◇ニューズレター19号 (抜粋) 
2002年 10月



目 次

交霊界や霊能力への過度の関心は邪道です 

 1、いつまでも“霊”にお伺いしようとする愚かさ
   ・奇跡的なシルバーバーチの交霊会
   ・『シルバーバーチの霊訓』を手にしていることは、交霊会に直接参加しているのと同じこ
  と
   ・高級霊の苦労に対する裏切り行為
   ・交霊会が必要なのは、後の世界が分からない人だけ
   ・自分で「真理」を読み、答えを探すことが必要

 2、霊能力を身につけたいという見栄と愚かさ
     霊能力より、伝道と人格を磨くことが大切
   ・低俗な虚栄心や自己顕示欲
   ・伝道ほど価値のある奉仕はない
   ・霊界の人々の応援を引き寄せることこそ「最高の霊媒現象」
         霊能者より「霊の道具」を目指すべき

  3、自分自身の霊能力を誇る愚かさと傲慢さ

 4、自分の直感を過信することの危険性
     自分の直感より「霊的真理」を頼りにすべきです
   ・軽々しいインスピレーションの流行
   ・偽のインスピレーション>
   ・本物のインスピレーションとは?
   ・問題は“低級霊”からのテレパシー
   ・本物のインスピレーションの判別は、とても困難なこと
   ・インスピレーションに頼るより、「霊的真理」に頼る
   ・常に「霊的真理」による検証を欠かさないこと

 
偽物に対する霊的判断力を身につけましょう
ニセ霊界通信とニセ霊能者の「上手な嘘」に騙されないために 


    ・横行するニセ霊界通信とニセ霊能者
         大半の霊界通信と霊能者は偽物
   ・通信の真偽を確認するのは、
       スピリチュアリズムの常識
   ・霊界通信や霊能者に対する
       「基本的なチェック方法」
   ・偽物に騙され、翻弄される人々
   ・ニセ霊界通信やニセ霊能者の「上手な嘘」
   ・詐欺師と、ニセ霊能者の手口は同じ
   ・スピリチュアリストも簡単に騙される  
    ・少々の嘘なら問題ない?
   ・“詐欺”に利用されるスピリチュアリスト
   ・「上手な嘘」を見抜くためのポイント@
        メッセージをトータル的に検証する
   ・「上手な嘘」を見抜くためのポイントA
        現実の行動・生活態度を検証する
   ・スピリチュアリズムを語るニセ霊能者は、
    スピリチュアリズムの最大の敵
   ・今後もなくならないニセ霊能者

 
霊的身体とチャクラについての誤解 
1、霊的身体についての誤解
   ・古神道の四魂説と、神智学の身体観
   ・「神智学の身体観」と「スピリチュアリズムの身体観」は一見似ているが……
   ・「霊界の界層」と「霊的身体」の関係
   ・霊界は、グラデーション的変化をともなう一つの世界
   ・霊体は、グラデーション的変化をする一つの身体
   ・「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意は?
   ・「肉体の死」と「幽体の死」の違い
   ・「幽体の死」とは精妙化のプロセスのこと
    ・「幽質接合体」の脱ぎ捨て
   ・高級霊の「仮の霊的身体」の着脱
   ・スピリチュアル・ヒーリングの理論化には、「正しい霊的身体観」が不可欠

2、“チャクラ”についての誤解
   ・「チャクラ思想」の影響
   ・“チャクラ”に否定的なシルバーバーチ
   ・“チャクラ”とは、霊体と肉体の接合点



ニューズレター



交霊界や霊能力への過度の関心は邪道です 


 現在のスピリチュアリズムにおける大きな問題点は、『シルバーバーチの霊訓』やモーゼスの
『霊訓』などの最高の霊的真理が与えられながら、その価値と意義が正しく理解されていないと
いうことです。

これは日本のスピリチュアリズムだけに当てはまることではなく、本家のイギリスや世界のスピ
リチュアリズムにおいても等しく言えることなのです。 高級霊からの霊界通信を手にしながら、
いまだに交霊会に出て“霊”に直接自分のことを尋ねてみたいとか、リーディングを受けたいと
思っている人々がいます。また中には霊能力を身につけるために、修行に人生を懸け、エネ
ルギーを費やしている人々もいます。

今回は、現在のスピリチュアリズムにおける「交霊会」や「霊能力」に関係する問題を取り上げ
考えてみることにします。

  
 1 いつまでも“霊”にお伺いしようとする愚かさ


奇跡的なシルバーバーチの交霊会
 シルバーバーチはある日の交霊会で、その場に世界中から5千人にも及ぶ霊達が見学に訪
れていることを述べています。その中には、地上との交信の仕方を学ぼうとする多くの指導霊
達も含まれています。シルバーバーチの交霊会を参考にして、スピリチュアリズムのために貢
献する方法を学ぼうとしていたのです(道しるべ・198〜199)。 

 このことはシルバーバーチが、霊界の指導霊達の中にあっても、さらなる特別な指導的立場
にあったことを意味しています。シルバーバーチは、世界各地で働く指導霊達のリーダーであ
り、指導霊中の指導霊であったということなのです。そうしたシルバーバーチの交霊会は、人類
歴史上、最も権威あるものでした。

 今この時も、世界各地において数えきれないほどの交霊会・チャネリングセッションが行われ
ていますが、その中には、シルバーバーチのような地上の物質圏を卒業した超高級霊からの
通信は、万に一つも存在しないと言ってよいでしょう。

スピリチュアリズムにおける「三大霊訓」は、まさに奇跡的な確率で地上にもたらされたもので
あり、世間一般に見られる交霊会やチャネリングとは、質と次元において天と地ほど違ってい
るのです。 

 こうした奇跡が実現したのは、何度も述べているように、高級霊界あげての「霊的真理普及
の大計画」があったからなのです。シルバーバーチの場合、霊媒のバーバネルが地上に生ま
れる前から働きかけを始めています。

それと同時に、地上の言語をマスターしたり、幽界の霊媒(レッドインディアン)をコントロールす
るための技術訓練をしたり、地上における霊的真理の受け入れ態勢づくりを進めています。気
の遠くなるような、あらゆる準備がなされた後に、初めて霊界からの通信が可能となったるの
です。このように高級霊の通信であればあるほど、霊界における準備には長い時間が必要と
されます。

『シルバーバーチの霊訓』を手にしていることは、交霊会に直接参加しているのと同じこと
 今、私達が『シルバーバーチの霊訓』を手にしているということは、イギリスにおけるシルバー
バーチの交霊会に参加し、直(じか)に話を聞いているのと同じ意味を持っています。それどこ
ろか書物としてまとめられているので、必要に応じて何度も何度も繰り返し学ぶことができま
す。

何十回分の交霊会の内容を、短時間に一度に確認することができるのです。したがって考え
ようによっては私達は、当時交霊会に直接参加していたメンバー達よりも恵まれた立場にある
と言えるのです。

 先に述べたように、シルバーバーチのような最高級霊からの通信は、現在の地球上ではほと
んどあり得ない奇跡的な出来事です。ましてや日本にいて、そうした高級霊からの通信を受け
るということはゼロに等しいことなのです。私達は幸いにも、日本に居ながら『シルバーバーチ
の霊訓』という「人類史上最高の宝」を手にすることができたのです。

 シルバーバーチの交霊会は、地球上のすべての人々を対象にして行われたものです。ある
時、一人のサークルの参加者がシルバーバーチに  「私の家で交霊会を開くので、あなたが
お出でになって人生相談に乗っていただくのはどうでしょうか?」と質問しました。

シルバーバーチはそれに対して  「それをこの家で行いましょうということで、これまで努力し
てきたわけです」(愛の絆・49)と答えています。

 このことから分かるように、シルバーバーチの霊界通信は、どこまでも世界中の人々にメッセ
ージを送ることを目的としています。それゆえ今、書物を通じてその内容を知ることができると
いうことは、交霊会に直接参加しているのと等しい体験をしていることになるのです。私達は
『シルバーバーチの霊訓』を読むたびに、交霊会でシルバーバーチの“生の声”を聞いている
のと同じことなのです。

高級霊の苦労に対する裏切り行為
 シルバーバーチやインペレーターといった高級霊が地上に通信を送ってきたのは、地球上の
すべての人類に「霊的真理」を伝えるためです。地上生活で生じるあらゆる問題に対する回答
を与えるために、たいへんな困難を克服して通信を送ってきてくれたのです。サークルに参加
する特定の個人の人生相談に乗ることを目的として、高級霊界からわざわざ通信を送ってき
たのではありません。

 シルバーバーチは  「皆さんは今、霊界での審議会で用意された叡知が、このわたしを通し
て届けられるのをお聞きになっていらっしゃるのです」(道しるべ・238)と言っています。人類
にとってこれ以上の宝はありません。そして、その宝を真っ先に与えられたのが、私達スピリチ
ュアリストであるということなのです。

 こうしたことを考えてみれば、「最高の霊界通信」と出会いながら、今さらリーディングを受け
たり、たわいもない霊から話を聞きたがるということが、いかに愚かなことであるかが分かるは
ずです。それは霊的真理の価値を理解していないことを自ら表明しているだけでなく、霊界の
高級霊の苦労に対する裏切りとも言える行為なのです。

しかし残念ながら、現在のスピリチュアリストやシルバーバーチ・ファンの中には、そうした人達
がまだまだ多く見受けられます。

 一体、何を好んで、幽界レベルの霊にお伺いを立てる必要があるのでしょうか? 地上人と
人品において大差のない霊から、何を教えてもらおうというのでしょうか? スピリチュアリズム
の霊的真理を知った者が、とりたてて霊に尋ねることなど何一つないはずです。それどころか
私達は、真理を語って低級霊の魂を救うことさえしなければならない立場に立っているのです。

交霊会が必要なのは、死後の世界が分からない人だけ
 高級霊は、霊的真理を地上にもたらすために通信を送ってきました。そして、その目的はす
でに達成され、私達は霊的真理を手にしています。それにもかかわらず、わざわざ低級霊にお
伺いを立てるということは、スピリチュアリストとしての資格を放棄しているようなものなのです。

 では、「交霊会」は全く不要なものかということですが、場合によってはそれが重要な役割を
果たすことがあります。いまだに死後の世界があることを知らないために地上生活を無意味に
過ごしたり、愛する人との死別を必要以上に嘆き悲しむ人々にとっては、交霊会を通して死後
の世界が存在することを確信することは、大きな意味を持っています。

