◇ニューズレター22号                                 2003年 7月





目 次

スピリチュアリズム普及のために、一身を捧げましょう 

・シルバーバーチの一言の祈り
・スピリチュアリストにとっての、一身を捧げる行為とは
・自分のことを忘れて他人のために
・“滅私奉公”は最も賢い生き方
・シルバーバーチの喝
・自分を犠牲にする覚悟
・口先だけのシルバーバーチファンにならない
・今度こそ本物の決心をしましょう 

 

スピリチュアリズムと先祖供養(シリーズ2)
 あの世から見た地上の先祖供養と招霊会の霊的背景
――霊と招霊に関するQ&A――
 
 1‖死の直後の霊の気持や様子
   ◆霊は自分の死体を見て、
      どのように思うのか
   ◆霊は自分の葬式に出席するのか
   ◆霊は遺族の遺産相続の会合に立ち会うのか
   ◆霊は自分の銅像や石碑がつくられるのを
      喜ぶのか
   ◆霊は地上時代の自分の作品を誇りに
      思うのか
   ◆霊は自分の法事に参加するのか

 2‖霊が出現する場所
   ◆死の直後の霊の、特定の場所への
      執着について
   ◆地縛霊は必ず邪悪霊なのか
   ◆地縛霊は寂しい場所に多くいるのか
   ◆世間でいう“心霊スポット”とは
   ◆地縛霊が特定の場所に居座り続ける
      理由とは
   ◆かつての住居に住み続ける
      地縛霊はいるのか
   ◆心霊スポットを怖がることについて
   ◆地縛霊となった先祖の霊は、
      自分の墓に関心があるのか    
   ◆墓での祈りは、先祖霊に通じやすいのか

 3‖霊が出現する時間
   ◆先祖供養や招霊に都合のいい時はあるのか
   ◆霊は夜に出没するというのは本当なのか
   ◆交霊会は真夜中の方がいいのか

 4‖霊の姿を見ること
   ◆霊能者の霊視能力は、みな同じなのか
   ◆霊が姿を見せる目的は
   ◆幽霊や心霊写真がつくられるメカニズムは
   ◆地上人が幽霊を怖がるのを、
      霊界側はどのように見ているのか
   ◆幽霊と対話をしてもいいのか
   ◆霊視能力者は、意識的に霊の姿を
      見ようとするのか
   ◆霊視能力は訓練で身につくものなのか
   ◆病人は霊を見やすくなるのか

 5‖低級霊の偽装化・化身化(けしんか)
   ◆低級霊は人間以外の姿をすることが
      あるのか
   ◆翼の付いた天使とは
   ◆炎の姿とは
   ◆動物の姿とは
   ◆悪魔の姿とは
   ◆低級霊は先祖霊や他界した家族の
      真似をすることがあるのか
   ◆低級霊は簡単に霊能者を騙せるのか
   ◆真面目な霊能者でも騙されるのか






  6‖霊を呼ぶこと
   ◆死後どのくらい経ったら、
      霊を呼ぶことができるのか
   ◆地上から呼ばないかぎり、
      霊は出てこないのか
   ◆霊能者でなくとも、霊を呼び出せるのか
   ◆審神者は、どんな霊でも呼び出せるのか
   ◆会いたいと思っている霊が出現しない
      ことがあるのはどうしてか
   ◆呼び寄せの声は、どのようにして相手の
      霊に届くのか
   ◆呼び出すと同時に霊が出現することが
      あるのはどうしてか
   ◆地上人からの呼び出しが無視されることは
      あるのか
   ◆呼ばれた霊が出現できないケースについて
   ◆イタズラ霊が出現することはあるのか
   ◆高級霊への出現要請はできるのか
   ◆低級霊の呼び出しは危険なことか
   ◆招霊は霊にとって嬉しいことか
   ◆動物霊の存在と招霊について
   ◆幼児霊の招霊について
   ◆生き霊の存在と、生者(しょうじゃ)の霊の
      招霊について
   ◆水子霊の存在と、胎児霊の招霊について

 7‖霊への語りかけ・質問
   ◆霊にとって不愉快な質問とは
   ◆イタズラ霊を追い払う質問について
   ◆低級霊を喜ばせる質問とは  
   ◆霊に答えを無理強いしてもいいのか
   ◆高級霊にも答えられない質問があるのか
   ◆人生上の助言を求めることについて
   ◆善霊は物質的な利益に関する質問に
      答えてくれるのか
   ◆霊が世俗的問題を取り上げることについて
   ◆真面目なスピリチュアリストが
      騙されるのはどうしてか
   ◆未来の出来事に対する質問について
   ◆霊の未来予知は信頼できるのか
   ◆個人的な予知・予言について
   ◆高級霊の未来予知について
   ◆過去世についての通信を信じていいのか
   ◆信用できる過去世の啓示とは
   ◆未来の再生人生についての啓示は
      あり得るのか

 8‖低級霊やイタズラ霊を撃退するには
   ◆従来の邪霊の排除方法は効き目が
      あったのか
   ◆“エクソシズム”は効果があるのか
   ◆お守り・お札・魔よけグッズは、
      どのくらい効果があるのか
   ◆神の名を唱えれば、邪霊を撃退できるのか
   ◆建物や土地の聖別化について
   ◆出てきた低級霊を引き下がらせるには、
      どうしたらいいのか
   ◆イタズラ霊を撃退するいい方法とは 
 スピリチュアリズム・ニューズレターについて
 





ニューズレター


------------------------------------------------------------------------------
--




  


 スピリチュアリズム普及のために、
一身を捧げましょう 













シルバーバーチの一言の祈り
 シルバーバーチの霊訓の中に、次のような特別に格調高い一節があります。


 祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」
――これです。「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」――この願いより
崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。

(シルバーバーチは語る・134)


 これは言うまでもなく、霊的真理を知った私達に向けて語りかけられた言葉です。「自分を、
神と人類のために役立たせてください」という祈りの中に、スピリチュアリストとして持つべき最
も深い願いが込められています。スピリチュアリストとしての神に対する最高の姿勢が示されて
います。
 なかなか祈りができないときには、シルバーバーチが示してくれたように―「どうか、自分を
人々のために役立たせてください。その方法を教えてください」と祈ることにしましょう。このシン
プルで最も深い一言の祈りを、これからの人生で、繰り返し繰り返し口にしていきたいもので
す。
 さてシルバーバーチは、神と人類に自分の人生を捧げることは、私達がなし得る最高の愛の
実践であり、最高の宗教的生き方であると述べています。「神と人類のために一身を捧げた
い」との願いの中に、利他愛のすべてが集約されています。利他愛の最も純粋な形が示されて
います。
 皆さんが、シルバーバーチを手本としてより高い生き方を目指そうと思われるなら、自分の人
生を、神と人類のために捧げようとしなければなりません。スピリチュアリズムの教えを忠実に
実践しようとするなら、自分の一生を、神と人類のために捧げなければならないのです。
 ところで皆さんが、もしシルバーバーチから直接――「あなたの人生を神と人類のために捧
げてください」と言われたなら、どのように思われるでしょうか。おそらくそのとき皆さんは、この
祈りの持つ深刻で重い内容を身に染みて感じることになるでしょう。
 なぜなら自分の人生を捧げるということは、状況によっては、自分の人生・将来・家族を犠牲
にすることになるからです。“一身を捧げる”という言葉をその通り実行するには、たいへんな
犠牲がともなうことを覚悟する必要があるからです。

スピリチュアリストにとっての、一身を捧げる行為とは
 イエスを中心に高級霊界あげて展開しているスピリチュアリズムは、人類に最高の救いをも
たらす大プロジェクトです。そしてこの「人類史上最大の救済活動」に直接呼応できる地上人
は、私達スピリチュアリストをおいて他にはいません。スピリチュアリズムに貢献することは、マ
ザーテレサやガンジーといった聖人でさえもできなかった“最高の奉仕”に携わることなので
す。
*歴史上のいかなる聖人も、今の私達のように「霊界の真実」と「霊的救い」を人々に示すこと
はできませんでした。マザーテレサは、キリスト教レベルでの最高の実践の域・最高の利他愛
の域に到達しました。それゆえ彼女は今、霊界で高級霊としてスピリチュアリズムの普及に携
わるようになっています。しかし、そのマザーテレサも地上時代には、私達のように、本当の救
いを人々に示すことはできなかったのです。
 スピリチュアリズムが人類にもたらそうとしている救いは、キリスト教をはじめとする他の宗教
の救いとは次元が違います。これまでの宗教では、地上人に最終的な救いの道を示すことが
できなかったために、霊界の高級霊達によって“スピリチュアリズム”という霊界あげての大プ
ロジェクトが興されたのです。
 こうしたスピリチュアリズム成立の原点を忘れてはなりません。その視点を見失うと、スピリチ
ュアリズムと他の宗教や思想との立場の違いが分からなくなってしまいます。スピリチュアリズ
ムもキリスト教も同じというようなことになってしまうのです。

 シルバーバーチが述べている「神と人類のために一身を捧げる」という内容は、具体的に
は、スピリチュアリズムという最高の救いを人々に伝えることに他なりません。言い換えれば、
シルバーバーチは――「スピリチュアリストであるあなた方の人生を、スピリチュアリズム普及
のために捧げてください。私達霊界の者達と同じように、スピリチュアリズムのためにすべてを
捧げてください」と言っているのです。スピリチュアリズムの普及に人生を捧げることによって、
最高の利他的生き方・最高の宗教的生き方をしてくださいと訴えかけているのです。

自分のことを忘れて他人のために
 先ほどの一言の祈りの言葉のすぐ後で、シルバーバーチは、次のように言っています――
「自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発
達します。」(シルバーバーチは語る・135)
 またシルバーバーチは、別のところで――「あなた方が自分のことを忘れて人のために精を
出すとき、あなた方を通して大霊が働くのです。(中略)それは無理ですとおっしゃるかも知れま
せんが、私は可能だと申し上げます。それが人間としての正しい生き方だからです。」(シルバ
ーバーチは語る・68)
 今まで述べてきた「神と人類に一身を捧げる」「人々のために自分を役立てる」という内容を、
ここでは別の言い方で説明しています。シルバーバーチは、「自分のことより他人を優先して」
「自分のことを忘れて、他人のために精を出す」と述べています。すなわちスピリチュアリズム
普及のために、「自分のことを忘れて打ち込んでください」と言っているのです。「滅私奉公的な
姿勢で取り組んでください」と言っているのです。
 ここには奉仕を実践する上での厳しい基準が示されています。自分や自分の家族だけの幸
せを先に考えてはならない、自分の利益・家族の利益を優先して求めてはならないと言ってい
るのです。何と厳しい教えでしょうか。
 
“滅私奉公”は最も賢い生き方
 他人への奉仕のために、自分や家族を後回しにするようなことは、この世がすべてだと思っ
ている人には絶対にできないことです。しかし私達スピリチュアリストは、一般の人々とは違っ
ています。「霊的真理」を通じて、死後にも人生が続くこと、本当の人生は霊界であり、地上は
そのための一時的な訓練場所であることを学んでいます。霊界こそ本来の世界であることを知
っています。
 自分の物質的利益を後回しにして、時には犠牲にして、人々のために歩むことは神の願い・
利他愛を実行することです。より多くの人々の幸せのために自分を犠牲にするところに、マイ
ナスの結果が生じることは決してありません。それどころかいっそう大きな霊的恵みと喜びが、
神と宇宙から返ってくるようになるのです。実際に思い切って実行すると、その通りの結果にな
るのです。
 自分を忘れてスピリチュアリズムのために貢献することは、最も賢い生き方であり、最も多く
の愛を神から受ける方法であることを実感するようになります。

シルバーバーチの喝(かつ)!
 スピリチュアリストである私達にとっての最終的な問題は、「スピリチュアリズムへの貢献を本
当に滅私的に実行しようとするのか」「自分の利益追求を思い切って後回しにしようとするの
か」ということだけなのです。そしてそれこそが、一般の人々と私達スピリチュアリストを区別す
る分岐点になります。
 シルバーバーチは、地上人が自己の利益を犠牲にし、滅私奉公的な利他愛の実践をするこ
とが、いかに難しいかをよく知っています。さらにはスピリチュアリストの内部にも、自己犠牲的
な生き方を狂信と間違う人間がいることを知っています。「そんなことはできない、無理です」と
言うスピリチュアリストがいることを予想しています。そのためシルバーバーチは機先を制して
――「それは無理ではない、絶対にできる」とカツを入れているのです。
 皆さんは、シルバーバーチの気迫に満ちたこの言葉を、どのように考えるでしょうか。シルバ
ーバーチを気違いじみていると思われるでしょうか。一方的で強引で、狂信を強いるのには、と
てもついていけないと思われるでしょうか。もう『シルバーバーチの霊訓』を読むのはやめようと
思われるでしょうか。
 もし私達がそのように考えるとするなら、スピリチュアリストとしては失格です。シルバーバー
チの霊訓を人生の指針にしたいと願う者としては失格です。私達がそんないい加減な姿勢しか
とれないとするなら、シルバーバーチの霊訓は読まない方がいいということになります。

