の可能性は、イエスを中心とする霊界の最高神庁において、これまで語ること
が許されていなかった真理を公表すべきとの決定が下されたときでしょう。

そのとき初めて、シルバーバーチが明らかにすることを許されなかった新たな霊的事実が示さ
れることになるはずです。とは言え現在では、その可能性は考えられません。

 『シルバーバーチの霊訓』の内容を深く理解された方には、その中に、地上世界におけるす
べての問題解決の答えが示されていることがお分かりになるはずです。そして何よりシルバー
バーチの教えを忠実に実践することこそが、地球人類の最も重要な課題であることを得心され
ることでしょう。

 このスピリチュアリズム・ニューズレターが今後も、少しでも皆さん方のお役に立つことができ
るとするなら幸いです。 



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