 このように交霊会を必要としているのは  どこまでも「霊界と死後の生命の実在が信じられ
ない人だけ」なのです。すでに霊訓と出会い、死後の世界を知った人々においては、交霊会は
必要ないのです。


「死後の存続という知識を手にしたあともなお、いつまでも私的な交信の範囲にとどまっている
ようでは、これは重大な利己主義の罪を犯すことになります。」  (愛の力・223)


「そうした交霊会を開くことを考えるよりも、二人(あなた方)は霊的知識という宝を手にしている
のだから、それを知らないまま悲しんでいる同じ境遇の人達に教えてあげる仕事に精を出すべ
きです。」 (シルバーバーチ7・95)



自分で「真理」を読み、答えを探すことが必要
 私達は霊訓によって、地上生活における苦しみの意義や、苦しみへの正しい対処について
完璧なまでの答えが与えられています。そして一人一人には、親のような利他愛で常に見守り
導いてくれている守護霊がいることも知らされています。もはやそれ以上、求めるものはない
はずです。残されている問題は、私達自身の霊的未熟性と霊的真理に対する不理解だけなの
です。

 スピリチュアリズムによる霊的真理を手にした私達は、日常生活で何か問題が生じたときに
は、霊にお伺いを立てようとするより、自分で真理を読み、その中から答えを探し出す努力を
すべきです。「霊的真理」には、地上世界のあらゆる問題解決のための答えが用意されている
のです。

 いまだに交霊会にこだわり、霊からのメッセージを受けたいと願う人達に共通しているのは 
 「スピリチュアリズムという大プロジェクトの重大性に対する認識不足」ということです。手にし
た真理の価値を、しっかり理解できていないということです。最高の宝が与えられているのに、
その素晴らしさが分かっていないのです。

 霊から直接、自分の将来について聞きたいなどという幼稚なレベルは、一刻も早く卒業しな
ければなりません。どちらでもいいような低級霊の声を、高級霊の教えのごとく受け入れてしま
う愚かさは、ただちに捨て去らなければなりません。低級霊にわざわざ魂を明け渡し、低級霊
に仕えるような馬鹿げた行為は、すぐさまやめるべきなのです。

*もっともこうした「霊からの声を聞きたい!」と思う人がいる状況は、スピリチュアリズムの本
場イギリスにおいても同じです。以前にも述べましたが、SAGB(大英スピリチュアリスト協会)
には20名ほどの霊能者が所属していて、個別の心霊相談(カウンセリング)に応じています。
 そこでの心霊カウンセリング(リーディング)は、まさに日本の霊感占いといったもので、イギリ
スでもいまだにこんなことをしているのかとがっかりさせられます。それがイギリスのスピリチュ
アリズムの実態ということなのでしょうか。

 シルバーバーチの霊訓を読むと、当時のサークルのメンバーが、他の交霊会に参加したり、
自分自身で交霊会を主催していた様子が窺われます。しかし、そうした当時のメンバーの在り
方が、そのまま現在のスピリチュアリストの手本になるわけではありません。私達は、彼らが開
拓時代を歩む者としての未熟さを持っていたことを理解した上で、霊訓の中からスピリチュアリ
ズムの本質を読み取っていかなければならないのです。

 シルバーバーチなどの高級霊は、霊的真理を十分理解していない人々に対しては、一方的
に霊界側から指示をしたり、命令するようなことはしません。どこまでも地上人みずからが理解
し悟り、自分の自由意志のもとで自分の道を選択するように仕向けます。そのため当時のメン
バーが他の交霊会に参加していても、あえて干渉しなかったのです。

 本当は彼らも、シルバーバーチによって示された霊的真理が地上における最高のものであ
ることを確信した時点で、他の交霊会に出席することの無意味さを悟るべきだったのです。し
かし当時はまだ、「高級霊訓」という最高の真理を中心に、まっしぐらに信仰実践に走るという
ことができる時代ではありませんでした。

彼らは、開拓時代を切り開く者として多くの未熟さを持ち、遠回りをしながら、スピリチュアリズ
ムのレベルを少しずつ押し上げる道を歩んでいたのです。その意味で、当時のサークルの参
加者は、まだまだ霊界の真意を的確に理解してはいなかったということになります。

 そうした未熟さを持った地上人を相手に、シルバーバーチは一つ一つの質問に丁寧に答え
指導し、スピリチュアリズムのレベルを徐々に引き上げてきました。今の私達には、そのシル
バーバーチの努力の真意を理解することが要求されているのです。


 2 霊能力を身につけたいという見栄と愚かさ
霊能力より、伝道と人格を磨くことが大切
 

低俗な虚栄心や自己顕示欲
 スピリチュアリズムに出会った後にも、いまだに霊的な能力を持ちたいと思っている人々がい
ます。そうした考えが、いかにスピリチュアリズムの本道からずれたものであるのかは、今さら
説明の必要はありません。

「霊的な能力を身につけたい!」という思いの根底には、他人にはないものを手に入れて自慢
したいという“低俗な虚栄心・自己顕示欲”が存在しています。それはスピリチュアリズムの霊
的真理を与えられながら、依然として祈祷師・チャネラーにお伺いを立てるのと同じくらい馬鹿
げたことなのです。

 スピリチュアリストである私達は、霊的な現象や霊能力に興味を持ち過ぎる人達に対して、そ
の無意味さ・間違いを教えてあげなければなりません。霊能力は、霊的進化にともない自然に
身についてくるものなのです。

それなのにスピリチュアリスト自身が真っ先に霊能力を求めることなど論外です。自然な形で
霊能力が発現したり、生まれつき身につけている人は別として、無理をして霊能力をつけたい
などと思うべきではありません。「人格の劣った霊能者ほど醜い存在はない」のです。

伝道ほど価値のある奉仕はない
 これまで何度も述べてきましたが、霊的真理を伝えることほど、偉大で価値のある奉仕はあ
りません。ヒーリングも霊的現象も、霊的覚醒をもたらしたり伝道を進める手助けとなってこそ
意味を持つのであって、それ以外に特別な価値はないのです。

ましてや自分自身の“虚栄心・名誉心”を満たすために霊能力を身につけたいなどと考えるな
ら、マイナスを超えて大きな弊害を生み出すことになります。肝心な魂の成長に重大な支障を
きたすことになります。

 心の道場には、「私もヒーラーになりたいのですが、どうしたらいいでしょうか。どのような訓練
をしたらヒーラーになれるでしょうか?」との質問が寄せられます。それに対して私達は  「ヒ
ーラーになれるかどうかは、生まれつきの霊能力によります。

スピリチュアル・ヒーラーに固執するのではなく、今の与えられた状況の中で、もっともっと人助
けと奉仕をしたいと思うことが大切なのです。ヒーリングよりも、縁あって出会う人々に(それ
が、たった一人の人であっても)霊的真理を伝えてあげることの方が真の奉仕になるのです」と
お答えしています。

霊界の人々の応援を引き寄せることこそ「最高の霊媒現象」  霊能者より「霊の道具」を目指
すべき
 スピリチュアリズムの初期には、霊界からの働きかけによって、目を見張るような霊的現象
が次々と演出されました。当時の人々の霊的レベルに合わせることが必要だったからです。し
かし現代では、空中浮遊現象のような見た目に派手な心霊現象は必要ありません。

それに代わって一段とレベルアップしたスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)が、その役割を
担うようになっています。現在の日本は、派手な心霊現象に頼らずとも、時期のきた人に直接
霊的真理が届けられる時代を迎えているのです。

 私達はすでに、「霊的真理と出会う」という最高の霊的体験をしています。そうした大きな恵み
を与えられた私達にとって、今最も大切なことは  「自分の心を高め、純粋な霊界の道具とし
て、霊界の人々の助力を得られるように努力すること」なのです。

それこそが、本当の霊的な力・スピリチュアルな能力なのです。霊界の人々の応援を引き寄せ
られる人こそが、「最も力を持った霊媒」と言えるのです。単なる霊能力(サイキック能力)をつ
けることより、良き霊界の道具として“スピリチュアルな能力”を持つことができるように努める
べきなのです。


「(略)霊性を開発し、心霊的能力(*サイキック能力)を可能なかぎり霊的レベル(*スピリチ
ュアルレベル)まで引き上げなければいけません。心霊的能力を備えた人は大勢います。が、
それを霊的レベルまで高めた人は多くは居ません。」 (シルバーバーチ1・163)


「神のために自分を役立てようとする人はみな神の霊媒です。(中略)隣人を愛することです。
人のために役立つことをすることです。自分を高めることをすることです。(中略)内部に宿る神
性を発揮させることをすることです。それが最高の霊媒現象なのです。霊視能力者になる方法
よりは、神の光が見えるように魂の眼を開く方法をお教えしましょう。」 (シルバーバーチ4・1
75〜6)


 3 自分自身の霊能力を誇る愚かさと傲慢さ
 
  時々、自分は霊能力がある、自分は霊と交信することができるという方々からの手紙を受
け取ります。また自分の書いた本やパンフレットを同封してくることもあります。そうした手紙や
本には、表面上は一見、謙虚そうな言葉が並べられているのですが、文面の奥からその人の
心に巣くう傲慢さが濃厚ににじみ出ています。

他人の持っていない霊能力を自分が持っていることを自慢にし、自分は他人より優れていると
思っている心の内が伝わってきます。こうした状況に出会うたびに、人間が心の底から謙虚に
なるのは本当に難しいことであると実感させられます。

人間の傲慢さは  「霊的な未熟さ・霊性の低さ」という一言で説明し尽くされますが、厄介なの
は、彼らは自分が聴いている声が“低級霊”からのものであることが、全く分かっていないとい
うことです。低級霊にいいように弄(あもあそ)ばれ操られているのですが、その事実を指摘し
てあげても、絶対に受け入れようとしません。

彼らは、霊的真理に照らして謙虚に自分の心を反省する、ということができないのです。そうし
た人々を見るたびに、「彼らには、むしろ霊能力などなかった方が幸いであったのに……」と思
ってしまいます。 

 同じような傾向は、ヒーリングに携わる多くの人達にも見られます。謙虚に霊界の道具に徹し
きっている本物のスピリチュアル・ヒーラーはめったにいません。謙虚さとは程遠い傲慢なヒー
ラーがほとんどなのです。

 スピリチュアリズムの現状を見るかぎり、霊能力のない人の方が、はるかに深い心境・純粋
な思いで歩んでいるように思われます。スピリチュアル・ヒーラーと、そうでない一般の治療師
(ヒーラー)は“謙虚さ”において違っていなければなりませんが、残念ながら現実は、理想から
大きく隔たっているようです。