自分を犠牲にする覚悟
 シルバーバーチの教えは、私達地上人にとっては、本当に厳しい内容ばかりです。その厳し
さを前にして、ついたじろいでしまいそうになります。自分を後回しにするという滅私奉公的な生
き方には、必然的に“自己犠牲”がともなうことになります。自己犠牲のない利他愛など存在し
ないからです。
 自分がこれまで行ってきた奉仕が本物かどうか、真実の利他愛になっていたかどうかは、ど
れだけ自己犠牲を払ってきたかによって明らかになります。自己犠牲が多ければ多いほど、そ
の行為は霊的価値を持つことになります。
 シルバーバーチは――「自分を犠牲にする覚悟のできていない人間に、いい仕事はできませ
ん」(シルバーバーチは語る・243)と、ずばり利他愛の本質を突いた言葉を述べています。シル
バーバーチの教えに忠実であろうとすることは、スピリチュアリズムの普及のために自己犠牲
を払うということなのです。自己犠牲を避けたスピリチュアリズムへの貢献はあり得ないので
す。

口先だけのシルバーバーチファンにならない
 どれほどシルバーバーチは素晴らしいと称賛しても、自分の人生をスピリチュアリズムのた
めに捧げることなく、一般の人と変わりない気ままな生き方をし、自分の利益追求を優先して
いるならば、口先だけのシルバーバーチファンということになってしまいます。そうした人は霊界
に行ってシルバーバーチと会ったとき、シルバーバーチから、「あなたと私は何も関係がない」
と言われることになるでしょう。
 シルバーバーチは度々――「私に向かって主よ、主よという者が天国に入れるのではない。
天にまします父の意志を実践する者のみが入れるのである」というイエスの聖句を引用して、
クリスチャンを厳しく非難しています。自分ではイエスに忠誠を尽くしていると思っているクリス
チャンに対して、イエスを欺(あざむ)き続けていると鋭く批判しています。
 しかし、それはイエスとクリスチャンの間においてのみ言えることではありません。シルバー
バーチと私達の関係においても、そのまま当てはまることなのです。
 私達はいつの間にか、口先だけで「シルバーバーチ、シルバーバーチ」と言うようなスピリチ
ュアリストになってはいなかったでしょうか。スピリチュアリズムのために自分の利益をすべて
犠牲にして働いている高級霊達を欺いているようなことはなかったでしょうか。『シルバーバー
チの霊訓』は最高と言いながらその実、シルバーバーチの必死の訴えかけを無視するような
生き方をしてはこなかったでしょうか。シルバーバーチを利用して、自分の名声や世間受けを
求めるような愚かなことはしてこなかったでしょうか。

今度こそ本物の決心をしましょう
 私達はシルバーバーチと出会い、人生最高の真理を見い出しました。シルバーバーチの言う
ことは間違いないと確信するようになりました。そのシルバーバーチは、次のように語りかけて
います。


「わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。自分の利得損失を忘れ、霊的なものを
この世的な打算に優先させ、お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいので
す。」

(道しるべ・119)


 シルバーバーチは「スピリチュアリズム普及」のために、自己の利益追求を捨て、自分の人
生を捧げて欲しいと訴えています。私達はそのシルバーバーチの願いに、最大の誠意を持っ
て応えていかなければなりません。シルバーバーチの切々たる訴えに、全力を傾けて応えてい
かなければなりません。
 これまでの歩みがどうであれ、今この時、スピリチュアリズムのために自分の人生を捧げる
決意を新たにしましょう。高級霊が必死であるように、私達も「人類救済のプロジェクト」に全力
で取り組むことにしましょう。
 もし、そのことによって人々から気違い扱いされるようなことになっても、それをむしろ誇りと
思うことにしましょう。スピリチュアリズムのために人生を捧げることで人々から嫌われるような
ことになるなら、それを喜ぶことにしましょう。
 人類救済のために一身をなげうって働いたイエスは、迫害され、虐(しいた)げられ、辱(はず
かし)めを受け、十字架にかけられて殺されました。スピリチュアリズムの開拓時代には、先輩
達は迫害され、非難されてきました。シルバーバーチをはじめ高級霊達は、例外なく“サタン
視”されたのです。
 私達が今かかわっているスピリチュアリズムは、そうした歴史の上に立っています。世俗受け
を狙い、世間の評判や評価を求めるような次元の低いものではありません。かつての純粋にし
て一途な先輩達や、高級霊達の前に恥ずかしくないような歩みをしていきましょう












  



スピリチュアリズムと先祖供養(シリーズ2)
 あの世から見た地上の先祖供養と
招霊会の霊的背景
――霊と招霊に関するQ&A―― 









先祖供養の目的と正しい先祖供養の内容
 前号のニューズレターでは、地縛霊となっている先祖を救うことが「先祖供養」の本来の目的
であることを述べてきました。地縛霊に対する救済活動は、実質的にはそのほとんどが霊界サ
イドで進められていますが、地上サイドからも部分的にその活動を援助することができます。そ
れがとりもなおさず地上人が行う先祖供養ということになります。
 地上人がなすべき先祖供養の内容は具体的には、「愛の念を送る」「真理を語って聞かせ
る」という2つの行為に集約されます。この2つの行為は、地上人が霊的真理を正しく理解し、
霊界の様子に通じていてこそ可能となります。正しい先祖供養には、愛情(先祖への思いやり)
と霊的知識が必要とされるのです。
 これまで地上世界では、霊的知識を知らないために間違った先祖供養が行われてきました。
従来の先祖供養は、実際にはやってもやらなくてもどちらでもいいようなものがほとんどだった
のです。

先祖供養は招霊会の一種であり、低級霊の暗躍の現場
 先祖供養は、必然的に霊界の霊とのコンタクトをもたらします。先祖供養は、地上人が霊界
にいる霊に向かって働きかける行為であり、広い意味で“招霊会”の一種と言うことができま
す。
 さて、そうした先祖供養や招霊会での最大の問題は、係わりを持つ大半の霊が“低級霊”で
あるということです。したがって先祖供養を一歩間違えると、大きな霊的問題を引き起こすこと
になります。地上人が先祖供養を一生懸命にやればやるほど、低級霊がいっそう強く感応す
るようになり、ますます異常な事態を招来するようになります。時には低級霊が先祖の振りをし
て、地上の子孫を騙すこともあります。先祖供養や招霊会は、まさに低級霊の暗躍する場所な
のです。
 霊的真理を知ったスピリチュアリストは、このような低級霊の仕業を見抜き、排除していかな
ければなりません。先祖供養にともなって展開する霊的世界の現実を、人々に伝えていかなけ
ればならないのです。

ニセ霊能者や悪徳商法に悪用される先祖供養
 先祖供養には、こうした“低級霊の暗躍”という問題ばかりでなく、ニセ霊能者や祈祷師によ
る“悪徳商法”という問題も関係してきます。
 現在では、先祖供養を悪用したり、先祖供養を装ったインチキや詐欺(さぎ)が横行していま
す。「先祖の霊が成仏できずにさ迷っている」「地縛霊になって苦しみ助けを求めている」「先祖
の悪因縁によって子孫に不幸が降りかかっている」などと言って人々の不安や恐れを煽り、法
外な金銭を騙し取るといった悪質な金儲けがまかり通っています。残念なことに、このようなイ
ンチキ商売を、スピリチュアリズムに係わる人間までもが行っています。
 霊的真理を悪用した動きを排除するためにも、先祖供養についての霊的背景の理解と啓蒙
が必要となります。

あの世の高級霊による霊的背景の説明
 こうした目的のために、今回は先祖供養や招霊会に関する「霊的背景」について学ぶことに
します。先祖供養や招霊会にまつわる霊的な問題点や疑問点を広範囲にわたって取り上げま
す。
 さて先祖供養や招霊会の霊的背景を、地上サイドからどれだけ理解しようとしても限界があ
ります。しかも何とか入手した情報も間違っていたり、一部だけに偏っていたりするのが普通で
す。招霊会・交霊会といった霊的な問題は、霊界にいる住人、できることならば“高級霊”に直
接説明してもらうのが一番です。あの世サイドからストレートに語ってもらうのが最も確実なの
です。
 幸いなことに私達は、スピリチュアリズムによって「優れた霊界通信」を手にすることができま
した。そうした霊界通信の中から、先祖供養や招霊会に関する事柄や問題点を拾い出し、そ
れを次のようなテーマにそってQ&Aの形で整理していきます。
 これによって先祖供養や招霊会に関する霊的背景を正しく理解し、霊界サイドの状況を手に
取るように知ることができるようになるはずです。さらには先祖供養や招霊会に対する鋭い洞
察力が身につくようになるものと思います。



  


 1 死の直後の霊の気持や様子 
 



 ここでは死んで間もない霊達が、自分の死体や葬儀・法事など、自分自身に関する事柄をど
のような思いで眺めているのかを見ることにします。死の直後の霊の様子を知っておくことは、
先祖供養や招霊に関する基本です。

◆霊は自分の死体を見て、どのように思うのか
Q:霊は自分の死体を、どのような気持で眺めますか?

A:自分が死んだことを自覚できた霊は、肉体を脱ぎ捨てて、さっぱりしたような気持になるの
が普通です。自分の肉体が野ざらし状態に置かれ、腐敗していくのを見る場合もありますが、
そうしたときでも自分の肉体に対しては無関心です。「どうでもいい」という感じです。もっとも死
を自覚できていないときには、何がなんだか分からずに混乱したり、単なる夢を見ているに過
ぎないと思います。
 世の中には、「先祖が成仏できずに、もっと立派な墓をつくって欲しがっている」などと言う霊
能者がいますが、それは嘘をついていると思って間違いありません。インチキ霊能者です。

◆霊は自分の葬式に出席するのか
Q:霊は自分の葬式に出席するのでしょうか? 

A:出席するケースがよくあります。いまだに死の自覚ができていない霊の場合は、死にともな
う意識の混乱状態の中にいるため、出席しても状況が理解できないのが普通です。人々が集
まって誰かの葬式をしていることはぼんやりと理解できても、それが自分の葬儀であるとは分
からないことが多いのです。
 また自分の死を自覚して葬儀に参加するケースもあります。地上時代に大勢の人間に囲ま
れて生きてきた霊は、自分の葬儀にたくさんの人々が集まり、長蛇の列ができているのを見
て、生前と同じように得意な気持になることもあります。もっともそうした世俗的な満足心は、や
がて恥ずかしさに変わるのが普通です。

◆霊は遺族の遺産相続の会合に立ち会うのか
Q:霊は自分の死にともなう“遺産相続”の会合に立ち会うものでしょうか?

A:自分の葬儀に出席しなかった霊も、自分の遺産相続の会合には必ず立ち会います。本人
に対する教育の意味から、また地上時代の生き方の反省を促すために、あるいは遺族の実
態を見せつけるために、高級霊や指導霊が参加させるように取り計らいます。 
 多くの霊は、遺産相続の場であらわになる親族の強欲さや醜態を目の当たりにして、彼らが
自分に向けていたのは本当の愛情ではなかったことを知って愕然(がくぜん)とします。

◆霊は自分の銅像や石碑がつくられるのを喜ぶのか
Q:故人を記念した銅像や石碑が建立されることがありますが、当の霊自身はそれを見て喜ぶ
のでしょうか?

A:大半の霊は、自分の銅像や石碑がつくられるのを名誉と思うようなことはありません。それ
よりも、自分のことを思ってくれている地上人の気持そのものを、ありがたく感じるものです。自
分に向けてくれる愛情を嬉しく思うのであって、銅像や石碑には特別な感動を覚えることはあり
ません。
 どのような霊でも、地上の縁ある人々によって自分に対する記念の行事が行われるのは嬉
しいものですが、それはその際に自分のことを思い出し、自分に愛情を向けてくれるからです。

◆霊は地上時代の自分の作品を誇りに思うのか
Q:地上時代に有名だった芸術家や作家は、死後もそれを誇りに思うものでしょうか?