 ヒーリングに携わる方々、そして霊能力に恵まれた方々には、「霊的真理」にそって心を厳し
く律する“謙虚な道具”としての姿勢を身につけていただきたいと思います。霊能力は  「人々
に真理を伝える手段となった時のみ価値を持つ」のです。

道具としての純粋さ・自分自身に対する厳しさ・霊的真理についての正しい理解  これらを常
に心がけることが“霊的生命線”であることを忘れないでいただきたいと思います。

「霊媒能力は神聖なものです。(中略)ところが不幸にして、大半といってよい霊媒が自分の能
力を神聖なものと自覚せず、(中略)営利を度外視してわが身を犠牲にするというところまで行
っておりません。」  (愛の絆・272)
  

 4 自分の直感を過信することの危険性
       自分の直感より「霊的真理」を頼りにすべきです
 

軽々しいインスピレーションの流行
 普段は思ってもみなかったような考えやアイディアが浮かぶと、ある人はそれを“インスピレ
ーション”をキャッチしたと錯覚します。大半の人々は、こうしたインスピレーションやひらめきな
どを、無批判にすべてありがたいものと考えがちです。その結果、自分の直感を過信し、「自分
はいつも“霊”からインスピレーションを受けている」と思い込み、大きな落とし穴にはまることに
なります。

 本物のインスピレーションは、最も高次元の霊現象の一つです。しかしこのインスピレーショ
ンほど、いい加減な意味に解釈され、深刻な問題を引き起こしているものはありません。米国
のニューエイジでは、浮(うわ)ついたチャネリングブームとともに、軽々しいインスピレーション
が流行しました。

目に見える霊現象は誰もが簡単にその真偽を判別することができますが、インスピレーション
は本人以外に窺い知ることができないために、真偽の見極めが難しいのです。現在では“霊的
直感”とか“インスピレーション”という言葉がごく当たり前のものとして使われていますが、実際
は、そのほとんどが本物ではありません。

偽のインスピレーション
 日常生活の中で、私達は無意識のうちに、他人の思いや感情をテレパシーによって受け取
っています。知らず知らずのうちに他人の影響を受けるようになっています。また私達の潜在
意識は、絶えず霊界にいる霊達からのメッセージも受け取っています。

こうして外部から取り入れられたさまざまな思念が“潜在意識”から“顕在意識”に上ってくると、
インスピレーションとかひらめきということになるのです。

 とは言っても、一般に“インスピレーション”と言われているものの多くは、単なる地上人本人
の考え・思いつきに過ぎません。インスピレーションを得たいと願っている人は、自分自身の考
えを勝手にインスピレーションと決めつける傾向を持っています。結論を言えば、これらはすべ
て偽のインスピレーション・錯覚なのです。

本物のインスピレーションとは?
 霊界の守護霊や指導霊から、高次で有益なメッセージが送られてくることがありますが、これ
こそがまさに「本物のインスピレーション」です。一方これとは別に、“良心の声”と呼ばれるも
のがあります。私達が霊的人生を歩む上で判断に迷ったとき、良心の声は的確な方向を指し
示してくれます。シルバーバーチも、この良心の声に従うことを再三にわたって強調していま
す。

 “良心の声”は、常に霊的進歩を目指す霊的本能から発せられた道しるべのようなものであ
り、それが瞬間的に、脳の意識に自覚されたものです。したがって良心の声とは、「私達の霊
の心に内在する意識の一部分」ということになります。その意味で良心の声は、まさに本物の
インスピレーションの一種と言うことができます。

 真実のインスピレーションとは  私達の心に突然湧き起こる“高次意識・高次のアイディア”
のことですが、それには今述べたように2種類あるということになります。その一つは「外部の
善霊から送られてくるもの(高級霊・指導霊からのテレパシー)」、もう一つは「本人の霊的意識
の高次の部分から送られてくるもの(良心の声)」ということになります。

問題は“低級霊”からのテレパシー
 外部から通信を送ってくるのは、高級霊や指導霊だけとは限りません。それどころか“低級
霊やイタズラ霊”からのものが圧倒的に多いのが実情なのです。したがって思い浮かんだもの
を何もかも高級霊からのインスピレーションとしてありがたがっていると、とんでもない結果を招
くことになります。 

 低級霊から与えられる情報が、いかに程度の悪いものであるかは、今さら言うまでもありま
せん。低級霊に支配された十人の霊能者にお伺いを立てれば、十通りのいい加減な答えが返
ってきます。それをまともに受け入れ従うならば、混乱と騒動が生じ、生活はメチャクチャにさ
れてしまいます。

こうした偽のインスピレーションを信じ込まされた人間同士が集まると、各自がてんでバラバラ
の意見を主張し、必ず醜い争いを引き起こすようになります。

 “低級霊のささやき”に従うくらいなら、何も真理を知らない地上人に相談する方が、よほどま
しな答えが得られます。インスピレーションには、常にこうした問題がつきまとっていることを、
よくよく知っておかなければなりません。

本物のインスピレーションの判別は、とても困難なこと
 自分の意識の内容が  「単に自分自身の考えなのか」「潜在意識から出たものなのか」、あ
るいは「霊界の低級霊からのテレパシーによるものなのか」「高級霊からのもの(本物のインス
ピレーション)なのか」を見分けるのは、きわめて難しいことです。誰もが簡単にできるようなこ
とではありません。

 テレパシーを通して外部から与えられるアイディアの中で、守護霊や指導霊からの本物のイ
ンスピレーションを見極められるのは、一定の霊格に至ったごく一部の人に限られます。そうし
た人が高い心境を保ち、受け身の状態になったとき、初めて本物か偽物かを判別することが
できるのです。


「精神統一中に浮かぶアイィデアの中から、“これぞ本物のインスピレーション”と直観できるの
は、ある一定の霊格を身につけた人だけです。」  (愛の摂理・227)


インスピレーションに頼るより、「霊的真理」に頼る
 直感に従うとか、祈って神の声に耳を傾けるというようなことは、いかにも信仰者として理に
適ったことのように思われます。しかし現実にはその裏側に、独断的な傲慢さと、無知な思い
込みが巣くっていることが多いのです。

そこには常に、低級霊に翻弄される危険性が付きまとっています。実際、大半の霊能者がこう
した思い込みによって“低級霊の餌食”となり、いいように操られています。いかなる霊の声や
テレパシーに対しても、理性を用いた吟味を欠かしてはなりません。

 シルバーバーチは  「インスピレーションを得ようとするより、高級霊によってもたらされた言
葉(真理)を信用し受け入れる方がよい」と述べています。高級霊によってもたらされた霊的真
理の中には、この世の問題に対するすべての回答が示されています。

したがってわざわざ信憑性の乏しい、信頼できるものかどうか定かでないようなインスピレーシ
ョンに頼ろうとするより、初めから真理の中に回答を求めていく方が賢明なのです。

 祈りは確かに大切ですが、時にはそれ以上に「霊的真理に信頼を置くこと」が重要なのです。
真理の中から問題の回答を見い出せない人は、いくら祈ってみたところで正しい答えを得るこ
とはできません。“祈り”そのもののレベルが低いからです。「祈りは、インスピレーションを得る
ためではなく、自分の心を高めるための手段」と位置づけすべきです。


「そこで、わたしたちはこれまで、わたしたちが霊的摂理に通じていること、目的としているのは
霊的真理の豊かさを皆さんの手の届くところまでお持ちすることであることを立証しようと努力
してまいりました。“正真”の折り紙つきの知的存在と協力して仕事をする方が、何の導きもな
しにただ一人で未知の世界へ突入していく(*自分のインスピレーションに頼るという意味)より
も無難なのではないでしょうか。」
(道しるべ・221)


常に「霊的真理」による検証を欠かさないこと
 私達スピリチュアリストにおいては、心に浮かんだイメージ・メッセージが本物かどうかを判断
するために、まずそれを「霊的真理に照らし合わせる」ことが必要となります。真理を手にした
者が、真理を無視して自分なりの意見を主張することは、単なる“エゴ”になってしまいます。そ
うした態度は何も知らない一般の人には許されることであっても、スピリチュアリストには許され
ないのです。

 霊的真理と一致していないインスピレーションやひらめきは、ただの身勝手な思い込みに過
ぎません。“真のスピリチュアリスト”は  「常に真理の中に歩むべき方向性を求めるべき」な
のです。また当然のこととして、真理を分かち合っている他の人の意見にも、謙虚に耳を傾け
るべきなのです。

*シルバーバーチの言う“良心の声”について
 シルバーバーチはよく、良心の声に従うことを勧めています。「判断に迷った時には、良心の
声に従うべきである」と言っています。

 私達の住む地上世界では、一人一人の霊的成長レベルに差があるために、それぞれの「善
の基準や価値観が異なる」という避けられない実情があります。地上では、各人が正しいと思
う基準が常に相対的になっているのです。

 そうした地上世界の宿命的な状況下において、魂を傷つけることなく霊的成長の道を歩むた
めに、シルバーバーチは3つの指針を示しています。それは  「常に理性による判断を欠かさ
ない」「良心の声に忠実に従う」「純粋な動機から行動する」ということです。
 良心の声に従うことと、動機の問題については、今後のニューズレターで詳しく取り上げる予
定です。


偽物に対する霊的判断力を身につけましょう
ニセ霊界通信とニセ霊能者の「上手な嘘」に騙れないために


横行するニセ霊界通信とニセ霊能者  大半の霊界通信と霊能者は偽物
 ニューズレター8号では、「低級霊の通信」と「ニセ霊能者」の見分け方について取り上げまし
た。一般的に霊界通信(チャネリング)と言われるものの大半(90%以上)が“低級霊”による
ものであるということを、常に意識しておかなければなりません。

 世間には、霊界からの通信を受信するという自称チャネラー(霊能者)が数多く存在します。
最近ではさまざまなメディアを通じて、そうした霊能者達による霊界通信(?)に触れる機会が
増えてきました。雑誌上では、スピリチュアルカウンセラーを名乗る霊能者の占いが評判となっ
ています。

 しかし、そこで語られる内容はと言えば、およそ霊的事実から懸け離れたものばかりです。少
し霊的知識のある人ならば、初めから偽物と断定できるような程度の悪い代物(しろもの)なの
です。書籍やインターネットなどのメディアを通じて目にすることのできる霊界通信(チャネリン
グ)の多くは、現実にはほとんど価値がないだけでなく、むしろ人々に弊害をもたらす悪質なも
のなのです。 

通信の真偽を確認するのは、スピリチュアリズムの常識
 ある人がいつも嘘や間違ったことばかり言っていたら、誰もその人を信じなくなります。語る
言葉が常に事実と一致していてこそ、周りの人々はその人物を信用することができるのです。
霊界通信や霊能者についても、それと全く同じことが言えます。

霊界通信や霊能者を通じて語られる内容が  「事実と一致しているかどうか」ということです。
彼らの言葉に嘘偽(うそいつわ)りがないならば、私達は彼らを信じることができます。このよう
に霊界通信や霊能者の真偽は、彼らを通じて語られる内容が事実であるかどうかによって決
められるのです。

 ところが、こうしたあまりにも当たり前のことが、霊界通信や霊能者という馴染(なじ)みのな
い現実を前にすると、とたんに分からなくなってしまいます。「霊からの通信の真偽を確かめる」
などという大それたことは、とても自分なんかにできるはずがないと思い込んでしまうのです。

また特別な力を持った霊能者を、果たして自分ごとき者がチェックしてもよいものかと尻込みし
てしまうのです。あるいは、自分に都合がいい内容、自分が信じられる言葉だけを受け入れれ
ばいいのだから、そんな面倒なことは必要ないと考えるかも知れません。

 初めから遊び半分の人にとっては、確かにそれでもいいでしょう。しかし真剣に霊界通信や
霊能者から“人生の指針”を得たいと思っている人にとっては  「彼らが本物かどうか」「本当
に信じられるかどうか」が、きわめて重要な問題となるのです。

シルバーバーチは、霊界からの通信を受けたり、霊能者のメッセージを聞くに際しては、その
内容の真偽を確認するのは当然のことであると言っています。霊界からの通信によって成り立
っているスピリチュアリズムにおいては、通信と霊能者の真偽をチェックすることは基本中の基
本であり、常識なのです。 

霊界通信や霊能者に対する「基本的なチェック方法」
 霊界通信や霊能者に対するチェックは、次のような簡単な方法によって可能となります。どん
な人間にも、(誰も知らない)自分だけが知っている事柄が1つか2つくらいはあるはずです。あ
るいは心の中に、これまで誰にも話したことのない秘密をかかえているかも知れません。それ
を通信霊や霊能者に指摘させるのです。

 もし相手が本当に霊界にいる霊ならば、たとえ高級霊でなくとも、そうした内容を正確に言い
当てるはずです。霊にとって、地上人の心を読み取ることくらいは簡単にできるのです。また本
物の霊能者ならば、その秘密と(完全に一致していなくとも)かなり関連したこと、それと分かる
ことを指摘するはずです。

 「あなたの守護霊は誰々で……」「あなたの前世は何々で……」などと言う霊能者には、まず
最初に  「私の重大な秘密を示してください」と切り出すべきなのです。頭から相手を疑ってか
かり、しかもその相手を試すなどということは失礼ではないか、と考える必要はありません。

こうした質問に誠意ある態度で答えることは、通信霊ならびに霊能者にとっての当たり前の義
務なのです。「真剣な質問に対しては、真剣に答える」ということが、霊的世界における常識で
あり責務なのです。

 地上の医師は、医師免許があってこそ診療・治療に携わることができますが、通信霊や霊能
者の立場も、それと同じなのです。地上人からの質問に正しく答えることによって、彼らは、自
分自身が通信霊や霊通者としての資格があることを証明することになるのです。神から与えら
れた特殊な立場や能力を用いるについては、重い責任がともなうということです。

 こうした形で霊界通信や霊能者をチェックすることは、誰にでもできるはずです。もし相手が
こちらの質問に答えようとしなかったり、デタラメな答えを言うときには、それ以上、相手の言葉
に耳を傾ける必要はありません。ニセ霊界通信・ニセ霊能者と判断しても間違いありません。

 霊能者の中には、姿勢には誠意があるものの、霊能力それ自体が弱いために的確な答え
ができないという者もいます。そうした場合でも、語る内容から、その霊能者の霊的レベルを推
し量ることができます。

 こうした当たり前の基本的なチェックが行きわたるならば、現在世間に知られている霊能者
の大半は、いずれ間違いなく姿を消すことになるはずです。

偽物に騙され、翻弄(ほんろう)される人々
 スピリチュアリズムの霊的真理を知らない多くの人々は、霊界通信(チャネリング)や霊能者
(チャネラー)に対する基本的なチェックができないために、偽物にまんまと騙されてしまいま
す。

私達にとってはバカバカしく思われるようなニセ霊界通信やニセ霊能者の言うことをまともに受
け入れ、信じ込んでいます。また精神世界や心霊世界に関心を持つ若者やニューエイジャー
達も、いかがわしい霊界通信や宇宙人(?)からの通信に惑わされています。 

 そうした人々には、通信の内容を見極める最低の目さえありません。何が本物で何が偽物
かの区別がつかないのです。ましてや、それがどの程度の霊的レベルにあるかの判断などは
下しようがありません。その結果、独りよがりの思い込みの世界に陥って、“低級霊”にいいよ
うに翻弄されてしまうことになるのです。

ニセ霊界通信やニセ霊能者の「上手な嘘」
 ニセ霊界通信やニセ霊能者の問題は、スピリチュアリズムの「霊的真理」によってのみ解決
されます。私達スピリチュアリストには、高級霊によって明かされた霊的真理に基づいて、通信
や霊能者の真偽を的確に見抜く判断力が与えられているのです。

 しかしスピリチュアリズムに導かれたものの、いまだ霊的真理についての理解が十分でない
人々の場合は、世間一般の人達と同じように、ニセ霊界通信やニセ霊能者に騙されることに
なります。

彼らの言うことをそのまま受け入れ、本物と錯覚してしまいます。真偽に対する「霊的判断力」
がないために、本物と偽物の区別ができないのです。せっかくの霊的真理を、十分に活用する
ことができないのです。

 中途半端な真理の理解では、なかなか偽物を見抜くことはできません。「少しでも真理を知っ
ていれば、それだけ判断力がついているはずだ」「嘘かどうかぐらいは見抜けるはずだ」と思わ
れるでしょうが、現実にはそうはいかないことが多いのです。結局、何も知らない一般の人達と
同じように、偽物に騙されてしまうことになります。 

 では、どうしてそのようなことになるのでしょうか。それは低級霊やニセ霊能者が、霊的真理
を材料にして「上手な嘘」をつくり上げるからなのです。彼らは霊的真理を巧妙に利用して、も
っともらしい言葉を並べ立てます。

愛の素晴らしさを語り、困った人々への奉仕の大切さを語り、弱い人には優しく手を差し伸べ
るべきであると訴えます。また、常にほほ笑みを絶やすことなく、前向きに明るく過ごすようにと
教えます。

さらには守護霊への感謝、ならびに神への祈りを通して心をゆったりさせることの大切さを口
にすることもあります。彼らは、高級霊の霊界通信と同じような素晴らしい内容を次々と語るの
です。 

 初めてそうした言葉を耳にした多くの人々は、深い感動を覚えるはずです。きっと目映(まば
ゆ)いばかりの輝きを感じることでしょう。そして、「何と素晴らしい霊界通信なんだろう」「何と素
晴らしい霊能者なんだろう」と思うに違いありません。ニセ霊能者を聖人のように尊敬し、崇拝
するようになるかも知れません。

詐欺(さぎ)師と、ニセ霊能者の手口は同じ
 詐欺師は、自分を信用させるために、他人の不正をわざわざ声を大にして非難します。それ
によって周りの人々に、自分を正義の人間であるかのように思わせようとするのです。そして
彼らは、さも誠実な人間であるかのように振る舞います。さらには「自分は皆さん方の幸福の
ために貢献したいのだ」と訴え、人々の心をつかもうとします。

 詐欺師は、たえず正義心と誠意と思いやりに満ちあふれた言葉を連発します。人々はその
言葉を聞いて安心し、満足し、喜びを感じるようになります。こうして、いつの間にか詐欺は進
行していくのです。人々の心を引きつける「上手な嘘」によって、詐欺師は周りの人間を騙すこ
とに成功するのです。

 実は、低級霊やニセ霊能者も、これと全く同じ手口を用いるのです。彼らは、意図的に詐欺
行為を働いているのです。低級霊やニセ霊能者という詐欺師は、心霊世界や心霊現象・占い・
前世などに対する人々の好奇心に付け込み、まことしやかな嘘で騙そうとします。

 私達がよくよく心しておかなければならないことは、現在、世間で見かける霊界通信や霊能
者のほとんどは、「上手な嘘」を巧みに利用している“偽物”であるということです。

 低級霊は、自分の通信を高級霊からのものであると信じ込ませるために、意図的に「霊的真
理」を語ります。話の中にわざと真実を盛り込みます。一方、地上のニセ霊能者も「霊的真理」
を次々と並べ立てます。

現在では、誰もがすぐに嘘だと分かるようなことを平気で口にする霊能者はいません。一昔前
と違って、少しずつ霊的真理が世間に知られるようになってきているからです。こうした低級霊
や霊能者の手口を見抜けない大半の地上人は、彼らの言うことを鵜呑みにしています。

 アメリカにおけるチャネリングの流行や日本での新新宗教の勢力拡大、そして心霊ものの書
物のベストセラーなども、すべてこれと同じ状況のもとで行われているのです。地上人の無知
に付け込み、意図的に真偽を取り混ぜた“狡猾(こうかつ)な詐欺”が、大手を振っているので
す。

スピリチュアリストも簡単に騙される
 このように低級霊やニセ霊能者は「上手な嘘」を演出することで、人々を騙すことに成功しま
す。話のすべてが真実でなくとも、部分的に素晴らしい言葉・感動的な言葉を盛り込むことで、
純情で無知な人々は、いとも簡単に騙されてしまうのです。

 話のほとんどが嘘であっても、その中にわずかでも霊的真理と一致するような内容があれ
ば、純情な人間は、相手を否定できなくなってしまいます。10のうち、たった1つでも正しいも
のがあれば、信じてしまうのです。こうして9つの嘘と1つの真実によって、多くの人々は見事に
騙されることになります。(*『神との対話』などが、こうしたものの典型と言えます。)

 もし低級霊やニセ霊能者の話が、50%の真実と50%の嘘でつくられていたならどうでしょう
か。話の半分が素晴らしい内容・感動的で心を打つ内容であるならば、おそらく大半の人々
は、その言葉を信じることになるでしょう。