A:芸術家や作家一人一人の霊性によって違いますが、死後一定の期間を経て霊的意識が明
確になると、大半の人々は地上時代と考え方が根本的に変わるようになります。そして自分の
かつての作品には“霊的価値”が全くなかったことを知って、そのお粗末さに嫌気がさすように
なります。地上時代の作品に恥ずかしさを感じるようになるのです。これが霊性の低い多くの
芸術家・作家の実情です。

◆霊は自分の法事に参加するのか
Q:霊は自分の死後、定期的に行われる法事に参加するものでしょうか?

A:地上で自分のために親類・縁者が集まってくれるならば、当の霊は人々の念に引き付けら
れてその場に赴きます。しかし参加者が単に義理で集まっているようなときには、そうした場所
には行かないでしょう。心から自分のことを祈念してくれる一人一人のもとを訪れます。



  




 2 霊が出現する場所 
 



  「先祖の霊は、一体どこにいるのでしょうか?」――これは、すでにスピリチュアリズムに導
かれた私達にとっては、あまりにも常識的すぎる質問ですが、一般の人々はよくこうした疑問を
持ちます。
 言うまでもないことですが、先祖の霊は霊界にいます。なかでも先祖供養の対象となる地縛
霊や、招霊会でひんぱんに登場する低級霊・未熟霊は、地上近くの下層域(幽界)にとどまって
います。
 そうした霊界の下層にいる霊達は、地上のどのような場所を好み、どのような場所に引き付
けられるのでしょうか。また、どのような場所に出現するのでしょうか。

◆死の直後の霊の、特定の場所への執着について
Q:死んで間もない霊が、自然に引き付けられる地上の場所や、好みの場所があるのでしょう
か?

A:死の直後の相当数の霊は、地上の特定の場所への執着を残しています。そして長年住ん
でいた家にしばらくとどまることになります。また一時的に墓にいる場合もあります。
 やがて自分が死んだことを自覚し、霊本人の関心が“物”から“霊”へと変化するようになる
と、自動的に地上への執着が薄れ、地縛状態から脱します。そして霊の世界へと赴き、幽界で
さらに地上臭を拭い去ることになります。こうして身体と意識の霊的浄化のために、一定の期
間を費やすのです。

◆地縛霊は必ず邪悪霊なのか
Q:先祖の霊が、墓や仏壇などへの執着を持っている場合、その先祖は“邪悪霊”になってい
ると考えるべきでしょうか?

A:一概にそうとは言えません。霊性の発達程度は低くても、性格的には邪悪性がない霊もい
ます。それは地上でも同じではないでしょうか。“地縛霊”は地上的な感覚からすれば、むしろ
善人(よい人)と言えるような人間である場合が多いのです。この世的にあまりにも真面目すぎ
たり、保守的な性格が災いして、間違った宗教的教えをいつまでも持ち続け、それが結果的に
不幸を招くことになるのです。こうした霊性の未熟さと霊的真理への無知が、地縛霊となる大き
な原因となっています。つまり「悪い性格でなくとも地縛霊になる」ということです。
 一方“邪悪霊”と呼ばれる低級霊は、同じ地縛霊でも性格が悪く、地上人にさまざまな有害な
影響をもたらします。また邪悪性はそれほど強くなくても、性格的にイタズラ好きで、地上人を
困らせては喜ぶといった地縛霊もいます。これも地上人に混乱を巻き起こし、害を及ぼしま
す。このような地縛霊は、まさに地上人にとっての厄介者です。

◆地縛霊は寂しい場所に多くいるのか
Q:よく霊は廃墟のような暗く寂しい場所を好むと言われますが、これには何か根拠があるので
しょうか?

A:根拠はありません。霊がそうした場所へ行くことはありますが、特に好んで行くわけではあり
ません。霊はどこへでも行きます。そういうことが言われるようになったのは、廃墟のような場
所に漂う哀愁や悲愴感が人間の想像力をかき立て、霊がさ迷っているかのように感じられる
からです。
 人間は恐怖心から、木の影を幽霊と錯覚したり、動物の泣き声や風の音を幽霊のうめき声と
思い込むことがありますが、それは人々が勝手につくり上げた想像的イメージに過ぎません。
霊はどちらかと言えば、寂しい場所よりも、にぎやかな場所の方を好みます。人里離れた寂し
い場所に「幽霊が出現する」と騒がれることがありますが、その多くは事実ではありません。
 もっとも霊にもいろいろな性格の者がいて、なかには人間嫌いから、人のいる場所よりも人
のいない寂しい場所を好む者もいます。そうした事情は地上人と全く同じです。霊にも自由意
志があり、各自の好みがあります。したがって幽霊が寂しい場所に現れたという話が事実であ
るとするなら、その霊が孤独の中で暮らしたがっているというだけのことです。
 はっきり言えることは、霊は寂しい場所よりも、都会のような人間が大勢いるにぎやかな場所
にいる方が圧倒的に多いということです。“地縛霊・低級霊”は、田舎より人間の欲望が渦巻く
都会にたむろしています。特に、歓楽街・娯楽施設・遊技場・お参り場所・祈祷所といった、人
の込み合う場所に集まっています。

◆世間でいう“心霊スポット”とは
Q:テレビではよく幽霊が出る場所(心霊スポット)が取り上げられますが、本当にそこには幽霊
が住み着いているのでしょうか?

A:先に述べたように、ある場所の不気味さが人間の想像力をかき立て、何か超自然的なもの
がそこにいるかのように錯覚したケースが大半です。それがさも事実であるかのような噂が広
がることになります。テレビなどでは幽霊の出没する“心霊スポット”が興味半分に取り上げら
れ、霊能者を名乗る人物が登場して、まことしやかに解説していますが、実際は、そのような場
所は都会の至るところにあるということなのです。
 人のいない寂しい場所だけが“心霊スポット”として騒がれることは、霊的事実から見たとき
明らかにおかしなことです。本物の霊能者なら、そんな常識的なことを知らないはずがありませ
ん。一般の人々の無知に付け込んで、噂の心霊スポットにまるで多くの霊が集まっているかの
ように話を合わせ、上手に嘘をついているのです。
 このように大半の心霊スポットは単なる噂話であって事実ではありませんが、なかには稀に
幽霊がよく出没する本当の心霊スポットが存在します。霊の中には時に物的なものへの執着
が異常に強い者がいます。そうした霊はある一定の場所へ引き付けられ、その引き付ける要
因が消えるまでは、そこに住み着き“地縛化”することがあります。これが本当の心霊スポット
と言うべきものです。
 世間でしばしば耳にする魔の交差点とか魔の踏み切り、あるいは自殺の名所として騒がれて
いる場所には多くの地縛霊が集まり、霊媒体質の地上人を引き寄せているといった話のほと
んどは事実ではありません。人々の勝手な作り話に過ぎません。

◆地縛霊が特定の場所に居座り続ける理由とは
Q:地縛霊はどのような原因で、特定の場所に居座り続けることになるのでしょうか?

A:ケースバイケースです。霊それぞれで原因は異なります。ある霊においては、その場所をよ
く訪れる人間との霊的親和性による場合もあります。その者と意志を通じ合いたいという場合
もあります。
 また恨みを抱き仕返しのチャンスを狙って、ある場所に居座り続ける邪悪霊もいます。さらに
は、その場所で大きな罪を犯した者が、一種の罰としてそこを徘徊(はいかい)させられる場合
もあります。後悔と反省の思いが生まれるまで四六時中、その場所を見せつけられるのです。
 地上で守銭奴と呼ばれていたような人間は、死後もある場所に隠した財産を見張り、気づか
れないように守っていることがあります。

◆かつての住居に住み続ける地縛霊はいるのか
Q:霊はかつて住んでいた住居に住み続けるというようなことがあるのでしょうか? ある霊能
者に、「数年前に死んだ祖父の霊がいまだに家に住み着いている。そのため家族に不幸が続
き霊障が絶えない」と言われました。そんなことが本当にあるのでしょうか?

A:そうしたケースは全くないとは言えないまでも、実際にはほとんどありません。先祖の霊が死
後もかつての住居にいたとしても、せいぜい数日〜数カ月のことです。それ以上にわたって
“地縛霊”として住み続けるといったケースは、特別な場合を除いてめったにありません。霊能
者や祈祷師が、何年も前に死んだ先祖の霊が居座っているために不幸が起こされるなどと言
ったとしたら、そのほとんどが嘘・作り話と思って間違いありません。
 大半の霊は、埋葬された自分の遺体には関心がありませんが、それと同じように、地上時代
の住居についても何の未練も持っていません。生前の住居には、特定の人物との親和力の作
用によって引き寄せられる以外は、関係のない低級霊が気まぐれに出没しているに過ぎませ
ん。
 先祖の霊を、かつての住居で招霊すれば戻って来ますが、それは死後も同じ場所に居座り
続けていたということではありません。一時そこに呼び寄せられただけのことです。

◆心霊スポットを怖がることについて
Q:地上人が、幽霊が出るという噂のある場所(心霊スポット)を恐れるのは、仕方がないことで
しょうか?

A:いいえ、幽霊が出ると騒がれている場所に出没するのは、何かと話題の種を蒔いて面白が
っているイタズラ霊がほとんどです。特に邪悪な意図があるわけではなく、騙されやすい人間
や、怖がり屋の人間を相手にして楽しんでいるだけです。
 霊は至るところにいることを忘れてはなりません。皆さんがどこにいようと、どんなに静かな場
所にいようと、周りには常に霊がいるものと思ってください。つまり「あらゆるところに心霊スポ
ットはある」ということです。特に霊的なことに関心がある人の周りには、数多くの霊が集まり、
鵜(う)の目鷹(たか)の目でスキを狙っています。霊が出没して騒がれる場所というのは、イタ
ズラ霊が働くのに必要な条件が揃っているケースに限られます。

◆地縛霊となった先祖の霊は、自分の墓に関心があるのか
Q:地縛霊は、自分の遺体が埋葬されている場所に関心を持ち続けるものでしょうか?

A:死後は墓に住み続けるものと強く思い込んでいたり、あるいは一部のクリスチャンのように
「死後は墓で終末の時を待ち続ける」といった信念が染み付いたような者でないかぎり、関心
を持ち続けることはありません。低級霊や未熟霊・邪悪霊であっても墓には行きたがりません
し、自分の墓など、どこにあるのかさえも忘れているのが普通です。 
 肉体は単なる衣服のようなものであり、肉体を持っていたために苦しい目に遭ったのですか
ら、それを脱ぎ去った後にはもう未練はありません。鎖につながれていた囚人が、解き放たれ
た後は、その鎖に未練など持たないのと同じです。
 霊の心に残るのは、自分に愛の思いを向けてくれた人々の記憶だけです。したがってもし霊
能者や祈祷師が、「先祖の霊が墓参りをして欲しがっている」と言ったら、それはイタズラ霊が
からかっているか、霊能者が適当に嘘をついていると考えるべきです。そんな作り話をまともに
信じてはなりません。

◆墓での祈りは、先祖霊に通じやすいのか
Q:地上人が墓地で祈ると、霊は特別に何か感じるのでしょうか? 墓での祈りは、自宅での祈
りよりも先祖の霊に届きやすいのでしょうか?

A:霊を引き寄せるのは、地上人の思い以外にはありません。地上人の思念に熱意と真摯な
気持がこもっていればいるほど、その祈りは霊に通じやすくなります。墓地に限らずどこであっ
ても、真剣な祈りならば霊に届くということです。真剣さがともなわない形だけの祈りであれば、
霊には届きません。どこで祈るか、いつ祈るかが問題ではないのです。
 霊との交わりで大切なことは、物的なものや場所ではなく、地上人の心であり思いなのです。
そうした霊的事実が分かれば、これまで地上人が行ってきた盆や彼岸の墓参りには、特別な
意味はないことになります。墓参りはいつしても同じですし、先祖の霊に対する思いさえあるな
らば、わざわざ墓にまで足を運ばなくともいいということなのです。



  




 3 霊が出現する時間 
 



◆先祖供養や招霊に都合のいい時はあるのか
Q:先祖供養をしたり霊を招くのに、都合のいい日や時刻というものがあるのでしょうか?

A:霊は、物的なものや時刻などの影響は一切受けません。物質世界の条件で、霊にとって都
合がいい悪いというようなものはありません。日や時刻に影響力があるかのように考えるのは
迷信です。霊は地上人が誠意と真心を持って招けば、いつでもどこでも現れます。
 先祖供養・先祖崇拝の儀式は、盆・正月・彼岸といった決められた日に行わなければならな
い理由は何もありません。もし先祖供養のための法事をしたいのであれば、いつやってもいい
のです。

◆霊は夜に出没するというのは本当なのか
Q:霊は夜に現れやすいと言われますが、事実でしょうか?

A:それは夜の暗さと静けさから受ける印象が、想像力に作用して生まれたイメージに過ぎま
せん。そうした話はすべて迷信です。真夜中(丑三つ時)の怖さは、お化けの話の中にしか存
在しません。
 世間一般では、霊は夜に出現することになっていますが、それは単なる錯覚です。ちょうど星
が、夜はよく見えても昼間は見えないのと同じで、昼間の太陽の光がうっすらとした霊の姿をか
き消してしまうために、見えないまでのことです。
 夜という時間帯に特別な意味があるかのように考えるのは間違いです。霊を見たという人の
話を総合してみれば分かりますが、大半の人が昼間見ているのです。



*こうした問題とは別に、霊が“エクトプラズム”という半物質によって、地上人の目に見える身
体を形成することがあります。このエクトプラズムは光に当たると消滅する性質があるため、か
つての心霊研究では、暗闇の中で幽霊の実験が行われました。

◆交霊会は真夜中の方がいいのか
Q:霊の中には、「交霊会を真夜中にやってほしい」と指定してくる者がいますが、それはなぜ
でしょうか?

A:それはイタズラ霊が、地上人の迷信を逆手(さかて)に取って勿体振(もったいぶ)っている
だけです。また先祖の霊が出てきて、ひどく陰湿な場所や、妙な時間にお参りするよう指定して
くることもあります。なぜこんな場所で、なぜこんな時刻にと思いますが、これも人間を困惑させ
て喜んでいるイタズラ霊の仕業に過ぎません。そうした注文に応じるのは無意味であるばかり
でなく、時には危険でもあります。


  




 4 霊の姿を見ること 
 



  一般の人々は霊の姿を見ることはできませんが、一部の「霊視能力者」は、霊の姿を見る
ことができます。そして招霊した際に、あの世にいる先祖の姿や特徴を正確に言い当てること
もあります。
 霊は時に半物質(エクトプラズム)で身体を形成し、普通の人にも見えるような特殊な姿(幽
霊)で出現することがあります。人々は霊の姿を見るとたいへん驚き、つい大袈裟(おおげさ)
に騒ぎ立てることになります。
 しかし「霊的真理」を知ったスピリチュアリストが、そうであってはなりません。霊は常に私達
のすぐ側にいることを知っているのですから、霊の姿が見えたり、幽霊が現れたとしても、それ
を当然のこととして受け止めなければなりません。霊は目には見えなくとも、絶えず私達の周り
に存在しているのです。
 さらに重要なことは、地上人の一人一人に「守護霊」が付き添い、守り導いてくれているという
事実です。この守護霊はまさに霊(幽霊)ですが、それを怖がることは滑稽としか言いようがあ
りません。守護霊の存在を信じている者が、幽霊の出現に驚くようなことはナンセンスです。
 
◆霊能者の霊視能力は、みな同じなのか
Q:霊能者は本当に霊の姿を見ることができるのでしょうか?

A:できます。霊能者でなくても、睡眠中には大半の人々は“幽体離脱”の状態で、霊界の霊達
と会っています。そのときはもちろん相手の姿を見ています。しかし覚醒中に霊の姿を見るた
めには“霊視能力”という特殊な能力が必要となります。この能力を持った人が「霊視能力者」
なのです。霊視能力がなければ、覚醒中に霊の姿を見ることはできません。
 霊視能力者が霊の姿を見る場合、どの界層次元に霊視力をフォーカスできるかによって、見
える霊が違ってきます。低い界層の霊の姿しか見られない霊能者もいれば、高級霊界の霊を
見ることができる霊能者もいます。霊能者が「霊の姿を見ることができる」と言っても、霊視能
力のレベルによって、その実状は全く異なるということなのです。低い世界の霊しか見えない霊
能者には、高級霊がすぐ側に来てもその姿を見ることはできません。あるいはまぶしいほどの
光源として認識するだけで、その姿を具体的に見ることはできないのです。
 私達の周りにいる霊視能力者の大半は、低い次元の霊しか見ることができません。大多数
の霊能者の目に映るのは“低級霊”の姿です。高い世界に視力を合わせられる霊能者であれ
ば幅広い界層の霊の姿を見ることができますが、そこまでの霊視能力を持った霊能者はめっ
たにいません。
 この後で述べますが、低俗な霊能者が「高級霊の姿を見た」と言っても、それは低級霊がつく
り出した化身体を、本物と錯覚しているに過ぎません。低級霊にまんまと騙されているのです。

◆霊が姿を見せる目的は
Q:霊が、地上人の前にわざわざ姿を見せる目的は何なのでしょうか?

A:それは、霊それぞれによって違います。低級霊が、地上人を怖がらせたり、復讐しようとい
うような悪意から姿を見せる場合があります。
 また地上人にとっての罪の償いとして、霊の出現が許されることがあります。利己的な動機
から人を死に追いやった場合など、殺された霊が地上人の前に姿を現します。その結果とし
て、地上人に懴悔と後悔の思いを引き出させることになります。
 死別したことを悲しみ続けている地上人を慰めるという目的から、他界した霊が姿を見せる
こともあります。自分は死後もちゃんと生きていて、いつも側にいることを知らせようとするので
す。
 善霊が姿を見せるのは、死後の世界の存在を人々に知らせるためです。人間は肉体の死と
ともに無に帰すのではなく、死後も個性を携えて存続していることを教えるためです。スピリチ
ュアリズムにおける交霊会は、もっぱらこの目的のためにあります。

◆幽霊や心霊写真がつくられるメカニズムは
Q:普段は肉眼では見えない霊が、幽霊となって一般の人々に見えたり、そこにいるはずのな
い人間が写真に写ることがあります。こうした幽霊や心霊写真は、どのようなメカニズムで形成
されるのですか?

A:霊が地上人の肉眼に映じるようになることを「霊の物質化現象」と言います。幽霊も心霊写
真もともに物質化現象によるものです。霊はエクトプラズムという特殊な半物質を地上の霊媒
体質者から取り出して利用し、自分の身体や衣服をつくるのです。(*霊本人が無意識のうち
につくり出すこともあれば、霊界の複数の技術者達がつくることもあります。)
 エクトプラズムの物質性が希薄なときには、ある程度は霊視能力を持った人でなければ霊の
姿を見ることはできません。しかしエクトプラズムの物質性が濃厚なときには、誰にでも見るこ
とができます。それだけでなく物質化した霊の身体に触れたり、握手するようなこともできます。
 ここで大切なことは、幽霊が形成されたり心霊写真が撮られたりするときには、エクトプラズ
ムを提供する「霊媒体質者」が必ず近くにいるということです。実は幽霊を見て驚いたり、霊障
で苦しんでいる本人自身が霊媒体質者であることが往々にしてあるのです。自分が無意識の
うちに提供したエクトプラズムによって幽霊が出現し、それを見て自分自身が驚いているので
す。
 また最近注目された“霊界テレビ”の現象も、これと全く同じメカニズムで画像が映し出された
ものです。霊の映像化が成功する陰には、必ずエクトプラズムを提供する霊媒体質者がいる
のです。

◆地上人が幽霊を怖がるのを、霊界側はどのように見ているのか
Q:世間ではよく幽霊が出現して大騒ぎとなりますが、霊界にいる霊達は、地上人が幽霊を怖
がるのをどのように見ていますか?

A:霊によってさまざまです。善霊ならば、地上人の悲しみを慰めてあげようとしたことが、結果
的に地上人に不安や恐怖を与えることになったのを見て残念に思うでしょう。反対にイタズラ霊
や低級霊は、地上人が怖がるのを見て喜び満足するでしょう。そしてもっと怖がらせるにはどう
したらいいのかと、悪知恵をめぐらすことでしょう。
 また霊的無知から地縛霊となっている未熟霊が、たまたま自分の近くに霊媒体質者が来た
ために、無意識のうちに物質化され自分が幽霊となってしまうようなケースもあります。そうした
ケースでは、おそらく霊自身が動揺したり、何が何だか分からなくて混乱することになるでしょ
う。
 いずれにしても、出現するのがどのような霊であれ、幽霊の方が地上人より危険性が少ない
ことは、ちょっと考えてみれば分かることです。霊はどこにでもいます。皆さんのすぐ側にもいま
す。見えるか見えないかの違いがあるだけのことなのです。したがって「霊的真理」を知った者
が、幽霊を見て怖がるようなことがあってはなりません。本当に怖いのは、低級霊を呼び寄せ
る地上人の“醜い心・利己心”なのです。

◆幽霊と対話をしてもいいのか
Q:もし霊が幽霊として現れたとき、その霊と対話をしてもいいのでしょうか?

A:もしそれが明らかに“低級霊”と分かるときは、無視して相手にしないことです。こちらが相
手にしなければ、邪悪霊はそのうち姿を消してしまいます。
 それとは反対に、単に霊的無知のために“地縛霊”となっている霊に対しては、ぜひとも対話
をしてやるべきです。「名前は何と言うのか」「何の用事なのか」「何か役に立つことはないの
か」など質問してみることです。辛いことや苦しいことがあれば、それを聞き出し、霊的自覚を
持たせるために真理を語って聞かせることもできます。   
 その場合、現場に霊媒がいるならば、地上人と同じように“言葉”で語り合うことができます
が、そうでないときは、霊聴能力やテレパシー能力を用いて対話を行うことになります。こうした
能力がない場合には、普通は霊との対話はできません。

◆霊視能力者は、意識的に霊の姿を見ようとするのか
Q:霊能者が霊の姿を見る場合、意識的に見ようとするのでしょうか? それとも意識しなくとも
自然に見えてしまうのでしょうか?

A:霊視能力のある者は、普通の状態(覚醒中)でも、霊を見ようと思えば見ることができます。
しかし実際には、うつらうつらしかけたような“半トランス状態”で見ていることが多いのです。そ
の方が霊的視力が働くからです。特に霊視を始めたばかりの頃は、半トランス状態で霊を見る
のが普通です。
 霊視能力者が霊姿を見るといっても、肉眼で相手の霊の姿を見ているのではありません。霊
能者本人はそう思っているでしょうが、実際は“霊的視力(霊眼)”で見ています。その証拠に、
目を閉じても霊の姿が見えるはずです。 
 やがて霊視能力者は霊視に慣れるようになると、霊を見ようとして意識を集中するだけで霊
の姿を見られるようになります。望遠レンズのピントを合わせるのと同じようなプロセスで霊を
見ることができるのです。つまりある程度「霊視をコントロールできるようになる」ということで
す。
 それに対して“憑依現象”などでは四六時中、一方的に霊の姿が視界に映ずるようになり、
日常生活に支障をきたすことになります。これは明らかに異常な状態です。本人は霊の姿を見
たいと思わないのに見えてしまったり、霊の声を聞きたいと思わないのに聞こえてしまうので
す。
 正常な霊視能力とは、どこまでも自分自身でコントロールできるものを言います。

◆霊視能力は訓練で身につくものなのか
Q:霊視能力は、訓練によって発揮できるようになるものでしょうか?

A:他のすべての能力と同じように、訓練しだいで発揮できるようになります。しかし、なるべくな
ら自然な発達を待つ方がよいのです。霊能力を発揮させようとする意欲が強すぎると、想像力
をかき立てて妄想を生む恐れがあります。そして低級霊や邪霊の格好の餌食(えじき)となって
しまいます。
 長期の断食・激しい滝行・その他の肉体的苦行によって、一時的に霊視能力が開かれること
がありますが、あまりよいことではありません。霊視力を日常的にいつでも使用できるほどの
人は、現在の地上人ではごく稀な人間であって、普通は霊能者といっても、そこまでの霊視能
力は持っていません。
 大切なのは、そうした霊能力よりも「霊的真理」を正しく理解し、人々への奉仕にエネルギー
を向けるということです。霊的能力を持つことより、真理の実践によって霊性を高めることなの
です。心を高める努力こそ「真の霊的修行」であり、それに専念するうちに自然な形でサイキッ
ク能力が身につくようになります。いつの間にか霊的能力が発揮できるようになります。そうし
た霊的能力は、自己コントロールのともなう正常なものです。

◆病人は霊を見やすくなるのか
Q:病気になると霊を見やすくなるそうですが、本当でしょうか?