すでにスピリチュアリズムを知っている人であっても、(相手の話は、どこかおかしいと思いつつ
も)結局、信用してしまうのではないでしょうか。もしかしたら、この通信や霊能者はかなり正し
いことを言っていると、好意的にとらえてしまうかも知れません。このように5つの嘘と5つの真
実によって、大半の人々はもとより、スピリチュアリストでさえも騙されるようになるのです。

 では、話の内容の90%がスピリチュアリズムと一致している場合はどうでしょうか。おそらく、
ほとんどのスピリチュアリストが騙されることになるでしょう。その霊界通信や霊能者の言うこと
は、本当に素晴らしいと思うに違いありません。全体の素晴らしさに比べたら、少々の間違い
など取るに足りないように感じられ、彼らのすべてを好意的に見るようになることでしょう。

少々の嘘なら問題ない?
 通信霊や霊能者が未熟な場合には、知らず知らずのうちに間違いを犯してしまうことがあり
ます。しかし、それはどこまでも意図的にしていることではないため、その間違いが、結果的に
大きなマイナスをもたらすことはありません。修正も簡単にできます。

 ところが低級霊やニセ霊能者の場合は、それとは全く性格が異なっています。彼らはどこま
でも、ある目的のためにわざと嘘を言っているのです。彼らのすべては「悪質な動機」から出発
しています。そして困ったことに、そうした悪質な嘘も、同時に語られる素晴らしい言葉によっ
て、その本質(実体)がいつの間にか見えなくなってしまうのです。

 大多数の人々(スピリチュアリストも含めて)は、語られる言葉の9つが真実であるならば、1
つくらいの間違いは大したことではないと思いがちです。小さな間違いに目くじらを立てること
は、むしろ偏狭な態度であると考えてしまいます。しかしそう考えることが、すでにまんまとニセ
霊能者の手口に乗せられているということなのです。ニセ霊能者の思う壷にはまっているので
す。

 善良な人々は、低級霊やニセ霊能者による意図的な詐欺は「いつか必ず深刻な害を引き起
こすことになる」という事実に全く気がついていません。

“詐欺”に利用されるスピリチュアリスト
 スピリチュアリストには善意の人々が多いだけに、こうした「上手な嘘」に騙されやすいと言え
るかも知れません。その善良さが、意図的に不正を行う相手の本性を見抜く洞察力を鈍らせ
ることになってしまいます。そして時には、彼らの嘘の片棒をかつぐようなことにもなってしまい
ます。

 アメリカのニューエイジにおけるチャネリングブームの火付け役を果たしたシャーリー・マクレ
ーンも、こうしてニセチャネラーにまんまと騙され、利用されたのです。その結果、多くの人々に
間違いを広めるという大失態を演じてしまいました。

シャーリー・マクレーンが人生の教師として尊敬し仰ぎ、人々に宣伝してまわっていたチャネラ
ーは、実はニセ霊能者だったのです。

 これと似たような状況は、日本においてもよく見受けられます。未熟なスピリチュアリストが、
ニセ霊界通信やニセ霊能者を、わざわざ世間に売り出す手助けをしています。霊的真理を知
らない人が、ニセ霊能者の「上手な嘘」に騙されるのは仕方がないとしても、本来ならば彼らの
嘘を真っ先に見抜いて糺(ただ)すべき立場に立っているスピリチュアリスト自身が、まんまと
騙されているのです。その上、ニセ霊能者に加担するような情けない実状があるのです。

 ニセ霊能者の語る内容に対して  「それほど悪いことは言っていない」「少々間違ってはい
ても、結局スピリチュアリズムの宣伝になっているのだからいい」などと、さも分かったようなこ
とを言う人がいます。

しかしそうした人々は、スピリチュアリズムが担う重大で深刻な使命を全く理解していないので
す。低級霊やニセ霊能者の上手な嘘を見抜くことができるのは、霊的真理をしっかり身につけ
た「本物のスピリチュアリスト」以外にはありません。

「上手な嘘」を見抜くためのポイント@  メッセージをトータル的に検証する
 霊的真理を悪用した「上手な嘘」を見破るポイントは  「彼らが意図的に盛り込む10%、あ
るいは5%の嘘の部分を、いかに的確に見抜くか」という点にあります。なぜならそのわずか
5%の中に、「霊的真理」を根本から引っ繰り返すような内容が込められているからです。たっ
た5%によって、メッセージ全体の最終的な方向性が決められていることが多いからです。

ほんのわずかな嘘を、実に巧妙に、狡猾に利用するのが彼らの手口なのです。したがって嘘
の分量は全体のわずか5%に過ぎないとしても、実際のウェイト(事の重大性)としては80%に
も90%にも当たるのです。

 これは幸福の科学や統一教会の教義を例として見れば、はっきりと理解されるはずです。

(*ニューズレター3号参照)そこでの教えの多くは、スピリチュアリズムと共通しているにもか
かわらず、結論においては、スピリチュアリズムとは似ても似つかないものになっています。ス
ピリチュアリズムでは、「地上のいかなる人間も崇拝の対象としてはならない」と言っています
が、幸福の科学や統一教会では、教祖という一人の人間を、“降誕仏陀”としたり“再臨のメシ
ア”として崇拝するようになっています。スピリチュアリズムから最も懸け離れたことが、“教義
の一番の中心・核心”となっているのです。程度の差はあれニセ霊能者も、これと同じようなこ
とをしています。

 こうした巧妙な不正を的確に見抜くためには、霊的真理の全体を正確に理解していなければ
なりません。相手が放つメッセージの結論が、最終的にスピリチュアリズムと一致しているかど
うかを厳しくチェックしなければなりません。

全体的な観点から、スピリチュアリズムとの食い違いを検証しなければならないのです。部分
的な言葉の共通性ではなく、全体的な方向性や結論を見抜かなければならないということなの
です。
 それはスピリチュアリズムの霊的真理の全体を、正確に理解していることによってのみ可能
となるのです。相手の言うことを上から見下ろし、すべてを的確に判断する力を持っていなけれ
ばできないことなのです。

 もし相手の言葉の中に霊的真理と異なる内容がある場合、それが単なる未熟さから出たも
のなのか、あるいは意図的に仕組んだものなのかを、間違いなく判断できなければなりませ
ん。こうした鋭い洞察力が要求されるため、中途半端な真理の理解では、全く役に立たないの
です。

 ニセ霊能者の中には  「霊界通信(チャネリング)の価値は、そのメッセージ性にある。メッ
セージの中身が重要なのであって、誰が語るのかは問題ではない」などと、シルバーバーチの
言葉を悪用して自己正当化を計る者もいます。こうした点にも注意が必要です。

 霊界通信(チャネリング)の価値は、確かにメッセージの内容そのものにあります。しかしそ
のメッセージの真価は、全体としての方向性・正当性によって決定されるものなのです。もしメ
ッセージの一部分だけを取り上げて、「こんなに素晴らしいことを言っている。

シルバーバーチと同じことを言っている」と主張しても、結論は全く正反対のこともあるのです。
シルバーバーチの言葉(真理)を利用して、一人の地上人のカリスマ確立を目指したり、法外
な金儲けを正当化することもできるのです。スピリチュアリズムをダシにして、自分を売り出す
こともできるのです。

 したがってメッセージの判断は、どこまでもトータル的な観点からしなければなりません。相手
のメッセージを全体的に検討したときに、はじめて意図的に潜り込ませた“5%の嘘”が明確に
なります。シルバーバーチはよく  「理性を用いて通信内容を徹底して検証しなさい」と述べて
いますが、それをなすためには、こうしたトータル的な判断力が必要となるのです。

「上手な嘘」を見抜くためのポイントA  現実の行動・生活態度を検証する
 巧妙な嘘を見抜くための2つ目のポイントは  「それを語るチャネラー・霊能者の実際の行
動・生活態度を注意深く観察する」ということです。人間は、言葉ではどれだけでも立派なこと
が言えます。しかしそれが本心でないときには、現実の行動・生活の中で必ずボロを出すもの
なのです。その人間の本性は、特に金銭に対する姿勢や名誉心などに端的に現れます。

 シルバーバーチがたびたび述べているように、人間の価値はどのような言葉を語るのかでは
なく、どのような行為をするかによって決定されますが、本人の動機や真実の姿は、現実の行
動・日常の生活態度に現れてくるものなのです。

その霊能者の日常生活が、スピリチュアリズムの教えどおりになっているか、少なくとも真理に
添う努力をしているかをチェックさえすれば、本物かどうかの判断は簡単にできるようになりま
す。

 霊界通信と霊能者の使命は  「人々の霊的成長を促し、霊的成長に貢献する」ということに
集約されます。霊界通信や霊能者が本物であることの証は、この崇高な霊的目的の方向性と
一致しているかどうかにおいて明らかにされます。

言い換えれば  「スピリチュアリズムのために正しく貢献しているかどうか」において、本物か
否かが決定されるということです。

 なかには、いまだスピリチュアリズムを知るまでに至っていない霊能者もいますが、その場合
は本人が、ひたすら謙虚に、自分の利益を求めることなく、人々のために精いっぱいの奉仕を
しているかどうかによって真偽が判断されることになります。

 そしてスピリチュアリズムとの係わりができた時点から、その霊能者は、何も知らない霊能者
とは全く異なる立場に立つことになります。スピリチュアリズムを知ったということにおいて、言
い逃れができない重要な責任を負うことになるのです。スピリチュアリズムの普及のために貢
献することが、無条件に責任として課せられるのです。

 したがってスピリチュアリズムと出会った霊能者は  「自分の利益を優先するのか」「スピリ
チュアリズムの普及という大義を優先するのか」という選択を迫られるようになります。言うまで
もなくスピリチュアリズムに係わる霊能者は、後者でなければなりません。

 もしスピリチュアリズムを知った霊能者が、自分の霊能を売り出すためにスピリチュアリズム
を利用するということになれば、最も悪質な行為をしていることになります。しかし現実には、そ
うした霊能者が実に多いのです。その理由は、彼らの霊能者としての出発点が、人々のため
に貢献しようとすることより、自分自身の利益追及のためにあったからなのです。 

 霊能者の動機は、時の経過の中で徐々に表面化していくことになります。つまり時間ととも
に、彼らの動機の不純さが、はっきりと外部に現れるようになるということです。「本当にスピリ
チュアリズムへの貢献を願っているのか」、あるいは「自分の利益追及だけを考えているのか」
は、日常生活の中で明らかにされるようになるのです。