A:霊視能力のある人ならば、健康なときでも見えることがありますが、そうした能力がない人
でも、病気の状態では肉体が弱り、物的な束縛が緩んで霊的感性が敏感になるため見えるよ
うになるのです。病気になって肉体が弱ると“霊的視力”ばかりでなく“霊的聴覚”も敏感にな
り、霊の声を聞き取れるようになります。
 ちょうど長期の断食などで肉体が弱ると、一時的に霊視能力が開かれるようになるのと同じ
ことです。


  




 5 低級霊の偽装化・化身化 
 



 低級霊は、地上の霊視能力者を騙すために、自らの姿を自由自在につくり変えます。大半の
霊能者は、こうした低級霊の偽装化にまんまと騙され、いいように操られています。
 低級霊に騙されないためには、低級霊の偽装化の実態を見抜くことができなければなりませ
ん。それこそが「霊的真理」によって霊能者を導くスピリチュアリストの使命そのものと言えま
す。ここでは低級霊の偽装化について、さまざまなケースを取り上げることにします。

◆低級霊は人間以外の姿をすることがあるのか
Q:低級霊は人間の容姿以外の形態で出現することがありますか?

A:善霊の場合は、人間の容姿で現れるのが普通です。容姿をいろいろに装うことはできます
が、基本的には常に人間的形態をしています。
 しかし低級霊の場合は、地上人を騙すために、あるいはからかうために、たびたび人間以外
の姿をとって現れます。低級霊は、すでに他界した家族や縁者の姿を真似たりするだけでな
く、次に述べるように天使や動物・炎・悪魔などの形態をわざとつくり出すこともあります。

◆翼の付いた天使とは
Q:霊能者が、「天使が翼の付いた姿で現れた」と言っていますが、実際に翼が付いているので
しょうか。それとも、それはただのシンボルなのでしょうか?

A:天使に翼はありません。必要ないからです。霊はどこへでも瞬時に移動できます。ただ霊が
姿を見せる場合には何らかの目的があり、それを効果的に演出するために外形はいろいろな
装いをすることがあります。優雅な掛け布で身を包んだり、翼を付けることもあります。その身
なりが霊格の象徴であることもあります。
 この質問の場合、もしそれが本当の天使であったとするなら、天使には翼があるものと思い
込んでいる地上人に合わせて、わざわざ翼をつくって現れたとも考えられます。それが低級霊
であるなら、地上人を騙したり、からかうために天使の姿で現れたということになります。

◆炎の姿とは
Q:霊は炎の形態で出現できますか?

A:存在を示すために炎や光をこしらえることはできます。霊はどんな形態でも装うことができま
す。しかし、それを見たからといって、霊そのものと思ってはいけません。炎はいわば幻像に過
ぎないのです。霊能者や修行者が祈祷中に、「炎の光背(こうはい)を付けた不動明王が姿を
現した」などと言うことがありますが、その実体は“低級霊”であることが多いのです。低級霊が
からかいのために、不動明王の姿をとって現れたということです。
 不動明王が見えたというような場合、低級霊のからかいとは別のケースがあります。それは
不動明王の崇拝者が、強い念によって不動明王の「幻影霊」をつくり出すというものです。地上
人が必死に祈願する神社・仏閣には、地上人の念によって形成された幻影霊が実際に存在す
るようになります。霊界では、心で思うだけで願うものがすぐに霊的素材からつくり出されます
が、それと同じようなことが地上レベルでも生じるのです。こうした「幻影霊」を、霊能者がそれ
とは知らずに本物の不動明王と錯覚してしまうのです。
 もちろんこうした幻影霊が、地上人に害を及ぼすほどの影響力を持つことはありません。映
画の画像がどれだけ恐ろしいものでも、映画を見ている人が「これは映像であって現実ではな
い」と思えば何の影響もないのと同じことです。

◆動物の姿とは
Q:霊が動物の形態を装うことができますか?

A:できないことはありませんが、それはよほどの低級霊のすることです。また装っても一時的
なものです。(*6‖“動物霊の存在と招霊について”を参照)
 日本では、よく霊能者が「キツネやタヌキ・蛇・竜神を見た」などと言うことが多いのですが、こ
れらはすべて低級霊がイタズラの目的でつくり出した「化身霊」か、間違った信仰的な風習がつ
くり出した「幻影霊」なのです。

◆悪魔の姿とは
Q:ある霊能者が「悪魔を見た」と言っていますが、それは想像上の産物でしょうか?

A:その霊能者が間違った信仰をして、悪魔がいると信じ込んでいる場合には、よくそうしたこと
が起こります。イタズラ霊が、間違った教えを信じ込んでいる人間をからかうために、悪魔の姿
を見せるのです。そういうもの(悪魔とかサタン)は実在しないと理解できるまで、低級霊にとっ
て“悪魔”は格好のからかいの材料となるのです。
 一方、こうした低級霊のイタズラとは異なるケースもあります。すでに述べたように、地上人の
強い思い込みが悪魔の「幻影霊」をつくり出すものです。地上人の念がつくり出した悪魔の幻
影霊を実物と錯覚してしまうのです。地上人が想像や間違った教えから生み出したものを、本
当に存在していると思い込んでしまうのです。
 
◆低級霊は先祖霊や他界した家族の真似をすることがあるのか
Q:先祖霊が出てきた場合、それが本物かどうかの判断は、話し方や声ですべきでしょうか。あ
るいは名前を確かめればいいのでしょうか?

A:低級霊の集団には、世界各地の交霊会に出没しては、出席者と縁故のある人の声色を真
似て、感激的な再会の場面を演出することを得意とする者がいます。その場合、霊本人の名
前や住所、家族の名前などを確かめても何にもなりません。その程度の情報なら、低級霊にも
簡単に入手できるからです。
 したがって霊能者が「先祖が来ている」と言っても、その言葉をまともに信じてはなりません。

◆低級霊は簡単に霊能者を騙せるのか
Q:霊が姿を偽装したり、話し方を真似たりできるとなると、霊視力のある霊能者を簡単にごま
かすこともできるのでしょうか?

A:その通りです。霊視能力者は偽装した姿が見えても、それが低級霊によるイタズラであるこ
とには気がつきません。イタズラ霊はそうした霊媒能力を逆手(さかて)に取って、霊能者を騙
し、その霊能者を信じる周りの人々をも騙して喜んでいるのです。

◆真面目な霊能者でも騙されるのか
Q:真面目な霊能者でも騙されるのでしょうか?

A:真面目であればあるほど騙されることが少ないと言えます。しかし、どのような人間にも必
ず何らかの弱点があり、そこに低級霊が付け入ることになります。自惚(うぬぼ)れや偏見はな
いと思っている人でも、自分で気づいていないだけで弱点があるものです。それがイタズラ霊
の乗じるスキとなります。自惚れや偏見を煽れば、いい気になって思うツボにはまることを彼ら
はよく知っているのです。
 邪霊は、霊能者の心の内に潜む低俗な自惚れや野心、高慢な感情をくすぐることによって好
き勝手に操っています。残念ながら、心の底から謙虚な霊能者はめったにいるものではありま
せん。金儲けとは無縁な純粋な霊能者であってこそ、初めて低級霊の介入を防ぐことができる
のですが、実際にはほとんどの霊能者は“低級霊の餌食(えじき)”となっています。
 真の霊能者は、神から与えられた能力を、人々のために用いることだけを心がけます。霊能
力を使って金儲けをしようとしたり、名声を得ようとするようなことはありません。こうした高潔な
人格の持ち主であってこそ、「善霊の道具」となることができるのです。


  




 6 霊を呼ぶこと 
 



 先祖供養や招霊会では、結果的にあの世にいる先祖の霊を呼び寄せることになります。で
は死後、どのくらい経ってからならば、死者の霊を呼ぶことができるのでしょうか。どのようにし
たら地上から、先祖の霊を呼び寄せることができるのでしょうか。また先祖の霊は、私達地上
人の呼びかけに対して、どのように応答してくれるものなのでしょうか。
 ここでは、そうした問題について取り上げることにします。

◆死後どのくらい経ったら、霊を呼ぶことができるのか
Q:死後どのくらい経ったら、死者の霊を招霊できるのでしょうか?

A:死の直後でも、できないことはありません。しかし死の直後は、霊本人の意識が混乱してい
るのが普通ですから、まともな対話はできないでしょう。死の直後の地上からの呼びかけは、
眠りから覚めたばかりの人間に語りかけるようなものです。したがって招霊は、霊の意識が落
ち着くまで、しばらく待った方がいいのです。
 もっとも中には早いうちに、地上から意識的に招霊したり、働きかけてやった方がいい場合も
あります。死者があまりにも物質的意識が強く、死後の世界の存在を認めず“地縛霊”となって
しまう可能性がある場合には、地上から呼び寄せて死んだことを悟らせる方が、よい結果をも
たらすことがあります。招霊や正しい先祖供養によって、死後の混乱状態から、早く脱け出す
きっかけをつくることができるかも知れません。

◆地上から呼ばないかぎり、霊は出てこないのか
Q:霊は地上人が意識的に呼ばないかぎり出てこないのでしょうか?

A:そんなことはありません。霊は呼ばれなくとも、しばしば皆さん方の近くに来ています。自ら
の意志によってです。何よりも大切なことは、皆さんをはじめ、すべての地上人には例外なく一
人の守護霊が付いているということです。皆さんが地上へ誕生して死ぬまで、ずっと付き添って
いてくれるのです。この事実を忘れてはなりません。守護霊の存在こそ、地上人にとって最大
の霊的関係であり、最高に密接な関係なのです。
 守護霊は自ら地上人を守り導いています。守護霊こそ最も身近で、絶えず交流している霊な
のです。先祖霊よりも、他のいかなる霊よりも密接なのです。守護霊は皆さんがわざわざ呼ば
なくとも、常に寄り添い、皆さんの心の声に耳を傾け「霊的成長」に必要なものを与えようとして
くれているのです。

◆霊能者でなくとも、霊を呼び出せるのか
Q:守護霊以外の霊は、霊能者でなくとも呼び出すことができますか?

A:霊に対する誠意があれば、誰にでもできます。ただし呼び出せるのは、自分の霊格以下の
霊に限られます。大半の地上人は呼び出された霊の姿を見ることはできませんが、霊はちゃ
んと近くに来て、皆さん方の声を聞いているのです。他人に語りかけるように、あるいは電話で
話をするような感じで誠意を持って呼びかければ、それだけですでに皆さんの声は相手の霊に
届いています。地上の携帯電話よりも簡単に語りかけることができるのです。
 ただし遊び半分に呼びかけた場合には、低級霊が現れることになります。

◆審神者(さにわ)は、どんな霊でも呼び出せるのか
Q:招霊会の司会者(さにわ)は、どんな霊でも強引に呼び出すことができるのでしょうか?

A:とんでもありません。霊格の高い霊ないしは同格の霊に対しては、そういう権限は許されて
いません。許されているのは、霊格の低い霊に対してだけです。ただしそれも、招霊することが
その霊にとって有益である場合に限られます。したがってもし、「自分はどんな霊でも呼び出せ
る」というようなことを公言する司会者(さにわ)や霊媒がいたなら、決して信用しないことです。
そうした人間が相手をしているのは“低級霊”だけなのです。

◆会いたいと思っている霊が出現しないことがあるのはどうしてか
Q:地上人が霊を呼び寄せる場合、会いたいと思っている人が出現せずに、関心のない人、思
ってもいなかった人が現れることが多いのは、なぜでしょうか?

A:地上人がいくら会いたいと思っても、霊によっては姿を見せる力を持っていないことがありま
す。それが霊にとっての試練である場合があります。地上サイドでは関心があっても、霊界サ
イドでは全く関心がない場合もあります。善霊は、地上人の霊的成長にとってマイナスになると
判断したときには、地上人がいくら願ってもそれを聞き届けることはありません。地上人が会い
たいと思っている霊の出現を意図的に差し止めることもあるということです。こうした問題につ
いては厳格にコントロールがなされているのです。
 呼び出してすぐに出てくる霊の多くは、上級界層の指示に従おうとしない低級霊であるという
ことです。

◆呼び寄せの声は、どのようにして相手の霊に届くのか
Q:広大な霊界で生活している霊が、どのようにして地上からの呼び出しを知ることができるの
でしょうか?