 スピリチュアリズムへの貢献の思いが真実なら、大衆に迎合し、マスコミや世間受けを狙うよ
うな醜い行動に走ることはないでしょう。スピリチュアリズムの本質をねじ曲げて、スピリチュア
リズムの権威を地に貶(おとし)めるようなことはしないはずです。

スピリチュアリズムを語るニセ霊能者は、スピリチュアリズムの最大の敵
 巧妙で上手な嘘には、目映(まばゆ)いばかりの霊的真理がぎっしり詰まっています。そのた
め実に多くの人々が、見事に騙されてしまいます。もちろん騙される側の人にとっては、たとえ
偽物であってもその霊能者との出会いが、それなりのプラスをもたらすというようなことがある
かも知れません。わずかではあっても真理に触れることができるという意味で、ニセ霊能者で
あっても、いくらかの役に立っているかも知れません。 

 とは言っても、そのことがニセ霊能者の存在を正当化する理由にはなりません。必要悪とし
ての存在価値があるということにはならないのです。人々の霊的成長という点から見たとき、プ
ラスよりも、はるかに大きなマイナスを生み出しているからです。結果的には、何の益にもなら
ない体験・不要な苦しみの体験をつくり出すことになるからです。 

 スピリチュアリズムを利用して自分の利益を計ることは、スピリチュアリズムに対する敵対行
為です。ニセ霊能者を信じたことによって、本当ならばスピリチュアリズムにまっすぐ導かれる
べき時期のきた人が、わざわざ遠回りさせられるようなことになるかも知れません。

正しい真理の理解を妨げ、スピリチュアリズムに至る道を閉ざしてしまうようなことになるかも
知れません。このようにニセ霊能者の存在は、明らかに重大な弊害をもたらすことになるので
す。 

 深刻な問題は、スピリチュアリズムを安売りすることによって、スピリチュアリズムを冒涜(ぼ
うとく)し、その権威を地に貶(おとし)めるようになるということです。霊能者は本来なら、スピリ
チュアリズムが単なる霊現象や霊感占いなどとは全く異なる、きわめて真面目な人生の努力で
あることを教えなければならない立場に立っています。

スピリチュアリズムとは「霊的真理に基づく崇高な生き方」であることを、世間に示さなければな
らない役目を担っています。

 それなのにスピリチュアリズムを知った多くの霊能者は、現実には全く逆のことをしていま
す。意図的に霊的真理を悪用するニセ霊能者は、まさに恐ろしい罪つくりをしています。当然、
将来においては、それに見合った償いの道を歩まざるを得なくなるでしょうが、彼らこそ、シル
バーバーチが言うところの  「スピリチュアリズムの最大の敵」なのです。

今後もなくならないニセ霊能者
 残念ながら、今後もこうしたニセ霊能者がなくなることはありません。魂を低級霊に売り渡す
ようなニセ霊能者が、今しばらくは横行することを覚悟しなければなりません。

 その最大の原因は、物欲に染まった世間の人々が、低俗なことを霊能者に期待し要求する
という現実があるからです。そうした人々の醜い欲望に支えられて、霊能者は容易に人々を騙
し、簡単にお金や名誉を手にいれることができるのです。

ニセ霊能者にとっては、何の努力もせずに金銭欲や虚栄心を満たすことができるため、間違
っていると知りつつも、ズルズルと不正を続けていくことになるのです。

 そのようなニセ霊能者の背後から、低級霊の強い働きかけがなされるようになります。低級
霊は、彼らの低俗な欲望を利用して、いいように操るのです。霊界からニセ霊能者を煽り、ス
ピリチュアリズムの発展を阻止しようと企むのです。

ニセ霊能者はそのための、実に都合のいい手足なのです。大半の霊能者は一般の人々と同
様に、金銭欲・物欲・名誉心といったこの世の誘惑にとても弱いのです。そして霊的に未熟であ
るために、煩悩の誘惑に打ち勝つことができないのです。
 
 ニセ霊界通信やニセ霊能者がはびこる現在の未熟な地上世界においては、私達スピリチュ
アリストが、常に彼らの動きに目を光らせていなければなりません。ニセ霊能者の行動を牽制
し、彼らの存在は、本当のスピリチュアリズムとは無関係であることを、人々に訴え続けなけれ
ばなりません。

 とは言っても、低俗な欲望の虜(とりこ)となったニセ霊能者によって、スピリチュアリズム全
体の発展が阻止されるようなことはありません。スピリチュアリズムは、霊界からの援助を背景
とした「本物のスピリチュアリスト」を中心として、地上への強力な働きかけを展開していくことが
できるからです。

不正を行う人間が多数であったとしても、真のスピリチュアリズムの足場となる人間がいるなら
ば、何も心配する必要はないということなのです。 


霊的身体とチャクラについての誤解


 1 霊的身体についての誤解



古神道の四魂説と、神智(しんち)学の身体観
 現在のスピリチュアリズムにおいて、誤解されがちな問題の一つが、人間の霊的身体につい
ての見解です。“古神道”では人間の身体構成を「四魂説」で説いていますが、この四魂説がス
ピリチュアリズムの身体観と一致すると考える人々がいます。

四魂説でいう荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)は、
肉体・幽体・霊体・本体(神体)に相応すると言うのです。四魂説では、肉体以外に3つの霊的
身体の存在があるということになりますが、浅野和三郎がこの四魂説を主張したことはよく知ら
れています。その浅野和三郎の影響が、現在の日本のスピリチュアリズムにも引き継がれて
います。

 またスピリチュアリストの中には、“神智学”の身体観をそのまま信じている人々もいます。神
智学では、肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体といった複数の霊
的身体があって、それらが肉体に重複しているとします。その「多次元的身体」から、それぞれ
異なるオーラが放射されていると言います。


*さらにはR・シュタイナーは、神智学から出て、別の身体観をつくり出しました。シュタイナー
も、神智学同様、多次元的な身体観を説いています。シュタイナーは、肉体以外に、エーテル
体・アストラル体といった霊的身体の存在を主張していますが、それらは神智学と同じ名称を
使いながらも、内容的には異なったものとなっています。
 この他にも、さまざまな宗教で独自の身体観が説かれています。


「神智学の身体観」と「スピリチュアリズムの身体観」は一見似ているが……
 このうち最もスピリチュアリスト達に影響を与え、誤解と混乱を生じさせているのが神智学の
身体観です。スピリチュアリズム関連の書物の中で、神智学の「多重身体観」が取り上げられ
解説されることがあります。

そこでは神智学の身体観は無条件に正しいものとして紹介されています。そのため多くのスピ
リチュアリストが、スピリチュアリズムの身体観と神智学の身体観は同じものであると錯覚する
ようになっています。

 重要な結論を言えば、神智学や古神道の身体観と、スピリチュアリズムの身体観(*特にシ
ルバーバーチの身体観)は、一見似ているようで、実は本質的な違い・根本的な違いがあると
いうことです。この違いを明確にすることは、スピリチュアリズムをより深く理解することに通じ
ます。

 以下では、シルバーバーチの説明を手がかりにして、スピリチュアリズムの正しい身体観を
見ていくことにします。

「霊界の界層」と「霊的身体」の関係
 身体は、神の分霊である人間の「霊(真我)」にとっての表現形式の一つです。身体は霊とい
う無形の分霊を表すための個性的な表現形式で、霊を種子とすれば、それを包む果実と考え
られます。地上人にとっての身体は2種類あり、すでにご存じのように霊的身体と肉体がそれ
に相当します。

死後の世界において用いる身体が霊体であることは、スピリチュアリズムにおいては常識で
す。霊体について今さら何の説明が必要なのかと思われるに違いありませんが、この「霊的身
体」に対する見解が、現在の多くのスピリチュアリストの間に、誤解と混乱を引き起こしている
のです。

 死後の世界(霊界)が、さまざまな界層からできていることは、スピリチュアリズムを学んだ方
ならば誰もが知っています。霊界はバイブレーションの異なる多くの界層から成り立っていま
す。そしてそれぞれの界層には、その世界にふさわしい霊的成長を遂げた霊達が住んでいま
す。

すなわち高い世界には霊的に進化した霊達が住み、霊界の下層には霊的進化の程度が低い
霊達が住むというように、はっきりとした住み分けがなされているのです。高級霊の霊的身体
は、高い世界に見合った精妙なバイブレーションをともない、低級霊の霊的身体は、低い世界
に合った粗雑なバイブレーションをともなっています。 

 さて死後の世界である霊界ですが、ある人は霊界は大きく3つの界層から成り立っていると
言い、別の人は7つの界層から成り立っていると言います。また9つの界層から成り立っている
と言う人もいます。

このうち最も多く信じられているのが、7つの界層から成り立っているという見解です。マイヤー
スやインペレーターは、世界は物質世界を含め7つの界層から、そして神智学も、世界は7つ
の界層から成り立っているとしています。


*厳密に言えばインペレーターは、世界を3つに分け、それぞれの世界は7つの界層から成り
立っていると言います。そして地球は、一番下の世界の7つある界層の最上層の世界であると
しています。つまり地球の位置する世界の上に、さらに7つの界層を含む2つの世界があるとし
て、トータル21の界層を想定しています。

 またコナン・ドイル霊は、地球の上に、それぞれ3つの界層からなる幽界・霊界・神界と1つの
超越界があるとして、10の死後の界層の存在を述べています。


 霊界で使用する霊的身体は、各界層に適合する材質からなる身体と考えられます。したがっ
て界層が4つあるなら4つの異なる霊的身体が必要になり、界層が7つであるなら7つの異なる
霊的身体が必要になるということです。

こうした見解は、とても理論的で筋が通った説明のように感じられます。事実、大半のスピリチ
ュアリスト達がそのように考えています。しかし、この見解には大きな矛盾があるのです。 

霊界は、グラデーション的変化をともなう一つの世界
 ここで問題としなければならないのは、状態の異なるそれぞれの界層は、明確に区切られて
いるかどうか、明確な境界線があるかどうか、ということです。7つの界層というと普通は、7つ
の別々の層が、上へ上へと積み上げられているようなイメージを描きがちです。

バームクーヘンを大きくしたような、地理的に層をなしている状態を思い浮かべます。多くの
人々は無意識のうちに、この7つの界層には区切りがあると考えているのです。

 一方、スピリチュアリズム関係の多くの霊界通信では、界層の境界は明確なものではないと
しています。7つの世界があるといっても、それは虹のように上下の界層が交じり合って連続し
ていると言うのです。「上下の界層間には明確な境界線は引けないが、全体的に見ると、虹が
7色から成り立っているように区分がある」と言うのです。