A:相手の霊をよく知っている親和性のある他の霊が前もって察知し、皆さん方の意図を伝え
ます。その連絡は、地上人には理解できない霊界特有の方法で行われます。意念による伝達
は完璧なテレパシーによってなされ、霊界では皆さん方が発する意念の衝撃波が、どんなに遠
く離れていても一瞬の間に相手の霊に届きます。
 地上では言葉を通じて、思っている内容の一部だけが伝わりますが、霊界では思念の内容
が、あますところなくストレートに相手に伝わるのです。霊界では「思念を聞く」というような状況
が起きるのです。

◆呼び出すと同時に霊が出現することがあるのはどうしてか
Q:先祖供養の法事や招霊会では時折、霊を呼び出すと同時に、あらかじめ呼ばれることを察
知してそこに待機していたかのように、間髪を入れずに出現することがありますが、どうしてで
しょうか?

A:先祖供養や招霊会などでは、そういうことがあります。霊によっては招霊されることを前もっ
て察知していて、正式に呼ばれた時には、すでにその場にいるのです。盆の仏事や法事など
を予定していると、地上人の念が霊に届き、それに関係した先祖霊が呼び寄せられ待機して
いることがよくあります。

◆地上人からの呼び出しが無視されることはあるのか
Q:呼び出す地上人の思念が、相手の霊によって無視されたり、拒絶されることがあるのでしょ
うか?

A:もちろんあります。霊的摂理にのっとった形で行われた招霊の思念は、確実に相手の霊に
届きますが、好奇心や興味半分から行われたものは相手に届くことなく、霊界の中に消滅して
しまいます。
 もし、そうした遊び半分の呼びかけが聞こえたとしても無視されます。皆さんもそうではないで
しょうか。誰かから無礼な呼びかけをされたら、声は聞こえても、耳を傾ける気にはならないで
しょう。係わりを避けようとするはずです。呼ばれる側の立場にご自分を置いて考えてみてくだ
さい。名前を呼ばれるたびに、いちいち出なければならないとしたらどうなるでしょうか。 
 高級霊が人間側の勝手な要請に応じることがないのは、言うまでもありません。一方、低級
霊の場合には、たとえ嫌がっても、高級霊が強制的に出させることがあります。

◆呼ばれた霊が出現できないケースについて
Q:地上人から呼ばれても霊が出現できないのは、どのような場合ですか?

A:霊が地上人の呼びかけに応じないのには、さまざまなケースがあります。まず第一に、霊自
身に出る意志がないことがあります。その場合には、あえて自分からは出ようとしません。
 こうしたケース以外に、霊本人は出たいと思っていても出られないことがあります。その一つ
のケースが、すでに本人が地上に再生している場合です。ただし地上に再生していても全く応
じられないというわけではありません。再生者(霊)が睡眠中であるなら、招霊することは可能
です。再生者が覚醒中のときは招霊はできません。このようなことを聞くとたいへん驚かれるで
しょうが、実際にそうしたことがあるのです。“霊の世界の不思議さ”と言ったらよいでしょう。
(※後で述べる“生き霊の存在と、生者の霊の招霊について”参照)
 再生に備えて待機している霊の場合は、その使命によっては招霊に応じられないことがあり
ます。また幽界下層の暗黒の境涯(贖罪界(しょくざいかい)・自分でつくり出した地獄界)に身
を置いている場合は、通常は出られません。地上の人間にとって有益と見なされた場合に限っ
てのみ、高級霊の援助を得て出現することが許されるのです。
 例外的なケースとして、高い霊性を有しながら大きな悪業(あくごう)を犯し、その贖罪のため
に一時的に幽界の下層に追放されている者が出ることを許される場合があります。その豊富
な体験的知識が、地上人にとって役に立つからです。

◆イタズラ霊が出現することはあるのか
Q:招霊された霊に代わって、イラズラ霊が出現することがありますか?

A:あり得るどころではありません。しょっちゅう出現しています。特に興味本位で行っている招
霊会で現れるのは、ほとんどその類の霊です。呼ばれたら簡単に出てくるような霊の身元は、
信じられないと思ってください。「待ってました!」とばかりに出てくる霊の大半は、低級霊です。
 低級霊は地上人を欺(あざむ)くために、招霊された霊にとって代わって現れることがよくあり
ます。

◆高級霊への出現要請はできるのか
Q:地上人の側から、高級霊に向かって出現を要請することはできますか?

A:不可能というわけではありませんが稀です。高級霊は必ずと言ってよいほど、自分の方から
出現します。高級霊が呼びかけに応じるのは、地上人に余程の霊格があり、さらに特別な霊
的使命がある場合に限られます。
 高級霊は、自分が出ることに意義があると判断すれば出ることもありますが、面白半分に呼
ばれたときは絶対に出ません。「自分は高級霊を呼び出せる」と自ら宣伝する霊媒がいるとす
るなら、それは偽者と断定しても間違いありません。霊媒自身が低級霊に操られているか、イ
ンチキを承知で言っているだけのことです。お金を取って霊媒をするような霊能者を通じて、高
級霊が現れることはありません。

Q:再生の必要がなくなった“超高級霊”でも出てくれますか?

A:出ますが、滅多にないものと思ってください。よほど純粋で真摯な心の持ち主としか語り合
いません。高慢さや私利私欲が目立つような人間に呼ばれて出てくるようなことは、絶対にあり
ません。
 ですから、たいへんな高級霊界からやって来たかのような言説を軽々しく吐く霊には、よくよく
注意が肝要です。そうした霊はすべて低級霊です。シルバーバーチやインペレーターのケース
から分かるように“超高級霊”の招霊は、用意周到に準備された霊媒を通じてしか実現しませ
ん。
 今後は日本でも、「シルバーバーチ霊が出る」とか「シルバーバーチと語ろう」といったニセの
招霊会が行われるようになるでしょう。言うまでもなく、これらはすべて低級霊のからかいか、
霊媒のインチキです。

◆低級霊の呼び出しは危険なことか
Q:低級霊や邪霊の類を呼び出すことは感心しないでしょうか? 危険がともなうことになるでし
ょうか? もし先祖霊が低級霊の場合、先祖供養それ自体が危険なのでしょうか?

A:低級霊・邪霊の類は、ただ威張り散らすだけですから、高級霊団の援助のもとで行うのであ
れば、何一つ恐れることはありません。いざとなれば霊団の方で押さえ込みます。彼らの餌食
になる心配はありません。
 ただし、たった一人で行ったり、あるいは出席者がいても動機が不純であったり、初心者ば
かりのときは危険がともないます。実際には大半の招霊会は低級霊を招き寄せているため、
招霊を依頼する人も霊媒も、とても危険な状態にさらされています。
 安易な招霊は“百害あって一利なし”です。間違った招霊によって苦労することになるのは、
すべて自業自得なのです。先祖供養にともなう危険もこれと同じです。

◆招霊は霊にとって嬉しいことか
Q:そもそも先祖供養や招霊会というのは、霊にとってありがたいことでしょうか? それとも迷
惑なことでしょうか?

A:それは先祖供養や招霊会を行う人々の内容と動機次第です。霊は、その場にいる人々が
真摯で真面目な姿勢を持っていれば、親和性を感じて気持よく出てくるでしょう。先祖霊の中に
は、それを楽しみに待っている者もいます。というのも死後、人間界から見捨てられた気分で
悲嘆にくれている者が多いからです。
 一方、霊といっても私達地上人と同じで、いろいろな性格の持ち主がいます。当然、人間嫌
いの霊もいます。そういう霊は地上人から呼び出されても不快をあらわにするでしょう。特に見
ず知らずの人間から呼ばれたら、まともには相手にしません。出なければならない理由がない
からです。好奇心から招霊されたときは、たとえ出ても直ぐに帰るか、初めから出ません。

Q:招霊されて喜ぶのは“善霊”と“低級霊”のどちらでしょうか?

A:低級霊というのは、人間を騙して操る目的で出ます。したがって地上人の程度の悪い招霊
会には喜んで出席します。イタズラをする絶好のチャンスだからです。
 反対に、霊的真理を正しく理解している人々から招霊されることは喜びません。悪行をとっち
められるのではないかと警戒するからです。ちょうどイタズラをした子供が隠れて出てこないよ
うに、呼ばれてもしらばっくれています。しかし高級霊が、懲らしめと向上と地上人への教訓を
目的として強制的に呼び出すことがあります。(*ウィックランドの“除霊治療”には、常に多く
の低級霊が霊的覚醒のために呼び集められていました。)
 何度も述べますが、高級霊は下らない目的からの招霊会には現れません。高級霊ではなく
普通の善霊であっても、まったく出ないか、出ても直ぐさま引き上げます。皆さんも同じだと思
いますが、遊び半分から好奇心の対象とされるのは誰でも嫌なのです。
 地上人は、「あの霊はどんな話をするのだろうか」「地上でどんな生活をしていたのだろうか」
といった、興味本位のどちらでもいいようなことを聞くために霊を呼び出そうとします。まるで霊
を証人台に立たせて尋問するようなことをしているのです。
 私達地上人がされて嫌なことは、霊にとっても嫌なものです。世間で行われている招霊会
は、大半が意味のない好奇心からであり、そこに現れるのは“イタズラ”を目的とした低級霊だ
けなのです。

◆動物霊の存在と招霊について
Q:ある霊能者は動物の霊を呼び出すそうですが、本当にそんなことができるのでしょうか?

A:動物には人間のような永遠的な個別性は与えられていません。人間は死後も、霊体を備え
て永遠に一個の霊的存在として生き続けますが、動物は死後、類魂の中に融合して個別性を
失います。地上時代に人間から愛を受けた動物は死後、一時的に形態を維持し、主人(飼い
主)の他界時に再会することがあります。しかし、それもしばらくの間であって、やがて担当の
霊によって分解され類魂の仲間入りをすることになります。したがって動物は、いつまでも霊界
に居続けることはありません。当然、人間のように再生することもありません。 
 世の中には「動物霊が見える」などと言う霊能者がいますが、それは死後、一時的に維持し
ている動物の形態を見たか、あるいは霊能者が嘘を言っているか、または低級霊がつくり出し
た「粉飾霊(化身霊)」を見たかのいずれかです。もし霊能者が、「動物霊を呼び出して対話をし
た」というようなことを言うならば、それはすべて作り言か、あるいは霊能者自身がイタズラ霊に
まんまと騙されているのです。イタズラ霊はそこらじゅうにウヨウヨいて、いいように霊能者を操
り、面白がっているのです。
 霊はすぐに誰の真似でも、何の真似でもすることができます。そして簡単に霊能者を騙すこと
ができるのです。間違った先入観を抜け出せない霊能者はよく、「狐や狸・蛇・竜神が見えた」
などと言いますが、今述べたように、こうした動物霊のすべてがイタズラ霊の仕業なのです。
「狐や狸や蛇の霊の祟りがある」などと言って不安を煽るような霊能者を信じてはなりません。
霊能者自身が騙され、低級霊に利用されていることに気がついていないのです。

◆幼児霊の招霊について
Q:死ぬ直前は幼な子であったのに、招霊してみるとしっかりとした知性を備えていることがあ
るのはどうしてでしょうか?

A:幼児といっても、魂そのものが幼いわけではなく、肉体という衣で包まれているために幼く見
えるだけです。死によって肉体を脱ぎ捨てると、本来の霊としての能力を取り戻します。霊に年
齢はありません。幼児の霊が大人のような知性を持って対話に応じられるということは、その
霊はかつて大人にまで成長した前世があるということを意味しています。
 もっとも死後しばらくは幼児としての個性をいくらかはとどめているでしょうし、時には霊界の
保育所で養育されることもあります。しかし、いったん霊的自覚が戻り始めると、急速に霊的に
上昇し、本来の立場にまで戻っていくことになります。幼くして亡くなった子供が霊界で成長し、
霊体も大人のように大きくなっているケースがひんぱんに存在します。
 こうした霊は、地上の親が他界したときは迎えに出ますが、その際にはわざわざ死んだ当時
の子供の姿をつくって出迎えるのが普通です。親が自分の子供であることを認識できるように
するためです。

◆生き霊(いきりょう)の存在と、生者(しょうじゃ)の霊の招霊について
Q:この地上で今、生活している人間の霊でも招霊できますか?