 スピリチュアリズムでは“界層”という言葉を用いていますが、それはどこまでも便宜上、使っ
ているに過ぎません。現実には  「霊界は一つの世界であり、それがグラデーション的に状態
が変化している」ということなのです。シルバーバーチは、次のように明快に述べています。


「霊界は7つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいます
が、そのようなものではなく、すべてが融合し合っているのです。」  (シルバーバーチ8・95)


「私はその“7つの界”とやらを知りません。第1から第7まで番号のついた界というものを私は
知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしている
ということです。」  (最後の啓示・51〜52)


霊体は、グラデーション的変化をする一つの身体
 霊界における状態の異なった場を界層と名付けるならば、グラデーション的変化をともなう霊
界は、無数の界層から成り立っているということになります。3つだ7つだ、9つだというようなも
のではなく、無数の界層が存在するということです。

その無数の界層には、それに見合った霊的レベルの霊達が生活しています。ここまで言えば、
人間には3つの霊体がある、7つの霊体があるという考え方の矛盾に気がつかれるはずです。

 霊界が無数のグラデーション的変化をともなう世界ならば、そこに住む人間の霊的身体も、
無数のグラデーション的変化をしなければなりません。霊界の無限の状態変化に対して、人間
の霊的身体も無限の変化をして初めて適応することができるようになります。

これが霊的身体について考える際の、一番の原則であり、最も重要な点なのです。人間の霊
体は、3つ、7つというように複数あるのではなく  「グラデーション的に変化する一つの身体
である」ということがポイントなのです。

 とは言うものの、シルバーバーチ自身が、人間には多くの身体があって、死後それを脱ぎ捨
てていくというような言い方をしている箇所があります  「あなたには沢山の身体が備わってい
ます」(シルバーバーチ8・104)

 これを文字どおり受け取るならば、シルバーバーチの身体観は、神智学や古神道の身体観
と同じということになってしまいます。しかし『シルバーバーチの霊訓』は、神観を理解するときも
そうであったように、一部の言葉だけを鵜呑みにすると、大きな誤解をしてしまうことになりま
す。他の説明箇所も含めて、トータル的に判断しなければなりません。この場合も、まさにそれ
が当てはまるのです。

 私達は、シルバーバーチの次のような別の言葉に注目しなければなりません  「あなたは
常に、その時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそ
ういう過程をたどります。それが無限に続くのです」(シルバーバーチ8・104)「一連の身体が
あり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますが、それも一個の霊が顕現したも
のなのです。用語に惑わされてはいけません」(シルバーバーチ8・106)

 シルバーバーチは、3つ、7つというような独立した複数の身体の存在を肯定しているわけで
はありません。

「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意は?
 シルバーバーチは  「そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ捨てます」
(シルバーバーチ8・104)と言っています。この言葉をそのまま受け入れるならば、霊界では、
霊的進化につれて古くなった霊体を脱ぎ捨て、新しい霊体をまとって次の界層に行くということ
になります。

 霊的身体はグラデーション的変化をしながら、さまざまな様相を示すことになるという基本的
原則を正しく理解していないと、シルバーバーチの「霊体を脱ぐ」という表現に惑わされ、ここで
も大きな勘違いをすることになってしまいます。シルバーバーチの「古い霊的身体を脱ぎ捨て
る」という言葉の真意を理解するためには、次の説明を正しく知っておくことが必要です。 

「自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が高い要素に、その場を譲って
いくのです。何度も死に、何度も誕生するのです。幽体は肉体の死と同じ過程で失われていく
のではありません。低級なものが消えるにつれて浄化され、精妙になっていくのです。それが
幽体の死です。そもそも死とは、変化であり復活であり、低いものから高いものへの上昇で
す。」 (シルバーバーチ4・128)(*下線は筆者記)


*ハート出版『不滅の真理』の218頁には  「人間には幾つもの霊的身体が備わっているわ
けです」とあります。この原文は、“You have bodies.”であり、文脈から判断すれば霊体と肉体
の2つの身体と考えなければなりません。それを幾つもの霊体としたのは、明らかな誤訳で
す。
 全く同じ原文が、潮文社『シルバーバーチ第3巻』の195頁、2行目では  「幾つかの身体
が備わっているわけです」となっています。こちらが正しい翻訳です。


「肉体の死」と「幽体の死」の違い
 ここ(シルバーバーチ4・128)では、「幽体の死」についての説明がなされています。シルバ
ーバーチは、「幽体の死」は、「肉体の死」とは異なると明確に述べています。
 まず「肉体の死」ですが、これは言うまでもなく、霊的身体が「肉体という古くなった身体(衣)
を、文字どおり脱ぎ捨てること」です。霊体と肉体という2つの身体が、永遠に分離することです
(図1)。
 
一方「幽体の死」については、幽体にも死の状態があるが、その死は「肉体の死」とは内容的
に異なると述べています。すなわち幽体の死とは、肉体の死のように「古くなった身体を脱ぐこ
とではない」と言っているのです。「幽体の死」とは、新旧2つの身体が永遠に分離するというこ
とではないのです。

(図1)霊体と肉体の分離  

*霊的身体は一つですが、それが地上人の場合や死後間もない霊の場合は、幽体と呼ぶこと
があります。つまり霊体の低い状態のことを幽体と言っているだけのことで、全く同じものなの
です。


「幽体の死」とは精妙化のプロセスのこと
 シルバーバーチは、「幽体の死」とは、浄化であり精妙化のプロセスであるとも言っています。
これは新しい身体が古い身体を脱ぎ捨てるのではなく、一つの身体の状態が変化することを
意味しています。

私達の肉体は、古い細胞を捨て去り新しい細胞をつくり出しながら、常に同じ一つの身体を維
持しています。外皮のすべてを一度に剥ぎ取って、突如新しい身体が生まれるわけではありま
せん。

 幽体の変化も、これとよく似ています。幽体は、古い衣服を脱ぎ捨てるように変化するのでは
なく、幽体の古くなった幽質細胞を捨て去り、新しい幽質細胞に徐々に場を譲っていくプロセス
で変化していきます。それをシルバーバーチは比喩的に、「古い身体を脱ぎ捨てる」と言ったの
です。つまり「状態の変化・身体の精妙化」ということを指しているのです(図2)。

(図2)同一体(霊体)の変化

 霊界では、こうした「幽体の死」と同じプロセスが、永遠に続いていきます。霊的な進化にとも
ない、自動的に霊的身体の精妙化という過程が続くということなのです。こうして一つの霊的身
体はグラデーション的に変化し、無限の変化の様相を持つことになります。この一連の変化を
時間をおいて観察すれば、別々の身体をまとっているように見えるのです。

「幽質接合体」の脱ぎ捨て
 地上人は、多くの霊体を重ね着しており、霊界での進化にともないそれらを一枚ずつ脱ぎ捨
てていくという、一般的に信じられている身体観の間違いが明らかになりました。霊体はそれ自
体が変化していくのであって、脱ぎ捨てるという文字どおりのプロセスがあるわけではありませ
ん。

 さて、ここでは「脱ぎ捨てる」という表現がまさにそのまま当てはまるような、特別な事例を取り
上げることにします。それが死の直後に生じる、「幽質接合体」の脱ぎ捨てなのです。 

 スピリチュアリズムでは一般に、人間を、霊体と肉体の二重構造の存在と説明します。そして
“死”とは、霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れ、2つの身体が永遠に分離することだと言
っていますが、次に地上人の身体構成を、もう少し詳しく見ていくことにします。

 実は、霊体と肉体という2つの身体の中間に、これらを結合する「幽質の中間身体」が存在し
ています(図3)。幽質でできた衣のような接合身体と言ってよいでしょう。霊体と肉体という2つ
の身体を結ぶ“接着剤”が、身体のような形をしている状態を思い浮かべたら分かりやすいと
思いますが、そうした中間体があるのです。

その中間身体は、肉体に近い部分は物質性が濃厚で、霊体に近いところは幽質に近い状態と
なっています。全体として見れば半物質・半幽質の中間身体と言えるでしょう。


(図3)地上人の身体構造 

  (図4)地上人の睡眠中の身体状態 


  (図5)死後の霊体と幽質接合体の分離


 睡眠中の幽体離脱時には、この中間接合体が分離し、シルバーコードが形成されます(図
4)。シルバーコードは無限に伸びる不思議な性質を持っていますが、肉体の死にともない、切
断されることになります。

その際、接合体の一部は霊体の外皮のような形で、霊体に引っ付いていきます。地上の時間
にして数日間ほどは、霊体は「幽質接合体」という外皮をまとい、そして徐々に、この外皮を脱
ぎ落としていくことになります(図5)。この外皮は、マイヤースが言っているダブル(複体)の“ハ
スク”に相当します。

 もし、この幽質の外皮が拭えないと“自縛霊”になり、いつまでも地上臭を持ち続けることにな
ります。(*実際は、自分自身の意志が外皮を脱ぐことを阻害しているのです。)
 普通は死の自覚とともに、幽質の外皮は自動的に脱げ落ちるようになり、純粋な霊体だけの
存在になって、新たな霊界での生活を始めることになります。

 この幽質の外皮(接合体の遺物)が霊体から分離されるプロセスは、まさに文字どおり「古い
衣を脱ぎ捨てる」のと同じ状況になっています。あるいは「さなぎが蝶に脱皮する」状態にたとえ
ることもできます。

 脱ぎ捨てられた接合体の遺物(幽質外皮)は、時間とともに分解していきます。しかし、もとの
持ち主である“霊”が、何らかの意識を向け、霊的エネルギーを注ぎ込むようになると、捨てら
れた遺物が操り人形のように活動を始めるようになります。これが霊視能力のある人には“幽
霊”として認識されることになります。


*一般に“幽霊”と言われるものには、2つのケースがあります。一つはここで取り上げた、幽
質外皮がリモートコントロールされたような状態で動き回るというものです。
 もう一つのケースは、低級霊・自縛霊が、地上人から霊的エネルギーを奪って物質化したも
のです。


高級霊の「仮の霊的身体」の着脱
 これ以外にもう一つ、「霊体を脱ぎ捨てる」という言葉がピッタリのケースがあります。高級霊
は、高級霊界から仕事のためにわざわざ地上圏に降りてくることがあります。シルバーバーチ
をはじめとする多くの高級霊達は、スピリチュアリズムの大事業推進のために、本来の高い霊
界から地上圏の霊界に降り、活発に活動しています。