A:驚かれる方も多いと思いますが、実際できるのです。その場合、呼ばれた人は“幽体離脱”
して霊体として現れることになります。霊体が時に物質化して、相手の地上人に姿を見せたり
話をすることもあります。こうしたケースでは、招霊された本人は、目覚めてから招霊中のこと
を覚えていないのが普通です。私達が睡眠中の幽体離脱の出来事を覚えていないのと同じで
す。
 このような地上人の幽体離脱にともなう幽霊化を、「生者の幽霊化現象」と言います。生者の
招霊では、呼ばれた者は普通は眠っているか、うたた寝をしています。霊体が肉体から離れて
いる間に、肉体が目を覚ますようなことはありません。もし何らかの事情で肉体が起きる必要
が生じたときには、霊は強制的に戻らされます。それが招霊中であれば、理由を述べて対話を
中断するでしょう。
 昔はこうした生者の霊の遊離現象(幽体離脱現象)が「生き霊の祟り」として恐れられ、加治
祈祷などが行われてきました。それについては古典文学にたびたび登場しますが、実際に「生
き霊」が人を苦しめるほどの影響力を発揮することはありません。“低級霊の仕業”を生き霊の
祟りと勘違いしているだけのことです。(*“生き霊”については、今後のニューズレターで取り
上げる予定です。)

◆水子霊(みずごれい)の存在と、胎児霊の招霊について
Q:妊娠中の胎児の霊の招霊は可能でしょうか?

A:不可能です。妊娠期間中の霊は、意識が混濁していて対話はできません。よく霊能者が堕
胎した水子霊と話をしたり、水子霊の訴えを伝えるといったようなことが行われていますが、こ
れはすべてインチキか、霊能者自身がイタズラ霊に騙され翻弄(ほんろう)されているに過ぎま
せん。
 水子霊の供養も、先祖供養同様、ニセ霊能者や祈祷師によって悪用され大きな社会問題と
なっています。これについても、今後のニューズレターで取り上げることにします。


  




 7 霊への語りかけ・質問 
 



 先祖供養や招霊会・交霊会では、霊に意識を向ければ霊が出てきて話をすることになりま
す。たとえ地上人が霊と直接交信できなくとも、地上サイドから霊に向けて発した祈りや願い
事・質問は、霊の耳に届き、さまざまな反応を引き起こすことになります。相手の霊が善霊であ
れば、場合によっては、地上人の願いに応えようとしてくれるかも知れません。
 しかし先祖供養や招霊会・交霊会で問題となるのは、相手をする霊の多くが低級霊であった
り、イタズラ霊であるということです。彼らは地上人から語りかけられたり、願い事をされること
で、いっそう地上人に働きかけやすくなります。地上人は先祖霊のつもりでいても、実際には低
級霊やイタズラ霊に対して興味本位の質問をすることで、ますます翻弄されるようになっていき
ます。一方、霊の問題のプロフェッショナルであるはずの霊能者も、同じく低級霊の餌食となっ
ています。
 ここでは霊に対する語りかけや質問について取り上げます。霊に尋ねていいこと・悪いこと、
霊にしていい願い事・してはならない願い事、といった問題です。そうした地上人の語りかけや
質問に対して、低級霊達がどのような反応をするかについて見ることにします。

◆霊にとって不愉快な質問とは
Q:霊は出された質問には喜んで答えるものでしょうか?

A:それは質問の内容によりけりです。向上心から出た真剣な真理探究のための質問には、
善霊は喜んで耳を傾け応じてくれるでしょう。しかし意味のない質問、面白半分からの下らない
質問には取り合いません。取り合わないというよりは、それを無視して低級霊のイタズラに任
せます。
 善霊とは反対に低級霊は、彼らの無知や狡猾(こうかつ)さが暴かれるような質問は不愉快
に思うものです。地上人を騙そうとしているからです。低級霊はイタズラが目的ですから、地上
人のどんな程度の悪い質問にも、無頓着に適当に答えます。

◆イタズラ霊を追い払う質問について
Q:では真剣な質問をすれば、ふざけた霊を追い払うことができますか?

A:ふざけた霊を追い払うのは質問ではありません。質問する人間の霊格です。霊格の高い人
であれば当然、程度の悪い質問をするようなことはありません。 
 霊性が低く内容のない人間が、口先だけで真面目ぶった質問をしても、霊側はすべて見通し
です。霊は地上人の動機を残らず見抜いていますから、ごまかしようがありません。善霊は口
先だけの質問には答えず、代わって低級霊が係わりを持ち始めます。

◆低級霊を喜ばせる質問とは
Q:低級霊を喜ばせる質問とは、どのようなものですか?

A:世間では、面白半分に霊界通信を求めたり、世俗的利害の絡んだ質問をすることがしばし
ばありますが、そうした行為は低級霊を喜ばせるだけです。低級霊は面白半分に地上人をか
らかい、手玉にとり、好き勝手に操って楽しんでいます。
 残念ながら、世の中の大半の交霊会やお伺い(リーディング)は、このような程度の悪いもの
なのです。初めからしない方がましなものばかりなのです。

◆霊に答えを無理強いしてもいいのか
Q:ある質問に霊が答えなかった場合、それは答えたくないからでしょうか? それとも高級霊
に止められているからなのでしょうか?

A:両方のケースが考えられます。シルバーバーチやインペレーターなどの高級霊は、地上人
に示すことができる知識は、常に上層の高級霊界によってコントロールされていることを明らか
にしています。その段階では教えてはならない内容もあるということです。一方そうした事情と
は別に、単純に霊が知らなくて答えられないということもあります。
 いずれにしても霊が答えないときに地上人が強く求めても、霊が折れて答えてくれるようなこ
とはありません。答えてはならないと判断した場合に、地上人がしつこく求めると善霊は引き上
げます。真面目な霊に代わって、低級霊が付け入ることになります。その意味でも、しつこく返
答を求めてはいけません。

◆高級霊にも答えられない質問があるのか
Q:地上人から出される質問は、どんな霊にでも理解できるのでしょうか?

A:そんなことはありません。高級霊であれば広い知識を持っているのが普通ですが、その高
級霊でも答えられない質問があります。地上人からの質問に答えられないときには、高級霊は
率直に「自分は分からない」とはっきり言います。
 当然、低級霊には理解さえできない問題がたくさんあります。その場合、低級霊は知ったか
振りをして適当に答えます。地上でも、知りもしないくせに、さも知った風な態度で答える人間
がいるのと同じです。

◆人生上の助言を求めることについて
Q:霊に人生上の助言を求めることは許されますか?

A:もちろんです。生き方に関して真剣に意見を求める場合は許されます。あくまで真剣でない
といけません。善霊は、地上人が真摯に人生上の質問を求めてくるのを拒絶することは絶対
にありません。しかし実生活でいい加減な生き方をしながら、そのときだけ真剣な振りをする偽
善者は相手にされません。
 霊から見れば、その人が日常どのような生活をしているかは丸見えなのです。口先だけで真
面目そうに装って助言を求めても、霊をごまかすことはできません。そうした人間に対して、邪
悪霊は巧妙に働きかけ、自分の手足として利用しようとします。

◆善霊は物質的な利益に関する質問に答えてくれるのか
Q:地上人にとって一定の物質的なものは不可欠ですが、善霊は私達の物質的利益に関する
知恵を授けてくれるものでしょうか?

A:それが私利私欲のためでなく、人助けや純粋な奉仕のための場合は、事情次第では援助
してくれることもあります。しかし、ただの金儲けや卑しい目的のために善霊が援助するという
ようなことは絶対にありません。そうした相談には、善霊は一切係わり合わないと思ってくださ
い。
 地上人の欲得に対して、積極的に知恵を授けるのは低級霊・邪霊です。巧みに誘惑して、後
で欺(あざむ)くのです。思ってもみなかったような形でお金が入ってくるような場合は要注意で
す。その裏に低級霊が関与していることが多いからです。
 シルバーバーチは、「霊的なことを優先していれば、物質的なものは霊界の計らいで困るよう
なことにはならない」と言っています。何を重要視して最優先するかということです。スピリチュ
アリズムの貢献のために物質的なものが必要であるという理由から、先に金儲けに走っても、
金銭的な援助が得られることはありません。純粋にスピリチュアリズムのため、人助けのため
を思ってそれを優先するとき、物質的なものは霊界の援助によって後から付いてくるようになり
ます。
 「スピリチュアリズムへの貢献のために金銭を先に求める」という言い分はもっともらしく聞こ
えますが、本音の部分には不純さが潜んでいます。

◆霊が世俗的問題を取り上げることについて
Q:こちらから世俗的問題を出したわけでもないのに、霊の方からアドバイスを与えてくれて、そ
れに従ったらとんでもないことになった人がいましたが……?

A:地上人の方から持ち出さなかったとしても、霊の方からそんな俗っぽい問題を取り上げたと
いうこと自体が問題なのです。地上人の方にそれを期待する気持があったために、低級霊が
見抜いてからかったのです。低級霊に騙されるのは、騙されるようなことをしているからです。
名誉心や金儲けといった情けない野心があるから騙されるのです。
 こうした失敗があってもそれを機に、自分の生き方を反省してゼロからやり直せばいいので
すが、いったん物欲の虜(とりこ)になった人間は、おいそれとはいかないものです。

◆真面目なスピリチュアリストが騙されるのはどうしてか
Q:世俗的な野心のない真面目なスピリチュアリストが、時に低級霊に騙されることがあります
が、どうして高級霊はその人を守ろうとしないのでしょうか?せっかくのスピリチュアリズムに対
する確信が崩されることになるかも知れません。

A:その程度のことでスピリチュアリズムに対する信念がなくなるようでは、およそ本物のスピリ
チュアリストとは言えません。勿体振った表面的な言葉づかいや美辞麗句に簡単に参ってしま
う人間、つまり思想の中身よりも単なる言葉の表現に弱い人間は、低級霊にあっさりと騙され
てしまいます。それはスピリチュアリズムを正しく理解していないことを証明しています。
 この種の低級霊のイタズラは、スピリチュアリストにとって忍耐力と理解力の試練であり、霊と
の交わりに対する警告です。また痛みのともなう教育であることもあり、時には邪(よこしま)な
思いに対する懲罰であることもあります。
 低級霊にとってスピリチュアリズムが普及することは最高の脅威となります。自分達の悪事
が地上人に知られることになり、働き場所がなくなっていくからです。低級霊はスピリチュアリズ
ムが正しいことを知っており、“善なる光”が広がることによって自分達が片隅に追いやられて
いくことを承知しているのです。邪霊達は、霊的に目覚めた地上人が増えていくことに激しい嫉
妬を持っています。
 そこで彼らは、スピリチュアリズムの普及を妨げようとします。地上人をスピリチュアリズムか
ら遠避けようと画策します。さまざまな手段を用いてスピリチュアリズムの権威を貶(おとし)
め、スピリチュアリズムに対して幻滅させようと謀るのです。
 こうした邪霊にとって最も利用しがいのある相手が、地上の“低俗な霊能者”です。特に自分
達と同じようにスピリチュアリズムに対して嫉妬を燃やす霊能者は、持ってこいの道具と言えま
す。さらに都合がいいのは、スピリチュアリズムを知りながら、私利私欲にとらわれた霊能者で
す。スピリチュアリズムの権威を貶めるには絶好の道具です。
 スピリチュアリズムと出会いながら、スピリチュアリズムの普及を阻止しようとする霊能者は、
真理を知っているだけに、大きな罪を犯すことになります。彼らの死後には、辛い償いの道が
待っています。
 スピリチュアリズムの普及には、こうした低級霊・邪霊の妨害は避けられません。そうした妨
害を乗り越えてこそ、「本物のスピリチュアリズム」が広がっていくことになるのです。

◆未来の出来事に対する質問について
Q:霊に未来の出来事について尋ねてもよいのでしょうか?

A:地上の人間は未来のことを一番知りたがりますが、こうしたことを霊に尋ねるのは間違いで
す。もし未来の運命や事件・出来事についてしつこく尋ねるなら、教えてくれるかも知れませ
ん。ただし、それは悪意を持った低級霊が、面白半分にいい加減なことをしゃべっているだけ
のことです。あるいはニセ霊能者が、金儲けのために嘘をついているのです。

◆霊の未来予知は信頼できるのか
Q:こちらから要求していないのに、霊の方から未来予知をして、事実その通りになったという
ことがありますが、それはたまたま当たっただけなのでしょうか?

A:もちろん霊には、未来の出来事を予知できる場合があります。そのことを地上人に知らせて
おいた方がよいと判断することもありますが、その場合は高級霊から伝達するように言いつけ
られます。 
 しかし将来のことを軽々しく口にする場合には、大体において眉唾物(まゆつばもの)と見る
べきです。そうした予言じみたことのほとんどは、低級霊が面白半分に言っているに過ぎませ
ん。予言の信頼度は、トータル的に状況を考慮して決めることですが、低級霊がたまたま未来
の出来事を当てたからといって、それで信頼できるものでないことは容易に理解されるはずで
す。

◆個人的な予知・予言について
Q:絶対に信じてはいけない予知・予言はどんなものでしょうか?

A:大多数の人々にとって何の役にも立たないものです。個人的なことは、まず“まやかし”と思
ってください。そのような偽の予知・予言の類は、イタズラ霊がすぐに信じ込む人間の習性を利
用して、脅かしたり安心させたりして弄(もてあそ)んでいるだけなのです。
 こうしたことは、よくテレビなどで見ることができます。

◆高級霊の未来予知について
Q:高級霊の許可のもとで未来予知をする場合には、明確な日時まで教えてくれるのでしょう
か?

A:善霊が未来予知をする場合には、出来事の発生については警告しますが、それがいつの
ことかは教えてくれないのが普通です。なぜなら霊界でも、その正確な日時は分からないから
です。出来事自体は予知できても、まだ発生していない他のいくつかの事情が絡んでくるた
め、正確な日時までは確定していないのです。これについては全知全能の神にしか分かりませ
ん。
 それに比べ低級霊・イタズラ霊は、地上人がどうなろうといっこうに構わないのですから、何
年何月何日などと好き勝手なことが言えるのです。善霊は、人間の愚かな欲求や運勢占いに
付き合うようなことは決してありません。そうした子供じみた遊びは、すべて低級霊に任されま
す。低級霊は実にもっともらしい口実をこしらえて、地上人がありがたがるような未来の話をし
ます。

◆過去世についての通信を信じていいのか
Q:地上人の要求に応じて“過去世”を教えてくれる霊がいますが、その話は本当でしょうか?

A:それは人間側がどうなろうと意に介さない低級霊のすることです。また霊能者が嘘をついて
いることもあります。一般的に言って、特に重要な意味を持たない過去世を物語るときは、す
べて作り話と思って間違いありません。
 低級霊は前世を知りたがる人間が有頂天になるように、前世では大金持だったとか、たいへ
んな権力者であったかのような話をこしらえます。また出席者もそれを取り次ぐ霊能者も、聞か
された話をすべて真実として受け止めます。

◆信用できる過去世の啓示とは
Q:過去世についての啓示は、すべて低級霊によるものでしょうか?

A:きわめて例外的なことですが、神は時として、ある特殊な目的のために、いくつかの前世を
啓示するのを許すことがあります。
 しかし軽々しく前世を指摘する通信は、すべてニセ物であり、低級霊のからかいと考えるべき
です。あるいは霊能者の嘘のいずれかです。(*前世の指摘・過去世に関する啓示などの問
題については、今後のニューズレターで取り上げる予定です。)

◆未来の再生人生についての啓示はあり得るのか
Q:来世、つまり次の再生人生についての啓示を受けることはあり得ますか?

A:あり得ません。もし来世について述べる霊がいるとしたら、間違いなく低級霊です。次の再
生人生は、現在の人生での行いと、死後における生き方によって決まることであって、今から
決定しているわけではありません。


  




 8 低級霊やイタズラ霊を撃退するには 
 



 ここまで見てきて分かるように、先祖供養や招霊会には、常に低級霊やイタズラ霊の介入が
付きまとっています。大半の人々は誠実に一生懸命「先祖供養」に励んでいるのですが、真剣
になればなるほど低級霊が働き、さまざまな怪奇現象や霊障が生じるようになります。
 こうした低級霊やイタズラ霊を寄せ付けないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。もし
低級霊やイタズラ霊が来たら、どのようにして撃退したらいいのでしょうか。最後にこうした問題
を取り上げることにします。

◆従来の邪霊の排除方法は効き目があったのか
Q:昔から宗教では邪霊を祓(はら)うために、加治祈祷や読経・お祓い・さまざまな霊術・儀式
などが行われてきました。こうした方法で、本当に低級霊・イタズラ霊を追い払うことができたの
でしょうか?

A:古来から邪霊を排除する目的で人間がやってきたことは、何の解決にもなっていません。
邪霊を排除するどころか、ますます付け上がらせる結果となっています。

◆“エクソシズム”は効果があるのか
Q:西洋世界では昔から“エクソシズム(悪魔祓いの儀式)”が行われてきましたが、これは本
当に邪霊を排除する効き目があったのでしょうか?

A:日本ではお祓いや除霊などがこれに類しますが、それが実際に成功したという話をどのくら
い耳にしたでしょうか? 大抵はますます騒ぎが大きくなっていないでしょうか?
 イタズラ霊というのは、自分が悪魔扱いにされるのを面白がるものです。低級霊は、地上の
祈祷師や宗教者・修行者が必死にお祓いや祈祷をする様子を見て、せせら笑っています。何
ひとつ痛手にはなっていません。吸血鬼ドラキュラは、十字架を突き付けられると一目散に退
散しますが、そうした話は物語の中でしか存在しません。低級霊にいくら十字架をかざしても、
お札を貼っても、九字(くじ)を切っても、何の効力もありません。

◆お守り・お札・魔よけグッズは、どのくらい効果があるのか
Q:昔から魔よけのために、お守りを身につけたり、お札を家屋敷に貼ったりすることが行われ
てきました。ある霊能者は、こうしたものによって邪霊の侵入を防ぐことができると言いますが
本当でしょうか?

A:物質には、霊に対して何の影響力もないことはご存じのはずです。お守りやお札・魔よけグ
ッズの効用は、信じやすいお人好しの人間の想像や、妖怪物語の中にしか存在しません。まっ
たく無知からの迷信以外の何物でもありません。ニューエイジで流行しているクリスタルにも特
別な力はありません。これらはまったく霊と物質との関係が分からないところからの、馬鹿げた
考えなのです。
 いい加減なことを言う霊能者を信じてはなりません。こうした迷信を悪用したさまざまな霊感
商法が、社会問題となったことは記憶に新しいところです。

◆神の名を唱えれば、邪霊を撃退できるのか
Q:霊能者や祈祷師は、よく神の名を唱えて邪霊を取り除こうとしますが、そうした方法で邪霊
は引き下がるでしょうか?

A:誠意を持った人間が神の名を唱えるならば、時には神の名の響きに低級霊がたじろぐよう
なことがあるかも知れません。しかし霊性の低い人間が、単なる紋切り型の呪文を唱えるだけ
では邪霊は退散しません。要は神の名を唱える人の“霊性”の問題なのです。
 霊性の高い人間から発せられる言葉には、高次元の霊的エネルギーが込められているた
め、これが低級霊を排除することになるのです。単なる言葉には霊的な力はありません。

◆建物や土地の聖別化について
Q:古来より、建物や土地をさまざまな方法でお祓いしたり、しめ縄などで囲って結界(けっか
い)(聖域)をつくり、邪霊を寄せ付けないようにすることが行われてきました。果たして、それで
本当に邪霊を締め出すことができるのでしょうか?

A:昔から建物や土地を霊的に浄化する目的で、さまざまなことが行われてきました。聖水や
米・塩・砂などを撒いて清めたり、榊(さかき)や幣(ぬさ)で邪霊や邪気をお祓いするといったこ
とが行われてきました。しかし現実には、そうした物質的手段によって邪霊の類を排除すること
はできません。
 建物や土地の聖別は、霊や地上人の放つ霊的エネルギーによってなされるものです。建物
や土地を浄化しようとする人間に、高い霊的意識があるときのみ、霊的浄化は可能となりま
す。どのような手段を用いるのか、何を撒くのかが問題ではなく、浄化しようとする人間の霊的
内容・霊的意識が何より大切なことなのです。その人間から発せられる霊的エネルギー(オー
ラ)が清らかで高次であることが重要であり、それが浄化の決め手となるのです。
 霊性の高い人間が撒く水や塩・砂には、高い霊気が宿り、それが邪気を祓うことになります。
霊性の低い人間が、どれだけ多くの塩を撒こうが、何時間それを続けようが、決して邪気を祓
うことはできません。
 しかし、こうした霊的浄化の効果は、あくまで一時的なものであるということを知っておかなけ
ればなりません。せっかく霊的に浄化しても、その後に霊性の低い人間が住み着いて邪気を
放つようになるならば、そこは醜い霊気の支配する場所になってしまいます。敏感な霊能者
は、家の中に一歩足を踏み入れるだけで、その家の住人の霊気を察知することができます。
霊的に清らかな家かどうかが簡単に分かってしまうのです。

 人間の肉体は“霊性”によって清められたり醜くなったりします。「霊主肉従」の状態を保って
いる人の肉体は浄化され、その人の近くにいるだけで清々しくなり、元気が出てくるようになり
ます。反対に肉体本能だけに支配されて「肉主霊従」の状態が続けば、肉体は醜悪化すること
になります。そうした人の肉体からは、邪気が放出され、ひどいときには周りにいる人々は吐き
気を催したり、頭を締めつけられたりするようになります。このように物質である肉体は、霊気
によって浄化度が左右されます。
 建物や土地の浄化も肉体の浄化と同じで、そこに暮らす住人の“霊性”によって決まることに
なります。肉体本能が渦巻くような場所、物質欲に駆られている人々がお参りに集まるような
場所は、霊的に見ればまさに暗黒です。人々が集まる神社仏閣はむしろ霊的に汚れているこ
とが多く、人間があまり足を踏み入れない自然の中の方がずっと霊的に清らかなのです。

◆出てきた低級霊を引き下がらせるには、どうしたらいいのか
Q:出てきたのが“低級霊”だと判明したとき、引き下がらせるにはどうしたらいいのでしょう
か?

A:取り合わないことです。しかし、そもそも低級霊に付け込まれるような愚かなことをしていな
がら、それに感応して出てきた霊が、どうして簡単に引き下がるでしょうか。そうした霊に対して
は、一笑に付して無視することです。何をやっても人間が怖がりもせず、大騒ぎもしないとなれ
ば、馬鹿馬鹿しくなってやめるでしょう。
 自分は魔王であるとか、それらしい神の名前を仰々しく名乗って出てくる霊がいますが、それ
は低級霊が勿体振っているだけです。「騙されないぞ!」という毅然とした態度で臨めば、低級
霊は出てこなくなります。

◆イタズラ霊を撃退するいい方法とは
Q:イタズラ霊を撃退する一番賢明な方法とは何でしょうか?

A:善良な霊に来てもらえるように、人間側が善行に励むことです。そうすれば低級霊もイタズ
ラ霊も退散して二度と来なくなります。善と悪は相入れないものだからです。心がけの問題で
す。善良な心がけの漂う場所には、善良な霊しかやっては来ません。高級霊の援助を得られ
るような純粋な利他愛の実践者には、低級霊は近づくことはできません。
 邪霊に付け込まれないようにする最も確実な方法は、高級霊の資質を可能なかぎり見習うこ
とです。










  


スピリチュアリズム・ニューズレターについて 




 うっとうしい梅雨の季節ですが、皆様にはお元気でお過ごしでしょうか。どのような時にあって
も、スピリチュアリズムに出会えた喜びと感謝の思いをもって、心明るく毎日を送りたいもので
す。
 さて当サークルは、先号でお知らせしたとおり7月半ばに新居に移転いたします。移転先は
自然に恵まれ、神の息吹を胸いっぱいに味わうことができるような素晴らしいところです。この
ような環境を与えられたことに感謝し、今まで以上にスピリチュアリズム普及のために貢献して
いきたいと決意を新たにいたしております。

 今回のニューズレターでは、これまで述べてきた内容とはいくぶん趣を変え、「心霊現象」に
関係するさまざまなテーマを幅広く扱っています。従来は、霊的成長ならびに高級霊の働きと
いったスピリチュアリズムの内面的問題、また高次元のテーマを優先的に取り上げ、世間の
人々が関心を持つ心霊現象や低級霊の働きといったものについては、後回しにしてきました。
 しかしスピリチュアリズムが広く国民の間に展開する時期を迎え、そうした問題を一度は整理
しておく必要があると感じ、取り上げることにしました。今後、2〜3号続けて「心霊的な問題」を
中心に扱っていく予定です。
 今回のニューズレターを通じて、スピリチュアリズムにおける心霊現象についての知識・説明
が、他のいかなる宗教や霊能者の言うものとは、比較にならないほど正確で次元の高いもの
であるかを再確認していただけるものと思います。そしてスピリチュアリズムこそ、世の中のあ
らゆる心霊的な問題や迷信を、最終的に整理し、解決するものであることを理解していただけ
るものと思います。



※新居への移転は7月14日(月)です。その前後1〜2日くらい電話・ファクスなど移動のため
連絡を取りづらい日があるかと思いますが、ご了承ください。









 ニューズレター     23号          






100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!