 その際、一時的にその界層に見合った「仮の幽質外皮」を身にまとうことになります。地上圏
に身を置くためには、その界層の幽質を素材として仮の身体をつくり上げ、それを身につける
ことが必要となるのです。

そして再び本来の高い世界に戻るときには、その仮の外皮(幽質衣・幽質身体)を脱ぐことにな
ります(図6)。まるで地上人がコートを脱ぐように、「幽質衣(幽質身体)を脱ぎ捨てる」のです。
そしてまた地上圏の霊界に降りてくるときには、以前脱ぎ捨てておいた幽質外皮を身にまとい
ます。

※(図6)高級霊の仮の霊的身体の着脱

 シルバーバーチは、年2回の高級霊界での大集会に参加するために、地上圏との間を往復
していました。その度ごとに、こうした「仮の幽質身体」を脱いだり着たりしていたのです。高級
霊界の集会に参加するときには、それを脱ぎ捨て、本来の自分の身体状態になって上昇する
ことになります。その際、脱ぎ捨てた「幽質の衣(仮の身体)」には、意識を残し分解しないよう
にすると言っています。

 それは丁度、肉体の死後、霊体から脱ぎ落とされた幽質外皮が、意識エネルギーを投射さ
れることによってしばらくの間、分解を免れる状況と似ています。遺物となった幽質外皮に意識
エネルギーが与えられ、ある種の操り人形・幽霊が出現することになりますが、それと同じよう
なことが、さらに上層の霊界においても行われているのです。

スピリチュアル・ヒーリングの理論化には、「正しい霊的身体観」が不可欠
 スピリチュアル・ヒーリングは、間違いなくこれからの医学(ホリスティック医学)の中心的立場
に立つようになります。スピリチュアル・ヒーリングがそうした立場を確立するためには、スピリ
チュアル・ヒーリングを含めた明確な「医学モデル・医学理論」の確立が必要となります。

 ホリスティック医学が、医学理論を確立する際に最も議論の対象となるのが  「霊の問題
を、いかに明確な形で医学の中に組み込むか?」ということです。

人間は霊性・精神性・身体性の3次元的要素から成り立つ存在である以上、ホリスティック(総
合・全体)的な医学理論の中には当然、霊的なもの・霊的要素が含まれなければなりません。
そしてそれについて重要な手がかりを与えることができるのがスピリチュアル・ヒーリングなの
です。

 これまでも、一部の研究者や医師達によって、ホリスティック医学の総合的な理論化の試み
がなされてきました。その中で、米国人医師リチャード・ガーバーによる新しいホリスティック医
学モデルは、「バイブレーショナル・メディスン(波動医学)」として知られ、現在における最も進
んだホリスティック医学モデルの一つとして評価されています。

 リチャード・ガーバーは、神智学の「多重身体論」を導入して、意欲的に、そして大胆に総合
的な医学理論の確立を目指してきました。彼は、多次元にわたって存在する複数の身体とそ
こを流れるエネルギーを土台として、健康観・病気観・治療観をつくり上げてきました。

それと同時に、これまで存在してきたさまざまな民間療法を、自らの治療メカニズムの観点か
ら解説し、あらゆる治療法がバイブレーショナル・メディスンの中に位置づけされることを証明し
ようとしました。このようにして彼は、壮大な医学モデルをつくり上げました。 

 しかし、そうした彼の総合的な医学モデルも、スピリチュアリズムの観点から見れば、残念な
がらそのすべてが空論に過ぎないことになります。それは彼が、神智学の霊的身体論を理論
体系化の前提とし、理論展開上の出発としているからです。

間違った土台の上に築かれた理論は、いかに壮大な理論体系であっても、すべて事実から懸
け離れたものとなってしまいます。前提とした身体観が間違っていたために、せっかくの労作
も、すべてが空論となってしまいました。

 これからのホリスティック医学には、スピリチュアル・ヒーリングという実践と、それを理論化し
たモデルが必要となってきます。そのためにはスピリチュアリズムの正確な身体観の理解が、
何よりもまず不可欠なものとなるのです。今後のホリスティック医学の発展のために  「スピリ
チュアリズムの身体観」を土台とした医学モデルづくりが、早急に求められることになるので
す。

 2 “チャクラ”についての誤解
 

「チャクラ思想」の影響
 チャクラは、古代インド思想(ウパニシャッド)や、それを踏襲する神智学における重要な概念
です。チャクラは微細身という不可視の身体上にある霊的中枢で、皿状の渦巻き形態をしてい
るとされ、これが回転することによって、プラナーというエネルギーを出し入れすると言われて
います。また瞑想時にチャクラに意識を集中することによってチャクラが開発され、超能力が
身につくとも言われています。

 チャクラを巡っては諸説があり、その数にしても6つから9つといったように、さまざまな解釈
が入り乱れています。チャクラの数については、現在では一般的に7つと考えられています。精
神世界や神秘主義、あるいはニューエイジでは、チャクラの存在は常識のように思われていま
す。また超能力の開発といえばチャクラと瞑想がすぐに取り上げられるほど、人々の間に浸透
しています。

 この“チャクラ”は、これまで見てきた複数の霊的身体論と同じく、現在のスピリチュアリストの
中に大きな影響を及ぼしています。チャクラの存在を無条件に正しいものとして受け入れるよ
うな傾向が見られ、スピリチュアリズム関連の書物には、たびたびチャクラの解説が掲載され
ます。

また海外のスピリチュアリズム関連機関での霊能開発セミナーでも、チャクラの存在が当たり
前のこととして取り上げられ、チャクラについて学び、チャクラを意識した瞑想が取り入れられ
ています。現在の多くのスピリチュアリストは、「チャクラ思想」に洗脳されていると言えるでしょ
う。

“チャクラ”に否定的なシルバーバーチ
 神智学で言うような“チャクラ”という霊的中枢器官が現実に存在するものならば、スピリチュ
アリストがそれを信じたとしても何の問題もありません。

 シルバーバーチには、ありとあらゆる難問が寄せられています。そしてシルバーバーチは、
その一つ一つの質問に誠意をもって答えています。これまで寄せられた多くの質問内容が多
岐にわたることを考えると、当然のこととしてチャクラについても何らかの説明があるのではな
いかと思われます。

チャクラについては霊的能力との深い係わりが指摘されている以上、シルバーバーチがこの
問題に触れないはずはないと思われます。シルバーバーチは、霊体やシルバーコードなど霊
的事実について詳細に、しかも何度も繰り返して述べています。

 ところが膨大な量に上る『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラに関する説明は、全く
といってよいほど見当たらないのです。

 そうした中で唯一、シルバーバーチの“チャクラ”に対する考え方を窺い知ることができる発
言が残されています。有名な英国の女性霊能者ドリス・ストークがシルバーバーチの交霊会に
招待された折に語られたものです。その席でシルバーバーチは、チャクラについて次のような
見解を述べています。


「伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。た
とえばチャクラについて説くことは必ずしも必要とは考えません。」    (最後の啓示・55)


 これによるとシルバーバーチは、チャクラについての世間一般の姿勢に対して、明確な否定
的立場を取っていることが分かります。チャクラを意識した伝統的な霊的能力開発の方法に対
して、シルバーバーチは明確な批判的態度を示しているのです。

もしチャクラについての従来の見解が正しいものなら、あるいはチャクラの開発が霊能力獲得
に本当に効果があるのなら、シルバーバーチがわざわざここまで否定的な見解を述べること
はなかったでしょう。

 シルバーバーチ以外の通信霊で、人間の霊的身体について詳細で分析的説明を身上として
いたのがマイヤース霊です。このマイヤースからの通信にも、不思議なことにチャクラについて
言及した箇所が見当たらないのです。ダブルや神経魂などの極めて細部にわたる霊的身体の
観察の中に、チャクラに関係する内容が見つからないのです。

 こうした状況をどのように考えるべきでしょうか。結論を言えば、“チャクラ”というタントラ・ヨー
ガや神智学で言われてきたような独立した霊的器官は、もともと実在しないということなので
す。霊的事実に対して、常に詳細な説明を心がけているシルバーバーチやマイヤースの霊界
通信にそうした記述が見られないということは、チャクラそのものが存在しないからなのです。

“チャクラ”とは、霊体と肉体の接合点
 とは言っても、『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラを連想させるような記述が全くな
いというわけではありません。例えば  「いにしえの賢人が指摘している“第3の目”とか“太陽
神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一(link up)する場
なのです」(シルバーバーチ6・39)とか、「そこから(ヒーラーのエネルギーが)患者の松果体な
いしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます」(シルバーバーチ6・40)といったようなこと
が述べられています。

 第3の目とか太陽神経叢は、位置的にはチャクラと一致します。しかしこれは、チャクラという
独立器官の存在を示唆するものではなく、従来“チャクラ”と言われてきたものが、実は霊体と
肉体の接合点を、地上サイドから観察したものであることを意味しているのです。

この接点を通って霊体から肉体へ霊的エネルギーが流れ込み、反対に肉体から霊体へもエネ
ルギーが入っていくことになります。この接点は、先に述べた霊体と肉体を連結する「幽質接合
体」に存在します(図7)。


 接点を通って霊体から多くの霊的エネルギーが肉体に流れ込むとき、その接点の状況を霊
的視力で見ると、まるで一つの器官が活発に活動しているように見えます。そこからエネルギ
ーがほとばしって流れ込んでくるように見えるのです。こうして大量の霊的エネルギーが肉体に
流れ込むことにより、霊体に備わっている能力が肉体を通じて部分的に発現されるようになり
ます。これがチャクラ開発にともなう超能力の発現なのです。

睡眠中など、幽体が肉体から離脱する時、シルバーコードによって2つの身体が結ばれていま
す。その際、特別太い2本のシルバーコードがあります(図8)。

 一つが霊体と肉体の頭部(*第3の目の部分)を結ぶもの、もう一つが霊体と肉体の腹部
(*太陽神経叢の部分)を結ぶものです。霊体と肉体は、シルバーコードによって分離中もエネ
ルギーの交換をしています。これは“チャクラ”が、霊体と肉体のエネルギーの通路となる接点
のことであり、霊体と肉体が分離するときには両者を結ぶシルバーコードになることを示してい
ます。

 霊的なエネルギーを接合部に集中的に投射することによって、いっとき接合部が拡大し、急
激に超能力を持つようなことが起こります。またドラッグなどの薬物によっても、部分的に接合
部が広げられ、霊通するなどの現象が生じることがあります。言うまでもなく、こうした形での霊
能力開発は邪道であり、“低級霊”のいいオモチャにされることになります。 



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